私は音楽の専門家でもなければ、評論家でも物書きでもない。ただ、この約10年ほど武田真彦とは様々な場面でクリエイションを共にしてきた仲である。そんな友人であり、長年協働してきた美術家である私の視点を通して『Weavings|おること』の体験をお届けしようと思う。
今回の『Weavings|おること』は、武田の約10年にわたる探求の集大成と言っても過言ではないだろう。西洋の伝統的な楽器を出発点に持たない彼だからこそ、音楽、美術、工芸、香り、身体といった領域を縦横無尽に行き来し、それらを一つの体験へと織り上げることを可能にした。今回の作品はその長い探求と思索の上に成り立っている。まずはその軌跡を辿ることから始めたい。
彼との出会いはエレベーターの中だった。互いにパーティーへ遅れている上に知り合いも少なかったため、そのまま会場でも話を続けていたことを覚えている。驚いたことに、当時彼も私も祖父の記憶を作品のモチーフにしようと考えていた。そんな不思議な縁を感じたのが始まりだった。
当時の武田は音の作品やDJとしての活動が中心で、物質や空間へと展開する作品はまだ多くなかったと記憶している。それもあり、どう展開するかを悩んでいた。一方の私は、祖父が残した地震波形を音へと変換できないかと考えて、初めて「音」というメディアについて模索していた。方法は違えど、祖父という存在が遺した記憶や物を作品として立ち上げようとする姿勢は共通しており、互いに学ぶことも多いため、その後も折に触れて制作について語り合うようになっていった。
それ以降、武田は彼の祖父が織っていた西陣織の黒帯を軸に、多様な作品を展開していく。織物の仕事を継ぐことを反対された彼は、明治以降、女性が喪服をまとう際にのみ締められる黒帯という、普段はほとんど人目に触れることのない存在をどのように継承し、現代へ接続できるのかを考え始めた。その問いから始まったプロジェクトは、黒帯を掛け軸や風呂先屏風へと仕立て直す試みや、松栄堂との協働による「匂い時計」、仏具であるおりんを用いた音響装置などへと広がり、京都という土地の老舗や職人たちとの協働を通して、織物の記憶を新たなかたちでアーカイブし、更新していった。
彼の探求はそこで終わらない。ある展示を訪れた際の会話をきっかけに実現したのが、祖父の工房跡でドラァグクイーンに変身した武田の姿を撮影するという、「事件」としか言いようのないプロジェクトだった。彼は、江戸時代中期の浮世絵師・西川祐尹の《男舞図》に描かれた、黒帯を締めた男性の姿に触れたことから、明治西洋化以降に固定化された「黒帯=女性の喪服」という価値観そのものを問い直そうとしたのである。舞踊家の苳英里香が黒帯を結んで仕立てた衣装を、ドラァグクイーンのフランソワ・アルデンテがへアメイクを、そして美術家の八木夕菜と私が写真を担当した。撮影が進むにつれ、武田自身が変容していく姿は、伝統を壊すのではなく、その奥に眠っていた可能性を目覚めさせ解放していく様にも見えた。
このようにして武田真彦は分野を横断したチームを巻き込み、奇想天外なアクションを起こしながら、継ぐということは何なのかを実践を通して真剣に考え続けてきた。
それでは、肝心の音についてはどうだろうか。2022年に私の個展《虹の再織》で制作を共にしてもらっていた頃、彼は日本古来の響きや、おりんの音を探求し始めていた。ある日、彼は西洋音楽の平均律一辺倒の制作に疑問を抱き、ドレミファソラシドという音階を前提とした制作から離れたことを話してくれた。そして最後には、キーボードを捨てたという。当時の私は「捨てなくても……」と思ったが、今振り返れば、それは単なる道具との決別ではなく、自らの音の捉え方を根底から問い直す覚悟の表れだったのだと思う。
鍵盤という既存の秩序から離れ、五線譜の外側で、フィールドレコーディングや場に設置したマイクが偶然拾い上げる響き、そしてボタンとつまみだけを手がかりに、どのようにサウンドを立ち上げられるのか。その探求は、単に新しい響きを生み出すためではなく、意図的なコントロールを超えたときに立ち現れる現象そのものと向き合い、「音とは何か」という前提を問い直す営みだったように思う。そして、その積み重ねこそが、『Weavings|おること』へと結実している。
やっと本題に入ろう。
今回の公演には、ヴィブラフォン・打楽器奏者芦田かんな、鳳笙奏者井原季子、調香師沙里、茶人中山福太朗、キュレーター上田聖子など、多様な領域の実践者が参加していた。それぞれが専門性を持ちながらも、誰か一人が主役になるのではなく、関係性そのものを織り上げていく。その姿勢は、これまで武田が続けてきた協働のあり方とも重なっていた。
リハーサルを見学した際にも印象的だったのは、完成された演奏を確認するというよりも、実際に音を鳴らし、その場を体験しながら何度も対話を重ねていたことである。作品は個人の頭の中で完成するのではなく、他者との往復のなかで少しずつ形を得ていく。そのプロセス自体が、《織る》という行為の始まりだったのではないだろうか。
客席と演者の距離は緩やかにつながるように配置され、四方には低めの二段の座席が設えられていた。会場にはヴィブラフォンや音響装置の島が点在し、その床には祖父の工房から運び込まれたのであろう木箱が置かれ、石や枯葉、ガラスの器、水をたたえた容器が並ぶ。満席の中観客たちは、これから何が起こるのか想像もつかぬまま、少し緊張しながら始まりを待つ。

