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#演劇#レパートリーの創造#2022年度

レパートリーの創造 松田正隆 海辺の町 二部作 「文化センターの危機」〈新作〉/ 「シーサイドタウン」〈再演〉

稽古場記録 (第五期:2023年1月21日~23日)

記録:福井裕孝
2023.3.15 UP

ロームシアター京都の「レパートリーの創造」では、創作過程をいかに記録するかというアーカイヴの視点を持ちながら作品製作に取り組んでおり、作品ごとに異なる方法で記録を残しています。
2020年度のレパートリー作品『シーサイドタウン』(作・演出:松田正隆)の創作過程では、演出家・映像作家の村川拓也ディレクションによる稽古場記録映像を制作し、2021年6月5日に開催した「『シーサイドタウン』を振り返る」で上映を行いました。
松田正隆による「海辺の町 二部作」として『シーサイドタウン』の再演と新作『文化センターの危機』の上演を行う2022年度は、両作品で演出助手を務める演出家の福井裕孝が、自身の視点も織り交ぜながら、稽古場での日々の記録を書き留めていきます。


ロームシアター京都 レパートリーの創造
松田正隆 海辺の町 二部作
『文化センターの危機』『シーサイドタウン』

作・演出|松田正隆
出演|生実慧、鈴鹿通儀、大門果央、田辺泰信、中川友香、深澤しほ、横田僚平
照明|藤原康弘、杉本奈月(N₂/青年団)
音響|合田洋祐(ロームシアター京都)
演出助手・稽古場記録|福井裕孝
舞台監督|川村剛史(ロームシアター京都)
制作|齋藤啓・木原里佳(以上、ロームシアター京都)

【配役】
『文化センターの危機』
吉村 まりあ(文化センター職員) 中川友香
辻井 ひかり(文化センター職員) 深澤しほ
里岡 泉(高校生)        大門果央
中野 浩介(文化センター職員)  鈴鹿通儀
加藤 保(その東京の友人)    田辺泰信
杉田 進次郎(万引きする男)   横田僚平
神長 哲也(美術教師)      生実慧

『シーサイドタウン』
シンジ(帰郷した男)      横田僚平
トノヤマ(地元の男)      生実慧
ギイチ(隣の男)        鈴鹿通儀
クルミ(隣の女)        深澤しほ
ウミ(隣の娘)         大門果央
ケンイチ(シンジの兄)     田辺泰信
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福井裕孝
1996年京都生まれ。演出家。2017年にマレビトの会『福島を上演する』に演出部として参加。2018年から個人名義での作品の発表を始める。近作に『インテリア』(2020)、『デスクトップ・シアター』(2021)、『シアターマテリアル』(2020,2022)など。下北ウェーブ2019選出。ロームシアター京都×京都芸術センターU35創造支援プログラム“KIPPU”選出。2022年度よりTHEATRE E9 KYOTOアソシエイトアーティスト。
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【第五期稽古期間:2023年1月21日~1月23日】
1月21日(土)
1月22日(日)
1月23日(月)


 

 

1月21日(土)

松田 ちょっとお手洗いに…。

──お手洗いに。

齋藤 俳優のみなさん、今回の公演折り込みはしないことになりました。置きチラシをするのでもしご希望があれば言ってください。

──お手洗いから戻って。

松田 どうしましょうか。最初にちょいミーティングをして。
齋藤 今日どっちをやるかって話ですね。音響のオペの合田がシフトの都合でこの期間23日しか来れないので、その日に『文化センター』の通しができれば嬉しいです。あと23日は取材会があるので。記者の方たちが来て通しを見ていただいた後に松田さんに質問とか。
松田 じゃあ明日二本やるでいいかな。今日は『文化センター』を止め止めでやりたいです。ちょっと修正を。わかんないけど。

松田 で、23日に朝…(田辺さん)なんか顔変わったね。
田辺 髪切ってます。
松田 あ、髪切った。
松田 朝にちょっとレクチャーをしたい。
齋藤 23日の朝に、皆さんに。
松田 そうです。映像とか見れますか。
齋藤 出せると思います。そんなに大きくなくても大丈夫ですよね。
松田 はい、このメンバーがある程度見れるサイズなら。
齋藤 ちなみに朝何時からしますか。
松田 10時くらいから? みんなどうせあれすんじゃない? チェックアウト。
松田 そうだよね? 僕もその日に帰るんだよね。
木原 はい。
松田 僕の演出の記録をね。
松田 齋藤さんも来る?
齋藤 ぜひ行きます。
松田 うん、はい。
齋藤 じゃあ今日は通しはやらない?
松田 まあ半分通しですけど。そうですね、止めるから。止めたいなって思って。
松田 あとなんかありますか。

松田 じゃあ(13時)半から始めましょっか。

 

──13時32分。

 

松田 すいません無駄話をしてました。やりましょうか。

 

①コンビニ

──レジで袋を断る加藤。
(里岡「レジ袋いりますか」)
加藤「大丈夫です」

松田 「大丈夫です」がちょっと、ぼやかして。

ボリュームが大きくて際立っていたのでぼやかす。

(里岡「レジ袋いりますか」)
客(深澤)「大丈夫です」

松田 それもやや小さく。

──神長、本を置いて外を見る場面
松田 それ(本を置いてからの時間)もうちょい長めに、うん。
松田 それ(吉村の入り)ももうちょい、この人(神長)のたたずみがあるからもうちょい遅らせて。

──吉村、杉田とすれ違う場面
松田 えーっと、気をつけてくださいから最後のところまでをちょいボリューム下げよっか。
横田 はい。
松田 「おはようございます」まではオッケーで。もう一回。

──辻井の家の場面
辻井「おじいちゃんおはよう」

松田 「おじいちゃんご飯食べる? 」。お母さんに対しての声は今のボリュームで、「おじいちゃん」をちょっと下げて。
松田 「おじいちゃんご飯食べる? 」はルーティーンだし、なんかちょっと力抜いて言うっていうか。今もかなり抜けてるけど、ちょっとだるさが入ってていいと思う。で、呟くように。まあだるいっていうと語弊があるな、情が出ちゃう。力が抜けてるといいかなって。いや基本いいんですけど、少しボリューム下げて。

松田 極端に言っちゃうとどうなる? もっと小さく

辻井「おじいちゃんおはよう」

松田 多分ね「ご飯食べるってことに対してだけ、ルーティーンだからっていう、食べんのかよっていうのがどっかにあるんだろうけど。

深澤 おじいちゃんご飯食べる?
松田 それもっと小さくするとどうなる?
深澤 おじいちゃんご飯食べる?
松田 そうそれぐらいで、一回流れでやってみて。

おじいちゃんご飯食べる?

松田 エプロンつけてあげて。
深澤 おじいちゃん?
松田 うん。ちょっと一回なんかアクション入れて…エプロンってどうやってやるの?
田辺 多分マジックテープとかで止まってるから、こう後ろ回して。

田辺 知らないですけど。

深澤 エプロンはどこから出現しますか。
松田 その場でいいですよ。

そのようにやる。

松田 ああいいね、いいです。

辻井「デイケア、お母さんがおじいちゃん連れてってくれるの? 」

松田
 そこは(ボリューム)戻していいかも。

──文化センターの朝の場面。

松田 えっとね大門さん。ファイル取ってから回転する時に時間かけてほしい。そこのスピード。そこからしばらくファイルの内容に没入して、二人の間を過ぎてから早くなる。ファイルの内容に大体納得してから。

そのようにする。

松田 うん、そこから早くなる。もっとたっぷりやっていいよ。極端になって、最初ゆっくりであそこから早くなるっていうの。

──その後全員ハケるところ。

松田
 ざねくんそこちょっと(ハケるの)早い。もう少し、あと二、三秒。

もう一度やる。

松田 ああ、まだ早い早い。
松田 いいよいいよ今はそれで。

──中野と加藤、中庭で話す場面。

松田
 加藤「随分行ってないな」まで間をとって。
松田 中野の「よっ」、もうちょっと上げてもいいんじゃないかな、左手を。
松田 あと「よっ」って一発目に言って、体勢が戻ってからまた…。
鈴鹿 庄司くんが何か言って「うん」みたいな?
松田 声にならない声みたいな。うん今のよかった。

──杉田、万引きの場面。

松田
 うーんとね、ちょっと巻き戻して。そいで(杉田が)盗って、盗りますね、それ(見たら里岡が)「あ」って言いましょうか。「あ」って。「あ」。
大門 あ?
大門 「あ」って二回言うんですか?
松田 いや一回でいいよ。

──三人組、スーパーで買い物する場面。
加藤「お酒とっていいですか? 」

松田 お酒がおっきい。声が。
松田 あ、続けてそのまま。もっとモニャモニャで。

ギアを入れる。

松田 なんか(ギア入れる動作)激しくない? (笑) スピードが早すぎる?
松田 あんま早すぎても。まあしっかりやる、慎重に。

松田 ほい。もう一回ちょっと。そこの山道は、そういう遠心力による物理的な運動とそれをわざとやってるってこととの中間領域を目指すとなめらかな感じになると思うんだよね。その感じが出てきてはいるから、そこはうまくいってると思います。で、その後に今の身振りを変えて…。

松田 車が停まってからの中川さんの動きに優雅さを出そうかな。あの二人の無骨な感じとはちょっとスピード感が一人違っててもいいような気がする。急がなくても辻褄が最後合うみたいな。重い荷物持ってる重量感もあるというか。

松田 流れの動きはできてたんだけど、最後の仕上げとしてなんか、つまりこの3人の中のアンサンブルをどうやっていくかっていう。時間がこう一人違うんだけど最後合うみたいなことになれば。なんかそういう芽はあるんだけど。
中川 一回やってみていいですか。

やってみた。

中川 ふふっ(笑)
松田 わかった。運動の速度がゆっくりなんだけど、力強さは必要なんだよね。今なんかちょっと調子を合わせた感じですか?
中川 そうです。
松田 えっと。運動はもうちょっと大きい方がいいんじゃないかな。二人の速度はいいんだけど。
松田 はいじゃあもう一回行ってみましょう。

もう一度やる。

松田 はいちょっと休憩します。(14時)50分再開しますね。15分取ります。

 

──休憩します。

──休憩明け。

 

松田 うん。鍋から。
吉村「あ、鍋とかもありますね」

──シチューを食べる場面

松田
 えっと見つめ合ってっていうより、それぞれ自分の領域で笑おうか。各々食べながら「ンフフ」って。

ンフフフフフ。

松田 そうです。

──焚き火の場面。
吉村「向こうでつけて、ここまで、持って来ますか」
中野「あー。なるほど」

松田 中野の「あーなるほど」もう少し短くして。で、その後「おおー」ってなる方が気持ちよさそうな感じする。

加藤「段階というものがあるんじゃないのかな」
加藤「なんか、こう、だんだんと火を大きくしてゆくっていうか」

松田 そこ流れで「段階ってものがあるんじゃないかな、なんか、こう…」で。そこ空けないで。

──火が起こる。
辻井「オホオホ」

松田 もうちょっとオホオホを、火が遅い方がいいな。もう少し火を起こしてからアクションを2、3個増やして。すぐ煙出んのも面白いんだけど。

松田 全体そこ音量上げようかな。じゃあもう一回。もっかいこっち来るところから。
松田 あとえっとね。これを加藤、最初この二人の間をずっと見つめようか。
田辺 もう揺れ無しで?
松田 いや揺れていいんだけど。
松田 で、辻井がこっち来て二人のことについて話し始めたらだんだんこっち(正面)見て。
松田 …じゃあ吉村を見てくれるかな。
深澤 …私ですか?
松田 いや加藤。吉村を見てウンウンって。

