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#コラム・レポート#機関誌「ASSEMBLY」#2022年度

[ASSEMBLY | ひとり]

ひとりで立つ賑やかな台所——食材と戯れ遊ぶレシピ

文:小桧山聡子
編集:春口滉平
2022.5.1 UP

*本稿は冬のレシピとして2022年1月に執筆されました。
 編集の都合により公開が遅れたことをお詫びいたします。

さて今日は、いまが旬のほうれん草を茹でて食べようと思います。

ではまず、ほうれん草をご用意いただく前に、料理する人間(あなたですね)を準備します。頭のてっぺんから足の先まで、手のひらで触って状態を確かめます。今日の鮮度はどうでしょう? 気分や体調をつぶさに確認しておきます。次に、いま居る場所に窓があれば少し開けて空気を通したり、清潔な布巾で台を一拭きしたりして気持ち良くしておきます。

さて、ほうれん草です。目の前のほうれん草とあなたは、どうやって今日出逢えたのでしょう? このほうれん草が、どのような景色を見て、どれくらいの時間を経てここまでたどり着いたのか、一つひとつ想像してみます。ご用意いただける方は、ほうれん草が育っている現場に行って確認してみる、という下ごしらえをしておいていただくのもおすすめです。

まず、ほうれん草をよく見てみましょう。生まれてはじめて出逢うみたいに見てみます。軸の様子、葉の形、葉脈の勢い、濃いピンクから緑色のグラデーション。自分がほうれん草だったら恥ずかしいくらい、目で撫でるようにしてよく見ます。虫眼鏡があればさらに細部まで見てみるのもいいですね。スケッチして感じてみる、というのもいい方法です。

それではいよいよ、ほうれん草に触れてみます。先ほど目で見た情報から想像力を膨らませて、それに見合った力加減で触れてみます。どうですか? 重さ、温度、ハリ具合、葉の厚みや手触り。撫でてみたり鼻を近づけて匂ってみたり、ありとあらゆる方法で触れてみましょう。まずは相手をよく知る事が大事です。

あまり触っていると、ほうれん草も疲れてきますのでそれくらいにして、流しに大きめのボウルを用意し水を溜め、ほうれん草を放ちます。水を流しながら、優しくザブザブとほうれん草を揺らし、根元に噛んでいる土などを落とします。ボウルの下に土がたまっていきますので水を変えながら行います。

このとき、ほうれん草は久々に水に触れますので、焦らず心地良いくらいの加減で揺らしましょう。特に葉の部分はデリケートですので配慮します。付け根の所に深く挟まった土も軸を開きながら洗い流しさっぱりしていきます。軸の底が汚れていれば包丁で薄く切り落とし、太い立派な束であれば火が通りやすいように包丁で軸部分に軽く十字に切り込みを入れておきます。

冬の水は冷たいですから、人間の手がそろそろ辛くなってきますね。手の骨まで沁みる冷たさでくじけますが、じんじんするのをこらえているとそのうちに麻痺してきます。手の輪郭は消滅し、ほうれん草の緑は生き生き青を増し、葉の輪郭は鋭利さを取り戻し、そのうち手なのかほうれん草なのかわからなくなってきた頃が一番良い頃合いです。はじめから少ししなびていた場合などは、ここでしばらく水に浸けておきましょう。気持ちよくパリッとなるまで。個体によって違いますので、よく感じ合ってみてください。

ここで1本失礼して、生のまま囓ってみましょう。甘さ、土の香、青味、えぐみ、場所によって味が違うかもしれません。生の味を知っていることはその後の指針となりますのでよく記憶しておきます。

次に、ほうれん草が窮屈でないくらいの鍋を用意し水を入れ火にかけて沸かします。それでは、沸騰するまでじっと見ます。水が湯になる様子を声に出して実況中継してみましょう。鍋の底に細かい泡現れ、やがて泡ゆらゆらと表面へ上り、泡だんだん大きくなって、その反動で水面揺れ、音生まれ、グラグラ全体が躍動しながら湯気踊り……。

