2017年の初演以来、世界中で上演を続ける『THE GREAT TAMER』。初来日に向けて、コンセプト・ビジュアル・演出を手掛けるディミトリス・パパイオアヌー氏に自身のルーツや作品の演出意図について訊ねた。
―― アテネの出身で、最初は美術学校で画家になる勉強をしていたと伺いました。 はい。小さな頃から絵が得意で、16歳で画家になると決心してギリシャで非常に重要な画家、ヤニス・ツァロウチス(1910-89)に教えを請いました。その後、アテネの美術学校に入り、学生時代にダンスに出会ったのです。
――どんなきっかけですか? ギリシャで実験的なダンスカンパニーを主宰していた女性に出会い、彼女のクラスに誘われたのです。彼女はパフォーマンスだけではなく、舞台美術や衣装、メイク、照明を担当する機会も与えてくれました。そして22歳で、絵画と複合したパフォーマンスを自分で作り始めました。
――『THE GREAT TAMER』もハイブリッドな舞台作品です。この作品であなたは「振付家」を名乗っていませんが、自作をどう位置づけていますか? この作品では、「コンセプト、ヴィジュアル構成、演出」担当です。私にとって、作品の演出は振付に相当するので。私の作品はコンテンポラリーダンスの中心ではなく、エッジに位置していると思います。でもカテゴリー分けは重要ではなく、作品が観客の感情と知性に働きかけるかが私にとって問題です。
――『THE GREAT TAMER』を見て、時間の概念が非常に独特で美しく感じました。限定された舞台空間に、個人の時間と数千年にわたる歴史が同時性をもって存在し、重なり合います。 嬉しいです。私は自分の作品を、時間の彫刻にしたいと考えています。時間を彫刻したい。美しいイメージを作ることは容易ですが、時間が経過しても他と影響し合いつつ、それ自体が美しいイメージを放つ存在を作ることは、容易ではありません。私はダンス、身体、観念を時間の中に置き、時の経過の試練を与えるのです。
―― 時間の彫刻を創るとは、付け加えるよりむしろ削ぎ落とす仕事ですか? 研ぎ澄ませ、さらに滑らかにしていきます。宗教彫刻のように滑らかに、可能な限りクリアなフォルムを作る。そして性的に、政治的に、知的に、哲学的に、感情的に、少しだけ危険になるように。礼儀正しく穏やかでも、安全ではいたくないのです。
――挑発でしょうか? 挑発とは違います。瞳の中の炎、その煌めきが欲しいのです。
―― この作品では、西欧芸術の名作の身体イメージの使用も特徴的です。 ルネッサンス、表現主義、シュルレアリスムも使っています。元は画家なので、私の頭の中には百科事典的に芸術における人間の身体の歴史が入っている。だから生きている身体を扱うと、イメージが湧いてきます。もし何かがマンテーニャのキリストに似ていたら、私は否定せずに肯定する。視覚的な連想で遊びたいのです。私が受け継いだ遺産、西欧文化の歴史に関する、一種のコミュニケーションの遊びですね。ギリシャ人である私は、西欧文化の中心にいるのですから。
―― 先端的な芸術はしばしば過去を否定しますが、あなたは逆ですね。 私は、古典芸術を否定しない現代アーティストであろうとしています。現代に生きているので同時代の作品を作っていますが、古典を心から愛しているのです。分断ではなく、古典芸術を再発見したい。でもノスタルジーに浸るのではなく、記憶の中の断片から、新たな意味と調和の感覚をつかみ取りたいのです。
―― 過去の芸術の身体イメージが現代のダンサーと重なるとき、身体性の違いあるいは相似を感じますか? 同じことです。そこに私は、いつも同じ、奇妙で美しい動物を見出すのです。
―― 10人の出演ダンサーのプロフィールを教えてください。 全員がギリシャ人です。俳優が4人、ダンサーが5人、ストリートダンスのダンサーが1人。4人は前の作品でも一緒に仕事をしました。長身で細身の男性がヒップホップ出身で、舞台作品に初めて出演します。
―― 音楽は『美しき青きドナウ』を使っていますが、この選択の理由は? 世界一ありふれた楽曲だから…。一種の皮肉です。曲を減速し、時間が引き伸ばされますが、その続きはみんな知っている。このテンションを面白く感じました。死に対する省察であるこの作品に、この音楽は微かなユーモアも付け加えてくれます。
―― ついにあなたの作品を日本で見られるのが楽しみです。来日は初めてですか? プライベートも含め、日本は初めてです。尊敬するアーティストも多く、20代の頃にNYで田中泯さんのワークショップを通して舞踏にも関心を持ちました。実際に日本に行くのを、心から楽しみにしています。