松田 目カッとしたらどうなる? 瞼を広げる。

カッとしてウンウンと頷く。

松田 ああそうそう。
松田 えっと、中野あんまり頭こう(首を垂れる感じに)ならないように、自立して。中野は音楽に入り込まない感じがいいかな。

──中野と加藤、バンガローで話す場面。

松田
 ちょっと加藤全体合わせてください、ボリュームを。
松田 いいよ続けて。

──二度目の万引きの場面。

松田
 えっと、走ってもうちょっと行っちゃおうかな。ギリまで走りながら、捕まろうか。
掴まれるっていうか、引き立てられて…。

松田 ざね(生実)くんとってみて。

横田 ああっ

松田 それでこっちで腕とって、こういう感じに。

松田 そうそうそう。

松田 大門さんが行くかな、椅子。
松田 見てるじゃない? (杉田が)引き立てられてきた、それで大門さんが通る。で、店長に「椅子持ってきて」って言われて「あ、はい」って言って、シュッて行って。

──捕まった杉田。
杉田「ああ。それだけは、二度としませんから」​​

松田 それ、モジャモジャってならないかな。「それだけは」が聞こえなくてもいいぐらい。
横田 「そららららら」みたいな?
松田 うん、モジャモジャってのは変だけど、ああああああって、ああだけが大きいみたいな。

もう一度やる。

杉田「ああそれだけは二度としませんから(速く)」

松田 やっぱり「それだけは」がわからん感じがいいな。その後の「僕は初犯なんですよ」っていうのの「初犯」がわかんないんだけどな。もっとわかんない感じが。
松田 「それだけは」ぐらいはいいか、聞こえても。でも今の感じがいい。文節がはっきりしてない感じがよくて。まあそのなんか人に伝達することが、観客に伝達することが目的ではなくて、ある意味一人で芝居してて自分の中で納得できればいいっていう勢いで。まあその根拠とかはいいんだけど。
松田 えっと初演、初演じゃない、「初犯なんですよ」っていうのが今はっきりしすぎてるかなって思ってて。観客に伝わらなくてもいいぐらい。でもかなり深刻な状況にあるって言うのはわかるっていうぐらいが。

もう一度やる。

杉田「ああそろかfdあ二歩djfkfpspんdlら(ああそれだけは二度としませんから)」

横田 …? (笑)
松田 はいはい、はい。もう一回万引きするところから行ってみようか。

大門さんが取ることで椅子の登場が急に段取りに見えてきた。

吉村「なんでもない、大丈夫」

松田 走ってきてハァハァってなって「なんでもない」ってとき、こう手でアクションが。

両手を前にして

松田 いいよいいようん。こう自分を落ち着かせるために「なんでもない」って。アクションとしてはそれで。

辻井がまだ寝ている加藤の分のコーヒーをテーブルに置いた瞬間、コーヒーが上演の外に消えた感じがした。消えたというか、むしろ今もまだ宙に漂っているような。

──神長、里岡からのLINEを読む場面。

松田
 最後鼻で笑うのをやめようかな。フッて。なんか落ち着いちゃうんだよね。
松田 まあうん、そうね。そのまま(スマホ)置こうか。

松田 えっとですね。吉村の「もう、いいよ、うまく伝わらない気がする」をカットします。で、少し空けて(辻井の)「なんなのそれ」で。ちょっとそれカットしたバージョンでもう一回。

もう一回やる。

松田 うんちょっと待ってね。セリフどうなってるんだっけ。
松田 その前の「なんて言ったらいいのかな」​​もカットしようか。

もう一回やる。

松田 もうちょっと間空けようかな「なんなのそれ」。
松田 でね、ウインカー入れて曲がって、また戻して、ほいでブレーキ踏んで、信号待ちしてて、「なんなのそれ」ってなって、(吉村)「え? 」ってなって、(吉村)「わかんない」ぐらいで青信号になって、もう一回アクセル踏もうかな。ちょっと動きを入れて。

車の運転に合わせて発話の間を作る。

もう一回やる。

松田 「ああ」で踏み込みます。「ああ」で踏み込んで、で、うん。もっかいお願いします。

もう一回やる。

辻井「なんなのそれ」

松田 「そういうこともあるって」の後ももう少し運転して。で、どっか路肩に停めてくれる?
松田 それでもっかいやっとこうか。二人が同じ空間にいないといけないっていう時間をもう少し持続させて。

──最後の駅の場面。

松田 これこうなって、キャリアケースをこう前にしようか。

手を前に。

──カーテンコールの段取りを確認する。

松田 はい。これこうしてから音楽が終わって今普通に戻ったよね。すぐお辞儀しちゃダメだよ。そっから10秒カウントして、それから緩めるとどうなるんですか。

音が止んで10秒してからカーテンコールに。

松田 あんまり変わらんか。
松田 ちょっと中央に来るか二人。

10秒したら二人が少し中央に寄ることに。

松田 そうしたらみんな出てくる感じにしましょうか。
松田 並ぶとどうなるんですか。まあ一応。

松田 まあ別れて出てきてくれたら

松田 はい、それで行きましょう。
松田 あれは、『シーサイド』はどうなってんの?

『シーサイドタウン』の方も確認する

松田 ウミが中央になってるの? これいつも通り?
松田 はいオッケー。2月にやりますけど。

松田 まあちょっと今ので明日はこれ反映してって感じで。細かく修正しましたけど、ボリュームと少し手数を増やした感じ。あと間を。だんだん段取りになってくるからそれを少し角をとった感じにして、まあ細かくしました。
松田 まあ後は楽にやってほしいなってのはあって。セリフの大きさを抑えてそれで暗くなる必要はないんだけど、暗くなるのはよくないけど身体の重心は下がってる方がいいと思ってて。だから肩に力が入らない感じにしてくれれば。
横田 はい。

松田 うーん、そんな感じかな。じゃあちょっと休憩して、ひとまず40分に再集合しましょう。

 

──休憩します。

──休憩明け。

 

松田 えっとですね『シーサイド』のドライブからやろうかなって。いいですか?
松田 じゃあ50分からドライブして最後まで行きましょう。

 

──休憩します。

──休憩明け。

 

⑤ドライブの場面から最後まで

マスクしてる人としてない人がいるのがいい。マスクしてる人はマスクしてないつもりでいるし、マスクしてない人もある意味マスクをしてるつもりでいるように見える。

最後までやった。

松田 はい。
松田 はいはい、いいんじゃないかな。

松田 なんかカクカクならないお兄さんがちょっと、そんなに焦る必要ないから。
田辺 『シーサイドタウン』カクッとなっちゃう。
松田 ちょっと長くなるのよね、間が。お兄さんの方の返しの、どっかが長くなる。今見たぐらいなら許容範囲なんだけど。でもまあ間違えたとしてもうまくいくようにしといてほしい。ざっくりでいいから。

お疲れ様です。

 

 

1月22日(日)

松田 まず『文化センター』から。じゃあ(13時)半から始めますか。
松田 それが終わったら…15時10分。で、次は16時からやると。それでいいんじゃないですか。
松田 早いかな? まあ1時間休みますか。そうするとちょうど18時に終わるでしょう。計算…。
田辺 17時50分に終わる。
松田 ああ、いいんじゃないですか。
松田 て感じで。
松田 まあ最後に一応…18時過ぎまでやりましょうか。最後にまとめてフィードバックします。
松田 じゃあ時間通りに始める感じで。

 

──13時30分。

 

松田 …(笑)
松田 ちょっとお腹痛くなってきちゃった…。
松田 すいません。5分押します。

 

──お手洗いに

──戻って。

 

松田 はぁ、はい。

 

──13時35分。

 

『文化センターの危機』通し

万引き後、里岡が杉田の座る椅子を運んで用意するところ。ここでの椅子は杉田(横田さん)の身体の延長として考えたいので、自分のメガネをかけ直すのと同じ理屈でやはり杉田が自分で取りに行った方がしっくりくる。

身体の延長というか杉田の座る椅子は杉田の「座る」の中にある(組み込まれている)はずであって、里岡が用意(干渉)すると、杉田の「座る」という行為がていの演技として成り立たなくなる気がする。

お疲れ様です。
93分です。

 

──休憩します。

──休憩明け。

 

『シーサイドタウン』通し

お疲れ様です。
89分です。


ミーティング

松田 えーっと。明日の稽古の時に、『市民、『文化センター』でキャンプの四人がやってきて寝るみたいなところをちょっとね。杉田が港に来るところで、後ろで寝てたその四人が市民になるっていうかさ、あれやるのをやめようかなって思ってて、そこを作らせてほしいです。で、その後の里岡と万引き男のところももうちょっといてもいいかなって。動きは同じでいいんだけど里岡は。いずれにしてもその前の段階の部分を、後ろの四人を元から出さないようにするのか、あるいは出すのか。どちらかというと町の市民として普通に出てくるようなことでもいいような気もする。

松田さんは度々『文化センター』を『市民センター』と言い間違える。

松田 『シーサイドタウン』は最初がなんかパワーがなかった気がするね。咳?
横田 咳すごいしちゃいました、あの一回裏ハケた時に急いで水飲んで。
松田 むせたの。
横田 はい。水は後半でちょっと飲むようにします。
松田 いやいや。でもそんなことなかった?
深澤 テンション? 冒頭とか横田さんの中のキャラクター的なイメージっていうか、社会不適合ぶりがすごかった。本当にコミュニケーションが苦手な感じがして、それはそれで面白かった。
松田 クルミも声小さかったよね。
横田 多分合わせてくれてるなって。
松田 ああ、シンジ合わせ。でもシンジに合わせる必要はないよ。
深澤 本当ですか。今日私も距離探ってるところはあって、前回のやり方とは違う状態を模索してて。
でも気をつけます、テンション。
松田 ね。あとは咳だよね。
横田 ごめんなさい!
松田 成り立たないこともないなって思いながら見てたけど、後半盛り返したね。でも疲れ具合もあるの?
横田 いや。
松田 中川さん疲労感は?
中川 え? ああ、私は今日『文化センター』やって疲れて…。
松田 『文化センター』で疲れて『シーサイド』を見るのは辛いっていうことですか?
中川 (笑)でも今日自分も重かった。上に人がいっぱいいるからかな。
深澤 大黒摩季さん。
松田 昨日吉川で、今日大黒??
齋藤 ロームシアター大繁盛です。
田辺 ドラムの音が聞こえてました。
齋藤 本番の時はこの手の音モノはないと思います。
松田 全然いいんですけど。あんまり気にならなかったけどね。

松田 大門さんあんまり疲れなかった?
大門 疲れて、ないです。
松田 程々の疲労感もない。
大門 一日過ごしたという意味では疲れた。
松田 ああ。帰ってお風呂に入れば、みたいなね。
松田 田辺さんどうでした?
田辺 僕は『シーサイド』は気合い入れてやりました。
松田 そんな感じがした。後半の二人(ケンイチと)のやりとりは良かったね。やっと成功したなって。ああいうスピード感がいいんじゃないかな。

松田 (横田さん)一回もハケてないでしょう。臨海病院で初めてね。
鈴鹿 いや草刈りするところでハケて、そこがお水タイムですよね。
横田 マラソンみたいに。それで急ぎすぎてむせた。
松田 給水も大変だよね。給水渡す人も気をつけないとね。
横田 いや、水は置いてます。

