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#公演評#演劇#2023年度

太陽劇団(テアトル・デュ・ソレイユ) 「金夢島 L’ÎLE D’OR Kanemu-Jima」公演評

虚構と現実のあわいを旅する

文:畑律江(毎日新聞客員編集委員)
2024.4.1 UP

撮影:桂秀也

 夢と現実のあわいを旅した。ロームシアター京都で上演されたフランス・太陽劇団の『金夢島』。それは、劇団を率いる演出家、アリアーヌ・ムヌーシュキンが紡ぎ出す、めくるめくような美の世界だった。
 太陽劇団が初来日し、東京公演を行ったのは23年前。この時、筆者は上京の都合がつかず、人形浄瑠璃文楽の技法を取り入れたという上演作『堤防の上の鼓手』を見逃した。以来それは長く憧れの作品だったが、今回、京都公演の前に行われた上映会で映像を見ることができた。大きな驚きと感動を覚えた。
 黒い頭巾と衣装をつけた俳優たちが、役を演じる俳優たちの後ろに立ち、人間を人形のように「遣っていた」。驚かされたのは役を演じる俳優たちの顔だ。それぞれが特殊な材質の薄いマスク(仮面)をつけている。目や口元の動きはわかるのだが、どこかのっぺりとしていて静謐。ところが一度物語が動き出すと、表情が純粋に、生々しく迫ってくる。それは時に官能的でさえあった。マスクは、もはや顔と一体化した「皮膜」だった。
 ふと、浄瑠璃作者・近松門左衛門の「虚実皮膜論」が思い出された。芸術の真実とは、事実と虚構との微妙な境界にあるとする芸術論である。私は、文楽の魅力の一つは、人形だからこそ伝わる人間感情の純粋さにあると考えているが、『堤防の上の鼓手』の俳優の表情には、文楽人形に似た純粋さがあった。彼・彼女らは人間と人形との「境界」にいる。それは、虚実皮膜論を文字通り、目に見える形で具現化した様式のように思われた。

撮影:桂秀也

 さて『金夢島』である。今回は日本から、喜多流能楽師の大島衣恵、和泉流狂言師の小笠原由祠ら、佐渡を拠点とする太鼓芸能集団「鼓童」元メンバーの大塚勇渡、歌舞伎をレパートリーに持つ「前進座」の横澤寛美らが指導に入ったという。そこから一体何が生まれたのか。
 時代は現代。病に伏す女性コーネリアは、日本の「金夢島」にいる夢を見る。この架空の島が舞台なのだが、あっ、と気づいた。夢の中の登場人物は皆、あの皮膜マスクをつけているではないか。ああ、この世界は夢と現実のあわいにある、そう感じた。
 金夢島には佐渡島のイメージが重なる。島には、国際演劇祭で町おこしを目指す市長・山村真由美と右腕の安寿ら市長派と、カジノリゾート開発をもくろむ助役の高野、渡部らの勢力があり、対立構造の中、国籍も民族も異なる演劇グループが次々にやって来る。今まさに大阪で、カジノリゾート計画がさまざまな議論を呼んでいる現実を思い出した。
 助役は腹黒い弁護士らと共謀して目的を遂げようとするが、結局失敗に終わる。枠組み自体はシンプルだ。だが仏語、日本語をはじめ10近くの言語が交錯する舞台は、軽いめまいを覚えるほどに濃密だ。登場する劇団も、アラビア語を話す夫とヘブライ語を話す妻で作る中東一座「偉大なる平和劇団バベル」、大五郎が率いる人形劇団、香港の劇団「民主主義=我が要望」、市職員による「デモクラティック小提灯劇団」、アフガニスタンの難民劇団「アンズの民族離散」、「ブラジル社会主義劇団 聖母」――と多彩である。
 俳優たちは、片側に車輪がついた四角い板を自在に動かし、さまざまな装置を作る。時には長い橋掛かりのついた能舞台のような空間も出来上がる。演技に注目すると、まずは能の基本動作であるすり足を見せる。ほかにも、スケールの大きい歌舞伎の敵役のような「ハ、ハ、ハ」という大笑い、悪役の高野の女方芸、女性二人組が見せる和太鼓奏者のような撥さばき……。さまざまな芸能の演技法が縦横に織り込まれている。
 こうした演技は「まねてみた」というレベルにとどまっていない。たとえば島の二人の漁師は、能「八島(屋島)」を謡い、舞う。その詞章に重なるのは、佐渡の「武右衛門」伝説だ。湖を埋め立ててしまった武右衛門が、美しい娘の姿で現れた湖の守り神の後を追ううち、水底に沈むという物語。漁師たちの演技からは、彼らが真剣な稽古を重ねた成果がうかがえ、客席からは自然に拍手が沸き起こった。印象的だったのは演技のうまさだけではない。海を背景に戦いの苦しさを描く能「八島」は漁民たちの悩みと重なる。また、息子を捜し続ける市役所経理の天野耕吉の姿には、子を捜す母を描く「隅田川」のイメージがある。そして人が酒に酔う場面では、酒を好む想像上の動物が現れる「猩々」が使われる。どの謡曲も巧みに読み替えられ、現代の物語に生かされていると気づく。
 大五郎一座の人形芝居は、古浄瑠璃・文弥節の語りで演じられる佐渡の民俗文化財、文弥人形を思わせる。登場人物たちが市政について語り合うのは、なんと銭湯の湯船の中。湯気が立ちのぼり、背景には丁寧に富士山の絵が配されているのが面白い。小提灯劇団は「コンチキショ」などと陽気にはやしながら島の居酒屋にやってくる。このシーンは、黒澤明監督の映画『どん底』へのオマージュだが、そうした場面からは、日本の庶民文化に対するムヌーシュキンの並々ならぬ関心がのぞいている。

