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Sound Around 006『Weavings|おること』関連トークイベント

武田真彦×矢代真也(矢代仁/YSN Studio) 「西陣織の工場跡で考える、おること、つぐこと」レポート

文:山本恵子(ロームシアター京都)
2026.6.5 UP

ジャンルや固定観念にとらわれない「音楽」を軸とした表現活動を行うアーティストによるパフォーマンスを紹介するシリーズ「Sound Around」。第6弾のアーティストは、京都を拠点に活動し電子音響、パフォーミングアーツ、現代美術、伝統工芸など幅広い領域を横断して作品を制作している武田真彦を迎えた。
今回は、Sound Around 006『Weavings|おること』(2026年6月13日・14日開催)の上演に先立ち2部構成による関連トークイベントを開催した。本レポートでは、第1部の武田真彦さんと矢代真也さん(矢代仁/YSN Studio)による対談「西陣織の工場跡で考える、おること、つぐこと」の模様を紹介する。

 

左:武田真彦さん 右:矢代真也さん

互いの家、家業の記憶

会場となったのは、西陣織の旧工場「大樋の黒共(おおひのくろとも)」。旧工場とあるように、織物業は営まれておらず、武田さん自身の家と一体化したこの旧工場はオルタナティブなスペースとして現在、活用されている。
武田さんの実家はおおよそ100年ほど前、明治期に織物業を創業した。黒の地に艶やかな模様が浮かぶ反物は、祖父母の代まで「黒共」と呼ばれていた女性の喪服のための織物であり、この工場で織られていた。(※1)武田さんは、この場所について雰囲気も相まって怖い場所として記憶しているというが、同時に音だけは覚えているとも話した。武田さんの言葉で、今は一機を残して存在しない織機の姿や音の響きが、かすかに立ち上がってくるようだった。

トーク前の西陣織の旧工場「大樋の黒共(おおひのくろとも)」の様子

「黒共」

建物全体は、京都のいわゆる「うなぎの寝床」のような構造で、細い間口から奥へと続く。中庭を抜けた先には工場の空間が広がり、その一角には畳が敷かれた居間のようなスペースも残る。親戚も集まり、住み込みで働く者もいたという、ここでの生活を感じさせる。
様々に活用されつつあるこの工場だが、40年前の廃業以降、物置のような状況であったという。物理的に廃棄の難しい鉄製の織機を残して、すべての道具は捨てられたという。家業との潔い別れであった。
一方、矢代さんの家業は、1720年創業の呉服メーカー問屋・矢代仁。(※2)京都・室町二条で父とともに経営に携わっている。家業であるものの、父の仕事が着物屋ということは知っているけれど、何をしているかわわからない中で育ったと振り返る。それでも、自身としてはつぐことは決めていたという。印象的だったのは幼少期の墓参りの記憶だ。先祖代々の墓参りがあり、先祖の横には社員一同の墓があった。それを目にしたことで、自身の何不自由ない暮らしは、自身の先祖のおかげだけではなかったと考える機会になったという。「自分が受け取ったものを返さずに生きつづけることはダサい」という思いを持ったまま、矢代さんは東京に出ることになる。

今と家業が重なる時

武田さんは、学生の頃からバンドなどの音楽活動を行っていた。卒業後も楽曲制作やDJとしての活動を続けていた。転機となったのは、30歳手前頃。家族からこの場所を売りたいと話があった。その時、「ほんの数本しか残っていない黒共も捨てる」と言われたことに疑問を覚えたという。
この疑問に一つの方向性を与えたのが、現代美術作家の林智子さんだった。林さんは当時、祖父を題材にした作品を制作しており、武田さんはその作品制作に関わっており、そのなかで自身の迷いを話したところ、それを作品にすればよいのではないかと言われ、視野が広がったという。それは、現在のアーティストとしての活動につながる家族の歴史と自分の歴史が接続しはじめた瞬間でもあった。
矢代さんは、大学でフランス文学を専攻し、研究者や翻訳者を志していたが、次第に本に関わる編集の仕事を志すようになり出版系のベンチャーへ就職、その後、テクノロジーやイノベーションを扱う雑誌編集に携わり、海外でテック系のスタートアップやカルチャーの取材なども経験。その編集者としての視点や感覚は、今の矢代仁の活動にも大きく影響しているという。
コロナ禍で奮闘する父の様子をみて、家業に戻った矢代さん。その2年後、武田さんと一緒に仕事をすることになるYSN Studioを立ち上げる。(※3)YSNは、矢代仁の名前に由来しながら「ゆっくり、しっかり、のこす」の言葉の頭文字でもあるという。編集の仕事をしていた自身だからこそ、やれることがあると思い立ち上げた。展示の内容は多岐にわたる。例えば、矢代仁が扱っている着物を3Dスキャンし、拡大し、手触りがわかるように出力したり、着物や洋服を着用した時の歩き方の違いをモーションキャプチャーで見せたりとアートとテクノロジーを横断するような展示を行っている。「歴史の長い業界や社内にインパクトを与えるには、打ち上げ花火のように終わらせるのではなく、中期的に続ける必要がある」そう語りながら、年1回・10年間続ける計画を掲げる矢代さん。その間に自分が会社のために何ができるかを判断しなければならないという発言からも、試行錯誤と覚悟の10年ということなのだろう。