松田 毎回二つやったりしとくとね、たまに一個にすると楽になったりするよね。
松田 演技の余裕度合いっていうのは、最近ありますか。変化ある?
中川 余裕って何のことですか?
松田 うん、ちょっと今言い方を考えてるんだけど。余裕じゃないな。
松田 大体いつも同じ動きをルーティンで繰り返してるし感情をぶつけ合うような感じもないから、あんまり熱くならないでしょう。
横田 感情的な熱さは遠のきました。僕はですけど。でも遠のいた分ディテールを意識するようになって多分声がちっちゃくなって、ああなんか影響しちゃったんじゃないかなって。
横田 『シーサイド』では熱くなってたんです。情があったんです。情があると声量の調整とかが作為的になる。ディテールのことを考えるとその分冷静になれたんですけど、作為的にやってうまくいったような気持ちを作るみたいなことの弊害が出てきたなみたいな。情がある時はそんなの気にしないから。でもそれはあんまりやりたくなくて。
松田 だから主体的に置きにいってるみたいな?
横田 そうです。でも演技を置きにいくと…どうなんですかね。情がある方が俳優の色気があると思うんです。気持ち悪い色気。でもディテールを作為的に作りすぎたら置きに行きすぎたなってなったりするし。でもそれをどうジャッジするのかもわからないから、セルフジャッジしすぎて萎んでいくみたいなことになっても…。
横田 一旦以上です。
田辺 何言ってるかわからなくなって。

松田 まあこれはでも俳優の演技の問題を考えるときに常にね。感情に没入するとコントロールが効かなくなる、その効かなくなったことを利用して発話が促されていつの間にか演技が回っていってるってことがあるだろうけど。まあでも強迫観念に苛まれるように一個のテンションに巻き込まれるっていう、ある種の熱が高い時にそうなるんだろうけど、もうちょっと冷静に巻き込まれたいというか、冷めた巻き込まれができたらいいよね。クールに熱いっていうかクールに情動を回すっていう。熱いエモーションに絡め取られるんじゃなくてね。
松田 トノヤマの「シンジくん家の隣人だよっ」とか「あちっ」とかってテンション上がってんの?
生実 声出そうとは思ってます。感情はそこまで熱くはなってないです。
松田 いずれにせよ、わざわざ「上演」そのものを上演して見せているっていうか、「怒っていることでございます」って感じで見せてるからいいんじゃないかなって。感情に任せて怒ってもしょうがないから。ああいう時にどうして怒っている私を提示しているんですっていうふうになれるのか。
横田 怒っているってことを提示する時に怒っていることをやってるっていう恥ずかしさないですか? 怒っていることを出しまーすっていうの恥ずかしくないですか? 
松田 怒っていることを引用するように提示することと怒っていることに巻き込まれながら提示することのせめぎ合いにならないとね。だから怒っていることがただの引用のままに終わると俳優側は恥ずかしくなるやろうね。
横田 そうですね。引用が上手くいってるかどうかってことだけになると恥ずかしい。
松田 感情の中に取り込まれちゃう。それはでもなんていうかな、主体を失くすって言い方をすると本来的な主体が元からあるっていうふうになっちゃうけど、そんなものもないわけだから。でもまあ仮にはあるっちゃあるんだけど…ここ難しいじゃないですか。
松田 田辺さんがコウイチじゃないケンイチを演じている時に田辺さんが消えた方がいいのかっていうよりも、もうちょっと無責任に誰にでもなるっていうことをやりたいから。さっきの言葉で言うと、怒りを引用している部分もありながら怒りの感情に巻き込まれているっていう配分が上手くいっている俳優は見ていていいなって思いますね。
横田 共演者の引用に引用で返すみたいな、戯曲に怒る怒られるって書かれてあって、Aっていう俳優が怒る引用をしてきたから自分は怒られる引用をするみたいな、引用のし合いみたいな気分に最近なってたんですけど、それはいいことなんですか? よしここは怒られるぞみたいな。
松田 具体的に言うとどこなんですか。
深澤 どこなんだろ。『シーサイドタウン』のクルミの「何時だと思ってるの」とシンジの「すいません!」とか?
松田 そこはどうなってんの?
深澤 「何時だと思ってるの」は相手に向けて言ってるけど、それは怒りがどうっていうよりは一人の女が出てきて怒っているていですよね、ぐらいの声の大きさを出すみたいな感じです。私のセリフの距離感としてはセリフがすでに文字的に怒っているから、その文字の感情を信じてただ大きい声を出すだけって感じですかね。でも横田さんの「すいません!」も別に同じ原理かなと思っていつも受け取ってるんですけど。
横田 いややってることは一緒だと思います。文字情報を喋ることでそこに含まれてる怒りとかも引用されるからただ大きく言うみたいな。でも時々笑っちゃいそうになるというか。
深澤 でもそれはうまくいってるからこそ面白く見れるというか。個人的には好きなんですけどね。でも好みなんですかね。感情に由来しない発話を元にやってるとバチッとハマった時に「あれ? 」ってなるけど、ハマるのも楽しいからいいんじゃないかって最近は思うようになりました。たまたまバチッていったなって。楽しいですよね。
横田 いい状態だなと思ってます。
松田 「この軽トラ…」ってなるところ、みんながみんな全然違うところ指差すじゃない。あの時の空間の広がり具合、俳優たちがずらして立ち上げたイメージを観客は一台の軽トラとして了解しなきゃいけない。そうやってこう矛盾しながら受容しなきゃいけないみたいな、そんなん成り立ってないじゃないっていうことなんだけど成り立っているってことを受容せざるを得ないという。車の運転ってこうだよってことを成り立ってるのか成り立ってないのかわからないままここに引用してわざわざやってるってことと、テンプレの怒りをわざわざここで怒ってみせるってことは割と似てるじゃない。演劇ってそういうふうにわざわざ人の前でこういうことをやって見せてますっていうことで、「演技」ってことを隠蔽せずに演技として見せているっていうことですよね。それを僕たちはずっとやってきてるわけで。
松田 だけど憑依もされているって方を忘れたらおそらくダメになるんだろうな。クールにならざるを得ないんだけど。有機的なものが一切ないからさ。情緒とかそういう熱を帯びるようなウェットな部分もないし。乾いてて冷たい中でやってんだけれども身体を機能させて動かしていけるから、車に乗ってる時の乗ってる感に、あるいは「隣人だよ!」って怒りの演技をするときに怒りの感情に取り憑かれないってこともできない。演技を一度所持するとその演技に憑依されるから。

横田 え、ざね(生実)さん「隣人だよ!」ってバンってやるじゃないですか。そのとき拳は硬いですか?
生実 力を入れてるか?
横田 力が入って拳が硬いなってことが事後的にわかって、解くときにその硬さが残るじゃないですか。こっちに感情がなくてもなんか怒ったなって、その硬さによって感情があったんかなって錯覚する。その感覚からは逃げれないし、それが積み重なるとなんか引用の方へのジャンプが鈍くなるみたいな感覚はある。そういう硬さみたいなのもすぐパッて捨てればいいんですけど、最後ハケるとかありがとうございますとか演技の身体をやめるみたいなことで。
松田 オフになることね。
横田 そうです。シンジも劇中そういう細かいやめ時があるんですけど、それをもっと使えばいいのかなって。
松田 オンが長引いている人だからね。なかなかオフってないのかもしれないね。
横田 そうなんです。あそこでオフろうとか思うと、てことは逆説的に今はオンなんだって暗示になっちゃうんで。全ての舞台上の出来事が暗示になっちゃうんでそれがとにかく怖い。
松田 怖いけどその感情に乗っからないと、やっぱり物語上の役に乗ってるから中断が起こるわけなので、乗らないととは思いますけどね。

齋藤 今日はちょっと『シーサイドタウン』の通し拝見できなかったんですけど去年の年末に『シーサイドタウン』の通しを見たときに今まで見た中で観客の視点で言うと一番見応えがあって面白かったなって思ったんですよね。戯曲の中にある暴力性とか鋭い部分というのがダイレクトに伝わってきて。話題になってましたけどセリフの中に血まみれとか刺すっていう言葉が出てくるからではなくて、もう少し内在するものが伝わってきたなっていう印象があって。それは何か感情の問題とはちょっと別で、俳優の人たちの演技にためらいがないというか、保留にしてたりもしくは宙吊りにしてるようなところがあんまり以前よりもない感じがして、いろんな感情とか上演としては顕在化させた方が狙いに沿ってるのかもしれないんだけど、そんなことを観客の方に意識させずに物語が進んでいくっていう感じがしたんですね。そういう見応えのある感じが上演として考えた時にはそれでいいのかってことはちょっと別の問題で難しいんですけど。そのことと上演時間が前回の初演よりも短くなってることは無関係ではないのかなって気もしました。
松田 ためらいがないっていうこと?
齋藤 そうですね。結果としてそうなってるのかなって印象です。ドラマとして見るとやっぱりおもしろかったです。

松田 『市民(文化)センター』の通しの前半、昨日僕が演出をいじって緩急が出たなっていうのはあって。伸縮性の伸の部分、ハケるのを長引かせた場面があったりドライブの3人のやり取りもゆったりやるようになったり…山の冒頭まではうまくいったんやけどね。いいなと思ったんやけど、ちょっと急に間が延びたなっていうのが。まあ単純に言ったら構成の問題なんですけど。いつもは動きの段取りを重視してたけど、それから演出で細かに堰き止めていって時間を伸ばした皺寄せが後半の構成のぼんやりしてるとこに来てるなって。あそこを乗り越えると、山を降ってきて駅や家まで送ったりするところの間は成立するだろうなって思ったね。
田辺 福井さんにさっき『文化センター』終わった後に言ったんですけど、辻井が「加藤さんと何かあった」って言うところもいつもより間が延びてて。それに僕が耐えられなくなって先に動いちゃったんです。そういうのもあったなって。だから松田さんの話聞いてて腑に落ちたって話です。
松田 そうね。俳優の持続タイムがちょっと長くなってるのかもね。
松田 まあ基本はキッカケで動いたらいいけど、その場の判断もあるだろうしね。
深澤 でもそこはむしろ(加藤が)動き出したら言うぐらいがいいかもですね。

松田 はい。まあちょっとその辺のことも明日語りましょうか。まあ終わろう。色々考えといてください。
みなさん お疲れ様でした。

 

 

1月23日(月)


今日は朝から松田さんによるレクチャーです。
これまで松田さんがマレビトの会で行ってきた過去の演出や活動について見ていきます。

松田 では始めますか。

松田 私はマレビトの会っていう演劇集団をやっていて、そこで2009年から2012年にかけて上演した作品を皆さんに紹介して、その後今のスタイルになったっていう流れを掴んでもらいたいなっていうのが今日の大きな目的です。まあこれは立教の授業でも取り上げたりしたので、それを再構成してレジュメは作りました。

松田 マレビトの会を作った時から歴史的な破局と大きな出来事、それは戦争とか原爆とか、あるいは福島の方の被曝や放射能汚染ですね、そういう出来事によって土地を追われたり戦争に巻き込まれたりした人たちの“回復の物語”をどうやったら演劇で表現し得るのだろうかっていうのが創作のモチーフにありました。

マレビトの会を作る経緯というのも簡単に紹介すると、マレビトの会は2003年に結成、2004年に旗揚げ公演をして、ここ(ロームシアター京都)にいる桝谷(雄一郎)君とかと一緒に作りました。僕の最初のキャリアとしては、90年代の初めから大学を卒業して演劇を作ってきたわけなんだけど、まあ基本的には自分で戯曲を書いてやっていくっていう作業を続けてきたんですね。最近『夏の砂の上』とかが上演されたりしましたけれども、それなんかは割と起承転結があって、ちゃぶ台を中心にしてそこから空間が広がっていく上演形式というか、割とリアリズムで写実的に物事が茶の間の近辺で起こっていくような芝居ですね。でもそういう日常的な芝居の中に原爆の傷跡とか街の記憶とかをなんとか盛り込んで作ろうとやってきたんだけど、さっき言ったような大きな歴史的な出来事とそれによる喪失感というものを表現するにはそういう手法では難しいんじゃないかって。99年に『夏の砂の上』を作ってからちょっとどうしたらいいもんかっていうのを感じてたんですけど、それで旗揚げしたのがマレビトの会だったね。