撮影:桂秀也

 そればかりではない。舞台には、世界の戦争や抵抗運動の現実――中国の民主活動家の話、民主化を求める香港の人々の動き、アフガニスタン難民の苦しみ、いつ果てるともなく続くパレスチナとイスラエルの戦いなど――への言及がみられる。新型コロナウイルスへの警鐘を鳴らしながら公安局に処分され、ウイルス感染により亡くなった中国の医師のエピソードは人形芝居を通して演じられ、第二次世界大戦中、神風特攻隊第一号とされた日本の兵士・関行雄の話までが登場する。
 各エピソードが抱える背景や歴史は、どれも重くて複雑だ。それゆえ、ここで一つのひっかかりを指摘しておかざるを得ない。言及がそれぞれに短く、観る者が意味をつかもうとしているうちに、場面はたちまち次の場面へと展開する。このため各エピソードが少々断片的に映ったことは否めないのだ。だが、難民をも含む多国籍の劇団員からなる太陽劇団の歩みを振り返る時、わかるのは、ムヌーシュキンが、世界で絶えない人間の衝突と、そこから見えてくる人間性の問題を常に見つめつつ表現活動に携わってきたという事実である。確かに、現実と演劇を切り離し、政治的問題への直接的な言及は避けるべきだと考える向きもあるだろう。だが、この演出家はその態度を選ばない。ムヌーシュキンの胸にはきっと、未来に向けて伝えておきたい人間社会のありようが山積しているに違いないのだ。創作アソシエイトのエレーヌ・シクスーが「歴史の箱舟」と形容したように。
 幕切れ、癒やしを象徴する大きな鶴の人形が現れ、勢ぞろいした俳優たちが能「羽衣」を舞う。清らかな天女の心へのあこがれ。謡はやがて第二次世界大戦後中にイギリスで流行した「また会いましょう」のロマンチックなメロディーへと変化する。従軍する兵士に「生きていて」と告げるような曲。「ある晴れた日 必ずまた会える」――能の舞が、この美しい洋楽に何としっくりと合ったことか。
 日本での取材会で、ムヌーシュキンは京都の「美」のすばらしさを語った。そして同時に「それは非常に壊れやすい」とも。そのことを今、最も心に刻むべきは私たち自身だろう。84歳になる今日まで、ムヌーシュキンがはるばると歩んできた演劇の旅を改めて思う。どこで生まれ、どこに暮らそうと、世界中のすべての俳優は、自身が胸打たれた演技の形式を学ぶことができ、好きな舞が舞え、愛する歌が歌える――。それが彼女の演劇の信条だ。そして、それを実現させるためにも、演劇には常に自由と平和を希求する魂が必要なのだ。
 ムヌーシュキンは、彼女に美のインスピレーションを与えた日本に「また会いましょう」と深い感謝を捧げた。「また会いましょう」。私も思わず、心の中で返事していた。

  • 畑律江 Ritsue Hata

    毎日新聞客員編集委員。毎日新聞社入社後、神戸支局記者、大阪本社学芸部の記者・デスク、地域面・夕刊特集版編集長などを経て、2013年より学芸部専門編集委員(舞台芸術担当)として古典芸能から現代演劇までを幅広く取材。2023年に退職し、現在の立場に。地域と舞台芸術のかかわりに関心を持ち、新聞、演劇誌などにリポートや論考、評を執筆している。大阪芸術大学短期大学部客員教授。

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