二年前の『シーサイドタウン』から引き続き演出助手として参加する傍ら、今回はレパートリーの創造のアーカイヴの一環として『シーサイドタウン』『文化センターの危機』両作の稽古場の記録を取ることになった。話を受けた時点では何をどのように記録するか決まっておらず、ロームシアター京都の齋藤さんからは「稽古にずっと立ち会っている人の視点で残せるものを」ということだったので、まずは俳優と演出の松田さんとの間で交わされる会話ないしやりとりを〈すべて〉リアルタイムで書き留めていくことから始めた。基本録音や録画はせず、ひたすら肉眼で稽古を追いながら自分が今ここで見た、聞いた〈すべて〉をGoogleドキュメントに手打ちで書き留めていく。当然ここで言う〈すべて〉とは、カメラやボイスレコーダーではなく、演出助手という立場で稽古場の内側にいる〈私〉のまなざしが捉えた〈すべて〉であるので、多くの取りこぼしや取り違えがあり、創作とは無関係な他愛もない会話や出来事も含まれている。そのほか内容の補足説明、現場で気づいたことや感じたことなどがあれば、記録者自身の言葉として青字で記入し、また必要に応じて手持ちのiPhoneで撮影した稽古場の写真を挿入することにした。現在ロームシアター京都のWEBメディアに掲載されているのは、それから公開にあたって最低限の推敲作業を経たものになる。
思い描いていたのは、客観的な事実を淡々と書き並べた〈記録:ログ〉と個人の気分や関心を気ままに綴った〈私記:ブログ〉とを都合よくかけ合わせたようなインフォーマルで融通性のあるアーカイヴだった。これが将来何の役に立つのかは正直よくわからなかったが、現場での〈生〉の記録にこだわり続けることで、いずれ何か意味を持つものになるだろうと考え、これまで記録を取り続けてきた。公演が終わった現在、ドキュメント上には約16万字のテキストが書き留められている。
稽古の進め方は二年前から変わっていない。まずは俳優の出入りするきっかけや立ち位置など、舞台上で起こる運動の順序と空間の配置を淡々と決めていく。頭から最後まで一旦確定すれば、あとは〈通し〉を繰り返しながら本番まで微調整を重ねていく。新作の『文化センターの危機』は昨年の夏から稽古を始め、四日目には〈通し〉をした。この方法で記録を取り始めたのは、その最初の〈通し〉の日から一日休みを挟んだ翌々日、2022年8月25日の稽古からである。
松田 えーっとですね。(中野らの)入りを先にしましょう。「ああそうだったかな」で、何秒で、ここも秒ですか?
深澤 5です。
松田 5で入ってもらえますか。
鈴鹿 言い終わり5秒ですか?
松田 セリフ終わりで入ってきてみて。それで探ってみます。
…
松田 (中野の)「キャンプ行きましょうよ」から(里岡は)5秒で入ってきて、放課後というか、をやってください。
松田 入りを、次の人の入りを先行させていきますね。
(2022年8月25日)
例えば、このようなやりとりがある。先日の〈通し〉を踏まえて俳優の出ハケのタイミングを調整している場面。松田さんが間として指示するのは、大体「5秒」「10秒」「良きとき」のいずれか。たまに「20秒」もある。
──里岡、妹と話す場面。
松田 えっとね。「あ、ごめん」と「あ、そうだ」の「あ」二つ。後半の「あ、そうだ」の「あ」を大きくして欲しいんだけど、一回目の「あ」も大きくしてほしい。で、なおのこと大きいのが、後の「あ、そうだ」の「あ」。
里岡「あ、ごめん」
松田 うん、もうちょい(大きく)。
大門 ああ。
大門 「あ」
松田 うん、それぐらい。
(2022年12月28日)
「あ」というセリフを大きく言ってほしいという演出とそれに対する俳優の応答。なぜ「あ」を大きく言うのか。なぜ二回目の「あ」の方が大きいのか。この一連のやりとりを通じて「あ」の発話は、里岡の演技はどう変わったのか。現場でその都度演出の意図や背景について語られるわけではないので、ただ聞こえてきた会話を素直に書き起こしたものをいくら熟読したところで、稽古の内容を十分に理解することはできない。ここに記されているのは、俳優と演出との間で実際に交わされた対話そのもの、個々の〈ボキャブラリー〉の記録に過ぎない。はたしてこれを創作過程のアーカイヴと言えるのでしょうか。
ジョルジュ・ぺレックの『パリのひとつの場所を書き尽くす試み(Tentative d’épuisement d’un lieu parisien, 1975)』は、著者のぺレックがパリのサン=シュルピス広場を3日間にわたって観察し、目の前を通り過ぎていく人々や車など日常の風景の中から何の変哲もない〈並以下の物事〉を淡々と描写していくという実験的な試みである。本訳書である『パリの片隅を実況中継する試み―ありふれた物語をめぐる人類学』の冒頭で訳者の塩塚秀一郎氏はこのように述べている。
『書き尽くす試み』を特徴づけている絶えざる変異(注意力の強弱、方法の変奏、知覚対象の変化……)が示してくれるのは、〈日常〉が客観的な対象としてわれわれとは切り離されて存在しているのではなく、われわれ自身が日常の中に〈浸りきっている〉という事実なのである。したがって、日々われわれの行う認識や紡ぎ出す言葉、それらの絶えざる流れこそが、日常を織りなしていると言うべきであり、その意味で、本書はペレックによる日常の探求の結果であるよりも、日常の素材そのものをなしていると見るべきであろう。
記録のことを考えながら稽古を見ていると、つい目に見えて明らかな進展や変化、あるいはその根拠となる発言ややりとりなど、何か記録すべき(あるいは記録しがいのある)ものやことを見ようとする。しかし記録すべきものとは何なのだろうか。誤解を恐れずに言えば、自分にとって稽古場で交わされるやりとりの多くは、目の前にいながらつい見過ごし聞き流してしまうほど平凡でありふれたものだった。それは自分が二年前からこの稽古場の〈日常〉の中に浸りきっているからにほかならない。そういった無意識のうちに過ぎ去っていく稽古場の〈日常〉の場面を、その場にいる自分や自分たちにとって慣れきった〈日常〉の言語のまま書き留め、その変遷を跡付けていく。先に控えている〈上演〉を前提として、それに直結するような出来事や変化を捉えようとするのではなく、そういった記録すべきものの周辺にある出来事の断片や変化の予感らしきものをなるべく多く拾い集めていくことによって稽古場という〈状況〉を保存することが、ここでの自分の役割だと考えた。
日々稽古場でおこなわれていたことは、端的に言えば戯曲に書かれた言葉を俳優の身体と空間を介して立ち上げる作業である。そして、その言葉を身体化・空間化するプロセスそのものを、さらに言葉にして書き留め保存したものがこの記録である。このような骨の折れる作業を続けてこられたのは、仕事として引き受けたという責任感のほかに、今ここで経験したことを忘れないようにしておきたいという素朴な欲求と、それをここにいない誰かに知ってもらうために残しておこうという勝手な使命感のようなものがあったからだ。どういった体裁のものであれ、アーカイヴはその時代を生きた誰かの思いや息遣いが感じられるものであってほしいと思う。これから読む誰かにとって有益な何かが書かれているかどうかはわからないが、少なくとも、この記録を読むことで呼び起こされる記憶や反復される経験は、時代や場所を超えて意味を持つものだと信じている。
※本稿は『シーサイドタウン』『文化センターの危機』の公演パンフレットに掲載した文章をもとに加筆修正したものである。