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#コラム・レポート#舞踊#2018年度

VOYAGES 京都・パリ友情盟約締結60周年/日仏友好160周年 リレーコラム Vol.2

フランスで育まれたバレエの「現在」を見る

文:芳賀直子(舞踊史研究家)
2018.7.10 UP

バレエはダンス(舞踊)の中の一つです。では、他のダンスとどこが違うのでしょうか。

現在では「5つのポジション」に基づくダンスか否かでしか見分けがつかなくなっています。そのポジションや世界共通のステップである「パ」といった基礎が整備された場所はフランスでした。バレエは“イタリアで生まれ、フランスで成熟し、ロシアで完成した”と良く言われますが、そのフランスで制定されたのが「パ(pas)」でした。レッスンで使う「アン、ドゥー、トロワ(1,2,3)、あるいは二人の踊りの意味である「パ・ド・ドゥ」といったバレエ用語がフランス語なのはそうした背景によるものなのです。気取ってフランス語を使っているわけではないのです。

 16世紀、イタリアからもたらされたバレエはルイ14世の絶対王政の下、頂点を迎えました。王侯貴族自らが踊る物として栄えたバレエでしたが、王立舞踊アカデミーが整備され、王が踊らなくなった後はもっぱら見るものとして発展していきました。その後、幸いにもフランス革命を生き延び、職業ダンサーが踊るものとしてバレエは生き続けました。 その後、次第に女性スターの活躍が目立つようになります。特に1830年代に全盛期を迎えたロマンティック・バレエ時代には多数のバレリーナ(女性バレエ・ダンサー)が活躍しました。最初にトゥ・シューズで全編のバレエ作品を踊ったのはマリー・タリオーニ、作品は『ラ・シルフィード』でした。現在でも上演される妖精の物語です。 ごく単純化して言うならば、ドイツで生まれたロマン主義文学がフランスでバレエの形で花開いたのがロマンティック・バレエ(ロマン主義バレエ)です。トゥ・シューズ、透けて見えそうな薄い生地を何枚も重ねて作る釣り鐘型のふわふわとしたスカート「ロマンティック・チュチュ」もこの時代にロマン主義文学がしばしば取り扱ったこの世のものでない存在、とりわけ妖精を表現するために生まれたのです。

『ラ・シルフィード』を踊るマリー・タリオーニ(Naoko Haga Collection)『ラ・シルフィード』を踊るマリー・タリオーニ(Naoko Haga Collection)

そうした作品を踊ったバレリーナ達は今のアイドルのような人気を集めました。彼女たちが気に入った食べ物や、ファッションは女性達のあこがれとなり、また少女たちが遊ぶ着せ替え人形に描かれるなど絶大な影響力を持ちました。男性達にももちろん熱狂的なファンを生み、スター公演とも言える『パ・ド・カトル』(4人による踊り)といった作品も上演されるようになります。(現在バレエ発表会等で時折上演される『パ・ド・カトル』は残された石版画のポーズを入れてバレエ・リュスの元ダンサー、アントン・ドーリンが振付けたもので、新しい作品です。) しかし、次第に男性の役も女性が踊るという、極めて女性ダンサー中心の存在になっていきます。その結果、バレエは技術面からの面白味を失い、作品としての存在感を失い、さらにバレエの中心点な劇場だったオペラ座が高額な定期チケット購入者にバックステージパスを特典として付けた事によって風紀が乱れたこともあり、フランスではバレエは「芸術」としては見なされない、二流のものと扱われるようになり、バレエの中心地はロシアへ移っていきます。 ロシア・バレエの代表作はチャイコフスキー三大バレエ(『眠れる森の美女』『くるみ割り人形』『白鳥の湖』)ですが、振付けたマリウス・プティパがフランス人なのは見過ごされがちかもしれません。元々彼はダンサーとしてパリ・オペラ座での活躍を目指したのですが、男性ダンサーの活躍できる場は少なく、ボルドー・バレエ団のプリンシパルにはなったものの、飛躍の場を求め、ロシアへ渡ったのです。ロシアでは当時王侯貴族はフランス語を嗜んでおり、バレエ文化も盛んですでにフランス人が活躍していたこともあり、その縁を頼ってのものでした。 大雑把に言ってしまえば、フランスで男性ダンサーの活躍の場がなかった事が三大バレエを生んだとも言えます。歴史とは不思議なものです。 そんなフランスでバレエが再び脚光を浴びたのは1909年のセルジュ・ディアギレフ率いるバレエ・リュスのパリ公演によってでした。ロシアから来た男性群舞の迫力、高い技術に支えられたダンサーたちがカラフルな色彩の衣裳と美術で踊るバレエ・リュスはそれまでのどんなバレエとも違う新しいものでした。バレエ・リュスは文字通り、一夜にしてパリの芸術界と社交界両方の人々にとって「見逃せない芸術的事件」となったのです。バレエ・リュスは1929年にディアギレフの死によって解散しますが、メンバーたちはフランスを含めた各国で活躍し、バレエを芸術としてゆるぎないものにしていきました。フランスではパリ・オペラ座の芸術監督にセルジュ・リファールが就任するなど直接的な関係があります。そして、ご承知のようにバレエは今でも世界各国で「芸術」として君臨しつづけています。

