
私たちが当たり前だと思っている現実や世界の枠組みは、立場や視点を変えることでガラッと変わって見えてくる。第30回を迎えた「“いま“を考えるトーク」は、2026年9月13日(日)、「境界がとける、記憶が異化する、世界へ出合い直す、」をテーマに演出家の野村眞人さんと映像人類学者の川瀬慈さんを迎えて行われた。お互いの活動を紹介しながら、話は自然と「演じるとは何か」や「関係性を含めた世界のありようをどう表現するか」に及んでいった。
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文:高松夕佳
観るから創るへ
10月30日~11月1日、11月6日~8日でロームシアター京都ノースホールで上演される野村眞人さん演出の《吉日再会》と《観光客》は、いずれも演じることと観ることの境界を揺さぶる演劇作品だ。野村さんは京都大学文学部在学時に演劇に関心を持ち、当初は戯曲の分析、演劇学やパフォーマンス学の文献研究をしていたが、あるとき京都・北白川のアトリエ「アンダースロー」で観た劇団「地点」の代表作、《ファッツァー》(ブレヒト原作)に衝撃を受ける。
「それまでテキストで読み、考えていた演劇が目の前で、声や身体を通して表現されるのを初めて観たんです。観客席から上演を全身で感じるという経験そのものがめちゃくちゃおもしろかった。観客として上演を見続けるために演出家になったようなもので、観客席で受けた感動に今も動かされている感じです」(野村さん)。
以来、文献や戯曲を文字で読むことから劇場で演劇作品を「観る」ことに力点を移し、集中的に観劇するための仲間を募り始める。
「他の人の観劇体験を聞きたくて一緒に観にいこうと呼びかけていたら仲間が増え、自然とみんなで観劇しては感想を話し合うようになり、舞台芸術研究会として定着しました」。
聞いていた川瀬慈さんが、「舞台上の演劇よりも観客のほうに起点があるのがおもしろいですね。そこからどう演劇作品の創作に至ったのですか?」と質問を挟んだ。
「観劇経験を積むうちに、みんながおもしろいと思った作品がどう作られているのかに関心が移り、そのうち僕らにも作れるんじゃないかという気分になったんです」。
会員たちの「作りたい」という機運に押されるようにしてできたのが、《終合唱》(B・シュトラウス原作、2015年)である。メンバーが各自好きなセリフや流れの断片を持ち寄るという実験的な演劇作品ゆえ、創作現場もカオスだったという。
「舞台芸術研究会のメンバーは当時4、5人だったのですが、こういう作品ならこの人がいてもいいんじゃないか、とみんながどんどん人を連れてきて。稽古場に行くたびに出演者が増えているんですよ。最終的には20人弱ぐらいいましたね」。
この経験から、「観るだけではなく創作することでも人を巻き込めるのかもしれない」と、舞台芸術研究会から派生する形で劇団速度を立ち上げ、野村さんは演出家として活動するようになる。
「演劇」を拡張する

野村眞人、川瀬慈
文献から観客席、観客席から舞台へというイレギュラーな軌跡をたどって生まれた劇団速度は、その実態もまたイレギュラーだった。団員は俳優、陶芸家、ダンサー、アニメーターなど多分野の専門家。自ずと作品は既存の演劇の枠組みを超えた実験的なものとなり、「劇団」を掲げることと実態とのズレを抱き始めた野村さん。2022年に「劇団」速度から「アートコレクティブ」レトロニムへと名前を変え、現在は演劇を軸にしつつも、映像や展示作品の発表、現代美術展のキュレーションなども行っている。
「演劇とは何かを拡張させているのですね」と、川瀬さんが頷く。「観客は提供される情報を受け取るだけの存在ではない、積極的に応答して新しいものを作り出すアクターにもなれるのだと気づかされます」。
野村さんはコロナ以降、劇場に籠るのではなく、自らが出会う人や出来事との関係性から作品を生み出そうと、積極的に外に出かけているという。
ストリートに息づく吟遊詩人に魅せられて
四半世紀にわたりアフリカと日本を行き来しながら、音楽を生業にするエチオピアの人々の営みを映像作品にしてきた川瀬慈さんもまた、王道の研究者人生を歩んできたわけではない。京大の大学院に進学したのは、実家の家業から逃避し、当時熱中していたバンド活動を続けるためだったという。
「故郷・岐阜の村落共同体の息苦しさからエチオピア高原に逃げたようなものなんです」。
そう言いながら、エチオピアで出会ったいくつかの吟遊詩人集団の映像を披露してくれた。まず画面に映し出されたのは、「ラリベラ」と呼ばれる門付の音楽集団の映像である。早朝、まだ薄暗い中、夫婦で家々を回って軒先で歌を歌い、物乞いをする。楽器は用いず、妻が歌詞のないサイレンのようなコーラスを歌い、そこに夫が物乞いの歌をかぶせる。理由をつけて出し渋る家の人とのやりとりもどこか演劇的だ。ラリベラは1年の大半を旅に費やすものの、完全な漂泊民ではない。自宅には畑も家畜もあり、留守中は村の人たちに任せているというからおもしろい。
