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ローザス、アトラファイブ『和声と創意の試み』公演評

残された共通項を求めて

文:小川海歩子 編集:浄土複合ライティングスクール
2026.10.1 UP

撮影:大洞博靖

 アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルはコンテンポラリー・ダンスの振付家として、40年以上、世界的に高い評価を得てきた。彼女は自ら革新的な作品を作り上げてきただけでなく、コンテンポラリー・ダンスに特化した教育機関P.A.R.T.S.の設立にも携わり、次世代を担うダンサーや     振付家の育成にも力を注いでいる。そのP.A.R.T.S.を卒業し、今ヨーロッパで高い注目を集めているのが、モロッコ出身の振付家、ラドワン・ムリジガである。

 ケースマイケルのカンパニー「ローザス」と、ムリジガが率いる「アトラファイブ」が、ヴィヴァルディの《四季》を題材に作り上げた意欲作が『和声と創意の試み』だ。この度、ブリュッセルでの初演から2年の時を経て、日本での上演が実現した。

秋の森に音楽は流れない

 白いパネルに、Autunnoの文字が浮かび上がった。秋から始まるのか、と少し驚きつつ、ほとんど装飾のない舞台を見つめる。世界的に有名な協奏曲《四季》の調べを、頭の中でぼんやりと思い起こしながら待つ私たちのもとに、慣れ親しんだ旋律は聞こえてこない。音楽は鳴らないままに、舞台の後方にある白い蛍光管が激しく点滅し始める。

 ゆっくりと現れた一人の男性ダンサーが動き出す音だけが、観客の耳に届く。彼はハーフパンツに丈の長いメッシュのトップス、黒のスニーカーという、まるで都会の公園でバスケットボールでも始めそうな装いだ。舞台の前方に歩み出て、腕を大きく旋回させ、膝を高く上げて足を踏み鳴らす。頭を大きく振り、舌と歯を振動させている。どこからか鳥の囀りが聞こえて来る。地中の虫や落ちている実を啄むように低く身を屈め、また立ち上がり、両手をグッと握りしめて上空を指し、腕を広げて鳥が羽ばたくような仕草を見せる。彼の足音と息づかいだけが、劇場内に響いている。舞台の上の光は、秋の日暮れのような、ぼんやりとした橙色に変わっている。まるで、ダンサーの足元には腐葉土が広がり、幾重にも重なる落ち葉と小枝の層が、湿り気を帯びた森林独特の匂いを放っているように思えてくる。

 そして無音状態のまま、森の中で木々がざわめき出すように、一人また一人とダンサーたちが、地面を転がるようにして現れ、舞台の上に4人の男性が揃って姿を見せる。彼らは、薄いシフォンや、スポーツウエアのような光沢のある素材を用いた衣装で、素肌の一部が見え隠れしている。コスチュームが表すストリートっぽさは、《四季》を作曲したヴィヴァルディ自身が暮らしていたのも、自然豊かな農村などではなく、ヴェネツィアという都市部であったことを思い起こさせる。

冬の遊びと春の訪れ

 長い無音の秋を経て、舞台後方にInvernoの文字が現れ、冬が到来した。2人のダンサーによる、エネルギッシュなタップダンスが始まる。スニーカーで非常にシャープなリズムを生み出して、観客席に静かな興奮が広がる。別の1人がブレイクダンスを披露し、舞台はすっかり秋の森から、都会の冬へと移っている。ステージの床はスケート場の銀盤のように、白く眩しい光を放つ。

 「歩くぞ、氷の上を、ゆっくりとした足取りで/転んでひっくり返らぬよう用心して、つるっと滑って、すってんころりん、地面に倒れる、起き上がってもう一度」[1]。ヴィヴァルディが自ら書いたとされる、ソネットの一節が思い浮かぶ。さらには、16世紀フランドル(今のベルギー、オランダ、フランスの一部にまたがる地域)の画家、ブリューゲルの季節画のひとつ《雪中の狩人》に描かれた、カーリングやそり滑りなどを楽しむ光景も連想されてくる。《四季》が作曲された頃、水の都ヴェネツィアの運河も、冬季は一面の氷となっていたようだ。

 凍てつく寒さの中にも、冬ならではの楽しみがあることに思いを馳せる頃、ようやく交響曲第4番「冬」が流れてくる。穏やかな旋律の合間にはさまれる闊達なピッツィカートと、ダンサーたちのバラバラなようでいて、時折目線を合わせて調和させるという動きにより、雪や氷で覆われ白く輝く街の景色が、観客の目の前に広がっていく。

 なお、本作で使用される音源は、ヴァイオリンのアマンディーヌ・ベイエと「リ・インコーニティ」による録音だ。オケの一員であるヴァイオリニスト川久保洋子氏によると、全く同じソリストとオケのメンバーによる《四季》の上演を幾度も重ねてきた、ヨーロッパでも珍しい団体である[2]。音楽と向き合い、徹底したリサーチをすることで有名なケースマイケルにとり、過去にもいくつかの作品をともに作り上げ、この楽曲の探究を続けてきたベイエは、本作の音楽分析を依頼するのに最適なパートナーであったに違いない。

 季節の移り変わりとともに目まぐるしく展開する、個性的な4人のダンスに目を奪われながらも、少し待ちくたびれた観客のもとへ、ようやく第1番「春」の闊達な旋律が届けられる。ダンサーの衣装にも変化が付けられ、その色彩がパステルピンクや、薄いグリーンになる。だがそれぞれの色は、じっと見つめるうちに見えてくるような控えめなものだ。4人の足元に差す薄紅色の光と、高らかに響くヴァイオリンの独奏、リトルネッロ形式の美しい調べ、待ち焦がれた春への歓喜が爆発する。そのうっとりするような春の調べはしかし、数分ののちに途絶え、舞台を包む薄桃色の光は、熱を帯びたオレンジ色へと変わってゆく。