左:深川秀夫版「白鳥の湖」より 撮影/文元克香(テス大阪)、右:ロシア国立ワガノワ・バレエ・アカデミー「くるみ割り人形」左:深川秀夫版「白鳥の湖」より 撮影/文元克香(テス大阪)、右:ロシア国立ワガノワ・バレエ・アカデミー「くるみ割り人形」

今回、上演される作品も現在のバレエならではのラインナップ

 バレエが中心地を変えつつ、長い歴史を生き延びたのは、技術的側面から言えばまず確かな基礎が早いうちに確立し、世界へ広がった事、そうした不変の部分を保ちつつ時代と共に変容し続けることができたからと言えるでしょう。時代と共に変容したのは様々な部分です。 例えば、衣裳の側面から言えば、産業革命によって手軽に白い薄いコットンが比較的安価で手に入る様になったためロマンティック・バレエ時代のチュチュが生まれ、以後現代に向かうにつれ衣裳は新しい繊維や技術の発展よって身体にフィットし、軽く踊りやすく変化し続けています。また照明は、最初はろうそくだったものがガス灯の発明によってより豊かな表現が可能になり、近年ではコンピューター制御は当たり前ですし、プロジェクト・マッピングを取り入れた作品もあります。 そうした新しい技術を貪欲に取り込むだけではなく、作品としても新しい実験を内包してきたのがバレエの底力かもしれません。1913年にバレエ・リュスによってパリ、シャンゼリゼ劇場のこけら落とし公演で初演された『春の祭典』はその代表と言えるでしょう。ストラヴィンスキーの音楽も強烈なインパクトのあるものでしたが、振付もそれに負けないジャック・ダルクローズのリトミックを取り入れ、バレエの基礎である5つのポジションもパも否定した革新的な作品でした。一歩間違えばバレエそのものを内側から破壊しかねない振付といった実験的な作品も「バレエ」として上演する包容力があったわけです。もっとも、その流れはバレエ史ではなく、ダンス史に引き継がれることになりますが、バレエの豊かさはそうしたものも世に送り出してきた懐の深さにあるのではないでしょうか。

『春の祭典』、バレエ・リュスプログラムより(Naoko Haga Collection)『春の祭典』、バレエ・リュスプログラムより(Naoko Haga Collection)

