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#コラム・レポート#機関誌「ASSEMBLY」#2022年度

[ASSEMBLY | 知らない]能條桃子インタビュー

風通しのよい社会を、私たちの手でつくる

聞き手・構成:春口滉平
2022.9.1 UP

『ASSEMBLY』は、ロームシアター京都のオウンドメディア『Spin-Off』内に設けている、新しい「劇場文化」をつくるための機関誌(WEBマガジン)です。劇場内外の多角的な視点を提供し、継続した議論を実現するために、2年間継続して3つの主題をかかげ、主題に基づく記事を公開します。

2021−22年度の『ASSEMBLY』は、「ひとり」「ふつう」「知らない」の3つを主題とし、劇場や舞台芸術作品に直接的な関わりのある課題だけでない、さまざまな観点をお届けすることで、あたらしい表現と創造への寄与を目指します。

 

私たちにとって、社会は「知らない」ことにあふれている。あらゆる人びとにとって未来は予期できない未知のものごとであるはずで、そうであるなら、私たちの未来は誰もに開かれ、実践され、表現される社会であるべきだ。では、そのような社会は、どのようにかたちづくられるのだろう。一般社団法人NO YOUTH NO JAPANの代表理事を務め、若者の政治参加を呼びかけつつ、ジェンダーや気候変動などさまざまなテーマを取り上げ参加型社会を目指す能條桃子氏に、いまだ知らない未来をつくる方法を訊いた。

能條桃子

小さな声もちゃんと届いているか?


——NO YOUTH NO JAPANの活動をはじめるまでの経緯について聞かせてください。

当時、私はデンマークに留学をしていたのですが、現地では若い世代の投票率が8割を超えていて、日常生活のなかで当たり前のように政治や選挙の話をしているんです。そうした日常を目の当たりにして、日本もそういうふうになったらいいなと思ったのが、最初の単純な動機です。

——「日本もそういうふうに」と思う背景として、当時の日本社会についてどのように感じていたのですか?

日本って生きやすいのだろうか、日本はこのままで大丈夫なんだろうか、というような疑問をつねにもっていたように思います。学生時代から、自分たちのまわりにも格差を感じるし、メンタル的にしんどくなってしまう人もいた。経済成長もしないって言われているし、子育てしたいとも思えない。そんなことをいろいろと思ったときに、そうした状況を生んでいる制度そのものをつくっているところで、自分たちの声や考えが大事にされていないのではないか、という思いに至ったんです。だからこそ、私たちの世代がより政治参加しやすい環境を整える必要があると。

——なんとなく日本にいると生きづらい、というような感覚をご自身が感じられていたのですね。そうしたなか、2019年の7月にNO YOUTH NO JAPANを立ち上げられたわけですが、当時のことを振り返りつつ、具体的な活動内容について聞かせてください。

立ち上げ当時は、団体ではなく、ひとつのキャンペーンという位置づけで、「NO YOUTH NO JAPAN 参院選 2019」という名前のInstagramアカウントをつくって、選挙の情報をわかりやすく伝えるという活動でした(当時のTwitterのアーカイブ)。選挙まで2週間しかなかったのですが、その間に1万5000人くらいの人がフォローしてくれて、日本にも政治に関心のある人は一定数いるんだなと実感したんです。

2019年当時にNO YOUTH NO JAPANのInstagramで投稿された、U30世代が投票しないとダメな理由

私のまわりの人たちの投票率もめちゃくちゃ上がっていて、よし、これは日本全体の投票率も上がるぞって思ったのですが、むしろ下がってしまって[*1]。

——そんなに簡単にはいかないと。

SNSのキャンペーンで届く範囲には限界があるので、日常から政治について考えていくことが重要なんだと再認識しました。デンマークではなんで若い世代も投票に行くんだろうと考えると、そもそも投票に行かないという選択肢をもちづらいというか、まわりにいる親も先生も友だちも当たり前のように投票に行って、政治についてふだんから話をしているんですよね。そうしたことからも、1回のキャンペーンで終わるのではなく、継続的につづていく必要性を感じて、NO YOUTH NO JAPANを団体として立ち上げたんです。

——団体としてNO YOUTH NO JAPANを立ち上げて以降は、どのような活動をしているのですか?

