京都・パリ友情盟約締結60周年、日仏友好160周年、そしてドビュッシー没後100年を記念して開催されるスペシャル・シリーズ『光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー』。多彩な出演者・プログラムと共に全3回、ドビュッシーにまつわるコンサートをお送りする。
いよいよ、第1回「ドビュッシーの“ド”から“シ”まで」の開催まであと数週間と迫ったいま、あらためて今年4月23日に開催した記者発表について回顧してみたい。アンサンブルホールムラタのホワイエで行われたこの記者発表には、実に多くの方々にご来場いただき、その後ドビュッシー・シリーズに関するたくさんの記事を書いていただいた。それらの記事を目にするたび『よいコンサートにしなければ』と発奮し、同時に感謝の気持ちでいっぱいになった。この場を借りてお礼を申し上げたい。
さて、あの日登壇したのは第1回でナビゲーターを務める音楽学者の岡田暁生氏、第2回のナビゲーターで音楽学者の椎名亮輔氏、そして同じく第2回に出演するフルート奏者の大嶋義実氏である。そして第3回出演者であるピアニストのパスカル・ロジェ氏に至っては、ビデオレターという形で記者発表に参加していただいた。彼らは自身の言葉でドビュッシーについて語り、各回のコンサートに関する聞きどころや見どころなどを紹介してくれた。もうずいぶんと長いあいだ、ドビュッシー・シリーズに関する広報を様々な形で手がけてきたが、ドビュッシー・シリーズのスタート直前に、あらためて出演者による記者発表でのコメントを皆様にお届けしたい。
(京都コンサートホール 高野裕子)
第1回ナビゲーター:岡田暁生氏
こんにちは、第1回のナビゲーターを務める岡田暁生です。
私は「初級編」のナビゲーターを担当しますが、信念として「初級編」だから内容を水増ししたり、易しくしたり、そういうことをしては絶対にダメだと常々思っているんです。初心者ほど、一番大事なもの・一番コアなものを見せてあげないとダメ。そうでなければ、彼らのハートはキャッチ出来ないと思っています。だから、今回の演奏会では妥協のない選曲・演奏者の起用を心がけました。
このお話を京都コンサートホールから頂いた時、「演奏者が中川俊郎さんと小坂圭太さんなら引き受ける」と言ってしまいました。自分の専門がドイツ音楽なので、実をいうとフランス音楽は苦手なところもあるんですよね。でもこの2人と一緒にやるのであれば内容を拡大することが出来るし、間違いないと思ったのです。
まずピアニストの小坂圭太さんは30年以上の付き合いになります。面白い話なのですが、彼は私の結婚パーティーの時にバルトークのピアノ・ソナタを弾いてくれました。私としては、本当はドビュッシーの《喜びの島》を弾いてほしかったのですが、小坂さんが「結婚式の時にあんな不埒な曲(※リレーコラム『Voyages』Vol.1「楽譜に書かれていないもの」参照)は演奏出来ない」と断ってきたというエピソードがあります。彼は非常に素晴らしいピアニストです。
もうひとりの出演者である中川俊郎さんは小坂さんの親友でもあるのですが、彼の本業は作曲家なんです。鬼才作曲家であると同時に、実はCM音楽の分野で活躍している作曲家でもあります。彼の曲は誰もが一度は耳にしているはずです。サントリーとか資生堂とか鹿島建設とか、色々なCM音楽を書いているんですよ。
しかし彼は、知る人ぞ知るピアノの名手中の名手でもあります。本業が作曲家なので、定期的にリサイタルをやっているわけではないですが、彼のピアノの腕前はとにかくすごい。本職のピアニストから「あんなにピアノのうまい人に『作曲家』と名乗られては、本業のピアニストが困ってしまう」と苦情が出るくらいピアノがうまい人なんです。
小坂さんから「このあいだ中川さんの自宅に遊びに行ったら、ドビュッシーのエチュードを初見で弾いてくれたんだけど、信じがたいうまさだった」と聞いています。彼らと演奏会をするのは本当に楽しみです。
第2回ナビゲーター:椎名亮輔氏
みなさんこんにちは、第2回でナビゲーターを務める椎名亮輔です。第2回は「中級編」ということで「サロン」と「ベル・エポック」、「サロン文化とドビュッシー」について取り上げます。
サロン文化というと、ちゃらちゃらしたような、「たいした事のない通常的な」というイメージを日本では持たれているところがあります。しかし、そうでは全くないんです。
そこで生まれた芸術や音楽というものは、当時はむしろ逆のものでした。つまり、高度な音楽教育を受けるだけではなく、絵画など他の教育も受けたエリートたちが数多く存在し、そういう人たちがサロンに出入りしていました。前衛的な作曲家、たとえばドビュッシーやフォーレ、ラヴェルたちもそういうところで活躍していたんです。当時、一番有名な「サロン」は、ポリニャック公夫人 (1865-1943) という女性が取り仕切るものでした。彼女の母親がフランス人だったことから、アメリカ人の父親が亡くなった後はパリでサロンを開きました。「サロン」は新作を初演する「試演会」みたいなところでした。つまり「サロン」で披露されて、認められてデビューする、というような形だったんですね。これまでこういった部分はあまり見えてこなかったんですけど、最近の研究でやっと分かってきました。
今回の公演で演奏される作品については、いずれも「サロン」で演奏されていたような作品です。例えば最初に演奏される、フォーレの《ヴェネツィアの5つの歌》は、まさにポリニャック公夫人が(彼女が結婚する前の話ですけど)フォーレをヴェネツィアに連れていったことで生まれた作品です。これって、まさに「メセナ」(芸術文化支援のこと)ですよね。
