ロームシアター京都の「レパートリーの創造」第四弾として制作中の『シーサイドタウン』。作・演出を手がける松田正隆さんにとって、自身の演出作品を京都で上演するのは10年ぶりとなります。
そこで、和田ながらさんと岡本昌也さんという、京都を拠点に創作を行う若い世代の演劇人をお招きして、松田さんとの座談会を開催しました。『シーサイドタウン』まで続く松田さんの足跡、そして二人の現在の活動を通して見えてくる、京都の演劇の状況や課題、今後の展望について、語り合っていただきました。
なお、和田さんと岡本さんは、『シーサイドタウン』の稽古を見学し、座談会に臨みました。
登壇者(50音順):
岡本昌也(演劇作家・映像作家・安住の地所属)
松田正隆(劇作家・演出家・マレビトの会代表)
和田ながら(演出家・したため主宰・NPO法人京都舞台芸術協会理事長)
聞き手:橋本裕介(ロームシアター京都 プログラムディレクター)
(座談会実施:2020年9月7日、ロームシアター京都)
『シーサイドタウン』に至るまで
-では、松田さんにお話をうかがいたいと思います。キャリアとしては、もう35年ぐらいになりますよね。
松田 どうなんだろう。90年か91、2年ぐらいから始めたのかな。
-その間にさまざまな作品を作られていますが、かなり大きなスタイルの変遷を経ています。その変遷が、どのような松田さんの関心と外的な環境との関わりで生まれたのかということをお聞かせいただきたいと思っています。松田さんは最初、時空劇場(注4)という劇団を作って、そこで脚本と演出をされていました。松田さんの故郷の長崎をモチーフに、九州の言葉を使って、かなりリアリズムな会話劇を作り、スタイルを確立していった。それが95年に全国的に評価されて岸田國士戯曲賞を受賞され、脚本家としてさまざまなところに書き下ろす仕事が増えていき、そしてマレビトの会が2004年にできるんですよね。
松田 さっきの話とつながりがあるとすれば、最初は自然発生的に、自分の大学の延長線上から生まれたような劇団があり、そこで作ってきたものが、結局いまだに上演されている。戯曲面ではそうやってある達成にまでいったっていうのは、集団があったからだとは思うけれども、細かな問題もあって、90年代の終わりに劇団を解散した。そこから劇作をずっとやっていて、造形大(注5)に太田さん(注6)から呼ばれて、ダンスや映像の人などからいろんな刺激を受けて。戯曲を書くにしても、そういう創作する場所、演出する空間が必要だなっていうのがあって、造形大の学生だった人たちと劇団を設立したんですよね。それと劇研という場所もあって、そういう空間で若い俳優さんたちと一緒に現場を持って、一回一回、自分の関心 のもとに演出スタイルも広がっていきましたね。
創作内容も、まず関心があったのは、自分の故郷の問題、長崎に原爆が落ちたっていう問題と、広島、それから福島。そして、それを舞台化、立体化するためにはどうしたらいいのかっていう、創作内容が要請する方法があるんじゃないかなと思って、それを忠実にやっていった。もちろん、YCAM(山口情報芸術センター)のような劇場と協働していく場合には、そこのスタッフや環境と、自分たちが持っている集団性とで何ができるかっていうのを相談しながら。その後も、フェスティバル/トーキョーとの協働や、それこそKEX(KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭)の橋本さん(注7)と『HIROSHIMAーHAPCHEON』という作品を作ってみたり。それが一旦終わったら、和田さんともやったけれども、街中で上演をしてみたり。今度は、それの影響のもとに、フェスティバル/トーキョーで『アンティゴネーへの旅の記録とその上演』という福島を題材にした作品を作りました。東京の街中やあるいは福島まで行って、あとSNSも使って劇場の外で上演をする「第一の上演」と、劇場内で展示的に上演する「第二の上演」を組み合わせるということをやったわけですね。演劇の内容のテーマごとにいろんなものを試してきた。
でも、やりすぎちゃって、もう燃え尽きた感じがあった。「第二の上演」で、俳優がただ、ずっと「第一の上演」で上演をしてきたことを思い出しているだけというのを展示したときに、全部が分離しちゃって、もう集約しない上演をしたわけですよ。それでもできるんじゃないかと思って。俳優に何か筋や経験さえあったら、そこに立っていられるのではないかと考えた。もうこれ以上分離できない、分割できないというか、俳優の存在と発話とか、そういうものを全部時間的にも分散させ、空間的にもただ立っているだけ。普通は統合して演劇は生まれる。演技はそういう総合性によって同化するもんなんだけど、思い出しながら徐々に出てくる俳優の身振りも分割して、断片にしていったわけなんです。