矢代真也さん

武田真彦さんと矢代真也さんの出会い

京都の染織に関わる若手が集まる京都染織青年団体協議会が運営するポッドキャスト「きょうと きものと しごと」(※4)があり、矢代さんが友人を通じて、武田さんにこのポッドキャストのジングル(※5)を依頼したことから交流が始まった。その後、二人が一緒に取り組んだのが2025年度のYSN Studioの展示である。着物を着る音をアニメーションにしてビジュアライズする企画を行った際、録音を武田さんが担当した。
こうした矢代さんの活動について、武田さんは「面白さと同時に不思議さも感じる」と語る。武田さん自身は、家業として織物業をついでいるわけではない。ただ、「何かをつごうとする行為を実験していくイメージ」だという。一方で、実際に家業をつぎながらも、なお実験を続ける矢代さんに対して、親近感とともに不思議さを感じていると語った。
ちなみに、二人は銭湯でよく遭遇するらしく、今回のトークの打ち合わせは日々のごく短い10分の会話、3回分だったという。肩肘張らない雰囲気は、そんな関係性から生まれていたのかもしれない。

対談の様子

「つぐこと」のかたち

武田さんにとってのアート作品とは「実験の繰り返し」であり、「今できる失敗を披露しつづけるような感覚」だという。完璧ではなくとも作品を作り続けながら自分自身の歴史や家族と向き合うことになる。作品制作は、音という領域だけにこだわらなくなったという。結果、家族の歴史やこの場所の存在がアーティストとしての活動に広がりを与えることになったのである。
この変化につれ、廃業というネガティブに見える家族のストーリーもその様相を変えていく。武田さんの母は、祖父からの最後の遺言として、「苦しくなったらこの場所を全て売れ」と言われていたという。しかし、もし何もかも失われてしまうのであれば、この土地の中でできることを一緒に考えていく方がよいのではないか。そうした家族との対話を重ねた結果が今だ。武田さんは家族をも巻き込み、それは一種の共同プロジェクトのようでもある。

武田真彦さん

京都の和装業界をつぐものたち

前述のポッドキャストでは、和装業界を「つぐ」若手たちが、現場のリアルを発信している。透明性が高いとはいえない業界で、匿名かつ音声コンテンツという派手ではない発信手段を用いながら少しずつ若い世代の声を広げていこうとしているという。その中で、どのようにすればこの業界を続けていけるのかを話し合っているという。
一方で、つぐことの難しさを物語る印象的なニュースも矢代さんから紹介された。(※6)そのインタビューは老舗呉服店の跡継ぎが、父親の「家業は継がない方がいい」という反対を押し切り、自分が後悔しないために「家族が代々守ってきた仕事」を選んだという記事である。
ものづくりを取り巻く状況が厳しさを増すなか、それでも業界にいる人や戻ってきた人は、このような逆境でも続けようと思っている人だという。そして、矢代さんは「それ自体(その思い)は武田さんの工場をどうしたいかという姿勢としてかなり繋がっている気がする」と話した。
その言葉に対し武田さんは「そういう人と関わる前は、本当についでいる人は単純に家業があってシンプルな理由でついでいると思っていた」と返す。
自分が継がなければ終わってしまうというプレッシャーもある。ただ、そのような後ろ向きなモチベーションでは激変する業界で生き残ることは難しい。矢代さんは「逆説的ではあるが、『自分の代で終わらせるくらいの責任を負う』という覚悟が当代の主人になければ、何代も家業が続くことはないのではないか」と語った。

何をつぐか、何をもってつぐのか

矢代仁の社是に「謹んで祖業を墜すことなかれ」という言葉があるという。では、「祖業」とは何なのか。この問いに対し、矢代さんは「武田さんがされていることこそ祖業ではないか」と語る。解釈をどうするかであって、何を祖業ととらえるかは当代それぞれ次第だと思う、と武田さんの拡張的な取り組みに共感すると語った。
その話の流れで、武田さんが紹介したのは、女性の喪服のための「黒共」を男性である武田さん自身が纏った作品《Rrose Sélitage》(2023年)だった。(※7)