さあ、お湯が沸いたようです。

グラグラ沸いている状態から、少し火力を弱め、ぽこぽこ気持ち良いくらいの湯加減にします。足からゆっくり湯船に入れていきます。足は芯まで冷えていますから、少し長めに足湯させ、そのあと葉までゆっくりと浸していきます。さて、顔色が高揚してきましたね。良い香りも漂ってきました。ここで息を合わせることが大事です。のぼせる前に湯から引き上げます。温まっていないのにあげてしまってもダメ。顔色をよくうかがい、わからなければ1本、軸のところを囓ってみて口も使って塩梅を確かめてみます。

ざるにあげたら、すぐに冷水に放ちます。急冷することで余熱が入り過ぎるのを防ぎ、色を鮮やかに保つことができ、アクも抜けます。こういう知恵は先人の方々の試行錯誤の賜物ですね。茹でたままのほうれん草と、すぐに水にさらしたほうれん草と食べ比べてみて、自分の目と舌で確認してみるのも良いでしょう。

水風呂に入ってととのいました。これも水に浸けっぱなしは禁物です。気持ち良いところでさっと引き上げ、水気を軽く絞ります。もう息がだいぶ合っていると思いますから加減はわかりますね。

ほら、見てください、この美しい色。葉の緑は深みを増して鮮やかに、軸の薄緑から内側の新芽の黄緑色のグラデーション、足元のピンクの可愛らしさ。緑とピンクを合わせてくるあたり、なかなかにくいなと思いますね。皆さんもいいなと思ったところなどを口に出して褒め称えてみましょう。

茹でたほうれん草をまた1本失礼して味わってみましょう。甘味、食感、生の時とはまた違う味がしますね。さてここで、今日のほうれん草と、今日のあなたの身体との間で、これをどのように食べるのが心地良いか相談です。

ほうれん草の甘みを生かし、塩少々と香りの少ない太白ごま油をほんのり回して軽いナムルのようにして食べるもよし。醤油の旨味と揉み海苔の旨味を掛け合わせしっかり旨味を味わうもよし。味噌汁の具にして温かく食べるもよし。何にどう盛り付けるか、どうやって食べるか(箸で?フォークで?手で?)。似合うしつらえも考えてみましょう。

さていただきましょう!

一口目、どんな味がしますか? 二口目、どうでしょう? 食べ終えて、どうですか? 少したって体に残る余韻はどうですか? 今日のこの味は今日だけのものです。

今日のやり取りの中で得た感覚をぜひ体に記憶してみてください。そしてまた次にほうれん草と出逢った時には、はじめて触れるかのように見つめてみてください。その両方を行ったり来たりすることが楽しく遊ぶコツだと思います。

© Satoko Kobiyama

 

つくって食べるを考える


台所にずらりと食材が並ぶ。みな、それぞれの景色や時間を内包してここへ集まってきた。じゃがいもの時間、味噌の時間、いりこの時間、豚の時間。そのひとつひとつと息を合わせていると、人間はひとりだけれど台所は途端に賑やかになる。

個性豊かな食材、すなわち生きものたちは、土地や季節やその時のコンディションによってつねにゆらいでいて、同じものはひとつとない。人間も体調や感情を携え、天気やそのほかさまざまな関わり合いを察知して、ゆらぎながら料理する。だから正解はひとつではない。

料理とは、食材と戯れ遊ぶようなもの、とも表現できるかもしれない。もてあそぶのではなく、戯れ遊ぶ。自分以外の生命体に触れ、感覚をそちらに合わせるうちに自我がほどけていく。旬のものと触れ合うことで、その季節に染まっていく。そのやりとりがすでに栄養である。そう思うと、人間界以外のものに息を合わせる機会がめっぽう減ってしまった都市生活者にとっては特に、料理して食べることは、人間を含めたもっと大きな営みの中に自分を感じることができる、毎日開かれている貴重な緒(いとぐち)なのかもしれない。しかもそうやって戯れ遊んでいるうちに一皿が出来上がり、それを食べてさらに元気になることができるのだから、料理とは実にすごいことだ。

そんな「食材と戯れ遊ぶこと」にまなざしを合わせ書いたのが今回のレシピだ。目的地の最短ルートを示す地図ではなく、美しいなとか気持ち良いなとか心を動かしながら寄り道をたっぷりし、手探りをするための案内。あらためて、食べるってなんだっけ? 料理するってどういうこと? 美味しさってなんだろう? という大きな問いに目を合わせてみるのはどうだろう。そういう思いで答えのないレシピを書いてみた。