それがいくところまでいったっていうのが2012年ぐらいですよね。ちょうど立教から呼ばれて京都をあとにして、立教の学生と一緒に作ることになり、そこにスペースがあったんですね。ロフト1っていう、造形大のstudio21に近い。ものすごい天井が高いその空間を前にして、じゃあ、ここでもう一回、総合させる作用を学生と始めようって思って作ったのが今のスタイルかな。
まず『長崎を上演する』から始めて、学生や、あるいは今までの俳優さんにも声をかけて集ってもらって、その中で劇作を希望する人もいたので、長崎に行ってその印象をもとに戯曲を数名によって書いて、それを上演した。授業でも、最初ギリシャ悲劇から始めて、学生とそのロフト1でソポクレスの『アンティゴネー』を上演したときに、今のスタイルができたかな。とにかくあんまり表現過多にならないで普通にせりふをしゃべる、衣装とかも要らない、舞台美術も要らないから、そのまま劇場をむき出しにして、シンプルに作れる。
一番最初に考えたのは、寸劇的っていうか、何かしゃべるときに、こうやって身振りが出てきたりする。あのときはこうだったね、みたいなことを言うときにも、その場の再現をする。つまり、もう一個の別の時間性をずっと上演するということは、今ここにある体と、今ここの時間に別の時間を流すことになる。ギリシャ悲劇の『アンティゴネー』の場所のことを俳優が語れば、身体は今ここにあるにもかかわらず、『アンティゴネー』のテーバイになっていく。そういうのが純粋に面白かったわけですよ。演劇自体が持っている、現前性の中に違う場所と違う場所の時間が、別の時間が流れるという面白さに改めて気づいた。だから、東京に行ってから、空間についてものすごく考えるようになりましたね。同じ空間にもかかわらず、何か俳優がしぐさをし始めると、そこが違う場所と時間になるっていうことを徹底してやっていこうってね。
-今回の『シーサイドタウン』というのは、そういう意味では、演出はその手法で、でも以前の『長崎を上演する』のような、ある種の報告のようなことではなくて、実際のフィクションをしっかりテキストにしている。また新しい一歩かなという気がします。
松田 『福島を上演する』や『長崎を上演する』では、どうしてもスケッチをやるっていうことになる。長崎のある追悼施設の時間とか、福島の図書館の時間をそのまま移植するようなことをやって、非常に興奮するような面白いことができると思ったんだけど、それをずっとやってたら、戯曲を書きたくなって。ここ数年、戯曲書いていないんじゃないかなと思ってね、長編を。去年一年ドイツで休んで、とにかく戯曲を、長いやつを2、3本書くつもりでいて、その時にこのお話をいただいたので、長崎についての戯曲を書こうかなと思いました。
『シーサイドタウン』の稽古を見て
岡本 昨日、稽古を拝見したんですが、舞台上で物語が紡がれていくのを見るという体験ではなく、俳優さんも観客も宙ぶらりんの状態で、半透明の物語のレイヤーを一緒に見るような感じが体験としてありました。この辺(舞台と客席の中間)のスクリーンで描かれている別の映画を、俳優さんが補助する、想起することをアシストするみたいな感覚でした。数シーンしか見てないんですが、このあたりですごく面白いフィクションを見て、それをイメージ化をしてもらっているみたいなことが体験としてありました。あと稽古場が、もう本当に素舞台で、扉も開いていて、むしろ、ここでやらないよっていう感じで、すごい面白かった。ここで、物語をやらない、っていうのを感じました。
松田 ここでやらないよっていうの、面白いですね。
和田 私が最後に観たマレビトの会の上演は2016年の『福島を上演する』で、複数の作家たちが福島に取材に行き、経験して持って帰ってきたものを短編の戯曲として書き、それをオムニバスで上演している公演でした。今回は、長崎とも直接は名指されない「最果ての町」を舞台にした長編のフィクションということが、『福島を上演する』とのギャップもあいまって改めて新鮮でした。