開幕のアナウンスとともに、武田の語りが始まる。言葉を超えた体験的な公演を期待していた私は、「いきなり言葉から始まるのか」と意表を突かれた。しかし耳を傾けるうちに、それは単なる説明ではなく、観客の身体や視線をゆっくりと調律し、この場そのものを立ち上げるための行為なのだと気付く。後に聞けば、この導入は茶の湯の精神に着想を得て、中山福太朗との対話を通して組み立てられたものだったという。最初に場の前提を共有することで、そこで生まれる体験や共振が深まる。そのための時間だったのだと知り、冒頭の語りが公演の外側にある説明ではなく、すでに作品の一部だったことに気付かされた。
ゆっくりとした口調で、言葉と言葉のあいだに十分な間を取りながら、演者たちの紹介や、それぞれの楽器や分野が持つ背景が語られていく。武田は一か所に留まることなく会場内をゆっくりと歩き、まるで「中心はここ一点には存在しない」と語りかけるように空間を移動する。そのたびに観客の視線も意識も会場全体へと開かれていく。彼自身の柔和な存在が醸し出す、堅苦しさとは無縁の始まりに、少しずつ観客の緊張が解けていくのがわかった。
初座、中立、後座で構成されたこの「音を織る」営みは、初座で武田が制作中に書き留めた日記の朗読から始まる。日英二つの言語で、中山福太朗と上田聖子が同時に重なりながら言葉を紡ぐ。二人の声は完全には交わらず、どちらかの息継ぎや発話と発話の隙間から、ふといくつかの言葉だけが意味を伴って耳へ届く。その合間に、生活音のようなガラスが触れ合う音や水音、枯葉の擦れるような微かな音が混じり合い、まるで混線したラジオに耳を澄ましているようでもあり、異なる時間の層が一つの空間に滲み出しているようにも感じられた。

そこへ少し離れた場所から井原季子の石笛が加わる。自然に生まれた石の空洞に、風が吹き抜けるように吹き込まれる息の流れは、隔てられていた時間や記憶の層の裂け目を勢いよく通って、武田が積み重ねてきた思考や記憶の深部へ我々を連れて行ってくれるようでもあった。
しばしの静寂のあと、井原が《阿知女作法》を歌い始める。それまで漂っていた時空の質が一変し、意識は遠い古層へ連れて行かれる。しかし続いて芦田のヴィブラフォンが柔らかく響き始めると、その感覚は再び別の地平へ運ばれる。笙、ヴィブラフォン、そして再び笙。この時点では、それぞれの音色は異なる時間や空間を宿し、互いの距離を保っているように聴こえた。