Instagramでの発信は継続しながら、地方選挙の投票率を上げるイベントを開催したり、本を出版したりしています。これからはチーム体制を整備して、シンクタンクの立ち上げを準備しています。自分たちがほしい政治や政策がどういうものなのかを考えるためのシンクタンクです。加えて、若い人の投票率を上げるためにメディア活動をしてきましたが、投票制度や選挙制度の制度設計から変わっていかなければいけないという思いから、アドボカシー活動[*2]として政策提言していくような動きをしていきたいと思っています。

NO YOUTH NO JAPAN 編著『YOUTHQUAKE U30世代がつくる政治と社会の教科書』(2021、よはく舎)

——シンクタンクやアドボカシーのような活動は、これまでの活動を振り返ったときの反省のようなものが反映されているのですか?

これまでは基本的に啓発的なアプローチが多かったのですが、それでは最初のキャンペーンと同じように届く範囲に限界があります。そのうえで、政治家たちに私たちの声が届いていないというか、伝わらないことも多いなという印象をもったんです。若い世代の声を政治家に届けるためには、統計データのようなしっかりとしたベースを準備しないといけない。

——当初は若い世代に向けた発信だったのが、その発信は継続させながら、実際に政治を運営する政治家に向けた発信にすこしずつシフトしようとしているのですね。

NO YOUTH NO JAPANの立ち上げ当初は21歳の大学生で、私自身が若者であるという当事者意識がありました。それから3年が経って気づいたのは、私は社会的にも経済的にも比較的恵まれた立場にいるんだ、ということ。同じ若者と言っても、ぜんぜん状況がちがうわけですよね。「私たちが」と言うとき、そこに含まれていると感じられない人がいたかもしれないという反省がありました。いまの社会ではスポットライトがなかなか当たらない人たちがいま何を考えていて、どんな政策があれば生きやすいと感じられるのか、政治に希望や信頼をもつことができるのか。そこまで考えるために、自分たちが思っていることを言うだけではなく、他人の声を聞いて、その人と社会のあいだに立つ存在になりたいと思うようになったんです。自分が若者じゃなくなっても、これから10年20年先の若者の声が社会に届く仕組みを残したい、という視点にすこしずつ変化していますね。

——能條さん自身が恵まれた立場にいることに気づいたというお話がとても印象的です。そのことに気づいたきっかけはあったのですか?

言えば届く、って知ったからですかね。3年やってみてわかったのですが、届くまでのスピードはまちまちですが、伝えたいことに筋がとおってさえいれば、いったんは意思決定層にまで届いて、議論の俎上に乗せることができるんです。であれば、どうやって届けるかということ以上に、どんな人のどんな声を届けるか、ということが重要に思えて、関心が移っていきました。

——ただ発信するだけでなく、どんな人の声をどこに届けるか、までがセットになっているんですね。

最初はそこまで具体像が見えていなかったんですよね。多くの若者が声を上げるようになったら変わる、というようなざっくりとしたイメージがあって、それはいまも変わっていませんが、実際に声を上げる若者が増えた状況で、その声は本当に聞かれているのか、というところにも課題があるように思えたんです。そうしたなかで、これまでの啓発が中心になった方法以外の活動にも、小さな声がちゃんと届いているかという検証にも取り組みたいと思っています。

一人ひとりが生きやすい社会をつくるため


——そもそも「政治参加」ってどういうことなんですか?

NO YOUTH NO JAPANでは広くとらえていて、政治や社会について知って、意見をもって行動することを政治参加と呼んでいます。だから、投票することだけではなく、友だちと話すことから政治参加はじまっているし、自分の考えを発信することもそうだし、パブリックコメントを書くとかもそう。手法としてはたくさんあります。では政治参加がなぜ重要なのかと考えると、最終的には「一人ひとりが生きやすい社会をつくるため」だと思うんです。そもそも問題がまったくない社会なんてありえない。だから、問題がちゃんと解決する道筋にいま立っているんだという希望がもてるかどうかが大事になります。いまの日本は、なんとなく現状維持がいい、これ以上悪くはならないでほしい、でも自分の手は動かしたくない、みたいな風潮があるような気がしますが、私はそれがとても恐く感じるんです。