ドビュッシーに関して言うと、メセナとの関係・サロン文化との関係は非常に重要であると言えます。彼がサロン文化にはじめて触れたのは、1884年にローマ大賞を獲ってその後パリに戻ってきたタイミングです。ドビュッシーとサロン文化について語る時、特にエルネスト・ショーソン (1855-1899) との関係が重要であると言えます。ショーソンの曲は今回演奏されませんが、彼はサロンの中で、そしてメセナとの関係の中で作品を創り上げていった作曲家でした。
こういうふうに、当時の作曲家や作品は、ベル・エポックのサロン文化の中で花開いたと言えます。コンサートでは、そういう文化的背景にも触れていきたいと思います。
第2回フルート奏者:大嶋義実氏
第2回にフルート奏者として出演する大嶋義実です。第2回の聞き所で重要なところはいますべて椎名先生がお話くださったので、僕は違う視点から第2回についてお話したいと思います。
第2回公演における一番の聞き所は、ずばりハープの福井麻衣さんとヴィオラの細川泉さんであると言えます。この2人を聴きに来るだけでも価値があります。もちろん、サロメ・アレールさん、永野英樹さん、石川静さん、わたしといったベテランの演奏を聴くのも聞き所だと言えると思いますが、今回はなによりもまず、ハープとヴィオラを聞いて頂きたいです。
去年の夏くらいに、京都コンサートホールの事業企画課からこのお話を頂いた時、「ドビュッシーの《フルートとヴィオラ、ハープのためのソナタ》をやりたいんだけど誰に頼めば良いか?」という話になりました。実は、京都コンサートホール側は「ヴィオラ」・「ハープ」と言えば日本では「この人」というような、大御所起用を考えていました。しかし、ホールと僕との間で色々と議論を重ねていくうちに「京都コンサートホールでしか聴くことの出来ない企画をやるべきだ」という話になった。そう考えた時に「京都市立芸術大学を5,6年前に卒業したあとジュネーブで研鑽を積み、日本に帰国したばかりの細川泉さんというヴィオラ奏者はどうでしょう?」という意見を出してみました。一方、ハープの福井麻衣さんも当時パリから帰国したばかりで、今後の活動を模索しているところでした。そこで、この2人に声をかけたところ「喜んでやる」と言ってくれました。
ところが、しばらく経ったところで、細川泉さんは九州交響楽団の首席ヴィオラ奏者に決定し、福井麻衣さんは東京藝術大学のハープ講師に決まりました。もし、もう少し遅いタイミングでおふたりにオファーしていたら、「忙しい」という理由で今回のタッグは組めなかったかもしれませんよね。
いま一番旬のヴィオラとハープを聴くことができるというのは、日本全国でも京都コンサートホールだけです。ですから、ぜひ皆さんにもこのおふたりの演奏を聴いていただきたいと思います。
第3回ピアニスト:パスカル・ロジェ氏
こんにちは!フランス人ピアニストのパスカル・ロジェです。今日はドビュッシーについて、お話したいと思います。
フランスでは、クロード・ドビュッシーのことをよく「フランスのクロード」と呼びます。おそらくこれは、フランスで最も偉大な作曲家であるからだと思います。我々はフランス音楽には詩情や想像力、夢や色があると言いますが、ドビュッシーは新しさや創造性といったものをフランス音楽に持ち込んだ人物です。
みなさんご存知だとは思いますが、私の最も好きな作曲家はドビュッシーです。
初めてドビュッシーを演奏した9歳以降、ずっと彼の作品を演奏し、尊敬し、愛してきました。私は何度もドビュッシーの前奏曲集1,2巻を演奏していますが、それらを弾いているとドビュッシーの世界を散歩しているような気持ちになります。
ドビュッシーは、イマジネーション――例えば、自然や色彩、太陽や雲――そういったもの全てを音に変える能力を持っていましたし、また我々に新たな気づきや想像力をも与えてくれます。今回、京都で前奏曲集2巻を演奏しますが、私にとっては特別なプログラムです。京都でこのプログラムで演奏会をさせていただくことに喜びを感じます。
興味深いことに、ドビュッシーは各プレリュードの始まりではなく終わりに、それぞれタイトルをつけています。これには理由がちゃんとあるのです。ドビュッシーは彼の音楽を標題音楽にしたくなかったし、自分のイマジネーションを他人に強要したくなかったのです。ドビュッシーの音楽は自由です。弾き手や聞き手のインスピレーションを引き出さなければいけません。たとえば«Voile»という曲がありますが、これは2つの意味があります(「ヴェール」と「帆」)。ドビュッシーがこのプレリュードを書いた時、彼の頭の中に何があったか、誰も知りません。だから我々は、彼のプレリュードを聴く時も弾く時も、新たに予想外の何か・個人的な何かを作りあげるために、自分自身のイマジネーションを使うのです。私が演奏する時も、どうか聴衆の方々にはドビュッシー自身のイマジネーションから生まれた自然を想像して、感じて、そして時には見て頂きたいと思います。これらはドビュッシーに強制されるものでもありませんし、ましてや私に強制されるものでもありません。
たくさんの人々がこのコンサートに来てくださいますように!
魅惑的で素晴らしいドビュッシーの音楽を皆さんと共有できることを幸せに思います。
2018年4月23日(月)「光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー」記者発表
(京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ ホワイエ)