過酷な夏

 ダンサーが舞台の端で衣装を替える。それまでの薄く体を覆うだけのものから、濃い色の長袖に変わる。背後に表示されるEstateの文字は、これまでの3つの季節(秋、冬、春)と比べ、とりわけぼんやりと浮かんでおり、どこか不気味な印象だ。喜びに溢れた春も束の間、忍び寄る厳しい夏の気配は、温暖化が進む世界に生きる私たちの実感とも重なり合っている。夏向きの軽やかな装いではなく、肌を覆う厚みのある衣装を纏うダンサーの姿は、過酷な猛暑の、気怠く鬱陶しい様をありありと蘇らせる。コントラストの強い服地の色彩は、日差しの強さを感じさせ、衣服が体にまとわりつくときの不快さまでも思い出される。4人のダンサーは、それぞれが夢遊病者のように、舞台の上をゆらゆらと動き回る。音楽はほとんど流れず、心を癒すメロディーはない。残酷な熱波の中で、なんとか生き延びようと、ダンサーたちはそれぞれを助け起こし、寄り添うような動きも見せる。

 「太陽が焼けつくように照るこの厳しい季節に、人と家畜は活力を失い、木や草でさえ暑がっている」[3] という、「夏」の第一楽章に添えられたソネットそのものだ。

休息の秋から団欒の冬へ 

 しかし恐ろしい暑さとの戦いにも終わりが来る。伸びやかな「秋」の一節が響き、冒頭の秋とは違い、2度目の秋はともに夏を乗り切った仲間がいる。踊り続けていた4人は交互に、観客から見える格好で椅子に腰掛け、上着を取り替え、水を飲む。休息の時が訪れた。

 秋を迎えて活力を取り戻した彼らは、収穫と狩りの恵みを享受する。弓矢を構えるように並ぶ姿は、複数人での協力が不可欠である鹿狩りに臨むかのようであり、その成果は搾りたての葡萄酒とともに祝われる。

 やがてゆったりとした「冬」が、私たちの耳に快く響く。外は極寒でも、仲間と集う室内は暖かく、暖炉の火を囲み、気持ちは安らいでいく。心配事が消え去った時のような心地で、音楽に身を委ねる。それぞれに個性の異なる4人による、卓越したダンスパフォーマンスの時間を噛み締める。季節を巡る旅が終わりつつあることを告げるのは、音楽ではなく詩の朗読だった。

  私は 待ち続けていた 救い出されし者
  待ち続けていた春 待ち続けていた雨
  私は大地 目覚めを待つ海

 読み上げられたのは、デンマーク出身のソマリア系作家、アスマー・ジャマによる『We, the salvage(我ら、救い出されし者)』である。男性4人による、身体を目一杯に使った表現から一転して、潮の満ち引きや、生命の誕生と死を思わせる静かな詩の言葉が、美しい対比を見せる。

共通項を見出す旅

 ケースマイケルの緻密さと妥協のなさに、ムリジガの特色である数学的かつ幾何的な要素が組み合わされた本作の鑑賞は、率直に言えば、観客にある程度の忍耐を強いる体験だ。反復と回転とが交差するダンスと、ヴィヴァルディの音楽は時に見事な調和で私たちを魅了するが、それを味わえるのはほんのひと時で、光の点滅と無音の時間は引き延ばされ、鑑賞者はじっと音楽を待ち焦がれる。だがそれにより、作品を見る者は、春の訪れを願う切なさ、夏を耐え忍ぶ憂鬱さ、豊かな秋の快さ、冬の静かな高揚をともに追体験することとなる。ムリジガの言うように、世界中で多くの人に愛されてきた協奏曲は「集合的記憶の一部」[4]として、いまだ我々に残されている共通項を思い出させる。

 『和声と創意の試み』は、「調和と創造への企て」とも読めるだろう。人間同士の、また人間と自然の間の差異は、近年ますます広がり、断絶は深まる一方のようだ。だが本作は、そうした状況にあっても、私たちにはまだ共有するものがあり、わずかに残された共有物を頼りに調和と創造へと踏み出していく、という企てを提示してみせたのではないだろうか。

[1] ジャンフランコ・フォルミケッティ『ヴィヴァルディの生涯:ヴェネツィア、そしてヴァイオリンを抱えた司祭』大矢タカヤス訳、三元社、2024年、p. 199。
[2] 「リ・インコーニティ」日本人ヴァイオリニスト川久保洋子が語る、ローザス、アトラファイブ『和声と創意の試み』の魅力【後編】https://spice.eplus.jp/articles/346618、2026年7月22日最終閲覧。
[3] 岩井宏之「《和声と創意の試み》総説」『ヴィヴァルディ(作曲家別名曲解説ライブラリー21)』音楽之友社、2001年、p. 87。
[4] 林田直樹「私たちは自然の一部なのか?それとも外部から自然を見ているのか?」https://rohmtheatrekyoto.jp/archives/rosas_column_hayashidanaoki/ 2026年7月16日最終閲覧。

  • 小川海歩子 OGAWA MIHOKO

    京都府出身。大阪外国語大学国際関係専攻(イタリア語科)卒業、京都大学公共政策大学院修了。日本原子力研究開発機構、滋賀医科大学等を経て、現在は予備校及び児童発達支援に携わる。浄土複合ライティング・スクール7期生。

  • 浄土複合  Jodo Fukugoh

    制作、発表、批評が交差するアートスペースとして、2019年、京都市左京区にオープン。同年にスタートしたライティング・スクールでは、受講生が年間を通じて展覧会レビューの執筆や雑誌の編集に取り組んでいる。https://jodofukugoh.com

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