松田 それまでの何年間かは戯曲だけで生活してたんですが、やっぱり演出もした方がいいなっていうのもあって。あとは造形大(旧京都造形芸術大学)っていうところで職を得て、まあ特任教授だったからガッツリ入っていくってこともなかったんですが、まあそれゆえにいろんな学生と出会うことができたり、何よりダンスの砂連尾(理)さんや山田せつ子さんと出会えたり。あとは声をかけてくれたのが太田省吾だったんで、太田さんに影響されて自分の戯曲の文体もだんだん変容していって。ポーランドの演劇とかね、そういうものをどんどん吸収して、会話劇というよりもモノローグ中心というか、あるいはモノローグなのか会話なのかわからないような、それをポエジーがあるって言うと恥ずかしいけど、ちょっと理解し難いような言葉で書いたり、あるいは引用をしたり、戯曲をどんどん書くなかでテキストも変容していったんですね。

長崎が自分の故郷だからっていうのあるかもしれないけど、原爆で失われた街っていうのが自分にはオブセッションのようにある種取り憑かれたモチーフとしてあったんですね。チェルノブイリの原発事故もそうですけど、そうした出来事から人々が移民化していくというか、集団がその土地を追われていくというような経験、あるいはアウシュビッツのように収容所へ連れていかれるような経験、そういう歴史的に大きな経験をどういうふうに演劇にしていくのかっていうことを考えるようになって。ようするに自分の視野と作品のモチーフにする対象がどんどん拡がっていった、そういう時期が2000年代の頭の頃だったんじゃないかなって思います。

松田 それで2000年代後半からもう少しコンセプトをしっかりさせて取り組むようになったんですが、それが今日皆さんに紹介する『声紋都市-父への手紙』、『PARK CITY』、『HIROSHIMA-HAPCHEON:二つの都市をめぐる展覧会』、『アンティゴネーへの旅の記録とその上演』っていう四つの作品です。これらを皆さんにご紹介しようかなと思っています。



『声紋都市-父への手紙』(2009)

松田 まず最初の『声紋都市』っていう作品、これはロームシアターとも関わりが深いわけですけど。
松田 あれ、違うか。フェスティバル/トーキョーの方が先だったから、ロームシアターは『HIROSHIMA-HAPCHEON』からかな。
齋藤 KEX「(KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭)」じゃないですか?
松田 KEXです、ごめんなさい。ロームシアター関係ないか。
齋藤 まだできてない。
松田 まあ京都と関係があるという…。『声紋都市』はフェスティバル/トーキョーでやったんですが、まあフェスティバルでバジェットも大きかったからできたっていうのもあって。これをちょっと見てください。

映像を見る。

松田 90分ぐらいの作品なんですけど、まず冒頭見てもらったらわかるように、舞台セットとしてはまず大きなスクリーンがあって、その前に大きな斜面を作ったんですね。長崎が坂の街なんでそういうモチーフを考えてたんですけど。

松田 で、ここで僕が出てきたけど、この「松田」って男が自分の父についてのドキュメンタリーを撮るのにずっとテキストを書いていく、その書かれたテキストがこの斜面から降りてきた俳優たちによって発語されるというような構造です。だから演出家らしい人物である私がセルフドキュメンタリーのようにして作ったものを俳優が上演していく、そういう構造のなかで長崎という街の記憶をどうやって語っていくことができるかっていうことをやった作品でしたね。この舞台の斜面は長崎の坂っていうのもあるんだけど、もう一つ言うと上の映像に出てくる演出家である私が俳優たちに指示を与えている権力構造を顕在化させるっていうか、そういうものを見せてやっていこうっていう意図でもありましたね。

この時期からかなり映像制作の人であるとか音声の人であるとかと一緒に作るようになって、造形大で出会った学生たちの中から卒業してアーティストになっている人たちもいたので、桝谷くんもそこで出会ったし、この映っている牛尾(千聖)さんっていう女優さんもそうですけど。そういうなんて言うかな、代表である私はいることにはいるんだけど、よりコレクティブな状況で演劇を作るようになった最初の作品です。

松田 僕がこのセルフドキュメンタリーの中でモチーフにしてるのが無脳児なんですね。子供の頃に父親が原爆資料館に連れて行って無脳児の写真を見せたんですけど、もうそれ以来怖くなってその原爆資料館にも行けなくなった。今の資料館とも違うんですが、前はビルが建ってて、そこにある展示スペースにものすごく引き伸ばされた無脳児の写真があったんだけど、それは今でもあるのかな…とか。僕にとっては、いわばその写真の無脳児と出会い直す旅でもあったわけです。あともう一つのモチーフは父親で、僕の父親が海軍の士官だったんで、人を殺すための兵士として海軍に従軍していたっていう問題と長崎での原爆投下っていう問題が僕の中で繋がっていたんです。

無脳児の写真

松田 これ父親の当時の写真ですけど。

松田 これは僕の実家で父親と撮った写真です。マッカーサーと天皇の写真をモチーフに撮って。父親にはそんなこと言わなかったけど。

松田 映像の中では私が私を演じながら、演じてるのか演じてないのかはよくわかんなかったけど、とにかくそれが上のスクリーンに流れて、同時にテキストが書き進められていく。下の人たちは上で書かれたテキストにだんだん迎合していくというか。長崎の市民になったり、あるいはシェイクスピアから引用した『ハムレット』の父親の亡霊に取り憑かれたりとか。 

松田 で、だんだんカオティックになっていくんですけど。

松田 キリないんですけど。ずっと見たいけれども。


松田 このシーンは僕が映画を見てるんですね。『少女ムシェット』っていう映画があって、少女ムシェットは斜面を転がって川に落ちて死ぬんですけど。ロベール・ブレッソンの映画ですね。あ、(大門さん)こないだ見に行ったと思うけど。

大門さんは初演の稽古期間中に松田さんに勧められて『少女ムシェット』を見に行ったそうです。

松田 まあ話の収拾がつかなくなって。終わらせ方がわからなかったので、ちょっと訳がわからないんですけど、僕が少女ムシェットになって斜面を転がって川に落ちることにしたんです。

松田 あんま見て欲しくないんだけど、これが自分でこう、それをやってみようって思った場面ですね。五山の送り火のどっか山の一つだったと思うけどね。そこを転がってみたんです。俳優にばかり斜面を転がさせて悪いなとは作りながら思ってたので。

──早送り。

松田 あ、これは落ちた後ですね。

──巻き戻し。

松田 いやまあこれ見せなくてもいいんだけど。とにかく話を一旦終わらせて、もう一回やり直さなきゃいけないって思ったシーンなんだけど。これをちょっと。

斜面を転がり落ちるシーン。

松田 まあ今はできないなって思う。若かったなって。

松田 まあ『声紋都市』ばっかやってたら…というのが『声紋都市』でした。



『PARK CITY』(2009)

松田 で、次が『PARK CITY』っていう同じ年にやった広島をモチーフにした作品ですね。これはYCAM(山口情報芸術センター)で作ったんですけど。レジュメの説明にもあるように笹岡啓子さんっていう写真家がずっと『PARK CITY』っていう写真集をライフモチーフとして作ってて、その笹岡さんと共同して作った作品でした。広島は観光都市でもあるんですが、原爆が落ちた落下地点に公園ができているんですね。だから笹岡さんはそこを『PARK CITY』って名付けて撮ってるんですけど、僕たちも同じように劇場全体をそういう公園と見立てて、そこにやってくるツアー客たちのお話としてやったのが、この『PARK CITY』って作品です。

松田 いくつもカメラがあってですね、ちょっと特殊な作り方をしてるんだけど、まあちょっとだけ。これはダイジェスト版なんだけど。

映像を見る。
https://youtu.be/oOhQ6DAU30A

『PARK CITY』

松田 劇場の二階席っていうかギャラリーって言ったらいいんかな。とにかく上から俯瞰して見るように作った感じです。客席の左側に画面があって、飛行機なんかでもあるけどこういう感じですね。だから観客はモニターも見なあかんし、舞台上も見なあかんし…。

客席それぞれに用意されたモニターから映像が再生される。

松田 さっき「島外科」って言ってたけど、原爆は島外科の上空で炸裂したんですね。これ島くんっていう俳優が登場してたんだけども、彼がそれに取り憑かれちゃうみたいなお話もありました。まあこうやって笹岡さんの写真やドキュメンタリー的に撮影した映像が観客に提供されるっていう。この映像も映っている人が色々証言をしたりしてるんだけど、全部同じ内容ってわけではなくて何種類か用意していて、観客によって違う映像の体験ができるようにしたりしましたね。

松田 あとはこうやって下で演劇が進行するから、上からの肉眼の視点では遠くてこういうふうに全体像しか見えないわけだけども、リアルタイムで舞台上を撮影した映像を客席の画面に映したりもして。この頃映像をどう上演空間に取り込むかっていう問題もあったんだけど、この『PARK CITY』ではあらかじめ取材した歴史上の街の記憶っていうものを上演空間の中で観客と共有していくための方法として上手くハマったって感じがしますね。

松田 2009年当時だからまだスマホがあるかないかっていう時期じゃないかな。今ならもうそんなことしなくてもスマホ使えよって話になったんですけど。

松田 観客席をどこに据えるのかっていうことも僕らの割と大きなテーマだったんで、この作品では観客をより俯瞰的な位置に置いて遠くからしか見えない状況を作ろうっていうのがありました。まあYCAMの劇場だからそういうことができたっていう。一応ツアーで琵琶湖ホールでもやったんだけど、琵琶湖ホールもここのノースホールの天井よりもっと高かったと思いますけど、そこに巨大な足場の客席を組んで舞台上舞台で上演しました。まあこれが『PARK CITY』って作品ですね。



『HIROSHIMA-HAPCHEON:二つの都市をめぐる展覧会』(2010)

松田 次がKEKが絡んでやった『HIROSHIMA-HAPCHEON』って作品です。これも広島を題材にしてるんですけれども、ハプチョンっていう街が韓国の被曝都市なんですね。韓国に原爆が落ちたわけじゃないんだけど、当時広島は軍都でそれなりに巨大な都市で、当時植民地だった朝鮮半島のハプチョンから広島に訪れていた人も大勢被爆したんですね。そこで被曝した人々がその後またハプチョンに戻って、そういう繋がりから韓国の広島って言われてる都市なんです。釜山の近くにある山間の街なんですが、そこを題材にして作ったのが『HIROSHIMA-HAPCHEON』です。生実くんがこのオーディションから参加して一緒にやるようになったんですけど。まあその映像を。

映像を見る。

『HIROSHIMA-HAPCHEON』

松田 この会場は明日館と言いまして、池袋にある古い建物ですね。フランク・ロイド・ライトがその弟子と一緒に作ったっていう、よくわかんないですけど講堂です。ここ(中央)が大きな広間になってて、まあショーケースのように人々を展示していくっていう作品でした。ここにキャプションが流れて、俳優が現れてパフォーマンスのようなものをしていくっていう。これは武田暁さんですけれども。観客はこういうふうに自由に、まあ一応プログラムとかを渡されて、それぞれの場所に行ってそこで行われる舞台を見ていくっていう作品です。

