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劇場の学校プロジェクト2021 オープンクラス 講座・ワークショップ&実演 「沖縄伝統芸能の道 −かさでぃ・あゆでぃ−」レポート

海が育んだ芸能の歴史──琉球芸能を学ぶ

文:中谷森
2021.10.15 UP

2019年度に始まった「劇場の学校プロジェクト」では、毎年、国内外で活躍するアーティストや研究者を講師として招き、中高生を対象として、「創る」ことを学ぶ場を創造してきた。2021年度のプログラムの一つとして、8月6日に開催された「沖縄伝統芸能の道 −かさでぃ・あゆでぃ−」では、講座・ワークショップ・実演を交え、中高生の参加者たちが実際に体を動かしながら、沖縄伝統芸能のうち宮廷芸能にルーツを持つ琉球芸能についての学びを深めた。オープンクラスとして開催された今回の講座には、一般の見学者たちも参加し、中高生参加者たちのワークショップの様子を見守った。講師を務めたのは、遠藤美奈氏(沖縄県立芸術大学准教授/民族音楽学)、琉球古典音楽の演奏家の新垣俊道氏(同大学准教授/野村流古典音楽保存会師範)、そして琉球舞踊家の喜納彩華氏(玉城流七扇会教師)である。



■講義「琉球芸能の歴史について」

 まずは、遠藤氏による琉球芸能の歴史についての講義から。
 陸路を持たず海に囲まれた沖縄の島々では、古くより、海の向こうから神々が来ては帰るという、いわゆるニライカナイ信仰に基づいた祭事が行われていた。このうち、神様への願い事を言葉に込めた歌が、現在もいくつか残っている。わざと言葉をわかりにくくするような節を付け、男性だけが歌う「オモロ」や、より聞き取りやすい歌詞が特徴で、神女などの女性たちが歌う「ウムイ」など、講座では実際に録音を聞いてみた。
 1429年の三山統一を経て琉球王国が誕生すると、明(中国)との国交が始まる。明の後ろ盾を得るための冊封が行われ、明の知識人がやって来るとともに、明の音楽や楽器が渡来し、儀礼の音楽である「楽」が生まれた。沖縄の楽器として知られる三線は、この時に持ち込まれた三絃(サンシェン)に由来するものといわれている。ここで、遠藤氏から、「三線は何でできているか知っていますか?」との問題が。中高生の一人から、「ヘビ?」との答え。続いて、三線に使われるニシキヘビの体長を調べるべく、筒状に巻かれた皮が舞台上に。両端を持ってくるくると延ばしていくと……人の身長よりもずっと長いニシキヘビの皮が舞台に現れた。

 1609年には、琉球王国は薩摩の支配下に置かれ、日本と明(のち清)との二つの外交を両立させることが求められるようになる。明や清からの冊封の際には、「御冠船」と呼ばれる船で来航し、使者を迎えるための七つの宴が開かれ、琉球の歌や舞踊などが士族によって演じられた。日本や明・清などの芸能を取り混ぜながら、玉城朝薫によって始められた「組踊」が演じられるようになったのも、この御冠船での宴のことであった。こうした当時の宴の様子を描いた絵には、琉球特有の服装をまとった人々が描かれている。実演として、伝統衣装を身にまとった新垣氏、喜納氏がモデルとなり、琉球特有の帯の結び方や結髪の方法を披露した。着物に親しみのある京都の人々も、帯をしないという女性の着付け方には驚いた様子である。

 一方、薩摩の支配下にあった琉球王国は、江戸にも使者を派遣する必要があった。この「江戸立」の際には、権力を誇示したい薩摩側の思惑により、琉球の使者たちは、わざと中国風の格好を身に着け、中国風の音楽を演奏することが求められたのである。
 やがて、廃藩置県とともに琉球王国は終わりを迎え、1879年には沖縄県が設置される。従来、芸能の担い手であった士族たちが地方へと下り、芸能を糧にする者も現れるなかで、庶民の間にも芸能を上演するための小屋が生まれていった。こうした中で誕生したのが、儀礼や宴のための芸能と異なり、より庶民的な「雑踊り」や「沖縄芝居」と呼ばれる芸能であった。
 そして、時代は第二次世界大戦へ。戦争により多くの資料が失われてしまったが、戦後直後の1946年には、松・竹・梅という3つの公営の劇団が慰問巡回公演を行っている。戦後の沖縄では、アメリカ統治が生んだ複雑な文化状況を背景としながら、琉球文化復興への関心も高まりを見せた。映画が流行し、人々の娯楽の形態が変わっていくなかで、舞台役者から舞踊の師範に転身する人々が現れ、稽古場が各地に誕生した。琉球舞踊が習い事として普及することで、舞踊ブームが起こった。こうした戦後の動向を通じて沖縄のみならず各地に琉球の芸能の担い手の輪が広まっていき、2010年には組踊がユネスコ無形文化遺産に登録されるなど、現在への継承に繋がってきたのである。