しかし、笙とヴィブラフォンが同時に響き始めると、それぞれの音はマイクを通してデジタルへと変換され、武田のエフェクトを介して織り合わされていく。後に知ったのだが、この組み合わせは、甦りを寿ぐ雅楽の盤渉調と、今は使われることの少ない教会旋法という、西洋と東洋それぞれの音のあり方を重ね合わせる試みでもあったという。ヴィブラフォンの優しくも安定した響きは、揺らぎながらも一定の秩序を保ち続ける。一方、笙の音色は、風や明滅する光のように、奏者の息遣いによって絶えず変化し、ときに消え入りそうなほどか細くなりながらも持続する。私にはその二つが、まるで人が紡いできた秩序と、絶えず変化し生成し続ける自然とが出会うかのように感じられた。気がつくと深い水や無意識の底にいるような感覚になったところで中立の休憩を挟み、後座へと移る。

後座に入ると、観客は好きな場所に座り、そして途中からは自由に移動するよう促される。会場の空気が落ち着いたところで、オルゴールの生音が静かに響き始める。芦田かんなは、西陣織の紋紙「流水」のパンチカードから生まれる一つひとつの音に身を任せるような間合いで演奏し、織物の設計図であったはずの紋紙は、時間を織る楽譜として立ち現れる。この微かな音と有機的なリズムに耳を澄ますうちに、自分の今いる時空が揺らいでいく。その背後でまた武田が歩きだす。ときに観客席に腰を下ろしたかと思うとまた歩き出す。改めて、この場に漂っていた境界線を解くように、会場の中に横糸を通しているかのようだった。
クライマックスでは、雅楽の織姫と彦星にまつわる演目《二星》と、武田がリサーチの過程で出会った西陣織のCM曲《西陣のおび》の楽譜とが織り合わされる。雅楽の楽譜を見たことはあるだろうか。そこには西洋音楽のような音符はなく、声の上がり下がりが線によって記されている。その二つの楽譜を印刷したトレーシングペーパーを武田が偶然に重ね、その音符と線の重なりを芦田が即興的に読み解きながら演奏していくのである。

穏やかなビブラフォンの響きに始まり、やがて笙が重なっていく。その合間に武田が発する短い言葉の断片は、後に聞けば演者たちへの指示(サイン)だったという。その合図に呼応するように、マイクを通してデジタルへと変換された響きはエフェクトによって幾重にも織り重ねられ、音の密度とリズムは次第に極まっていく。
その極まっていく音に導かれるように、観客が一人、また一人と静かに立ち上がりだす。その様子は、水底から泡がゆっくりと立ち上っていくようだった。しかし、その動きはやがて会場全体へと波及し、人々は思い思いの方向へ歩き始める。そのたびに気流が生まれ、耳に届く響きも少しずつ変化していく。その光景は秩序を失ったカオスではなく、一つの場が臨界点を越え、自ら新たな秩序を立ち上げていく瞬間を目の当たりにしているようだった。電子的に幾重にも織り重ねられた音のうねりの中を歩き、個々に奏でられる楽器そのものの音に出会うとき、私は音の渦を抜け、幾重もの時空を横断していくような錯覚に囚われた。気が付けば、普段はルールや思考に縛られながら生きる私たちが、そのときだけは身体の感覚と好奇心に導かれ、互いに呼応しながら、その場そのものを織る一人となっていた。その時あの場で感じた共振の余韻が、今もまだ私の中に深く残っている。

近代化の過程で切り分けられた世界を再び緩やかに織り合わせ、意図を超えて立ち現れるものに身を委ねる——それは《虹の再織》以降、私が一貫して向き合ってきたテーマであり、共に協働してきた武田と影響を与え合ってきた部分でもある。だからこそ今回、彼にしかできない方法で、その一つの「織り方」を示してくれた『Weavings|おること』に、私は深く驚き、共鳴した。
我々の祖父たちが生きた時代には、近代化の只中にありながらも、まだ日々の営みやものづくりのなかに、世界との関係性へ向けられた温かな感受性が息づいていたのではないだろうか。その関係性やつながりは、時代の流れのなかで失われつつあり、そのままのかたちでは受け継ぐことのできないものになってしまった。しかし武田が今回示してくれたのは、それらを過去へ求めることではなく、異なる分野や文化、価値観を持った者たちが対話を重ね、それぞれの違いを保ったまま新たな関係性を紡いでいくという実践である。その営みこそが、今を生きる私たちにできる「織ること」なのかもしれない。