松田 ここで初めて僕がテキストを手放すんですが、実際に俳優たちが広島に行ってそこでの経験をもとに自分でテキストを作る。テキストがない人もいたかもしれないけど、まあパフォーマンスを全部自分で考えて、このキャプションのある場所で時間が来たらやるっていう感じなんですね。『PARK CITY』で出会ったYCAMチームのスタッフと一緒にやったから、こうやってモニターもプログラミングされて動いたりするんですけど、彼らの力がないとこういうこともできなかったですね。これも『声紋都市』や『PARK CITY』と同じように何人もスタッフが参加してて…というかずっとそうですけどね。ミーティングばっかりしながら。

松田 これは広島に流れる七つの川の水について利き酒のようなことをしながら語る人。この人は赤十字病院に行って…この人はなんか特殊で、ポーランドで8月6日を迎えた時の経験であるとかね。これはチョン・ヨンドゥっていうダンサー、振付家ですけど、彼にも参加してもらって。広島に旅をした人とハプチョンに旅した人がいて、それぞれの配置でやっていくっていう感じでしたね。

松田 これはざね(生実)さんですけどね。懐かしいね。ざねさんは何してたっけ? なんか反戦デモにくっついていって、デモに巻き込まれる人物をやってましたよね。

松田 音響のデザインは荒木(優光)さんっていう今やサウンドアーティストとして活躍してる人がやったり、映像は『声紋都市』から一緒にやってる映画監督の遠藤(幹大)さんがやってくれてたり。照明は藤原さんですけどね。音響でたまに飛行機の音が再生されたりするんだけど、その時ここにいる人たちは必ず空を見るみたいなルールを決めたりしてちょっと統一感を出したり、あるいは何人かが集まって急に小芝居みたいなものを始めたり、そういういくつかのルールやプログラムが錯綜する状況で観客はそれに一々付き合っていくっていうような展示作品です。出入り自由で、なんか5時間ぐらいで一単位だったかな。でもまあ半日ぐらいはずっとやってました。それまではあくまで客席を固定してやってたんだけど、この『HIROSHIMA-HAPCHEON』っていう作品から客席を取っ払ったっていうのはありますね。



『アンティゴネーへの旅の記録とその上演』2012年)

松田 最後四つめの『アンティゴネーへの旅の記録とその上演』っていう、これもまあ壮大って言えば壮大な作品ですね。ちょっとレジュメの方を先に見てもらいたいんですけど。これのきっかけになったのが、2ページ目にある2011年3月11日の震災です。『HIROSHIMA-HAPCHEON』まではそれ以前に作った作品だったわけですけど、やっぱり11年に圧倒的な震災に直面して、その当時は日本が終わるような気分もあったし、僕は京都にいたんで関東あるいは東北の出来事というものをうまく理解することができなかったっていうのはあるんですが、ただまあさまざまなニュース映像などを見て、とんでもないことが起こったなと。やっぱりいち早く思ったのは、その後の原発の事故です。あそこで事故が起こったから津波に襲われた犠牲者を埋葬できない、住民が強制的に避難させられた後も遺体が海岸にそのまま放置されているっていう報道があって。その時考えたのがギリシャ悲劇の『アンティゴネー』の兄の埋葬を禁止されたエピソードでした。謀反を起こして戦死したアンティゴネーのお兄さんを埋葬しちゃいけないって国王が禁じるんだけど、アンティゴネーはそれに抵抗して兄の埋葬を試みる、そういうギリシャ悲劇の物語があったんで、それをモチーフに作品ができないかって考えたというか、これだったらできるんじゃないかなって考えたのがこの作品でしたね。

松田 ただちょっとやり方が色々奇妙で、第一の上演と第二の上演っていう二つの構成からできていて、第一の上演では四ヶ月ぐらい街中で上演を繰り返していったんですね、現実に出来事を起こしていくっていうか。

サイトが開かない。

松田 行かないな。なんで?
齋藤 ネットが切れました?

開いた。

松田 まあこれがサイトなんですけど。「この作品について」ってところを見ると「本作は8月から10月にかけて、東京から福島市、飯館村、そして南相馬市へと旅をしながら現実の街の中で物語が展開する第一の上演と、11月中旬、にしすがも創造舎にて上演される第二の上演によって構成されます」ってある。まず第一の上演を12年の8月から10月にかけて東京とか福島で上演したんですね。で、物語が三つあって。一つ目は、新宿の本屋でアルバイトをする青年、息畝実(いきうねみのる)、これは生実さんが演じてくれたんだけれどもその物語で、二つ目が「アンティゴネー」の上演を試みようとする劇団パトリオット劇場のお話で、三つ目が高円寺に住む「わたし」っていう人とその同僚の「色山さん」と​​のお話です。ここで一個一個見ていかなくてもいいとは思いますけど、その三つの物語が同時並行的に進行していく。「これからの出来事」っていうところにTwitterがあるんだけれども。これは後半の方の投稿なんでアレですが、とにかくこのTwitterを見ていると、例えばいついつに南相馬各所にてアンティゴネーの上演が行われます、みたいなことが予言のように投稿されるんですね。場所もGoogleマップ上で「ここです」って示されて。で、同時にそこで上演されるテキストがあるんだけども…。

サイトが開かない。

松田 ちょっと開かないんですけど、サイト残ってるんで興味がある人はまた見てください。

http://www.marebito.org/antigone/antigonetext-2.pdf

松田 生実さんじゃない、息畝さんはここでブログも書いてて。とにかくここのリンクを押していくとそれぞれのSNS上で起こったことに対してのリアクションがあったりとか、要するにSNS上でも登場する架空の人物が生きているみたいにしたんですね。そういうことが第一の上演で行われたことでした。

齋藤 (松田さんのPCが)楽屋のWi-Fiに繋がってるんじゃないかな。

楽屋のWi-Fiにつながっていたので、ホールのWi-Fiにつなぎ直しました。

松田 ありがとうございます。これが息畝実さんのブログです。これも時系列的には後半の方ですが、冒頭からずっとこういうことをやってますね。これは雲雀うめ美さん。この辺は俳優に任せてたんだけども、こういうふうに自分なりにその架空の登場人物になって発信する。これは色山さんで、声(音声)があったり。これは「わたし」っていう人の写真中心のページ。まあそういうふうにSNSやウェブサイトも活用しながら第一の上演をしました。

松田 これはさっきの朝日座ってところで行われた上演の台本です。息畝がこういう話をするっていうのをあらかじめ観客は知った上で来るんだけど、観客はほとんど来なかったですよ。東京でやってる頃はいたり、福島でも一人ぐらいいたりはしましたけど、上演の前日とか一時間前にやることをつぶやいてたりしてたんで、まあそれは間に合わない。現場に来て見ることが目的っていうよりも、なんか起こってるってことが観客に示せればいいんじゃないかっていうのが僕らの中であったから。だからそれを観客と言っていいのかはわかんないですけど。

松田 で、これが第一の上演の写真ですね。割と冒頭ですけど。息畝実っていう本屋の店員が雲雀うめ美っていう『アンティゴネー』を上演しようとするパトリオット劇場のアンティゴネー役の人と出会って、自分も『アンティゴネー』を自分なりに上演して行きたいって考えるようになっていく…っていうような話ですね。これ動画ですね。

松田 ここに集まってる人たちは、SNSを通じて僕らが虚構としてこういう上演を行っているって知ってる人だけじゃなくて、何も知らないで立ち止まって聞いてる人もいました。これはどういう演劇を作りたいかっていうのをこの大桃さんが演説をして、そのやり方に反発をしているって話でしたよね。こうやって実際上演がいろんなところで行われて。

松田 これは福島市内でしたね。居酒屋がいっぱい入ってる雑居ビルの上でやりました。

松田 っていうふうに、この作品は8月から10月まで都内の各所あるいは福島まで行って私たちの日常の流れの中に紛れ込みながら複数の物語を同時多発的に現実に出来事として起こしていきました。さらにSNSという媒体も併用してこれまでの出来事を記録していきつつ、これから起こる出来事を予言していくって言ったらいいのかな。というのを何回も何回も…。今80件のツイートってあるけど、この数だけ起こしているわけで。…80回もやったかな? もうちょっと少なかったかもしれないけど。

松田 息畝くんとなった生実さんは福島にずっと留まったりもして。福島で深夜に何かやるって時には誰も来なかったりもあったでしょうけど。

松田 で、これが最終的な話ではなくて。それともう一個、第二の上演との関わりの中で行ったっていうのが、やっぱりこの作品の肝というか重要なところで。どういうことをやったのかっていうのが最後これなんですが…11月に実際に観客の前で上演した作品です。

映像を見る。
https://youtu.be/i0gC8vrGreg

『アンティゴネーへの旅の記録とその上演』第二の上演

松田 まあこれが延々と続く。映像はダイジェストで90分にはしたんだけど、一応7時間ぐらいやってました。この人たちが何をやってるかってっていうと、『HIROSHIMA-HAPCHEON』と展示しているって意味では同じなんですが、ここにいる人たちは第一の上演で現実に行った自分たちの出来事を想起、つまり思い出しているんですね。第一の上演での経験を想起しつつ、その想起した内容に取り憑かれるっていうような、そういう循環があるんじゃないかっていうのが私たちの見立てで。

松田 そうやって今までやった上演の思い出とか記憶をここで思い起こす時に出てくる身振りみたいなものもあって。比較的この色山さんっていう人は動いてますけど、この雲雀うめ美さんはほとんど動かないでただ思い出してるっていう。過去のことを思い出そうとする時に思わず出てくる身振りのようなものに任せた感じの上演でしたね。これが第二の上演で、この『アンティゴネーへの旅の記録とその上演』っていう作品は、さっきの第一の上演とこの第二の上演の関係性によって成り立っていました。

松田 一応報告書を載せているので、興味ある人は後で読んでもらったらいいと思うんだけど。牛尾さんって人が雲雀うめ美を演じたんだけど、これは彼女が第二の上演で思い出す時の思い出しメモですね。勝手に任せてもよかったんだけど、誰が1時間いるとか2時間いるとか時間の配分が決まってたから、一応演出部にどういうふうに何を思い出すか、思い出し内容をあらかじめ報告してもらってたんですよ。メモの出し方は自由だったんだけど、所作も割と綿密に、15分間はこれやるとかね。一応このスケジュール通りに想起はしてたのかもしれないけど、そうはならなかったって言ってたね。当然だと思うけど、思い出していくうちにその場にいる人とかその場の雰囲気とか意識が違う方向に行ったりするだろうから。まあ一応そういう想起の設計、イメージの設計図のようなものを最初に提出してもらって、そこに立っている人たちはその配分通りにやろうとしてたっていう。


まとめ

松田 四つの作品をみなさんに見てもらいましたけど、マレビトの会っていう集団を作って私がやりたかったことは、演劇っていう媒体が何かを物語る装置だとすれば、世の中で起こった何か心が突き動かされるような出来事に対してどういうアプローチの仕方で応答できるのか、どのように創作行為を行えるのかっていうことを僕含めこれまで一緒にやってきたメンバーと話し合いながら考えていくということです。その中でやっぱり一番よく考える機会になったのが、この四つの作品だったかなって思います。ただ行き着くところまでいっちゃったっていうか。最終的には俳優に過去の出来事を思い出す身体として観客の前に立ってもらうと。そこで想起する内容はわかんなくてもいいし、むしろわかんない方がいいっていう。一見理解しようがないんだけど何かやろうとしている、そこで現前しているパフォーマンスに対して共有空間を作ることで、そこで立ち上がってくるものを新たに感受し合う共同体のようなものができないかっていうのが僕らのやりたかったことかなって思います。