■舞踊ワークショップ

 さて、講義の後は、喜納氏による舞踊ワークショップの時間。体験するのは、雑踊りの演目で、旅先から故郷を懐かしむ気持ちを歌った「浜千鳥」と呼ばれる曲である。
 喜納氏によるお手本の実演の後、まずは、基本となる二つの手の動きを学ぶ。一つ目は、手で何かをこねるような動きを行う「こねり手」。幸せを掴み、人々に与える意味が込められているとの説があるという。二つ目は、目の前の風を、左右へと押して流すような「押し手」。手の動きを平行に保つのがポイント、と喜納氏。基本の動きを学んだら、中高生の参加者たちは、早速、用意された畳の上で、振付けを一つ一つ習っていく。周りの見学者たちは、椅子の上で手や上半身を動かしながら、それぞれの振付けを真似してみた。一通り学び終えたら、今度は、新垣氏の歌三線の伴奏に合わせて、通して踊ってみることに。最初は見様見真似でどこかぎこちなかった参加者たちも、繰り返して練習するごとにちょっとずつ自信がついた様子。ワークショップの最後には、数名ずつのグループに分かれ、見学者を観客に見立てて、学んだ成果を披露した。

 短い時間ながらも、琉球芸能の魅力が詰まった講座となり、参加者も見学者もますます興味を掻き立てられた様。最後の質疑応答の時間では、見学者のリクエストに応えて、新垣氏が胡弓の演奏を披露する一幕も。講座の終了後には、多くの人が劇場内に残り、ニシキヘビの皮に触れたり、伝統の琉球絣や紅型染の着物を間近に眺めたりして、講師の先生に気になることを質問していた。


 



■講師インタビュー(インタビュアー:小倉由佳子、中谷森)

 ロームシアター京都では、2022年2月11日(金)〜2月12日(土)にかけて、《継承と創造》シリーズとして『宮古・八重山・琉球の芸能』の上演を予定している。このうち〈琉球の芸能〉の回では、今回講師を務めた遠藤美奈氏が監修を担当し、新垣俊道氏が歌三線の一人として出演する。講座の終了後、遠藤氏と新垣氏に、公演に向けたミニインタビューを行った。

──新垣さんは、沖縄のご出身だそうですが、琉球古典音楽に触れられたきっかけは何だったのでしょうか?

新垣:叔父が三線の師匠をやっていて、中学生の頃から習い始めました。その頃、叔父が地元に戻ってきて稽古場を開くことになったのですが、親から「ちょっと遊びにいけ」と(笑)

──親御さんの勧めがあったんですね。

新垣:当時は特に興味もなく、三線をやっている人が周りにいる世代でも無かったんです。いやいやながらというか、断れない性格でもあったんですけど…やっていくうちに面白さを見出すようになり、南風原高校の芸能を専門とするコースに進みました。それから、沖縄県立芸術大学とその大学院に進みましたが、大学院生のときに、国立劇場おきなわが設立されました。これは大きなターニング・ポイントでしたね。国立劇場の開設以前には、組踊の上演機会というのはほとんどありませんでしたから。(新垣氏は、国立劇場おきなわ第一期組踊研修の修了生。)

──今日は、三線と胡弓を演奏していただきましたが、琉球古典音楽を演奏される方は何種類くらいの楽器を演奏されるのでしょうか?

遠藤:地謡と呼ばれる伴奏楽器としては、三線、箏、笛、太鼓、胡弓の5つがあります。
新垣:一応、一通りは演奏できるように授業を受けました。
遠藤:新垣さんは、三線と、胡弓、笛の奏者として舞台に立たれていますよね。

──一番好きな楽器はありますか?

新垣:一番やりがいがあるのは、歌三線ですね。他の楽器は、歌三線をなぞるように演奏していくのですが、やはり歌三線というのは、自分で作っていかなければいけないものなので。

──新垣さんには2月の『宮古・八重山・琉球の芸能』にもご出演いただきます。歌う曲は決まっているのでしょうか?

遠藤:歌う12節はもう決まっています。
新垣:この12節は、今日の講義で話があった冊封使が来琉した際に催された七つの宴のうちの第二宴「冊封宴」で用いられた節で、この12節が一緒に歌われることは、当時以来、今までありませんでした。
遠藤:重要なのは、この時の歌詞です。12節のうち、「冊封宴」の時にしか歌われた記録がない琉歌が半分以上あります。
新垣:琉球古典音楽の特徴として、同じ曲で歌詞を変えて歌うということがあります。この曲の雰囲気にはこの歌詞といったことはだいたい決まっているのですが、今回歌う節に関しては、悲しい曲想を祝儀の歌詞で歌ったりするので、少し新鮮です。沖縄の音楽というと賑やかなイメージがあるかもしれませんが、宮廷の音楽なので、ゆったりとして厳かな雰囲気があります。
遠藤:本来は踊りが付かない場面で用いられる音楽なのですが、今回は、特別に踊りを振り付けて上演する節も用意しました。

──古典の継承者による、継承だけではない創造としての挑戦を含めた公演ですね。本番をとても楽しみにしています。

  • 中谷 森 Mori Nakatani

    津田塾大学学芸学部英語英文学科・専任講師。京都大学博士(人間・環境学)。専門は、シェイクスピア演劇と比較演劇研究。論文に、「福田恆存訳『ハムレット』にみる翻訳を通じた文体創造」、「The Shifting Appreciation of Hamlet in Its Japanese Novelizations: Hideo Kobayashi’s Ophelia’s Will and Its Revisions」など。

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