武田真彦は、自然や都市空間の音、モノと装置による音、電子的に創造する音などによって、舞台作品や種々のイベントに参加し、ときに、音を可視化するオブジェや装置によって、自身によるインスタレーション作品も展開している。多くの場合、必然・偶然の人間関係によるコラボレーションである。このたびは、5人のコラボレーターとの試みとなった。
武田の生家は、かつて西陣織を生業とし、〈黒共帯〉と呼ばれる上質な喪服用黒帯の織元として知られたという。が、時代や世相の変化に押され、約30年前に廃業した。武田の表現活動は、継げなかった家業への追憶や社会史・文化史を自分なりに継承する試みである。それは、かつて地域を象徴した織機の音や道具、職人の日常、家々が伝えてきた高度な技術など、失われたものや出来事といった、空白を繋ぎ合わせる作業でもある。そのときどきの多彩なコラボレーターたちは、西陣織にとどまらず、伝統文化や産業の翳りについて、武田とともに記憶や記録を掘り起こし、武田がアーティストとして自分史の中に回答と希望を探る後押しとなっている。
2025年の初個展〈Weaving Studies|「織ること」のスタディ〉において、武田は、「継承を織りなおす場づくりワークショップ」を開いて展覧会へと向かい、対談「Weaving Visible & Invisible|継承と保存修復のエシック」で締め括った。個展会場は、かつて織機が何台も稼働していた生家の旧工場。多くのサポーター、コラボレーターとともに場を整え(掃除、処分)、観察し(部分解体)、織り上げ(作品インストール)た。盛業時の気配や武田固有の記憶や追憶が、当時を知らない人々によって再編された。また、印象に残るのは、1台だけ残されたジャカード織機から聴こえていた織機の音だ。幼い頃に馴染んだ地域や家のその音を、武田は静かな音に再編し、かつてものや人や出来事が存在した場所の空隙を埋めた。
武田の表現を織物にたとえると、自らは、原図であるとともに、経糸(たていと)となる。コラボレーターは緯糸(よこいと)だ。本公演のタイトルは、〈Weavings|おること〉。前段ともいえる昨年の個展「織ること」は、ひらがなの「おること」に変わり、weavingがweavingsとなっている。それは、「織る」にとどまらず、「折る」・「居る」への拡張を示唆する。経糸としての武田は以前と変わらずにあるが、本公演におけるヴィブラフォン・打楽器奏者、鳳笙奏者、調香師、茶人、キュレーターといった5人のコラボレーターは、各々に役割を定め、ときに互いの領域を越境し、多彩な模様を織り出した。観客もまた、「居る」という役割において、偶然のコラボレーターであったといえる。
公演は、茶事になぞらえて、「初座(しょざ)」・「中立(なかだち)」・「後座(ござ)」と進行し、コラボレーターがそれぞれの試みや提案を引き継いだ。冒頭では観客の前に現れた武田が口上を述べるが、次第に本公演にまつわるテキストの朗読〈日記をおる〉へと移る。それは、本公演が、制作プロセスから抽出された、複数の試みのダイヤグラムであるということを予感させた。よって、試みの順を追って紹介する。

〈日記をおる〉につづいて、井原季子による神楽歌〈阿知女作法(あじめのさほう)をおる〉。本来は、神の降臨を喜び、神聖な雰囲気を作る神楽歌であるときくとおり、声は朗々と空気を振動させた。それによって客席と舞台がひとつになり、ヴィブラフォンによる芦田かんなの試み〈ソナタをおる〉が始まる。楽譜を折る・重ねるなどして偶然に導き出された旋律は、「声」の余韻に滑り込んでくる印象である。井原・芦田による試みは〈盤渉調調子と教会旋法をおる〉。盤渉調(ばんしきちょう)は、雅楽の六調子のひとつ盤渉を主音とする旋法であるという。盤渉は洋楽のシ、Bマイナー。いっぽう教会旋法は、中世からルネサンス期のグレゴリオ聖歌で使われていた音階のシステムだが、今は使われない。2人と2種の楽器が互いの音を探る、異なる周波数の出会いである。ここまでが初座=「具象 素材・技法の提示」であり、茶事でいう「中立」=休憩時間となる。

「中立」では、ロビーで香を鑑賞する「香をおる」。視覚、聴覚の初座と後座を嗅覚でつなぐ。周囲には、武田によるオブジェやインスタレーション作品が展示されている。それぞれに、家業にまつわる記憶や記録、その再編である。5本の〈黒共帯〉の実物も展示されている。質の異なるいく種類もの黒糸と黒糸が立体的に織り出す精緻な柄である。紅殻色の壁に映える〈黒共帯〉は、武田の生家や西陣織繁栄のモニュメントとしてそこにあった。

後座のテーマは「抽象 素材・技法を用い、織り上げる」。観客は、それまでと違う席についたり、奏者や楽器・装置の間を回遊し、それらに触れることもできる。舞台に半ば参加する観客は、触覚の試みに分け入っている。その中で、手回しオルゴールによる〈西陣織「流水」をおる〉が始まる。掌中の小さなオルゴールに、楽譜であるパンチカードが差し込まれている。西陣織で用いた機械式のジャカード織機にも、パンチカードが使用された。パンチカードは紋紙と呼ばれ、経糸、緯糸のどの糸を通すかを示すプログラムであった。織物の意匠によって異なり、膨大に用いられた紋紙は、産業を支えた財産であっただろう。しかし、今ではほぼ廃棄され、武田の生家にも残っていない。筆者は、知人から、紋紙の束を前に「アートに活用してもらえないか」と相談されたのに何も提案できなかったことを思い出した。そういえば、それは30年ほど前のことで、武田の生家をはじめ、西陣での廃業が相次いだ頃だったように思う。芦田の掌中でかすかな音を発しているオルゴールは、流水紋様が打ち抜かれたパンチカードを楽譜にしている。〈黒共帯〉に代表される意匠である。オルゴールの音は小さいが、訥々と語られる昔話のように一音ずつが空間に沁みわたる。この小さな出来事が、筆者には、本公演の核であると思えた。

最後の〈「二星」と西陣のCM曲をおる〉では、織姫・彦星にまつわる神楽歌「二星」と、西陣の最盛期をおもわせる西陣のCM曲という二つの楽譜が重なった。ダイヤグラムの終着である。が、リーフレットに描かれた曲線は、実線から点線に変化して止まっている。to be continuedあるいは未完なのである。武田真彦は経糸であった。糸は、彼の創造物やアイデアであり、家業を軸とする文化の保存・継承という課題のひとつずつである。複数本が並行する経糸は、回答に向かって延々と伸ばされているに違いなく、その先はまだまだ見えない。そのときどきの緯糸であるコラボレーターの創造性や技術、資料や遺物は、武田の試みを整理し、拡張する。未完の織物である。

「織」という字は、意味を示す「糸」と音(おん)をあらわす「戠」で成り立っているが、じっと見ていると、戠は、織機や機織り人の姿に見え、音という字も加わって、実に豊かな表情をしていると思う。ぎったんばったん、トントンからり、など、昔話や童謡から機織りの音を知った。実際に聴いた経験がなくても、誰しもの脳内で懐かしむ音である。音は記憶を膨張させる。