稽古を見ていて面白かったのは、俳優の演技が、風景というか彫刻というか、空間を作っていっているっていう感覚でした。二人の人物の対話でも、普通には向き合わないし、物を渡す所作のタイミングもちょっとずれている。同じところにいるという約束のようでいて、とても微妙に空間が折り畳まれている。そのことと、舞台美術のない素舞台であるということは、つながっていると思うんです。演じている会場の壁やそこに見える影までもが、俳優たちが作ってる空間の中に折り畳まれているというか、重なって見えたりして、それがすごく刺激的。空間をじかに触ってみたり立てたりしている、とでも言えるような感触が、とても印象深かったです。
岡本 いや、すごい反省しました、稽古を見て。演劇の源流じゃないけど、レタスを食え、レタスをかんで甘みを知れ、みたいなことを言われた気もして。
松田 うまいこと言うな。
岡本 僕は味を足したものを出していたなっていうことを反省しました。
松田 いや、でも昨日の稽古では、あれから足していった。今、僕の関心は、やっぱり音をどう演劇で使ったらいいのかということ。録音の音でいいから、それを、どう、そこに反映させたらいいのかっていうのが、まだちょっとわかんないんですよね。以前は、他のアーティストとコラボレーションしていて、任せて、それを総合するのが役目だったんだけど、もうちょっと僕の納得のもとでもう一回やりたいなっていうのがあって。この6年ぐらいの演出は、そうやってやってきたから。ビジュアル的なことや俳優の発話については納得はしつつあるんだけど、演劇で音って何だろう、ということを考えている。
和田 私も、音がどうやって入ってくるのかなって思いました。録音物そのものには、音だけではなく空間もレコーディングされていますよね。もちろん、時間も含まれている。音源にレコーディングされている空間や時間と、今劇場で起こっていることが、どういう関係として聞こえるのか、すごく難しい。
松田 サウンドトラックみたいにきっちり作りたいなっていう思いがあったんだよね。そこに俳優も合わさっていくっていうか、むしろ俳優が合わせていくようなイメージがずっとあったんだけど、今はできあがった上演空間に音をはめ込んでいくっていうことにしかなっていなくて。映画だったら、フィルムにビジュアルイメージと音のイメージが二本柱で並走していく。でも、演劇で、音の上演を見ているものと同等にしていく方法を探る中で、どうしてもBGMのように、ビジュアルを補助する感じにならざるをえない感じがある。まあ、これからの課題の一つですね。
-でも、かなり仕上がりが早いですよね。まだ半年先なのに、もう通し稽古をしていて。
松田 うん、まあ、でも、それしかないからね。舞台美術もないし。でも、だから、俳優はかなり緊張状況の中にいる。頼る場所がないから、ちょっと早めにやって作っておかなきゃっていうのがあって。マレビトの会で「上演する」シリーズをやっていたときは、もう今のこの状態で公演になる感じなんだけど、今回はそれをもうちょっと洗練させて、今の方法をもう少しきちんとやろうとしている。何回も上演するわけだから。マレビトのときは1回上演で、とにかく粗いものでもいいから、たくさん作って、15、6人の俳優で100人ぐらいの都市の住民を表現する、あるいは、空間を、街やたくさんの場所を一つの劇場の中に立ち上げていくっていうことが重要だった。でも、今回はもう少しストーリー性と戯曲の場所、物語の中の場所みたいなもののフィクションを洗練させたかたちで作るのが課題で、今そこに焦点を合わせようとしています。だから、1時間半の作品なら、俳優が1時間半の時間配分をどう自分にインストールしていくかっていうのが重要かなと思っています。
-そうですね。6回公演になりますし、大きな枠組みとしては劇場のレパートリーとして将来的な再演も想定しているので、再現性というのも重要になってくるんですよね。
今後の展望
-最後に、今後について。お二人はこれからも京都を拠点にしてもらえるのだとすれば、豊かな発想で作品作りに臨んでいくためにどういうことを必要だと思い、取り組んでいこうと思っているのか。あるいは、劇場に求めるものがあってもいいです。
考えていただいている間に、松田さんが鈴江さん(注8)や土田さん(注9)と作っていた「LEAF」(注10)という雑誌について、少しだけふれておきたい。自分たちの戯曲をきちんと発表できるプラットフォームとして、でも戯曲だけではなく、関心があるアーティストとの対談など、そういう読み物も入れて発行されていました。そこでいろんな刺激を与え合ったり切磋琢磨したっていうことは、同時期に松田さんも、鈴江さんも、土田さんも、ある作風を確立して評価を受ける時期に重なっていたので、重要だったのではないかなと思っています。
