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ローザス、アトラファイブ『和声と創意の試み』関連記事

私たちは自然の一部なのか?それとも外部から自然を見ているのか?

文:林田直樹(音楽ジャーナリスト・評論家)
2026.6.1 UP

Photo: Anne Van Aerschot

消費されたイメージから解放された《四季》

音楽好きこそが観ておきたい舞踊がある。
ローザスとその振付家アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルはその筆頭格に挙げられるだろう。これまでケースマイケルは、日本での数ある上演歴を見ても、『ドラミング』『ファーズ』『レイン』でのスティーヴ・ライヒ、『ワンス』でのジョーン・バエズ、『ビッチェズ・ブリュー/タコマ・ナロウズ』でのマイルス・デイヴィス、『ツァイトゥング』でのバッハやヴェーベルンやシェーンベルク、さらには『ドライアップシート(3つの別れ)』でのマーラーなど、音楽への特別なこだわりをみせてきた。
どちらかというと通好みの選曲をしてきたケースマイケルが、2024年5月にブリュッセルで初演された『和声と創意の試み』で、あの有名なヴィヴァルディの《四季》を題材に選んだことは、ヨーロッパのファンからも意外感をもって受け止められたようだ。
ケースマイケルは語る。
「これは西洋のクラシック音楽の最もアイコン的な作品のひとつです。その質の高さゆえに悩ましい。夕日と同じように美しいけれど、イメージとして消費されてもいるのです。多くの音楽家は否定的な意味でこれをポピュラー音楽と考えていますが、その見方は変わりつつあると私は感じています」
共同振付のラドワン・ムリジガも言う。
「これほどのヒット曲だからこそ、観客はやすやすと認識し、入り込み、この空間を私たちと共有することができます。これは私たちの集合的記憶の一部なのです」
人間と自然の関係について描いた四季折々の詩が添えられたヴィヴァルディのこの作品を舞踊化するにあたり、ケースマイケルとムリジガは現代の人類が直面する環境問題という視点をもち込んでいる。
つかの間の春、長く続く酷暑の夏、短すぎる秋、厳しい冬……4つあるはずの季節がまるで2つしかなくなってきている――これは洋の東西を問わず、多くの人々が近年実感していることである。こうした気候不順や自然災害の増加の元凶が、人間たちの不道徳や不和にあるとみなす考え方は、じつは古くからある。

Photo: Anne Van Aerschot

都会人ヴィヴァルディが見た暴力的な自然

ケースマイケルは今回の創作にあたり、フランスのヴァイオリニスト、アマンディーヌ・ベイエの助言を受けている。ベイエとはバッハの「ブランデンブルク協奏曲」全曲の振付でも2019年にパリ・オペラ座で見事な共同作業を行っている。2017年には『我ら人生のただ中にあって』で、チェリストのジャン=ギアン・ケラスとバッハの無伴奏チェロ組曲全曲でも緊密な共同作業を行っている。こうした仕事をすることで、音楽を舞踊へのヒントとしていくのはケースマイケルの常であるが、今回もヴィヴァルディの作品について徹底的に研究した様子がうかがわれる。
「興味深いのはヴィヴァルディが実際には自然とそれほど近くなかったということです。彼はヴェネツィアに住む都会の人間でした。そしてヴィヴァルディは《四季》をマントヴァで、つまり都会の外に滞在中に書いたのです。
この事実は自然と私たちの関係について考えさせます。私たちはその一部なのか、それとも外側から自然を見ているのか? もしヴィヴァルディが実際に距離を置いて自然を見ていたとしたら……彼は四季について何を述べているのでしょうか? この音楽には風の表現が多く含まれています。《四季》には多くの嵐があります。彼はロマン主義の時代に典型的だった“美しい絵”を描くのではなく、代わりに“暴力的な自然”を描いているのです。音楽は乱気流のようなエネルギーに満ちています。水、風、火、すべての要素がそこにあります。
ご存じのように、私は円、螺旋、楕円、渦に取り憑かれています。特に『夏』と『冬』では、音楽は回転を促します。そして、自然ではすべてが回転します。風、海、星、宇宙……それらは循環です。《四季》はまさにこれを体現しているのです」
ムリジガもこう語る。
「ヴィヴァルディは自然についての何かを媒介していただけなのではないでしょうか。私にとって、彼は自然の一部です。私たちもまた、この音楽をとおして何かを媒介しているだけなのです」
ヴィヴァルディの《四季》とは、果たして昔の田園的な風景描写にとどまる、単なる牧歌的な音楽に過ぎないのだろうか? それとも、ケースマイケルたちの言うように、都会人が自然について考えを深めるために、混乱し暴威を振るう自然と人間との関係について描かれた、むしろ現代的な作品なのだろうか?
劇場の空間で、私たちはその答えを体感することになるだろう。

※文中のケースマイケルとムリジガの発言はベルリン芸術祭メディアライブラリーの記事(2024年2月8日付)より引用

  • 林田直樹 Naoki Hayashida

    音楽ジャーナリスト・評論家。著書「そこには、音楽と言葉があった」「音響設計家・豊田泰久との対談 コンサートホール×オーケストラ 理想の響きをもとめて」他。音楽之友社社外メディア・コーディネーター。クラシック音楽専門インターネットラジオOTTAVAプレゼンター。

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