次に登場したのは、弦楽器マシンコを弾きながら歌う「アズマリ」の子どもたちだ。もとはエチオピア北部で王族など権力者たちの庇護のもと活躍した宮廷楽師だったが、今では結婚式や酒場で歌うことが多い。隠語のような秘密の言語を駆使してコミュニケーションをとっているという。
3本目は、精霊を自らの身体に憑依させる霊媒師の映像である。依頼人が持ち込む病気や夫婦関係などの悩みに、音楽と踊りで応答していく。メロディやリズム、勢いのパターンは呼び寄せる精霊によって変化し、セッションは夜から朝方まで続く。

土地を揺さぶり、同化する観光客
「マスメディアのなかった時代、アズマリたちは地方のニュースを中央の為政者に伝え、また逆に中央のニュースや、権力者たちのを伝言をひろく民衆へ伝えるという役割を果たしてました」と川瀬さんが解説すると、野村さんが反応、自然と2人のクロストークが始まった。
野村 俳優の起源も、都市の共同体の中で共有されるものを伝えることにあったと言われています。その中で例えばニュースを伝える役割もあったみたいです。情報伝達をする人が移動する旅人であるというのはおもしろいですね。
川瀬 いわゆる「まれびと」の訪問は、共同体に波風をたてると同時に、活性化もさせる。共同体は揺さぶられ、その結果として地域住民の結束が加速することもある。この働きは、観光客にもあるのではないでしょうか。
野村 そうかもしれません。でも観光客と聞いてまず僕が思い浮かべるのは、やはりお金と時間に余裕のあるツーリストです。この映像に出てくる吟遊詩人たちは具体的にこちら側に入り込んできますが、ツーリストが地元民にコミットすることは稀です。しかし、それだけではない姿を想像したいとも思っています。
新作の《観光客》は、そういうことから作り始めている作品です。それは僕自身が自分のことを観光客みたいだと思っていることも影響しています。見知らぬ土地を訪れるとき、ルートも決めずに自分が見たいように見て回っていると、いろんなものが見えてきて、景色と人を勝手に結びつけてしまう。
たとえば母方の先祖の墓参りをしようと青森・津軽の霊山を訪れた際には、山の斜面一面に広がる赤い風車の光景に目を奪われました。そこは農業用ため池にもなっていて、春の雪解け時期には水没するといいます。生活に必要なため池と、水子供養のための風車、つまり生と死がまるで表裏のように同時に存在する不思議な光景でした。山を降りる道中、川沿いには風力発電用の巨大なタービンが並んでいた。麓のため池を見て、その水を畑へと汲み上げるための電力をあのタービンが作っているのだと合点がいった。墓参りで足を運んだ先で、巨大タービンと赤い風車という2つのイメージが交差し、僕の脳裏に深く刻まれました。
川瀬 「犬も歩けば棒に当たる」。フィールドに出て誰かや何かと偶然出会うところから、物事は展開していきますよね。観光客は消費の文脈で捉えられがちですが、その土地への責任を免除されている通過者だからこそ見える世界も確かにある。僕自身、長年同じアフリカの村に入り込んで暮らしていると、突然現れた観光客のある種、俯瞰的な一言に、自分がいかに近視眼的になっていたか否応なく気づかされることがあります。長期のフィールドワークにおいて参与観察を行うなか、研究対象とはじめて接触した時の気づき、印象、ひらめきのような部分は、忘れていくし、当然ながら鈍っていく….。
野村 対象に深く入り込んでいけば同化していくし、近視眼的になりますよね。人は意外とすぐに慣れてしまうものですし。昨年1年間ベルリンに滞在しましたが、1週間も経てば宿舎を我が家のように感じる自分がいた。訪問者ゆえの発見や驚きを体験しながら、同時にすごいスピードで同化が起きている。「住民のふりをしている観光客」化していく自分を感じました。
川瀬 新作《観光客》の中で、観光客という存在はどのように描かれるのですか。
野村 いわゆるツーリストの姿はもちろんですが、観光客の存在が地元民にもたらすものも描き出したいと思っています。
今回は、出演者に、これまでに経験した旅行や観光について話を聞くところから創作を始めたのですが、そのなかで、長年にわたり京都で暮らし続けてきたけれど、これまであまり旅行とか観光をしてこなかったという話を聞きました。京都が世界的な観光都市を目指す一方、誰かにとっての地元でもある京都を描くことで、京都という街やそこに訪れる人と新しく出逢い直すような上演になればと思っています。
自らの現実を「演じる」ということ

川瀬 《吉日再会》では、実際の父と息子が親子を演じていますね。俳優が自分を演じる。野村さんのプロジェクトには、存在を一度「 」(鉤括弧)に入れるようなところがあります。
