2018年に没後100年を迎えるフランスの作曲家クロード・ドビュッシー Claude Debussy (1862-1918) を京都コンサートホールの主催公演で取り上げることになって以来、彼の人生や音楽と対峙する日々が続いている。そこでいつも思い出すのは、学生の頃に読んだイギリスの音楽学者ニコラス・クック Nicholas Cook (1950-) の「パフォーマンスとしての音楽 Music as performance」 (2003) という論文である。クックはこの論文の中で、我々の意識から音楽に対する身体性が欠如していることに警鐘を鳴らすとともに、「いかにして音楽が生み出されるか」、すなわち音や言葉を発する際に、身体に生じる感覚に対して焦点を当てることの重要性と意義を示唆した。彼のこうした考察は当時、「楽譜に書かれたもの」が「音楽」だと考えていた人々に多大な影響を与えたのだった。 なぜ今、わたしはこの論文を思い返しているのか。一見すると、クックの論考とドビュッシーの音楽はリンクしていないように思われるかもしれない。しかし、実のところドビュッシーの音楽には、「楽譜に書かれていないもの」が驚くほどたくさん潜んでいるのである。言い換えれば、ドビュッシー作品を演奏したり鑑賞したりするたび、指先や身体に残る「生々しさ」とでも言おうか。このようなことは検証したり実証したり出来るものではない。その一方でわたしは、この「追求出来ないもの」こそが彼の音楽の魅力ではないかとさえ思う。
興味深い例をひとつ挙げてみよう。ドビュッシーの管弦楽作品に《牧神の午後の前奏曲 Prélude à l’Après-midi d’un faune》という曲がある。1891年に着手され、その3年後に完成されたこの作品は、マラルメ Stéphane Mallarmé (1842-98) の詩『牧神の午後』に導かれながら、官能的な牧神の夢想が描かれている。作曲家がこの曲について「おそらく牧神の笛の奥にある夢から残ったものでしょうか?・・・(中略)これは調を尊重していません!むしろあらゆるニュアンスを含み持とうとする一つの旋法でできています」と語っているように、調性はぼやかされ、多用される全音音階と半音階で独特の世界観を醸し出している。 さて、この作品の冒頭にはかの有名なフルート・ソロが現れる(譜例1)。これは牧神を示すテーマであり、曲中幾度か提示される主題である。
わたしはこれまで何度もこの作品を鑑賞してきたが、たった4小節間のフルート・ソロで、なぜここまで非現実的な世界を表現出来るのか不思議で仕方なかった。楽譜を見れば明らかであるように、3連符でぼやかされた拍節感や浮遊するような半音階がその理由の一つだと言えるだろう。しかしながら、フルート奏者の大嶋義実氏(ドビュッシー・シリーズ第2回出演者)の話を耳にした時、あまりの説得力に思わず唸ってしまった。氏はこう説明する――牧神のテーマ冒頭の嬰ハ音は楽器の構造上、音程が不安定な上にどのように吹いても虚ろな音しか出ない。フルート奏者にとっては出来れば避けたい音だ。つまり奏者は、いつもとは異なる感覚で「嬰ハ音」を奏する。それが逆に、この世のものではない何かを表現する手助けになっているのではないか。ドビュッシーはこの嬰ハ音で神話の世界に足を踏み入れようとしたのではないかと思う――。このようなことは楽譜には書かれていないが、フルート奏者が楽器を構え、音を出した瞬間に感じる特別な身体感覚である。楽譜を眺めているだけでは決して分からない、しかしドビュッシーの音楽を理解する上で欠くことの出来ない身体感覚。ドビュッシーはこのような「仕掛け」を作品の中にたびたび施しているのである。
実を言うと、ドビュッシーとの付き合いはずいぶんと長いものになるにもかかわらず(初めての「ドビュッシー」は小学校1年生までさかのぼる)、このような視点で彼の音楽や楽譜を見たことはこれまで一度もなかった。かつてピアノ専攻生だったわたしは、好んでドビュッシー作品を演奏していたのだが、当時はただ音符を追うだけで精一杯だったのかもしれない。今回、ドビュッシー・シリーズの企画に携わることになり、個性豊かな出演者たちとやりとりをする中で触発されたわたしは、再び「ドビュッシー」を確かめたくなり、数年ぶりにピアノの蓋を開けてしまった。 様々な作品をつま弾く中で、学生時分と比べて指先や身体感覚の違いを最も感じた作品は《喜びの島 L’Isle joyeuse》であった。