松田 日々社会の集団の中で生活していると簡単な「統合」の物語に取り込まれちゃう感覚というか。絆であるとかその当時もかなり言われたけども、要するにユナイト(Unite)していく、一つの国とか全体の物語に従属していくような感じがあって、それとは違う抵抗の身振りみたいなものを提示したかったというのはありましたね。そのために、何か内容は抱えてるんだけどどこか心を奪われているような人たちが観客の目の前に立ち現れてくる、観客はそれから何かを汲み取ろうとする、そういう場所を作りたかったんです。それが西巣鴨の試みだったのかなって思います。それは単純に被災者や被災者のような人を連れて、きてそこで立っててくださいって言うのとは全然違うし、あくまでフィクションとしてやること、あくまで俳優であることが重要だと思っていて。俳優ってある意味紛い物の身体を成り立たせることができる特殊な能力を持ってる人たちですよね。そういう人たちを現実の世界に解き放って物語を生きてもらう。そしてその記憶や経験を観客の前で思い出す作業をして、観客はそこで生まれる身振りのようなものを見る。一応記録みたいなものを併せて本で展示してたんで、それも膨大だから立ち所にはわかんないんだけど、たまにこの場で俳優が想起している出来事とヒットする場合もあるって言ったらいいんかな。まあでも基本は理解し難いような身振りをおこなっている人たちがずっといるっていうだけの空間を作ったわけで、当時は「何やってんの?」みたいな評価が多々見受けられましたが、ハマる人にはハマる作品にはなったかなって思います。

松田 その後『長崎を上演する』『福島を上演する』っていうふうに発展していくんですけど、その発展していく前の段階がこれだったんです。身体や発話が統合されて一つの人格として現れてくるような登場人物は提示することができなかった。この2009年から2012年までの四年間でそういうさまざまな要素を分断、分離していって、最終的に私たちが辿り着いたというか最後にそこに残ったのは、俳優の身体そのものと最低限の身振りみたいなものだったわけです。それからじゃあ“再総合”? 再編集していく作業として、最初の三年間で私たちは『長崎を上演する』っていうのを始めて、その次の三年間で『福島を上演する』に移って、今取り組んでいるのがこの海辺シリーズですよね。まあリハビリって言わなくてもいいかもしれないけど、突っ立ってた身体からだんだんリカバーするように身振りを加えていき、発話を加えていき、そしてテキストも作っていくようになった。今も演技が直立から始まっているのはここに淵源があるっていうか起源がある。ただ突っ立って最小限の身振りしかしなかったっていうところからだんだん身振りの選択が出来上がっていって、今のような身振りと身体の総合があるわけです。

だから時系列的に言えば、一旦引き算の作業があったあと今は加算していってる状況って言ったらいいのかな。まあそんなに多く加算してるわけじゃないし、一本の線みたいなものを単純に想定してマイナスした後にプラスしているっていう話ではないから。身振りだったりいろんな要素を総合してだんだん人間的になっていくっていうことでもないので。要するに今日見てもらったこれまでの作業が今の演技形態の中にも孕まられているはずなんです。なのでそれをちょっと考えてもらいたいなっていうのが、今日のレクチャーの目的としてありました。

松田 はい。一旦終わりましょうかね。私の方のレクチャーとしては終わりで、2、3分休憩して、質疑応答みたいな感じで。

 

──休憩します。

──休憩明け。

 

質疑応答の時間

松田 まあなんか、どうでしたか。
横田 楽しかったです。
松田 ありがとうございます。
鈴鹿 ちょっと寒いです。
齋藤 空調上げますね。今日は外も寒いから。

──空調の温度を上げる。

鈴鹿 思ったのは、最後に見た『アンティゴネー』ではその牛尾さんの提出されたメモのように、その場にただ立っているだけの身体が何か個々の体験から来る想起によって満たされる必要があったわけですよね。で、そこから身振りが幾許か溢れてくるっていうことがあると。
松田 そうそうそう。
鈴鹿 今の我々も基本的には“素立ち”してて、そこにいくつかの動きがあるようなイメージですよね。お正月前に花火の話があって、俳優それぞれの中で花火が上がる場面で花火を見るのか見ないのか、見ようとするのかしないのかみたいな話がありましたけど、その時も俳優の中が何かによって満たされていないといけないっていうことは今はそんなに…?
松田 満たされるというか、その世界に没入することを能動的におこなっていくうちに受動的にもなっていくっていうことですよね。その循環作用みたいなものがなされている人っていうのは、今ここの現在時にアクセスしていない。アクセスしているとこうやって対話したり、さっきの鈴鹿さんの「寒い」みたいに今ここの環境に意識がいくわけだけど。自分の身体あるいは脳が、つまりは舞台上に立っている行為主体である俳優が物語上のもう一個の虚構にアクセスしている状況を仮設でもいいからちょっと作り出さないといけない。作り出していないと現在の環境にすぐ取り込まれちゃうから。『アンティゴネー』では、ここにいるけどここにいないっていう人の究極の状況を作った感じはありますね。でもまあそれが演劇だと思ってるんで、それを今でもやってるっていう感じはするかな。
松田 基本はそういうことよねって。いわゆる二重性だと思うんですけど、今の環境に適合していながらもう一個の世界にも適合しているっていうのが俳優の不思議な力だと思うんだけど、そういうのをもう一回違う方法で作り直しているのが今の状況だと思います。あと今は単純にもう一回テキストを作ろうというのはあったから、上演するシリーズからはかなり上演に重点を置くようになっていったっていう感じかな。だから『アンティゴネーへの旅の記録とその上演』の「その上演」っていう方を展開して、「上演」って何かっていうことを徹底して考えていったのが『長崎を上演する』『福島を上演する』という流れで、それから今の海辺の町シリーズに続いているわけです。
松田 上演における俳優のあり方っていうのが、もう一個の世界にアクセスしつつ現在時にもアクセスしているってことですよね。おそらく。ここで展示されてる時は徹底して向こう側に、想起の方に行かないといけないから意識的に想起してもらうけど、身振りはそういう想起の循環をつくった時に思わず出てくるわけですよね。だからそもそも身振りが多い人たちはやっぱり現在時の上演の方にいるんですよ。逆に島さんとか動かない人たちはどんどん心が向こうにいっちゃってる。でもなんかひっきりなしに前のことを上演しようとする人たちは再現をそこで行うことになるんですよね。なるんですよねっていうか、でもそれを発展させたものが演劇だから。だから第四の壁をかなり信頼して作ってるんですね。それを超えて観客に向かって語りかけるようなことはしないっていうのはずっとこだわってきたことではある。ただ一瞬やばかったのは『HIROSHIMA-HAPCHEON』の時で、やっぱりものすごく問題になった。それぞれ展示されてる俳優はパフォーマンスを観客に向けてやるから。絶対に目は見ないでっていうのがなんか鉄則だったね。現在時の観客とアクセスはしないようにするっていう。そうしないと演劇ではなくなる、僕らの考えで言うと。

松田 生実さんはどうでしたか。その辺のところ。
生実 えっと……うーん。
生実 ちょっと今、言葉が、出てこない。
松田 言葉にならない。

松田 なんかありますか。
鈴鹿 もう一個聞いてもいいですか? 現在時に開けば開くほど相手役であるとか観客であるとか、もっと言えば気温とか気圧とかそういったものに身体が開かれていくと思うんですけれども、この『アンティゴネー』においては徹底的に開かないとするならば、そこで俳優がやることは自分がいかに想起できるかっていうことになるだろうから、僕はやってないのでわからないですけど、やってる俳優としては今日は思い出せたとか、今日はお客さんの服が派手やなとかで意識が飛んじゃったなとか、判断基準がかなり明確になると思って。上演をやった後の座組でのフィードバックとか当時どういう感触があったんですか。
松田 なんか集中できなかったとかはありましたけどね。それは(生実さんに)聞きたいけどね。
生実 想起ってなんやろってずっといまだに…。
松田 それを演出部で言ってたかどうか忘れたけど、もう判断基準がうまくいったかとかいってないとかじゃなかったですよね。今日うまくいってないよねってことがないから。
鈴鹿 例えば平田オリザさんのように「二秒経ったらこっちを向く」みたいな俳優の内実が伴わないような演技の作り方もあると思うんですけど、もし『アンティゴネー』の出演者の中に人狼みたいな人が紛れ込んでいて、本当は思い出してないけど思い出しているふりをしてるみたいな。そういう時やっぱり一見さんとかでいらっしゃったお客さんには外からその判別はなかなかつかないんだろうなとか…。この作品のことも当時噂には聞いてて、僕は当時まだ演劇始めたばっかりでそんなこと何がおもろいんだろうかって思ってたけど、今の松田さんの話にあったような既存の統合ではない形で演劇を提示する方法を試行錯誤した結果、俳優個々の充実が見た目にはわからない伝わることはないっていう方法に至ったというのが、今日お話を聞いてめちゃくちゃ腑に落ちたし、それはめちゃくちゃ真摯な上演の形やなっていうのは思いました。

松田 うん。それはもう観客を信頼するしかなくて。それと俳優を信頼してね。ちょっとズルしてその辺適当でって感じでやることも可能ではあったかもしれないけど、いやそれでもいいわけですけどね。何も思い出さない、違う文脈で何か別のことを思い出している人をそこに紛れ込ませてもいけるんかなっていうのはある。でも世の中の当事者か当事者でないかっていう話ってその差異でしかないじゃない。信頼するかしないかっていう問題しかない。だから信頼を問うてるようなところはあったかもしれないですね。観客にも信頼感は問われているというか。データで示せるような応答責任ではなくて、もう少し違う意味での応答を表現する側は必要としたっていうのはあるのかもしれないですね。
松田 だからそう、今の舞台がうまくいっているのかうまくいっていないのかっていうことって何? っていう問題も突きつけたとは思ってて。演出部でも「今日は想起上手くいってたね」みたいなことはなかったからさ。これをやり終えた後も本当に一年間ぐらい何も考えられなかったので。だから我々としてもリハビリのように上演するシリーズを始めた感じはあったし、その時なんか戯曲っていいよねって感じにはなったけどね。もう一回観客にちゃんと客席に座ってもらって、観客が舞台と対面して見るっていうことに対してどういう真摯な態度を持てるのかっていう、要するにドラマ演劇っていうものをもっかい考え直すっていうこと。一旦あそこまでいったからこそできるなぁって感じはしたんですけど。

田辺
 展示されてて最初は動いてなかった俳優が周囲の状況とか環境とかに作用されて動き始めるということもあったんですか? それはフィードバックもあったんですか?
松田 どうだったんだろう。それも任せてた感じがしますけどね。でもここは動かないって自分で申告してたにもかかわらず、あの人が動いたんで影響されて動いたんですってことはあったかもね。それはどうなんですか。あった?
生実 僕はなかった。
田辺 でも動かなくても反応しなくても聞いてはいると思うんですけど。周囲の物音、衣装が擦れる音とか足音とか。そういうのに僕自身は反応しちゃうかもなって見ながら思って、そこの統制というか、ルールとかは決めてたんですか?
松田 決めてない決めてない。もう最後は演出はなんもやることなかったけどね、そういう意味では。だから配置の部分は決めてたり、あとは照明がだんだん変わったりするとかは藤原さんとあれしながらね、そういう空間デザインの部分はあったけど。俳優の演技、演技って言っていいのかわかんないけど、何かを想起しながら、でもそれを人に見せていくっていう「見せる想起」ですよね。前に行ったことを再現的に想起する人がいたり、全然何の身振りもなく頭の中でそこにいるていになっている人がいたり。でもそれに対して、もうちょっとあそここうした方がいいんじゃない? とかは何も言えなかったですよ。
田辺 照明が切り替わるのはどうやって決めるんですか?
松田 なんか藤原さんがやってたね。彼なりの論理があったような気がするけど忘れちゃった。いや忘れちゃダメで(笑) それはかなり重要だったから。何らかのパフォーマンスに合わせるみたいなことはしないで、なんか機械的に時間で決まってたような気がする。

