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VOYAGES 京都・パリ友情盟約締結60周年/日仏友好160周年 リレーコラム Vol.4

舞台芸術と「向こう側」 2018年のアヴィニョン演劇祭から

藤井慎太郎(早稲田大学)
2018.9.20 UP

春から夏にかけて、ヨーロッパでは数多くのフェスティヴァルが開催される。この4月から1年間パリに研究滞在している私だが、日本で働いている限りはかなわぬ夢を果たすべく、クンステンフェスティヴァルデザール[ⅰ] (Kunstenfestivaldesarts)、ファスト・フォワード・フェスティヴァル[ⅱ](Fast Forward Festival)、ウィーン芸術週間 [ⅲ](Wiener Festwochen、京都でも上演されるジゼル・ヴィエンヌ(Gisèle Vienne)の傑作『CROWD』をここで見ることができた)、フェスティヴァル・ドゥ・マルセイユ [ⅳ](Festival de Marseille)といった舞台芸術祭を駆け足ながら回ってきた。フェスティヴァルのプログラムは世界的に平準化されて似通ってきているといわれるが、それぞれに作品数・観客数・予算の規模も異なれば、ターゲットとする観客層、プログラムの傾向も決して同じではあり得ず、比べてみるとなかなかに興味深い。

そうした世界に数ある演劇祭のなかでもアヴィニョン演劇祭(Festival d’Avignon)はやはり別格の存在である。アヴィニョン演劇祭(「イン」)は1947年に演出家ジャン・ヴィラール(Jean Vilar)によって創設され、作品数は47本(のべ公演数224回)、予算は1300万€(約17億円、規模に比べると少ないと言われる)を超え、総座席数11万2775席の96%にあたる10万8437枚のチケットが実際に販売されたという(いずれも主催者発表による2018年実績)。私自身、12日間で35本ほどの作品を見ることができたように、短期間で効率よく多数の作品を見られ、関係者とも容易に会えることもあって、3500人ほどのプロフェッショナル、500人ほどの批評家・ジャーナリストが国内外から集まり、各種団体が開催するプロフェッショナル向けのセミナー、ラウンドテーブル、ミーティングが公演(そして商談)と並行して連日多数催されている。のみならず、自由参加のフリンジ(「オフ」)の参加作品は1500(!)を超え、南仏の容赦ない強い日差しが照りつける7月、アヴィニョンの人口(10万人)は6倍、あるいはそれ以上に膨れ上がるといわれる。普段の素顔を想像することもできないほどに、7月のアヴィニョンは演劇都市に「劇的」に変身するのだ。また、14世紀にローマ教皇庁がアヴィニョンに移されていた歴史(「教皇のバビロン捕囚」、1309〜1377年)を背景に、教皇庁の栄誉の中庭を筆頭として、旧修道院の回廊などの歴史の重みを感じさせる劇場ならざる空間において、現代の作品の上演に立ち会うことができるのもアヴィニョンならではの経験であろう。

さて、2018年7月6日から24日まで開催された今年のアヴィニョン演劇祭は、”genre”をテーマに掲げていた。フランス語の”genre”には「共通の特徴を示すものの集合」という原義から出発して、「(生物学的)属」、「ジャンル」、「ジェンダー」といった意味があるが、芸術がジャンルを問題化し領域を横断するのはもはや当然であって、ここではもっぱらセックス/ジェンダー/セクシュアリティの意味で用いられている(それにしてもやや遅きに失した感はある)。その中で、普段はなかなか出会うことがないような、「向こう側」の世界を見せてくれるような、いくつかの刺激的な作品に出会うことができたので紹介したい。

『不確かなロマンス もうひとりのオーランドー』(Romances inciertos, un autre Orlando、2017年フェスティヴァル・ドゥ・ジュネーヴ(Festival de Genève)初演)は、京都でもおなじみのフランソワ・シェニョー(François Chaignaud)による作品である。スペインの音楽・舞踊の伝統とヴァージニア・ウルフの小説『オーランドー』(男性から女性へと性を変える美貌の青年貴族が登場する)に着想を借りて、シェニョーが「もうひとりのオーランドー」となって、性を超越し、外見とアイデンティティを変えながら、ソロのダンスと見事な歌唱を同時に披露してみせる、という趣向である。

フランソワ・シェニョー『不確かなロマンス』©Christophe Raynaud de Lage / Festival d’Avignon

ディディエ・リュイズ(Didier Ruiz)演出の『トランス(向こう側へ)』(TRANS (Més enllà)、2018年バルセロナ・リウレ劇場初演)は、比較的単純なドキュメンタリー演劇の形式をとる。「トランスの都」ともいわれるらしいバルセロナで出会った、もうひとつの性へと移行した/する過程にあるトランスジェンダーの男女7人が、素顔と本名を公にして登場して自らの人生のエピソードを語るのだが、これが笑いと涙を誘わずにはおかない。妻子を持ちながらある日、女性として生きることを決断した元男性が、「女装が好きなゲイだったの?」という妻の問いに対して、「ううん、男装を強いられてきた女性」と答えたと明かす場面が特に印象に残る。大金を投じなくともおもしろい演劇作品はつくれるという好例でもあった。