野村 そうですね。戯曲を演じる俳優ではなく、現実を演じる「当事者」が舞台上にいるという状況に関心があります。
《吉日再会》の出演者のひとりである瀬戸敏由紀さんは、長年精神科の訪問看護師として働いてきた方です。病院と違い、利用者のプライベート空間に赴き、その人の生活のリズムやルールに合わせながら看護をする。その仕事ぶりを舞台上で再現してもらいます。その相手を、瀬戸さんの実の息子で俳優の瀬戸沙門さんが演じます。訪問看護を利用する「当事者」ではないけれど、俳優として、同時に息子として、看護師である父の仕事相手を演じるという構造です。
川瀬 すごいですね。僕なら親子でこれ、恥ずかしくてできないな。
野村 恥ずかしさはもちろんあるでしょう。でも彼らはもう6年ほどやってくれているので、どこかに演じることの楽しさを感じてくれているとも思います。
川瀬 民族誌映画の制作方法論に「再演(reenactment、リエンナクトメント)」という手法があります。人類学者が単に異文化を観察・記録するのではなく、まさに野村さんがやっているように、対象の人たちに「日常の自分」を演じてもらうのです。大事なのは演じることそのものではなく、演じる過程で当事者と人類学者が議論すること。その過程を記録して省察的に分析する。
例えば、マンチェスター大学の元同僚で、サンパウロのトランスジェンダーの人々が自らの生活を演じる姿を映画にした人類学者ヨハネス・ショーバーグ(シェーベリ)は、「日常を再演することで、その集団が抱えているモヤモヤやメッセージがより明確に顕現する」と言います。演じる過程でさまざまな葛藤や議論が表面化し、それが社会に提示されることこそが重要だというのです。
野村 自分自身を「再演する」うちに、自分との間に距離が生まれ、かえって自分を知ることにつながるんですよね。演劇は何度も上演するので、そのたびに距離が広がり、自分が自分の観客になっていくような感覚になる。と同時に、例えば自分の経験や仕事を再評価するような気持ちが生じたり、相手の関係の中で再び自分自身と近づいていくような瞬間が生まれます。演者にとってのおもしろみはそこにあるのではないかと思います。
対象との関係性に応じた話法がある
川瀬 演じるという行為によって、自分という存在を「 」に入れて客体化できるから、「自分」の風通しがよくなるのですね。
エチオピアの吟遊詩人のアズマリも、単なるエンターテインメントとして歌を歌っているのではありません。お客さんから次々と社会批判の歌詞が投げ込まれ、それを歌うのです。社会をいったん「 」に入れて客体化し、冷静に見直す機会にもなっているのだと思います。
私自身、大学院生時代は論述を通してアフリカの文化を記述・発表するよう指導されてきましたが、映像作品を作り始めたことで、多様な話法の可能性に目が開かれていった。冷徹な観察映画もあれば、カメラの前の現象と頻繁にやりとりする姿をあえて映し出す参加型もある。ドキュメンタリーとフィクションの間のようなエスノフィクションもあると知り、映像制作にのめり込みました。映像話法の探究と実験を文章にも広げていけるのではないかと感じ、研究活動として詩やエッセイ、小説を書き始めたのです。
ストリートの人々の息吹や動態は、首尾一貫した理詰めの論述のみではなく、詩や対話といった断片的な話法、創作でこそ立ち現れることもあります。また、対象との関係性によってこの話法のありかたは変え、拡張させてよいと考えます。現在、映像も文章も、メディアをとおして驚くほどひろく享受されるようになってきました。作品が喚起する人びとの感情や感覚の働き、さらには記憶の深淵を探求することも映像人類学のフィールドワークにおいて欠かせないことなのではないでしょうか。
野村 僕もどうすれば相手との関係性を最もうまく形にできるかをずっと考えています。演劇の場合、出演者を舞台に上げ、お客さんに劇場に来てもらわなくてはならない。でも舞台と客席の枠組みからこぼれるものもたくさんある。ここ数年は、相手との関係に応じて最も適切な形を選びたいと思っていて、舞台上演以外の形で作品を作れないかと考え、動いています。
川瀬 子どもの遊びやスポーツ、宗教儀礼さえも「演劇」としてとらえ、分析した人類学者もいました。野村さんは、劇場を飛び出した演劇をすでにやっていらっしゃる。必要になるのは何か大きな力ではなく、ちょっとした視点の変え方なのだと思います。
質疑応答でも、会場からの質問や川瀬さんの回答に刺激された野村さんから、「土地によっても適切な話法は変わる」「例えば京都という街では住民も観光客的になっていくのではないか」など新たなキーワードが飛び出し、どこまでも議論が続いていきそうな、分野を超えた熱を感じるクロストークだった。