武田真彦《Rrose Sélitage》(2023年)

生きている男性である自身がどのようにすれば、それを着ることができるのか。「女装のような行為は、古くは古事記にも記されており、ではそれが何かというと、社会と対峙する、何かに立ち向かっていくような、一つの作戦や方法として今の時代までつながっている 」と感じ、そうした思索の末にドラッグクイーンのフランソワ・アルデンテさんの協力を得ながらジェンダーも生死も真逆のポートレート作品を制作したという。

「黒共」を手に放す武田真彦さん

矢代さんはこの作品の話に深く頷きながら「自分たちが80年近く生きられるようなスパンの中で、20年、30年、40年生きてきたことから見ているフレームは普遍的なものではないということにどこまで気づけるか、それを大事にしたい」と語り、業界全体が変わらざるを得なくなってきている時に、このような試みには非常に意味があるのだと続けた。
さらに武田さんは、「自分にとって、その「つぐ」ということは、自分の立場だからできるつぎ方みたいなものがあるのではないか」と話した。それに応えるように矢代さんも、「呉服とは何かということを自分なりに抽象化して、プロフェッショナルとして、着物ではない領域でも試みを続ければ、それは何かが続いていることという気もする」とある種の共通認識を示していた。そして、矢代さんはつぐことの意味とは「歴史の中にどう石を一個積み重ねられるかというようなこと」とも表現した。

変わらないもの、変わっていくものの割合

終盤、来場者から「不易流行」の概念をあてはめながら、いつまでも変わらない本質や伝統(不易)と時代の変化に合わせて新しいものを取り入れ進化させていく(流行)のバランスについて、二人がどのように考えているのかと質問があがった。
質問に対し武田さんは、「変わらないものは精神性だけ」と、自身が織物を作ることができないという現実も含め、「なるべく決めつけないように変わっていくものにしようとしている」と語り、ロームシアター京都で上演する『Weavings|おること』も日によって内容が少し変わる、行う人によって内容が変わるようなことを考えていると作品の構想にも触れた。
一方の矢代さんは、「何をしているのかよりも、どこでしているのかの方が物事に対する影響が大きい」と語り、この旧工場も例にあげながら、「土地、土地性、土地の場所の持っているもの、それはそこで積み重ねられた歴史。その土地で何かをつづけるのであれば、それは無視できないという謙虚な姿勢」というのが変わってはいけないことと語った。

 

家業や土地の記憶を手がかりに、それぞれの立場から「つぐこと」を問い直していった今回の対談。武田さんと矢代さんの言葉からは、単に何かを守り残すというだけではなく、変化や試行錯誤を引き受けながら、自分なりの方法で次へと手渡していこうとする姿勢が浮かび上がった。
一方で、西陣織の旧工場という場所で交わされた対話は、『Weavings|おること』の創作の根底に流れる思いに触れたような気がする。

なお、関連トークイベント第2部では、『Weavings|おること』に出演するメンバーも交えながら、作品の構想や上演に向けた試行錯誤についてさらに話が展開された。その模様についても、別レポートにて紹介する。

※1 「黒共」はかつて女性が喪服として着用する黒帯として、また嫁入り道具として重要な役割を果たしてきた。(武田真彦公式Instagram @masahikotakeda より引用)

※2  株式会社矢代仁
公式ウェブサイト http://www.yashironi.co.jp/
公式Instagram @yashironi_official

※3 YSN Studio
公式ウェブサイト https://ysn.kyoto/

※4 京都染織青年団体協議会
京都染織青年団体協議会公式ウェブサイト https://kyoto-senshoku.jp/
ポッドキャスト「きょうと きものと しごと」 https://kyoto-senshoku.jp/kyoto-kimono-shigoto

※5 ポッドキャストのジングルとは、番組の冒頭やコーナーの切り替わり、CM前後などに挿入される数秒〜十数秒程度の短い音楽や効果音のこと。テレビ番組の「アイキャッチ」やラジオの「ジングル」と同じ役割を持つ。

※6 京都新聞「創業1584年、京都市下京区にある老舗呉服店 「父の反対」押し切り家業継いだ男性の思いとは」2025年12月5日

  • 山本恵子 Keiko Yamamoto

    京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)卒、関西大学大学院修士課程修了。2009年から京都芸術センターのアートコーディネーターとして勤務、主に展覧会事業、演劇事業、KYOTO EXPERIMENTの広報などを担当。2012年から広島県立美術館(株式会社乃村工藝社所属)にて、主に所蔵作品展と広報を担当。2018年からKYOTO STEAM-世界文化交流祭-実行委員会に勤務。2022年から国立国際美術館の教育普及室研究補佐員として勤務。2025年7月から現職。

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