深澤
 質問していいですか? 『アンティゴネー』の生実さんは息畝さんになったわけじゃないですか。その息畝さんのキャラクター像というか、どこ出身でどういう人物であるってことは松田さんなり演出部が決めてたんですか。
松田 そう、僕と演出部が決めて。どこ出身とかまでは決めてなかったけど、テキストをある程度書きながら決めて。あとは四ヶ月間も過ごしてきたんで、彼らの書いてくるSNSにも影響されて僕が出来事を作るって感じもしたね。だからその出来事、テキストの作り手は僕でしたね。
深澤 息畝さんは生実さんはどこに派遣されたんですか? 派遣っていうか….。
生実 いわき? 南相馬? 福島のいろんなとこ行きました。
深澤 こういう出来事が起こりますってテキストで来るまでは生実さんも知らないってことですか? 息畝に起こる出来事は。
生実 知らなかった…。
松田 (笑)
深澤 じゃあ渡されて初めて、ああ俺今日これやるんだって。
生実 今日だったかは…まあそうですね。
松田 めっちゃ短いからね。まあ長いのもあったけど1日ぐらいで覚えてもらってたね。
深澤 福島で出来事が送られて来るまでの時間ってどっちで過ごしてたんですか? 生実か息畝か。
生実 ああ…僕だと思います。
深澤 メッセージが届くまでは生実さんで過ごしてて、届いたなぁで俳優スイッチ切り替わって息畝でいくみたいな?
生実 なんかあんま俳優スイッチがないんで、上演時間も特別だった気もしますけど。
深澤 でもそっか。SNSでこんなことしてますみたいなのは生実さん発信で伝えられるんですかね。
松田 いやいや。こういうことが明日起こりますっていうのはマレビトの会のこの特設サイトの中にあるTwitterが発信源です。出来事があった後にブログ書くとかは登場人物に任せたけど。
深澤 じゃあそれに影響されてまた別の新たな出来事を書いたり…。
松田 まあちょっとは影響されるけど、僕も大体一週間単位とかで先の出来事は書いてたりしてたから。
深澤 なるほど。その上演の時に想起するって話がありましたけど、その時はいくつか起こった出来事だけを想起してたのか、それとも福島にいた時の自分も織り込んで想起してたのか。それはどちらかに徹底したりしてたんですか。
生実 でも実際めちゃめちゃいろんなことを思ってたような…そんな一つには絞れない。僕はですけど。
深澤 じゃあ息畝として生きていた出来事の上演時間を想起していたプラス実際に自分が福島にいて体験していた身体の記憶も想起していたって感じですか。
生実 そうですね、もっと本当、色々思ってたような…。
松田 その辺は任せてたね。ある人物はそこまで思い出せないよみたいな感じになって、どうやって1時間過ごそうかってなってる人もいたよ。
深澤 じゃあ本当にすごく実験だったんですね。
松田 そうそう。そんなに登場人物のこと思い出せないですよ。やっぱりそういうていになってる人を見せているっていうのはある。その事実性が重要かどうかはさっきも言ったように信頼の問題でしかない。でもそれは仕方がないですよね。中心人物はそれなりに充実してたかもしれないけど、ちょっとした劇団員の脇の役だったらそこまで物語には出てこないし、何回もあそこを思い出すしかないみたいなことになるかもしんないし。でもそれも含めてやろうって感じではあったから。
深澤 めっちゃ面白いですね。なんかその思い出せるわけないじゃんっていう、その態度はそりゃそうだよなって思って。思い出せよみたいなところまではできないなっていうか。今やってる『シーサイドタウン』とか『文化センター』でもフィクションをやってるわけじゃないですか。だから俳優は“登場人物っぽさ”はできるかもしれないけど、いやできないよっていう前提は持ってたほうがいいっていうか、その正直な態度は支持したいなって。そこに私はこのキャラクターが出来てますよっていう没入があると嘘になるだろうなっていうのがすごい想像できて。『アンティゴネー』の時は多分、思い出してるときに思わずその身振りが出るっていう、“思わず”っていう偶然性によった動きで、そのとき意識はすごく出来事に飛んでるんですよね、きっと。どうにか思い出そうとする、それに付随して身振りが生まれてしまう。でも今私たちがやっている『シーサイドタウン』や『文化センター』では逆のことが起きてるなって。身振りによって出来事をここに持ってくる。だから身振りを形作ることで俳優の意識も思わずトリップするというか。運転する、みたいな演技も、両手を前に出してハンドルを握る、右足でアクセルを踏むっていう身体の状態が与えられるからこそ、ああ運転だってなるっていう。身振りが与えられることでフィクションに飛べるみたいな。…そこまではちょっと整理つきました。

松田 つまりどっちが先であれ、コンテンツと身振りの関係はあるってことだと思うんだよね。すでに抱えているイメージの内容から思わず声や身振りが出ることも、あるいは「いただきます」って言うことで何かのイメージや状況が生まれるっていうこともある。つまり身振りを所持することと憑依されること、ポゼッションとオブセッションの問題ですよね。どこかの空間を作るためには、ある身振りを所持しながらその空間に自分も憑依されなきゃいけない。憑依されたからその身振りが生まれる、その身振りをしたから憑依されるっていうような、そういう行ったり来たりをどう自分の身体に馴染ませていくのかっていうのは、やっぱり俳優の一番考えなきゃいけないところだなって思いますよね。

松田 だから演出の立場は何をすればいいのかっていうのがこの作業やっていくうちにだんだんわかってきた。つまりどう俳優と一緒にやるのか、俳優をどうケアすればいいのかっていうこと。俳優が空間に対してどうケアしていくかっていうのを手助けするようなことが演出部の役割かなって。言ったら書き手の役割も、俳優が所持する内容と身振りとの関係性の上にテキストの内容をどう提示するのかっていうことですよね。それが権力構造的に逆になってるのが近代の演劇だったと思うんですよ。ハラスメントの問題なんていうのも割とそういうところがあって、演出家と俳優の関係がそうやってヒエラルキーの立場上の問題にしかなっていない。今僕らが理想的なそれになってるかはわかんないけど、いずれにせよオブセッションを与える、強迫観念を与えてヒエラルキーを作っちゃったり、書き手が最初に作った言葉や演出の決めた身振りに従属するように俳優の身体があると考えるのではなくて、実は俳優が演劇の最前線にいるわけだから。だから俳優の身体こそが演劇の場だっていう考え方をやっぱり取るべきだなって思うかな。俳優を前にして思ってることですけど。

齋藤 松田さん一個だけ観客のことについて聞いてもいいですか。この上演に立ち会った観客が上演をどのように受け取るのかっていうところはなんとなくわかる部分もあるんですけれども、観客はその上演の場にどうやって来るのかということについて考えていて。これまでの松田さんのマレビトの会の変遷のなかでも、SNSの使い方だったり、あるいは事情を知ってる人も知らない人もその場にいた人が目撃するっていうことをお話しされてましたけど、観客がどうやってその上演の場にやってくるのかっていうことに関して、今の松田さんが考えられていることとか作品の変遷に伴って変わってきたこととか何かありますか。
松田 まあでも何かしら情報を得て来るんでしょうけど。でも変わらないなとは思ってて、何か共同体の中に入っていくようにしてやって来なくてもいいなとは思ってはいました。劇場っていう場があるんだからそこにふらっと来るでいいじゃんっていうのも含めて、深くね、深くこの集団の経緯を経た上で来るのもオッケーっていう。そういうマニアックな人と一見さんが同時にいるのが理想的だなと思っています。でもマニアックな人の方が面白みを感じるっていうことではいかんだろうっていうか、マニアックな人でさえよくわかんないっていうことでないといけないとは思うんだけど。色々知を蓄積すれば見方は面白くはなるでしょうけど、どんなに知を蓄積していようとも実際に上演を経験しない限り面白くないっていうか、一番そういうのがフラットになるのが演劇かなっていうのは。
齋藤 今回特に劇場のレパートリーの創造という企画の中での2本目っていうこともあって、どういう人が集まるのか、どういう人がどうやって劇場に来てこの作品を見るのか。この劇場のレパートリーということで本来的なことを考えると、もう少しここに劇場を核にしたコミュニティみたいなものがあって、その人たちが見に来るということなのかなと思うんですけど、まあ実際あまりそうはなってないと。
松田 そのためのコミュニティというのは必要ないと思う。コミュニティが考えられるとすれば、それは未知なるコミュニティだから。それは劇場にいるその場限りの一瞬の間のコミュニティ。作品を見て「おーっ」とか「ええ感じやん」みたいなこととか、「なんか面白くないな」ってこともありうるだろうけど、それはわかんないですよね、上演の時を迎えるまでは。迎えててもわかんない人もいると思いますけど。っていうようなあり方として、まあこの上演が起こっていれば良いなって思いますけど。
鈴鹿 劇場のレパートリー制って、それこそドイツなり小さな街にも劇場があってそこに専属の俳優がおりレパートリーを抱えており、その街の人は劇場に劇を見にいくだけでなくそこに集うみたいな感覚で…。
齋藤 多少夢物語的な意味も含めてそういうレパートリー制がイメージはされていて。でもこれは初演の後の「『シーサイドタウン』を振り返る」会の時にも言ったんですけど、現実はそうじゃなくて、劇場に俳優はいないし、みなさんもこれが終わったらまた帰っていってしまう。そういう時にレパートリーっていうものがどういうものとしてあり得るのだろうってことは考えなくてはならない。実際『HIROSHIMA-HAPCHEON』は私が前いた鳥取の劇場でもやっていただいたんですけどそことか、あるいは福島に行った時には演劇コミュニティではなくて、その地域のコミュニティの人たちがスッと上演に来るっていうことが多少なりともあったんですね。その人たちが上演をどう目撃するかっていうことはあったんだけど。そういうふうに今松田さんがおっしゃったような上演の瞬間にだけ立ち会うっていう観客席のコミュニティ、つまり演劇の上演というものの一回性と同じように観客の一回性を考えられないというのが難しいところではあるなと思っていて。
松田 んん?
齋藤 つまり上演は一回きりだからその上演に立ち会ったことに価値があるっていう考え方なんだけど、すごくローカルなコミュニティはその外にも繋がっていってしまうんですね、中と外が。観客席の中と外が縦貫していくというか…。
松田 中の外のその外ってなんですか?
齋藤 劇場の外ですね。上演空間の外、言ったら日常生活ですね。上演の一回の時に集まった観客をコミュニティと考えるならば、そこには多少なりとも偶然性もあったりすると思うんですけど、すごく大雑把に分けてしまえば、今鈴鹿さんがおっしゃったような劇場の街の中の位置付けとか、地域コミュニティが強い場所であれば、その日常を共有してる人たちが観客席にはいるということですね。
松田 はいはいはい。それは、そうならないために演劇やってるって気はするな。
齋藤 もちろんそういうこともあります。その日常を一回断ち切って、その瞬間だけ非日常の空間があるっていう。だからすごく小さな町に劇場があることの意味っていうのは、日常性が強いって言い方はおかしいですけど、その中に一つそこに住んでいる人たちが非日常的な体験ができる場所があるっていうことが非常に重要だと思います。
松田 その時の非日常が祭り的なことになって、むしろ日々の日常を強固に連帯させるための装置にならないようにはしたいというのはあります。「俺たちの祭りだぜ」ってなる時に劇場ほど全体主義化する場所はやっぱりなくて、一旦日常を忘れることで私たちの結合を再認識するような場にもなる危険性を持っているから。むしろそうやって全体主義的な価値観が崩壊するような場がここに立ち現れて、日々焦点が当たらない出来事に焦点が当たるのがこの場だと思うんですけどね。
松田 それと今俳優がやろうとしている演技論がどう繋がっているのかはよくわかんないですけど。