 今回、上演される作品もそうした懐の深さを背景にした、現在のバレエならではのラインナップと言えます。近年、バレエ団でいわゆる「バレエらしいバレエ」だけを上演しているカンパニーは世界中を見回すほとんどありません。積極的にコンテンポラリー作品を上演するのが当たり前になっています。 今回のロレーヌ国立バレエ団の上演作品はバレエに対してのアンチとして生まれた米国モダン・ダンスの重要な振付家マース・カニンガム作品、バレエの「パ」に基づきながらそれをさらに引き延ばしたり、ねじったりすることで発展させてみせたウィリアム・フォーサイス作品、そしてバレエのステップも使いつつより広い文化圏から取り入れた動きを自在に組み合わせて作品世界を構築するフランソワ・シェニョー&セシリア・ベンゴレア作品。 いずれもいわゆるバレエから一歩進んだ私達の時代に生まれた作品です。バレエを踊るための訓練を重ねた身体から生まれる新しい、「現在」の作品は時代と共に移り変わります。バレエは旧来の作品とこうした新しい作品の両方の魅力があってしかるべきもの、というのが今の世界的なバレエの認識です。 マース・カニンガムは自分達のダンスのためのテクニックをある程度体系化していて、現在バレエ団で「カニンガム・テクニック」は取り入れているところも多いですし、ウィリアム・フォーサイスのテクニックはレッスンに取り入れているカンパニーはあまりありませんが、フォーサイスがテクニックを「フォーサイス・メソッド」として体系化した事は重要です。テクニックは体系化されないと次世代に伝わりにくく、広がりにくいからです。その事実はバレエが初期にテクニックの体系化をしたことを考え併せると分かりやすいことではないでしょうか。 今回の公演は3作品が日本ではなかなか見られないラインナップというだけではなく、バレエ団として来日することも稀です。 上演するロレーヌ国立バレエ団は若いバレエ団ゆえのこうした思い切ったプログラムに早くから取り組んできました。ここでフランスのバレエ史を丹念に追う事はスペース的にもできませんが、ジャック・ラング文化省長官時代に始まった国立振付センター政策から生まれたバレエ団の中で現在でもフランス各地で生き残っている19カンパニーの一つです。国の政策としてダンス、バレエを振興するというのは簡単ではありませんが、日本の現状を考えると羨ましい気持になることも確かです。 そうしたカンパニーの中では日本で比較的知られているのはバレエ・プレルジョカージュかもしれませんが、こちらも長らく来日公演はありません。(是非次回の京都エクスペリメントで!と期待したいところですが…) また、残念ながら、様々な理由から有名バレエ団の来日公演ではより一般的に知名度の高い全幕作品が上演されることがまだ極めて多いですから、今回の公演はフランスの「現在」バレエの最先端に触れるまたとない機会になるのは間違いないでしょう。

ロレーヌ国立バレエ団『トリプルビル』 左&右上:ArnoPaul 右下:LaurentPhilippeロレーヌ国立バレエ団『トリプルビル』 左&右上:ArnoPaul 右下:LaurentPhilippe
  • 芳賀直子 Naoko Haga

    舞踊史研究家
    東京生まれ、ベルギー、鎌倉育ち。
    舞踊、中でもバレエ史を中心に研究をおこなっている。専門はバレエ・リュス、バレエ・スエドワ。幼い頃からバレエに関心を持ち、大学時代にバレエ・リュスに出会って以来、本格的に研究を始める。明治大学大学院(文学修士取得)卒業後、1998年のセゾン美術館でのバレエ・リュス展での仕事を皮切りに、執筆、講演、展覧会監修・企画を行うようになる。各種媒体での執筆と共にそのエレガントでアグレッシブな独特の語り口による講演の人気も高い。
    【著書】
    『バレエ・ヒストリー~バレエの誕生からバレエ・リュスまで~』(世界文化社)
    『バレエ・リュス~その魅力のすべて~』(講談社)
    『祇園祭の愉しみ~山鉾と御神輿をめぐる悦楽~』(PHP出版)等
    オフィシャルサイト

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