——だから多くの人の政治参加が望まれるわけですね。

でも、政治参加するとこういうメリットがありますよ、みたいなことって、短いスパンのなかではあんまりないんですよね、正直に言うと。ただ、「一人ひとりが生きやすい社会をつくるため」には、いろんな人の視点が必要になります。政治家も研究者も、具体的な実態までわかっているかというと、そうとは限らないから、実際になにかを感じているその人自身の声が届かないといけない。そもそも、みんなが同じになることなんてできないんだから、一人ひとりが生きやすい社会を考えるなら、どこかで妥協を見いだすしかないと思うんです。でもいまは、その妥協を決めるときには声の大きい人たちの声しか聞かれていない。お金をたくさんもっていて、地位や名誉のある人たちの声が特権的に届く状態になっていて、それはとても不均衡だと思います。そうした現状を維持していていいわけがない。

——政治参加をするためには、政治について詳しく知っている必要はないけれど、一人ひとりが生きやすい社会をつくるためには、なにも知らないではいられない、ということなんですかね。

そうですね。でも、そのときの「知る」は、知識のことだけじゃないと思うんです。いわゆる教科書的なインプットだけが「知る」なのではなくて、その人の立場だったり、まわりの人の状況だったりで、感じることはあるはず。だから、なにも知らない人なんていないと私は思います。だからといって、なにも考えずにありのままでいいのかと言えばそうではない。なぜなら、自分だけが生きているわけではないから。まず自分のことを知ることからはじまって、他人の視点も知って、そこから社会について考えることが大事なんだと思います。

——トランプ政権時のアメリカや、Brexitが盛んに議論されていたころのイギリスなどを見ていると、多くの人が政治参加することの重要性と同時に、自分のことだけを考えて政治参加することの危うさも感じます。「実際になにかを感じているその人自身の声が届かないといけない」とさきほどおっしゃいましたが、自分の価値観や経験を元にして社会を考えることと、他人のことを考えて一人ひとりが生きやすい社会を目指すことが、必ずしも両立しないこともありうる。さきほどの妥協を見いだすというお話にもつながると思いますが、自分にとって100%幸せじゃないかもしれない社会をつくるために政治参加をすることって、とてもむずかしいことのように思えてしまいます。

社会的な資本って教育や医療や文化のようにいろいろあって、それをみんなで共有しながら社会は運営されているわけですよね。だから生きやすさや幸せって、必ずしもすべてが個人に直接還元されるものではないと思うんです。だから、100%自分の思い通りにはならないなかで、私たちそれぞれの利益ができるだけ最大化される状況をつくらなければいけない、というように考えています。そのときの「私たち」に含まれるのは、日本人だけでいいわけないし、人間だけでもない。いま生きている人たちだけでもないはずだから、将来世代についても考えなきゃいけない。時間軸的にも場所的にも、どこまでを「私たち」とするかを考える必要があると思っています。

——逆に言えば、とても広い視野に立ったときの「私」をどうすればイメージできるか、ということでもありそうです。

そう、だから、みんなが同質になる必要はないんです。他人のことを考えて、あなたは我慢しなさい、というのとは違うと思う。他人がいることによって自分の行動が変わることは、社会のなかで必要だと思うけど、そこに強制力はないほうが生きやすい。そうした有機的な社会をつくるための政治参加、ととらえてみるのはどうでしょうか。

——すごくとらえやすくなった気がします。では、私たちが政治参加することが重要である一方で、政治自体にはどういった役割が求められるのでしょうか?

いまの日本社会では、どこで生まれたとか、どんな家庭環境だったかで、その人の人生の幅がある程度決まってしまうような状況が起きていて、個人の幸福にとっても問題だけど、社会としても基盤が弱まっている感覚がありますよね。なんで日本がこうなったんだろうと考えると、経済成長だけを価値基準にして政治をしてきたからじゃないかと思うんです。政治や政府の役割には、外交だったり財政だったり法律をつくったりいろいろありますが、なぜそれをやるかとか、うまくいっているかをどう測るかという基準が、経済成長にしか置かれていない。人口がどんどん増えていく時代はそれでよかったのかもしれないけれど、まったく違う状況に置かれているいまになっても、同じ価値観のまま進んでしまっているように感じますね。

“ひとりで考えているだけだと、
たぶんそれは政治参加じゃない”