齋藤 すいません。自分で質問して時間を押してしまって…。
松田 もう13時前になっちゃったよ。まあでも重要だから。次のターンではこんなこと喋れないからアレですが…この後誰かいらっしゃるんでしたっけ。
齋藤 記者の方が7人と…。
松田 何時に来るんですか。
齋藤 多分ここに現れるのは13時20分ぐらいです。
松田 現れるって面白いね。
深澤 あと20分で現れてしまう。
齋藤 でも休憩はしっかり取っていただいて。私がお相手しておきますので大丈夫です。

松田 なんかもうちょっと話せたらよかったけど、やめとくか。
深澤 これでもずっと話せますよね。尽きない。
松田 まあちょっと考える端緒にはなったんじゃないかな。
松田 なんかないですか。大丈夫ですか。

松田 一旦じゃあお開きにして。14時、1時間休憩取って。記者さんは?
齋藤 そうですね、13時半ぐらいに顔出してもらえたら。
松田 もちろんです。そいで14時からクリエーション再開していいですか。ちょっと色々変更点あって。
松田 じゃあ14時再開ってことで。

 

──休憩します。

取材会。

──休憩明け。

 

稽古

取材に訪れた記者の方々がそのまま見学されています。

松田 えっと、あの万引きの後のバックヤードで色々やってのところやります。
松田 (杉田が)椅子に座ってるところから。初犯なんですよ」って言って項垂れてて、そうそうそうそっから行こう。

 

⑥コンビニ

──杉田、万引きして連行される場面

松田 はい。えっと、ちょっともっかい椅子持って。
松田 で、えっと(里岡が)向こう行って。で「いらっしゃいませー」で、横田さんが立って。で、それを前に行こうか。椅子置いて前に。

松田 あっ、えーっと、やっぱりいたまんまにして。寝る人たちはどうなってるんだっけ?
深澤 もん(大門)ちゃんがハケ始めたら(客席側から)出てきます。
松田 じゃあえっとですね、みなさんこっち(舞台奥側)に控えられないかな。
松田 一旦最終地点を見たいんで。キャンプの寝るのもやめて市民の彷徨いみたいにしたいから、みんなコンビニから出た人ってことにしようかな。
松田 こっち(舞台奥側)から出てきて、大門さんはそのまんまいて、そっから入ってくる感じにしようか。4人出てきて。
深澤 全員こっちから?
松田 二人(鈴鹿さんと中川さん)はこっち(上手側)からにしようか。

里岡は残ったままキャンプの四人は舞台奥から現れることに。

松田 ちょっと出てきてもらって、ちょっと立ってもらえる? コンビニの前にいる市民というか。
深澤 コンビニの入り口は同じですか?
松田 いやそこは構造壊していいと思う。ただ大門さんはそこにいるっていうことで。

コンビニの前にいる市民(?)の振る舞い

松田 ああ、スマホ、タバコ…。
松田 (田辺さんは)何してるの?
田辺 なんか食べてて。
松田 うーん…。
田辺 難しい。

松田 それであの、横田くんはどっから出てくるんだっけ。
松田 あっち(客席側)からこうハケて、向こう(舞台奥下手側)から出てきてくれる?

松田 そうね…。

松田 ええどうしよう。
松田 (田辺さん)この辺りで釣りにしようか。

 

田辺さんの釣り師らしい服装に感化された感もある。

松田 
で、えっと(深澤さんは)二人の話の途中で電話がかかってきて。

松田 じゃあちょっとやってみよう。
松田 出るタイミングは田辺さんを一番始めにして、次が(中川さん)。
深澤 私は順番的には?
松田 田辺さんから少し遅れた感じで。
松田 で、横田くんのでは何で取ろうか。
横田 さっきは田辺さんのタバコ2吸い目なんで、田辺さんの釣りとか。
松田 ちょっと早いね、それだと。
横田 誰かのマイムに合わせる。
松田 さっきの間合いで出てきてほしいんだよね。
横田 何人か舞台上に滞留したら出てくるとか。
松田 そうね、最後の人物として出てくるかな。最後まだ確定させますけど。
松田 とりあえずそれで探ってみよう。大門さんの移動から行こうか。

やってみる。

松田 はい(里岡の)「困ってる人いたら〜」で中川さんはゆっくり去って。

中川さんハケます。

松田 うん、今ぐらいの速度で。入りの速度もそれぐらいでいいんだけど。
中川 ゆっくり。わかりました。
松田 田辺さん以外は今ぐらいの速度で。
松田 で、(深澤さん)ちょっと喋り声聞こえたいんだよな。
深澤 電話の。
松田 (内容は)任せますけど、はいじゃあ続けてみて。

続けます。

松田 (里岡の)「お金の問題〜」で鈴鹿くん同じようにハケようか。ごめんなさい、続けてください。

鈴鹿さんハケます。
続けます。

松田 オッケー。(里岡の)「働いてください」で走り始めたら(田辺さん)前行こうか。

田辺さんハケます。

松田 それ(釣り道具を片付ける動作)いらない。演技オフにする感じで。芝居を切る感じで。

杉田ハケます。

松田 あ、いいよ。(杉田は)まだいよう。います。

まだいます。

松田 (里岡が)「すごいすごい」つったら行こうか。

杉田ハケます。

松田 はいオッケー。じゃあそれで行こう。もっかいお願いします、同じところから行ってみよう。
横田 どこからでしたっけ。
松田 同じところ。大門さんが移動するところから。
松田 あ、大門さん移動してハケるタイミングはなんだっけ?
大門 2回目の「いらっしゃいませー」のあと。

もう一回やる。

松田 はい。えっと、これ(田辺さんの最初の竿投げる動作)いらないかな。ここまで来て、みんな揃ったぐらいでゆっくり始めたらいいよ。撒き餌とこれ(リールの動作)だけでいいよ。

田辺 撒き餌…?
松田 やらないか、撒き餌。
田辺 僕はよくわかってないです。撒き餌。
松田 じゃあまあリールと竿でいいんじゃないですか。
深澤 位置についてから身振りを始めた方がいいですか? それか出てくる時から操作してるか。
松田 どっちでも、うん。今のところはそれでいいんじゃないかな。

松田 はい。じゃあ通しを。
松田 でもちょっとやりたいところもあるから…じゃあ(14時)55分から再開しますんで。
松田 でも通しは16時までには始めますんで。
松田 16時にしようか通し。で、最後フィードバックして。

 

──休憩します。

──休憩明け。

 

松田 じゃあやります。
松田 キャンプのね、ラジオのところを。火つけて(辻井の)オホオホオホのあと、ラジオから流れている音楽のイメージです。本番では使わないんだけど一回共有しようかなって思って。今流してみますんで、それでテンポ合わせて。
中川 でも(ノリ方が)揃いますよね。
松田 後からキャンセルできる? 一回音楽聴いても。
深澤 でもそれぞれの中で流れ始めがわかんないから、勝手にズレてくるんじゃないですかね。
松田 まあ一旦揃えてみるかっていうのもある。昨日ジャミロクワイ色々聴いてたらこれいけんじゃね? って。いつか一回やろうかなってずっと思ってたんだけど、なかなか曲が見つからなかったから。
松田 まあ一回無しでやりますね。どうぞ。

まずはこれまで通りにやる。

松田 はい。じゃあやってみようか。

今度は音を入れてやってみる。

♪ Jamiroquai / Alright

松田 はい。やりやすかった? まあやりやすけりゃいいって話じゃないんだけど。
深澤 面白かった。
松田 加藤さんはずっと聴いてる感じだよね。
田辺 いつもよりテンポがちょっとだけ早いなって。
松田 (揺れ方)横で。
松田 うんそっちがいいな。
松田 鳴らしてみてどうですか。でもノリやすくは、アプローチはうまくいってたよね。
深澤 はい。重苦しい話題でもこの曲なら言っちゃえみたいな。わかんないですけど。よし言うぞっていうより言っちゃえって。そういう軽さというか後押しは感じました。
松田 まあもう一回やっときましょう。もちろん音無しで。さっきのイメージの通りに音楽が鳴っているっていうていで。

もう一回これまで通りにやる。

松田 はい。なんか変化ありましたか?
深澤 私はダイレクトに…。
松田 やっぱり実際に鳴ってなくても覚えてる?
深澤 リズムは覚えてる。
中川 サビだけずっとかかってた。
松田 ちょっと動きの可動域が広がった気はするけどね。
松田 はい。じゃあ16時から。

 

──休憩します。

──休憩明け。

 

『文化センターの危機』通し

杉田の腕を取る不在の店長の方が見えてくるようになると厄介。
スーパーで買い物をする場面では不在の相手(店員)を想定した会計の身振り自体が省略されている。

お疲れ様です。
91分です。

ミーティング

松田 まあ特にないですけど。よくなったなと思った。流れ的に。演技も楽になってたね。
松田 (深澤さん)割と感情乗ってたね。
深澤 本当ですか、どの辺が…。
松田 二人で話す時、焚き火の前の。あれ以上行くとアレなんだけど、まあでも許容範囲だったし、むしろ良かったかなって。

今日は京都学生演劇祭の関係者が一人見学にいらしてました。小沼さんです。

松田 何か感想ありますか。
小沼 面白かったです。面白かったですって言い方がいいのかわからないんですけど。無機質と言うかシステマチックな自然じゃない感じの演技で、見る側の想像の余地が多いんですけど、そのことによって普通の演技らしい演技を見てる時より光景が浮かんできて、今まで見たことがない感じで面白く楽しんで見てました。
小沼 ありがとうございました。
松田 ありがとうございました。

松田 あとはもう本番の時間の流れに任せるしかないですけど、昨日の『シーサイド』も含め芝居は二つともいい感じのところまで行ったなって思いました。やっぱり今日の方がよかったよね『文化センター』。影響あったかな、最初のレクチャー。 
田辺 あります。
松田 本当に?
田辺 ここ展示だなって思ったりしました。キャンプ場からの帰りで車片方ずつ運転するところとか、展示されてるなぁって。
松田 まあちょっと言語化はできないかもしれないけど少しは影響あったということで。やって良かったんじゃないでしょうか。
松田 身体が楽になってきてるんじゃない? 重心が下がってきてる感じしたけど。
深澤 今日は単純に朝からやってたから、緊張感と言うよりは疲れの部分で力が抜けてる部分はあったかもしれないです。

松田 はい、じゃあ来月お会いしましょう。
齋藤 次回は(2月)16日の13時集合ということで。

お疲れさまでした。

 

  • 福井 裕孝
    福井 裕孝 Hirotaka Fukui

    1996年京都生まれ。演出家。2017年にマレビトの会『福島を上演する』に演出部として参加。2018年から個人名義での作品の発表を始める。近作に『インテリア』(2020)、『デスクトップ・シアター』(2021)、『シアターマテリアル』(2020,2022)など。下北ウェーブ2019選出。ロームシアター京都×京都芸術センターU35創造支援プログラム“KIPPU”選出。2022年度よりTHEATRE E9 KYOTOアソシエイトアーティスト。

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