毎日繰り返される生活はせわしなく切実さに溢れているから、どうしたって至近距離に目を合わせる。目的へ早く到達すること、こなすことの術を求める。時短は忙しい現代社会に生まれた切実な工夫なのだ。でも時短のための時短だけを繰り返しているうちに、うっかり大事なものまで省略してしまいかねない。ボタンひとつでピッと解決、便利になってますますつまらなくなり、そしてさらに時短したくなる。繰り返し心を動かさずに扱っていると食材はただのモノになる。

そこで考えたいのは、ひとつのやり方を否定するのではなく、もっと選択肢を多様にし、揉みほぐしていけないかということだ。人はさまざまなかたちの飲食をしながら日々を生きている。どれが素晴らしいという訳ではなく、それぞれのかたちからそれぞれの美味しさや栄養を摂取している。時短もいい。しかしそれだけになってしまっては味気ない。料理に正解はないからこそもっと自由なやり方で、選択肢=窓を開くことができないかを考えたい。たとえ毎日開かなくとも、窓はたくさん持っていた方が心の風通しがいい。

書店に並んでいるさまざまな料理家のレシピを縦横無尽に、自由に読んでみるのも面白い。正解を求めて読むのではなく、その人が何を感じ料理しているのかに注目し読んでみると、既存のレシピもそれぞれが多様な窓になる。レシピとは本来とても豊かな読み物だ。作者の試行錯誤の時間が惜しげなく要約された知恵の集積であり、長きにわたり語り継がれた歴史の賜物である。物流や台所環境も違うためその時代の空気も如実に現れる。何を選び何を省略したのか、何を感じているのか。作者の身体性がにじみ出るから、書かれた手順どおりなぞってみると、作者の視線を追体験できる面白さがある。そういう意味ではレシピを読むことは沢山の他者との対話でもある。今回書いたレシピも、毎日実践できるものではないかもしれないが、窓のひとつになれたら嬉しい。

いままでは食材が手元に届いてから食べるまでのことを料理と呼んでいたのが、コロナ禍になってからご縁があり畑をはじめて、土をつくるやり取りからが料理になった。命をいただくという一方向的な感覚より、もっと混ざりあっている感覚にもなった。そうやって目を向けてみると、屠殺しスライスされた肉や、刈りとり精米された米を買っている時点で、もうすでにあらゆるものが充分時短され生活していたのだとあらためて実感させられる。

そんな、ぶつ切りになっている食の営みの、大きな循環を想像するきっかけになるようなレシピがつくれないものか? といま考えている。料理をきっかけに繋がっていく多様な関係性の広がりを、調理工程から脱線しながら、時短ではなく余談たっぷりに記していくレシピ。

私が「ひとり」でそこに立っていたとして、それは本当に「ひとり」だろうか? まなざしを広げたり至近距離に合わせたりしながら考えたい。

大きな循環の中で、料理して食べる時間はほんのわずかなひと時にすぎない。しかしそのわずかなひと時から、人間の想像力や生きる糧が大きく開かれる可能性をとてもとても感じるのだ。

  • ひとりで立つ賑やかな台所——食材と戯れ遊ぶレシピ
    小桧山聡子 Satoko Kobiyama

    山フーズ主宰。1980年東京生まれ。多摩美術大学卒業。「食とそのまわり」にある、もの・こと・感覚などをすくい上げ、考察・研究・創作・提案し、さまざまなかたちで身体に届けることを生業としている。ケータリング、食を用いた広告撮影、イベント企画、ワークショップ、商品開発、執筆、講師など多岐にわたって活動。

    yamafoods.jp

  • 春口滉平(山をおりる)
    春口滉平(山をおりる) Kouhei Haruguchi

    1991年生まれ。編集者。エディトリアル・コレクティヴ「山をおりる」メンバー。建築、都市、デザインを中心に、企画、執筆、リサーチなど編集を軸にした活動を脱領域的に展開している。2019年よりロームシアター京都の機関誌『ASSEMBLY』の編集を担当。

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