松田 今はホームページやSNSの時代で、場を作りやすいんだろうけど、僕らは紙でやってましたね。面倒くさいんだけど、面倒くさいから、だんだんそこに寄付してくれる人も出たりして。僕らが京都のヌーヴェルヴァーグだぜみたいなつもりでやったんだと思う。その批評性が作家に、作り手こそが、批評家よりも僕らのほうが考えてるよ、みたいなことも思ったりもしてました。それ、でも重要だよね。言葉を持つっていうこと。今しゃべってる中でも、レタスの話じゃないけど、やっぱり出てくるわけで。そういう、現場の上演の感触を違う言葉に、誰もがわかる日本語にもう一回直す、そうやって広がりを持たせないといかんかなと思っています。わかりやすくするっていうんじゃなくって。固有な言語でもいいと思うけどね。
-では、展望について。
岡本 目標というか、作家さん同士で何となく、別にゆるくっていいんで寄り合えたら、みたいなことは思っています。そういう場を作るじゃないけど、クローズドな感じで、もうちょっと交流していかなあかんっていうことに最近目覚めました。それまでは、連帯するみたいなことをしてこなかったんですけど。
-きっかけがあるんですか。
岡本 今、岩井秀人さん(注11)の作家部に所属していて、何となく集って、台本書けたんでちょっと読んでみてくださいとか、今度この映画見に行きませんとか。他人の言葉をそのぐらいのラフさで読む、上演とか雑誌に載った状態ではなくて、PDFのかたちで読むぐらいの体験が結構自分の糧になるなって思って、それを京都の人たちともやりたいなって。
和田 展望って難しいですね。でも、仕組みから考えるっていうことを、今までよりも時間をかけてしたほうがいいと感じています。従来とはちょっと違うやり方や、もっと面白くなるかもしれないやり方を発想できるような流れに自分を持っていきたい。それは作品を発表する方法を考えることでもあるし、プロセスを考えることでもあるし、集まり方を考えることでもある。私がラッキーだったのは、いろんな集まり方の集団に加わる経験をしてきたことです。例えば、KYOTO EXPERIMENTのようなフェスティバルの事務局での仕事や、きたまり(注12)たちと一緒にやっていたDance Fanfare Kyotoっていうダンスの企画。協会も、鳥公園もそう。この中には、必ずしも作品性を理由に人が集まっているわけではない場所もあるんですよね。作品性だけではない共通点や課題意識で、人とつながる場所を自分はいくつか持ててきたんだなと。これ、実はそんなに当たり前ではないのかもしれません。今、UrBANGUILDのブッキングスタッフもやっていて場所に関わるという視点も増えました。自分が持てたつながりに、もっといろんな人に参加してもらうためにはどうしたらいいかを考えたいと思っています。
劇場に求めることは、アーカイブ。自分たちの活動をちゃんと残す。アーカイブするまでをひとつの事業だと捉えて、私自身もちゃんとやれたらいいなと思っています。一方で、個別のカンパニーやアーティストにアーカイブが蓄積されていくことと同時に、やっぱり劇場はずっとあるものだし、お金も動いている。劇場自身の事業がアーカイブされていくだけでなく、「京都のこと」が蓄積されていって、劇場に来たらアーカイブを見られて何かに触れられる、そんな機能が充実していくといいなと。そうそう、去年のリサーチプログラムの報告会(注13)を聞かせていただいて、やっぱりアーカイブって面白いなって思いました。アーカイブがまた次の作品の資源になる、考え方の資源になっていくと思うので、期待しています。
松田 その場限りで終わっちゃう演劇の上演をどう変換して残すかっていうのが、劇場の重要な役割でもある。そして、それをまた市民に提供していくっていう教育の場所でもある。大学や学校だけではなく、劇場もそうやって連携していく。あるいはそれを市民と、大学に行く前の人たちとやろうとする試み(注14)もすばらしい。そのためには、和田さんも言ってるけど資源が、情報が蓄積して、常にピックアップして引き出せるっていう、無駄でもいいから置いとかないと。こんだけ公文書が消える時代だから、アーティストの足跡ぐらいは残しておいてほしい。劇場が、アーティストのどうでもいい力みたいなもの、権力的なものや暴力性に抵抗するものを力としてここに蓄積させていくのが重要なんじゃないですかね。抵抗の拠点ですよね、やっぱり、市民の。だから、権力構造には、敏感でないといけない、劇場は。
-お二人には本番の『シーサイドタウン』もぜひ楽しみにしていただき、これを機にまた松田さんとつながっていただいて、いろいろ何か一緒にできたらと思っています。今日はありがとうございました。