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#コラム・レポート#舞踊#継承と創造#2021年度

《継承と創造》 宮古・八重山・琉球の芸能 監修者メッセージ

文:前里昌吾、大田静男、遠藤美奈
2021.10.1 UP

「古から現代まで、おきなわ三地域の舞踊と唄」をご覧いただく今回の公演では、各地域の専門家や研究者に監修をお願いしました。プログラムに込めた監修者の思いを綴ります。

■2月11日(金)
#宮古の芸能
#八重山の芸能

■2月12(土)
#琉球の芸能


宮古の芸能│太平たいへいおどぅ大世うぶゆうもう

 宮古島は平坦な地形で、山も川もなく、昔から水不足に悩まされてきた。  島の先人たちはその苦しい時代を神への祈りで乗り越えてきた。「祈り」がやがて「唄」になり、「踊り」へ変化し、現在まで受け継がれてきた歴史がある。
 タイトルにある「太平たいへい」は昔の呼び名で「宮古島」のことで、「大世うぶゆう」は「平和な世の中」を意味する。今の平和な暮らしは、先人たちのおかげ。その感謝の気持ちを込めて、これから先の平和を願い、舞台で表現したい。
 プログラムは「水」をテーマに全体を構成している。宮古島の芸能「クイチャー」は、水不足から生まれた「祈り」が「唄」へ、「踊り」へと変化した象徴である。
 今回集まった演者の皆さんは、宮古島を代表する方たちばかり。この素晴らしいキャストで、先人から受け継がれてきた「舞踊」「民謡」「古謡こよう」と、今を生きる私たちの新しい創作を共にお見せする。

監修│前里昌吾(「宮古島創作芸能団 んきゃーんじゅく」プロデューサー)

八重山の芸能│ - ばがけーら すぃまとぅ とぅむ –

 黒潮が岸辺を洗う、亜熱帯の島・八や重え山やま諸島。
 歴史を紐解けば、ひとびとは、台風や干ばつ、マラリアなどの疫病、時には大津波が襲う自然の猛威とのたたかいの日々であった。また、人頭税や役人の横暴に呻しん吟ぎんした。
 ひとびとは、荒ぶる神々の魂を鎮めるため、必死に祈り、歌い、踊った。それはひとびとの生活に直結する「」(幸せな世の中)を願ってのことでもあった。
 演目は二部構成で、前半は神前しんぜんや農作業の場で歌われる古謡こようを中心に、後半は首里王府の宮廷舞踊の影響を受けて成立した舞踊を中心に構成した。  私たちよりも長く土地と共にある自然や生物への敬意を込め「ばがけーら すぃまとぅ とぅむ(私たちはみなずっとシマ/共同体とともにある)」を副題とした。
 現在、これらの芸能を生んだ八重山諸島の自然や社会環境は急速に変化している。先人の遺産(精神)を汲み、未来をどう創造するか、考える舞台にしたい。

監修│大田静男(八重山芸能研究者)

琉球の芸能│冊封宴さくほうえんの歌 - ほっきゅう十二じゅうにしょうきょく

 琉球王国の王府で新しい王が任命される際には、明(のち清)の皇帝から冊封さっぽう使が琉球へ派遣された。冊封使の船は、皇帝からの下賜品としてたまのかんむり(王冠)を携えていたので、かんせんと呼ばれた。琉球では、冊封使が滞在する約半年のあいだ、国をあげて七つの宴をひらいた。このときに演じられた芸能も御冠船またはかんせんおどりと呼んでいる。
 冊封宴さくほうえんとは、第二宴にあたる。首里城正殿前の御庭うなーで冊封使から新しい王を任命する載冠たいかん儀礼を行い、北宮ほっきゅうに移って新しい王が正式に正使・副使らと挨拶を交わした。
 1838年の尚育しょういくおう(1838~1847)の冊封時に著された『かんせんおどりほう日記にっき』(1839)によれば、北宮ではとぅいむち(もてなし)の楽が奏された。その一つが、「ほっきゅう十二じゅうにしょうきょく」である。歌三線うたさんしん4名と胡弓1名による琉球古典音楽の奏楽で、冊封宴だけの特別な琉りゅう歌か(歌詞)で歌いあげられた。
 本来は歌のみであるが、本公演では、新たに現代の琉球舞踊家による作舞を試みた。古の歌詞にのせた音楽と現代の琉球舞踊家による御取持の舞を十分に堪能していただきたい。

監修│遠藤美奈(沖縄県立芸術大学准教授)

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