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#インタビュー#演劇#レパートリーの創造#2026年度

〈レパートリーの創造 ホープス〉野村眞人『吉日再会』『観光客』関連コラム

野村眞人『吉日再会』インタビュー(中編)

インタビュー、構成:長澤慶太
2026.10.27 UP

ロームシアター京都のプロデュースシリーズ〈レパートリーの創造 ホープス〉のアソシエイトアーティストのひとり、野村眞人による『吉日再会』、新作『観光客』が10月末から11月頭に上演される。
ドラマトゥルクを担う長澤慶太がインタビュー・構成をした記事を、前・中・後の計3編にわたって掲載する。

前編  中編  後編

インタビュー、編集構成:長澤慶太


(2024年5月大阪初演@大阪市立芸術創造館 撮影:レトロニム)

――本作は2024年に初演されています。しかし、出演者の二人との関係や、これを作品として上演しようと構想されたのは、2020年の頃であると聞きました。三人での関わりが生まれてから、長い時間を経ての上演とのことですが、その4年間はどんなふうに過ごしていたのでしょうか?

野村:そもそもですが、最初は上演を目的に集まったわけではありませんでした。最初に三人で稽古場に集まったのが2020年の秋だったのですが――コロナ禍の自粛やステイホームの渦中の頃です――ちょうどその頃、私は個人的な関心として、木村敏や中井久夫といった人たちの著作を通じて、精神医学のことをよく考えていました。彼らの本が演劇の話をしているのではないかというようなことで、色々な著作を読んでいた時期だったのですが、そのことを、これまで一緒に創作をしてきた、今回の出演者でもある沙門さんに話したところ、沙門さんの父が、精神科の訪問看護師の仕事をしているということを教えてくれて、ただの偶然ではあったのですが、ぜひ一度、話を聞かせてもらいたいということで、沙門さんから連絡をとってもらい、敏由紀さんを稽古場にお招きしました。ちなみに、本作の『吉日再会』は、この最初の稽古場に来てもらうことを相談した沙門さんのメールに対し、敏由紀さんから返信のあったメールの文末にかかれていた言葉でした。
このインタビューには、敏由紀さんと私だけでなく、沙門さんにも来てもらいました。実はこのとき、父子が会うのも久々だったらしく、また、敏由紀さんへのインタビューは私がしたのですが、沙門さんにとっても新鮮な話が多かったようです。
そして、インタビューの流れで、敏由紀さんにお願いして、実際に仕事の再現をしてもらいました。そのときに、敏由紀さんから「相手がいないと難しい」ということがあったので、同席していた、俳優の息子である沙門さんに、その相手役をお願いしました。すると、敏由紀さんはすぐに、さっきまでの、父としての敏由紀さんでなく、「訪問看護師」としての姿を見せてくれたのですが、一方の沙門さんは、もちろん当然ではあるのですが、どのように振る舞えばよいかわからない様子で、ずっと「息子」のまま、「訪問看護師」からの言葉に応答していました。それを見ながら、訪問看護師として積み上げられた経験の大きさに驚いたし、感動しました。

(2020年の最初のインタビューの様子 撮影:野村眞人)

それから、月に一度くらいの頻度で、敏由紀さんへのインタビューや、沙門さんを相手とした実演してもらうようなことを続けてきました。まだ稽古とも呼べないような時間ではあったのですが、その月に一度の集まりのたびに、敏由紀さんは毎回、台本のような形で、自分の経験のことを書いてきてくれました。その内容は、自分と相手とのやり取りが書かれた、台詞だけの台本のような形のものでした。
そこに書かれていたやりとりからは、訪問看護師として、看護をされる相手へ、どんなふうに声をかけていて、相手をどのようにしたら理解できるかという、切実な態度のようなものが感じられました。その上で、この台本のようなものを使って実演をしてみると、それを再現するのが息子と父という関係であることから、たとえば家族間介護のような、精神訪問看護というだけでない、家族という関係の中に起きる様々な物事までが想像されて、いま現在を生きるわたしたちの社会のだれしもにとって共通したことを話しているかのように感じられました。訪問看護という個別のものでなく、今日の現実の家族という関係などにおいて一般的なものであるような気がしたからこそ、やがて観客に開かれた場所で上演されてよいと思い、それをきっかけに実際の上演を目指した創作を始めました。

――それまで野村さんは、戯曲をつかった演劇作品や、劇場以外でのパフォーマンスに近いような作品などをつくってきました。一方、本作は、いわゆるドキュメンタリー演劇的な方法による作品といえますが、そのような方法を採用するにあたって考えていたことや、実際にやってみての感触などはいかがでしたか。