——経済成長だけではない価値観を、どうやったらいろんな人と共有できるかを考える必要があるのですね。

その方法はたぶん、ひとつじゃないような気もするんですよ。でもいくつか構成要素はあると思っていて、それをつくっていかなきゃいけないという問題意識をもっています。投票率もその要素のひとつで、価値観を示すベースになると考えているので、上げていきたいなと思っているんです。

政治を任せていられない


——価値観を共有するためには、他者への想像力を働かせる必要がありますよね。一人ひとりが生きやすい社会をつくるためには、マイノリティと呼ばれる人たちのことを知る必要があると思いますが、ふだん暮らしていると、苦しい思いをしている人たちに気がつかなかったり、自分自身がマイノリティの立場に置かれていることにも気づかなかったりする。どうやったら他者に気づくことができるのでしょうか?

自分以外の価値観に気づくには、同じような境遇の人たちのコミュニティの外側でいろんな立場の人たちに出会うような、そうした偶発性に出会う機会が重要だと思います。もうひとつ、他者への想像力を働かせるには、自分自身がマイノリティになる経験が大事だと思っています。その経験があれば、仮にマイノリティの立場に立ったときに、こういう人もいるかもしれないと考えられる。知らないことに気づくためには、偶発性に出会う機会と、マイノリティの経験、その両方が必要だと思います。

——自分自身がマイノリティになるって、なろうと思ってなれるわけじゃないから、気づいていないだけで自分も抑圧されているんだ、ということに気づく必要があるということですよね。どうやったらそうした自分の状況に気づくことができるんでしょう?

むずかしいですけど、居心地が悪く感じる環境に身を置いてみる、とかですかね。たとえば先日、耳の聴こえない方たちと関わる機会があったのですが、みなさん手話をベースに会話されていて、それについていけないと、つまらなく感じるんです。笑うタイミングがわからないと、居心地が悪くなったりする。これって立場を逆に置き換えてみれば、そのまま耳の聴こえない方たちが日常的に感じている居心地の悪さなんですよね。そうした経験をしたことは、私にとってとても重要でした。

“「私たちが」と言うとき、そこに含まれていると感じられない人がいたかもしれないという反省がありました”

——今回冒頭でお話いただいた、能條さん自身が恵まれた立場にいることに気づいたというお話は、そうした立場の置き換えができたからこそ感じられたことだと思いました。自分が優位な立場にいるとあらためて認識することも、自分がマイノリティになるということにつながっているように感じます。

そう思いますね。もうひとつ、他者に気づけないシチュエーションのべつの例としてよくあるのが、マイノリティに対して「対応するもの」「認めるもの」と捉えている人。そう思っているあいだは、きっといつでも強者の立場のままだし、自分がマイノリティになるなんてできない。認めるとか許容されるより前に、そもそも存在するだという認識が必要なはずです。

——ぼくもそう思ってしまっているところがあるかもしれません。

合理的な配慮は必要だと思いますよ。段差をなくす、みたいな配慮は、自分にとっても、よりよい社会につながっているはず。そうやって気づいていきたいですね。

——いまのお話もそうですが、能條さんは政治にとても切実に取り組まれているように感じます。投票率が低いとか、マイノリティに気づけないみたいなことって、政治や社会を切実に考えられていないことに起因するようにも思いました。

社会にはいろんな課題があって、自分にはたくさんの可能性があるなかで、みんななにかを選択しているわけですよね。その方向性は人それぞれですが、私の場合は、すこしでもよい社会を残すために行動したいという思いが根底にあったのだと思います。そのなかでたまたま出会ったのが政治参加だったんですよね。ほかにも課題意識はありましたが、ほかの人がやってくれそうなことは任せればいいと思う。政治参加については任せておけないというか、私が取り組むことですこしでも変わるならそうしたいと思ったんです。

——政治って私たちも関係しているものなんだって思えると、任せていいかとは思わないはずですよね。政治における切実さは、そうした考え方から生まれるように思いました。

実際に政治家と話をすると、実際に私たちのまわりで起きていることをぜんぜん理解していないことが多いんです。「最近の子は元気がないから結婚しないんだ」とか言っちゃったり。そう思うと、やっぱり任せていられないですよね。

自分と社会に期待して共有する


——NO YOUTH NO JAPANが思い描いているこれからの社会像ってどういうものなのですか?

