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#コラム・レポート#機関誌「ASSEMBLY」#2021年度

[ASSEMBLY | ふつう]

日本社会は多くのDaiGoで満ちている

文:生田武志
編集:春口滉平
2021.10.15 UP

「僕は生活保護の人たちに、なんだろう、お金を払うために税金を納めてるんじゃないからね。 生活保護の人に食わせる金があるんだったら猫を救ってほしいと僕は思うんで。生活保護の人が生きてても僕は別に得しないけどさ、猫は生きてれば得なんで」。

「メンタリスト」のDaiGo氏による、8月7日公開の自身のYouTubeチャンネルでの発言である。さらに、彼はこう言っている。

「ホームレスの命はどうでもいい」「どちらかというと、みんな思わない?どちらかというといない方がよくないホームレスって?」「邪魔だしさ、プラスになんないしさ、臭いしさ、ねぇ。治安悪くなるしさ、いない方がいいじゃん」「もともと人間はね、自分たちの群れにそぐわない、社会にそぐわない、群れ全体の利益にそぐわない人間を処刑して生きてきてるんですよ。犯罪者を殺すのだって同じですよ」。

彼は、猫の方が生活保護を利用している人間より大切だと言っている。さらに、野宿者たちを「いない方がいい」と、その存在を完全に否定している。

ぼくは、1986年から野宿者の支援活動を行ない、生活保護申請に同行し、アパートに入った生活保護の人たちを訪問して相談を受けてきた。そのなかで大きな問題として痛感してきたのは、野宿者と生活保護利用者に対する社会的な偏見と差別だった。DaiGoの発言は、生活保護利用者、野宿者に対する明確なヘイトスピーチで、とりわけ「野宿者襲撃」や「生活保護バッシング」というヘイトクライムを視聴者に対して扇動したのだ。
幸いなことに、DaiGoの発言について多くの人たちが反対の意志を示し、「生活保護問題対策全国会議」などによる声明が出され、その結果、彼は一応の「謝罪」を示すに至った。
しかし、恐ろしいことだが、DaiGoのような発想を持つ人は相当数いて、彼はそれを「ぶっちゃけて」しまっただけなのかもしれない。

閉ざされた日本社会の偏見


ぼくは2001年から全国の小中高、大学などで「貧困と野宿を考える」授業や講演をおこなってきた。ぼくは、こうした授業を日本でいちばんやってきた人間だろう。その中で、中学生、高校生に野宿者に関するアンケートを時々取る。そこで「家の人から野宿者について何か言われたことはありませんか」と聞くと、親から「話しかけられても無視しなさい」「目を合わせてはいけない」「あんな人になりたくなかったらもっと勉強しなさい」「ホームレスは働きたくないからああして寝てるんだ」と言われた、という答えがたびたび返ってくる。
たとえば、親が子どもに「障害者から話しかけられても無視しなさい」「目を合わせてはいけない」などと教えれば、深刻な差別発言として社会的に問題になるだろう。しかし、野宿者についてはそういう「差別」がふつうに教えられている。

また、2019年、死者80人以上を出した台風19号のとき、東京都台東区の避難所は野宿者3人を追い返し、台東区災害対策本部は「区として、ホームレスの避難所利用は断るという決定がなされている」と明言した。災害救助法は、自治体は一時的に滞在している者を含めすべての被災者を救助する義務を負うとしている。つまり、台東区は不法に野宿の人々を見放して「命の危険」にさらしたのだ。
この問題は大きく報道され、15日に区長は対応について謝罪した。しかし、区の対応を容認するような反応がテレビやツイッターなどで続発した[*1]。16日のフジテレビ系番組「バイキング」では、「おぎやはぎ」の小木氏が「来ている方たちは嫌ですよ、それは。ホームレスの人が来てもらっちゃったら。怖いじゃない、だって、何されるか分からないし」と言った。この発言内容は、DaiGoの発言とそれほど変わらないのではないか。

生活保護についてはどうだろうか。芸能人の母親が生活保護を利用していたことをきっかけにした「生活保護バッシング」の恐怖は忘れられない。そもそも、そのケース自体「不正受給」ではなかったが、政治家、マスコミ、さらに一般の人々が「生活保護は不正受給が多い」(実際は全体の0.4%で、しかも悪質なケースは少ない[*2])「生活保護受給者はぜいたくをしている」などというデマを拡げた。「生活保護バッシング」をした人々は、DaiGo発言を生む土壌を作ったのだ。