この作品は、17世紀から18世紀にかけて活躍したフランスの画家ジャン・アントワーヌ・ヴァトー Jean-Antoine Watteau (1684-1721) の「シテール島への巡礼 Le Pèlerinage à l’île de Cythère」(1717) という絵画からインスピレーションを受けて、1903〜04年に作曲されたものである。よく知られているように、当時ドビュッシーは自身も既婚者であったにもかかわらず、人妻だったエンマ・バルダック Emma Bardac (1862-1934) と不倫関係に陥っていた。彼らは1904年夏にイギリス海峡のジャージー島へ恋の逃避行を繰り広げたのだが、その地でドビュッシーは以前から着手していた《喜びの島》に手を加え、愛する人の側でこの作品を完成させたのだった。実際、《喜びの島》の草稿117〜142小節には次のような一言が添えられている。「以下の小節は、1904年6月の或る火曜日にそれらを私に書きとらせてくれたバルダック夫人── P. M (petite mienne、「私の愛しい人」の意味)──に帰結するものです」。 この箇所はペダルでバスのト音と右手のアルペッジョの響きがぼやかされる中、左手の全音音階による旋律が浮かび上がる(譜例2)。わたし自身、このパッセージを演奏していると夢の中をふわふわと泳いでいるような感覚を抱くのだが、まさにドビュッシーとバルダック夫人の秘められた甘い愛の囁きが織り込まれた部分だと言えるだろう。
ちなみにドビュッシーは、滞在地ジャージー島で「新しい女性」のみならず「新しいピアノ」――1904年製のブリュートナー――も入手していた。ライプツィヒのピアノ製作者ユリアス・ブリュートナー Julius Blüthner (1824-1910) によるピアノは、非常に美しいハーモニーを持つ楽器として評価されていたが、特筆すべき独自のシステムを備えていたことでも知られていた。それは、高音部の音響を増強するために、通常ユニゾンで張られている3本の同音弦に4本目となる共鳴弦が付け足される「アリクォート(共鳴弦)・システム」と呼ばれるものである。わたしは実際にアリクォートを備えるブリュートナー・ピアノを聴いたことがあるが、共鳴弦が張られている高音域からは、これまで聴いたことがないほどの輝きを放つ音色が聞こえてきた。おそらくドビュッシーは、この新しい楽器を入手してあらゆる可能性を試してみたかったのではないか。そう思わせるような部分が《喜びの島》のコーダ付近に現れる(譜例3)。
注目していただきたい部分は、200小節目から3小節にわたって演奏される「ファンファーレ」である。ここはコーダを予告する重要な場面であるが、ファンファーレの一番上の音にあたるト音は、ブリュートナー・ピアノにとって特別な意味を持つ音だった。というのも、ちょうどこのト音から上の音域にアリクォートが施されていたのだ。アリクォート・システム付きのピアノでこのファンファーレを演奏すると、共鳴弦で響きが増幅され、高音域の音色がきらきらと光り輝く。意図的にト音を選んだのかは定かではないが、新しい女性とピアノを手に入れて気分が高揚していたであろうドビュッシーは、ファンファーレに新たな船出を祝福する意味合いを持たせたのではないだろうか。しかしながら他方で、ドビュッシーはどこかで薄々気付いていたのではないかとも思う。彼らの船旅は決して皆から祝福されるものではないということを。よって、このファンファーレは単純にf(フォルテ)で演奏すれば良いものではない。書かれた音と音の空白に隠れるドビュッシーの愛や喜び、そして葛藤、罪悪感、苦しみなどを手指から感じ取らなければいけないのだ。
面白いことに、作曲家の中川俊郎氏とピアニストの小坂圭太氏(両者ともにドビュッシー・シリーズ第1回出演者)はこの《喜びの島》について口々に「指先から伝わる官能が生理的に受け付けない」、「ドビュッシーの『喜び』は独りよがりだ」と言う。捉え方は千差万別であるが、彼らもまた、鍵盤に触れる指先を通して「楽譜に書かれていないもの」を感じているのである。 京都コンサートホールが主催するスペシャル・シリーズ『光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー』では、聴衆の方々にもドビュッシー作品の中に隠れる「楽譜に書かれていないもの」に触れていただきたいため、各回に案内役として音楽学者をキャスティングした。彼らはドビュッシーの人生や作品のみならず、作曲家が生きた時代背景などにも言及してくれるはずである。それらをヒントに、出演者たちが奏でる音楽を介して、これまで知らなかった新たなドビュッシーに出会うことが出来る――今回、わたしたち京都コンサートホールはそんなコンサートを目指して、日々ドビュッシーと向き合っている。