野村:すごく単純な言い方になるのですが、この『吉日再会』での創作は、自分にとってすごく腑に落ちるような感覚でした。それは、自分にとっての演劇というものが、どういうものであるのか、ということに対して納得がいったという感じです。すでにある戯曲を上演することや、新たに書いてもらうということをしているあいだは、大きな意味での、あるいは、芸術や文学というもののなかにある「演劇」というものに対しての関心だったように思います。ただ、この『吉日再会』を通じての創作や上演は、いまを生きている人たちと一緒につくり、いまを生きている人たちと一緒に見るという、いま生きられている人や出来事への関心へ舵を切ることができたような気がします。その変化を通じて、作品をつくる意味や、それを観客席の前で上演することの意味が、納得できるようになりました。やりたいことと、やるべきことが、一緒に腑に落ちるような気がしました。
また、実際に自分でこういった方法から創作を続けてみたことで発見したのは、演じる、ということには、それを演じている本人が、自分自身の観客になっているようなことが起きるということを知りました。自分自身の経験を再評価するとか、より細かく思い出すとか、人に説明するために改めて言葉にするとか、そういったことの繰り返しによって、あくまで上演のために取り組んでいたことではあったことが、本人にとって、自分自身の経験を総括するような、そういった時間が過ごされるなかで、演じるということがより鮮明になるのかと思います。
たとえば敏由紀さんの場合は、すでに定年退職をされているので、舞台上で再現している就労風景の再現は、どんどん過去の出来事となっていきます。かつては普段の仕事として体に馴染んでいたものが、日に日に過去の出来事として、いまの自分から遠ざかっているし、初演から現在までの2年間のあいだで、訪問看護師としての自分自身と、現在の自分自身との距離は、さらに増え続けている状況です。
にもかかわらず、演劇作品としてその経験をもう一度、訪問看護の現場でない場所で行うにあたっては、演出家である私や、同じ出演者である沙門さんに、自分がなにをしているのかといったことを説明しなければならないような場面もあります。そういった作業のなかでは、これまで言葉として整理されなかったことを改めて整理することや、仕事をしている自分自身を客観的に知ろうとするようなことが、どうしても増えていくことがあります。そうやって言葉にして自分自身のことを知る、ということは、自分が、自分の観客になる、というようなことなのではないかと思います。
それがすぐに繋がっているのかわかりませんが、大阪での初演のあと、敏由紀さんに作品を終えての感想などを聞いてみました。すると、敏由紀さんは、初めて演劇というものに携わって、実際に自分が舞台に立って、自分がしてきた仕事を見せるということは、とても興味深かったと話してくれました。どのように興味深かったのかを尋ねたところ、舞台上で見せる自分の仕事は、真実である必要はないけど、自分にとっては現実的である必要があるというような話をされていて、とても感動しました。

 

(2024年11月横浜公演@アートスタジオ アイムヒア 撮影:レトロニム)

――先ほど名前の挙がった木村敏という人は、現実というものを「リアル」なものと「アクチュアル」なものとして区別をしました。それは、あえてかなり大雑把に要約すれば「客観的で記録的な現実」と「実感的で経験的な現実」というものの差であろうと思います。その意味で、敏由紀さんからの感想にある「真実」というのは、いわゆる客観的かつ記録的な事実である必要はないけれど、しかし「自分にとって現実的である必要」という、すなわち実感的かつ経験的な現実として生きられるものが必要だという解釈をすると、とても興味深い感想だと思います。しかし、野村さんのいう「自分自身の観客」になるということは、「実感的」であることよりも「客観的」であることを求めるようなものにも聞こえるのですが、自分自身の観客という点について、もう少し詳しく教えてください。

野村:観客になるということには、たしかに客観的な面もあると思いますが、あくまでそれは、自分自身をふたたび経験するための過程であると考えています。そして、それこそが、演劇という表現を通じて可能になるような、特別なことではないかとも思います。自分の観客になるということは、たとえば自分自身が写っている写真を見返すようなことではありません。そうではなく、自分自身を経験しなおす、自分の経験をふたたび生きる、ということです。
この作品の稽古場で、敏由紀さんは、「訪問看護師」であった「かつて」の自分が被看護者にかけた言葉を、「俳優」としてある「いま」の自分として再現します。その過程では、いまの自分によって、かつての自分がもう一度、経験されなおしています。「いま」の自分自身によって「かつて」の自分自身を再現するためには、自分を見ることが必要ですが、それは距離をもって眺めることでなく、「いま」と「かつて」を同時に生きることです。観客になるということは、ただ客観的に、外側から眺めるという意味でなく、自分自身として自分自身を生きなおすという、「実感的」な時間を生きることを実現することであると考えています。【後編に続く】


 

<公演情報>
ロームシアター京都〈レパートリーの創造 ホープス〉
野村眞人『吉日再会』
10月30日(金)19:00
10月 31日(土)14:00/19:00
11月1日(日)14:00

ロームシアター京都〈レパートリーの創造 ホープス〉
野村眞人『観光客』
11月6日(金)19:00
11月7日(土)14:00/19:00
11月8日(日)14:00

  • 野村眞人

    Photo by shimizu kana

    野村眞人 Masato Nomura

    1991年生まれ。演出家。レトロニムのメンバー。京都を拠点に、2016年から演劇作品を劇場内外で制作・発表している。人・場所・環境の現実的な関係に演劇を引用し、アクチュアルなフィクションに再構築する。近年の作品に、精神科訪問看護と親子をモチーフにした『吉日再会』(2024)などの上演作品や、自身の家族の故郷である青森で行った墓参りを題材にした『そうか、おまえいまそこにいるのか』(2024)、高齢者デイサービス利用者との交流から生まれた『わからないのがいいでしょう?』(2024)などの展示作品がある。ロームシアター京都 〈レパートリーの創造 ホープス〉アソシエイト・アーティスト。2024 年度ACY アーティスト・フェロー。利賀演劇人コンクール2018優秀演出家賞。2024年度文化庁新進芸術家海外研修制度により1年間ドイツ・ベルリンで研修。

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