DaiGo発言は、日本社会の貧困者に対する強烈な偏見を示している。彼を「特殊な意識を持つ変な人」と考えることは、彼を「特別な才能を持つ素晴らしい人」とすることの裏返しでしかないかもしれない。日本社会は多くのDaiGoで満ちているのだ。

人間と動物たちの倫理


そして、もうひとつ残るのは、猫と人間の問題だ。DaiGoは殺処分される猫を保護猫として引き取って育てている。いまも年間2万7108匹(2019年度)[*3]の猫が、主に人間の身勝手で放棄され殺処分されていることを考えると、彼がやっていることは素晴らしい事だ。しかし、彼は「生活保護の人に食わせる金があるんだったら猫を救ってほしい」と言い、多くの人を驚かせた。あらゆる社会常識、哲学や倫理は「動物より人間を救うべきだ」と考える。その意味で、彼は信じられない暴言を言ったのだ。

しかし、現実を振り返ると、どうだろうか。いま、栄養失調やそれに伴う免疫低下、感染症などで死亡する5歳未満のこどもは世界で1日に1万4000人(2019年)[*4]にのぼる。約5,000円でひとりのこどもに1年間の給食を提供することができるため、世界各地から食糧援助や資金援助がおこなわれている。ぼくも少額ながら毎月ユニセフへ寄付を続けている。
一方、日本には848万9千頭の犬と964万4千頭の猫(2020年)[*5]が飼われている。そして、日本の飼い主は犬や猫のために多額の出費をしていることで知られている。たとえば、飼い主に「自分自身よりもペットに費用をかけている項目」を聞くと、32.9%が「美容院(理髪店)」、30.8%が「医療費」と回答した[*6]。
事実、日本ではペットの医療費が高騰し、延命治療のために100万円近い医療費を出す人も珍しくない。こうしたペット医療、ペット美容、ペットホテルなどの日本の「ペット関連産業市場」は1兆5,705億円で、ペットフードの出荷総額だけで3,193億5,800万円(2019年度)[*7]とされている。

ペットフード代の1%でも使えば、世界の多くのこどもたちが餓死から救われるのではないだろうか? しかし、飼い主の多くは、飢えに苦しむこどもたちへの支援より、あるいは、日本で経済的に進学できないこどもたちや、天災などで被災し経済的に困窮している人たちへの支援より、自分のペットのシャンプー代や美容室代を優先しているのかもしれない。なぜなら、犬や猫は自分の「家族」だが、その人たちは「他人」だからだ。(なお、今年発表された“Giving Index”(「寄付指数」「人助け指数」)で日本は114国中最下位だった[*8])。
つまり、DaiGoの発言は決して「特殊」ではない。それは、「経済的に苦しんでいる人たちより、自分のペットの方が大事」という、われわれが意識はしないが「ふつう」にしていることをそのまま言ってしまっただけかもしれないのだ。

ペットが「家族」となった現在、われわれは「動物の尊厳」を重視することが「ふつう」になっている。その一方で、「肉」として食べる動物たち、そして、貧困に苦しむ人間の尊厳については相対的に無関心なままでいる。
われわれは、人間と動物たちの関係をあらため考えるべき時期に来ている。人間と動物たちをともに尊重する倫理、それを実現する社会のあり方を。その意味で、DaiGo発言は日本社会を映す鏡なのだ。

  • 生田武志 Takeshi Ikuta

    1964年6月生まれ。同志社大学在学中から釜ヶ崎の日雇労働者・野宿者支援活動に関わる。2000年、「つぎ合わせの器は、ナイフで切られた果物となりえるか?」で群像新人文学賞評論部門優秀賞。2001年から各地の小、中、高校などで「野宿問題の授業」を行なう。野宿者ネットワーク代表。「フリーターズフリー」編集発行人。著書に『<野宿者襲撃>論』人文書院、『貧困を考えよう』岩波ジュニア新書、『おっちゃん、なんで外で寝なあかんの?―こども夜回りと「ホームレス」の人たち』(あかね書房)、『釜ヶ崎から 貧困と野宿の日本』 (ちくま文庫)など。『いのちへの礼儀――国家・資本・家族の変容と動物たち』(ちくま書房)など。公式ホームページ

  • 春口滉平(山をおりる)
    春口滉平(山をおりる) Kouhei Haruguchi

    編集者。エディトリアル・コレクティヴ「山をおりる」メンバー。建築、都市、デザインを中心に、企画、執筆、リサーチなど編集を軸にした活動を脱領域的に展開している。2019年よりロームシアター京都の機関誌『ASSEMBLY』の編集を担当。

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