ディディエ・リュイズ『トランス』©Christophe Raynaud de Lage / Festival d’Avignon

男性(フィリップ)から女性(フィア)へと移行し、さらにジャグリング・アーティストからより総合的な演出家へと変身を遂げてきたフィア・メナール(Phia Ménard)の『乾季』(Saison Sèche、アヴィニョン演劇祭初演)は、現代社会を根強く縛り続ける父権制を打破すべく(パフォーマーを閉じ込めよう/押し潰そうとする壁と天井が破られることで表象される)、女性パフォーマーたちが繰り広げる戦闘的なフェミニスト・パフォーマンスであった。

フィア・メナール『乾季』©Christophe Raynaud de Lage / Festival d’Avignon

ほかにも、ミロ・ラウ(Milo Rau)演出『再演 演劇史(I)』(La Reprise — Histoire(s) du théâtre (I)、2018年クンステンフェスティヴァル初演)や、イヴォ・ヴァン・ホーヴェ(Ivo Van Hove)演出『過ぎゆく物事』(De dingen die voorbijgaan、2016年トネールフループ・アムステルダム初演)など、より緩やかにジェンダー/セクシュアリティの主題系と結びついた、かつ秀逸と思われた作品にもふれておこう。前者は、リエージュでゲイ男性が殺害されたホモフォビアの事件を再構成するドキュメンタリー演劇であるとともに、演劇そのものの条件をも問い直そうとする、理論的にもよく練られた作品である。後者はオランダ人作家ルイ・クペールス(Louis Couperusおそらく同性愛者であったといわれる)による、年老いた男女が隠し続けてきた恐ろしい秘密を描いた小説『老いた人々と過ぎゆく物事』(1906)を翻案し、ヴァン・ホーヴェ(かねてより同性愛者であることを公言してきた)が、すぐれた俳優たちを起用して洗練された舞台美術において演出したものであった。

ミロ・ラウ『再演』©Christophe Raynaud de Lage / Festival d’Avignon
イヴォ・ヴァン・ホーヴェ『過ぎゆく物事』©Christophe Raynaud de Lage / Festival d’Avignon

現代における芸術の役割のひとつが、私たちにとっての現実の「向こう側」、まだ存在しない別の芸術/社会の可能性を垣間見せることだとするなら(ジゼル・ヴィエンヌのカンパニー名のDACMもDe l’autre côté du miroir(「鏡の向こう側」)を意味していた)、今年のアヴィニョン演劇祭は、芸術がその力をまだ失っていないことを示すのに総じて成功していたといえるだろう。

[ⅰ] ブリュッセルで2018年は5月4日から26日まで開かれた。2006年からディレクターを務めてきたクリストフ・スラフマイルダー(Christophe Slagmuylder)が2018年8月をもって退任し、9月よりウィーン芸術週間のインテンダントに就任することが発表された。後任は未定だが間もなく発表される予定である。

[ⅱ] アテネのオナシス文化センターが主催するフェスティヴァルで、2018年は5月2日から16日まで開かれた。同センターの舞台芸術部門芸術監督のカティア・アルファラ(Katia Arfara)が芸術監督を務め、都市空間と社会の中に介入して公共圏の一部となろうとする意欲的なプログラムが組まれている。2017年の日本特集(高山明、Chim↑Pom、藤井光)に引き続いて、2018年にも藤井光の映像インスタレーション作品が展示された。

[ⅲ] ウィーンで2018年は5月11日から6月17日まで開かれた。アヴィニョン演劇祭に匹敵する予算規模を持つヨーロッパ有数のフェスティヴァルである。保守的なウィーンにあってクリストフ・シュリンゲンジーフ『外国人よ、出て行け!』(Christoph Schlingensief, Ausländer raus!, 2000)、クリストフ・マルターラー『未来の予防』(Christophe Marthaler, Schutz vor der Zukunft, 2005)などの意欲的・挑発的作品を制作してきたが、近年は2013年にシュテファニー・カープ(Stefanie Carp)がやや不本意なかたちで舞台芸術部門ディレクターの職を退いて以来、後任のフリー・レイセン(Frie Leysen)は2014年にわずか1年でその職を辞し、2018年にはインテンダントのトマス・ツィアホーファー=キン(Tomas Zierhofer-Kin)が任期を3年残して退任を迫られるなど、いささか運営に混乱が生じており、スラフマイルダーの采配ぶりが問われることになる。

[ⅳ] マルセイユで2018年は6月15日から7月8日まで開かれた。2001年から2016年までブリュッセルのKVS劇場のディレクターを務めたヤン・ゴーセンス(Jan Goossens)が2016年にディレクターに就任し、2018年はアラン・プラテル(Alain Platel)やヤン・ロワース(Jan Lauwers)などフランダースのアーティストを多く起用してみせた。

  • 藤井慎太郎 Shibtaro Fujii

    早稲田大学文学学術院教授。ヨーロッパおよび日本の現代舞台芸術、文化政策を専門とする。主な著作に監修書『ポストドラマ時代の創造力』、共訳書『演劇学の教科書』、共編著書『演劇学のキーワーズ』、戯曲翻訳『炎アンサンディ』『岸リトラル』『森フォレ』(ワジディ・ムワワド作)、『職さがし』(ミシェル・ヴィナヴェール作)など。

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