大きく2つあります。ひとつは、政治における世代間格差のない社会。NO YOUTH NO JAPANでは、U30として世代を区切って活動していますが、U30って有権者人口の1割くらいしかいません。一種のマイノリティとしての状況があります。これからこの社会のなかでいちばん長く生きるであろう世代ですが、政策対象としてあまり認識されなかったり、社会保障の負担なども含めて上の世代から負の部分を押し付けられているところもあると思うんです。そうした世代間の格差がない社会を目指したい。

もうひとつは、風通しのよい社会。若者の声がとおる社会は、ほかのマイノリティの声もちゃんと届く社会にもつながっていると思うんです。若者が政治においてマイノリティとして扱われることは、単に人口が少ないという理由だけじゃなくて、社会経験の少ない未熟な存在だと思われているというか、政治は頭のいい一部のエリートに任せておけばいい、というような発想から生まれているのではないか。それはたぶん、政治家だけじゃなく、私たち有権者側にもそうした意識があるから、投票率が上がらなかったりする。でも、みんなそれぞれ異なる経験をしているんだから、その人だからこそわかる視点があるはずで、それぞれの視点を持ち寄ることから民主主義がはじまるんだと思うんです。だからこそ、若者に限らず、いろんな人の声がちゃんと聞こえる状況をつくりたいですね。

“時間軸的にも場所的にも、どこまでを「私たち」とするかを考える必要がある”

——選挙へのアクセスをよくするような活動も、声がどれだけ小さくてもちゃんと伝わる社会につながっているんですね。投票率を上げるための取り組みも、その声を政治家に確実に届けるための取り組みも、その重要性をあらためて理解できました。では最後の質問です。NO YOUTH NO JAPANが思い描いている、風通しのよい社会、小さな声もちゃんと届くような社会は、いま実現していない未来の社会だからこそ、実際にどんな社会なのかは、まだ誰もわからないですよね。そうした、いまだ知らない未来は、どうしたらつくることができるのでしょうか?

やっぱりイメージすることからしかはじまらないんじゃないですかね。イメージするためには、自分の発言や行動によってなにかが変わるはずだというように自分に期待することと同時に、そうした言動をほかの誰かが受け取ってくれるはずだという社会への期待や信頼も必要なんだと思います。ひとりで考えているだけだと、たぶんそれは政治参加じゃない。考えやイメージを社会に共有して、その反応がちゃんとあるんだと信じられるかどうか。それは政治だけじゃなくて、芸術作品や表現全般に共通していると思っています。

——イメージして、広く社会に共有して、そこに反応があって、表現になる。そうした自分以外の人や社会への信頼を持ちやすい社会にするための活動に、能條さんは取り組まれているんだなとあらためて感じました。今日はありがとうございました。

編注

*1 参院選2019の投票率は48.80%となり、前回の54.70%から5.9ポイント下回り、国政選挙として過去2番目に低くなった。総務省|国政選挙における投票率の推移(最終閲覧:2022年7月28日)
直近の参院選2022の投票率は52.05%となっている。参議院選挙:投票率52・05%で確定、前回選を3・25ポイント上回る…16年以来の50%台 : 読売新聞オンライン(最終閲覧:2022年7月28日)
なお、参院選2019の年代別投票率では、20歳代の30.96%がもっとも低い。参議院選挙の投票率|NHK(最終閲覧:2022年7月28日)

*2 アドボカシー|政治、経済、社会などの制度決定に影響を与えることを目的とした、個人やグループによる活動や運動。メディアでのキャンペーンや調査の実施・発表、ロビー活動などが含まれる。

  • 風通しのよい社会を、私たちの手でつくる
    能條桃子 Momoko Nojo

    1998年、和歌山県生まれ神奈川県平塚市育ち。豊島岡女子学園高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。2019年投票率80%を超えるデンマーク留学をきっかけに若者の政治参加を促進するNO YOUTH NO JAPANを設立、一般社団法人化し、代表を務める。慶應義塾大学院経済学研究科修士2年。

  • 春口滉平(山をおりる)
    春口滉平(山をおりる) Kouhei Haruguchi

    1991年生まれ。編集者。エディトリアル・コレクティヴ「山をおりる」メンバー。建築、都市、デザインを中心に、企画、執筆、リサーチなど編集を軸にした活動を脱領域的に展開している。2019年よりロームシアター京都の機関誌『ASSEMBLY』の編集を担当。

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