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太陽劇団(テアトル・デュ・ソレイユ) 「金夢島 L’ÎLE D’OR Kanemu-Jima」関連コラム

アリアーヌ・ムヌーシュキン オンライン取材会(2023年7月28日開催)抄録

2023.10.9 UP

取材会でのアリアーヌ・ムヌーシュキン

フランスの「太陽劇団(テアトル・デュ・ソレイユ)」の22年ぶり2度目となる待望の来日公演が遂に実現する。2021年秋にパリで発表された新作『金夢島 L’ÎLE D’OR Kanemu-Jima』を、10月に東京芸術劇場11月にロームシアター京都で上演。これに先駆け、7月28日(金)に劇団主宰のアリアーヌ・ムヌーシュキンによるオンライン会見が行われた。

フランスではバカンス期間のため、ムヌーシュキンは滞在先の英オックスフォードから会見に臨んだ。太陽劇団の本拠地はパリだが、このオックスフォードはムヌーシュキン自身が学生時代を過ごし、演劇への夢を育んだ思い出深き場所でもある。演劇に人生のすべてを注いできた伝説的演出家にとっても、仕事場を離れてのリラックスした雰囲気の中、日本のメディアやジャーナリストたちとじっくり向き合える場となった。太陽劇団といえば、パリ郊外ヴァンセンヌの森にある通称“カルトゥーシュリ”と呼ばれる旧弾薬庫を拠点に、集団創作というユニークなスタイルで数々の傑作を生みだしたことで知られている。そうした本拠地カルトゥーシュリや集団創作のことから始まって、若き日の日本との出会いと日本文化へのリスペクト、佐渡島への旅から『金夢島』に至る創造の道程、東京と京都の印象など、ムヌーシュキンがその溢れる思いを縦横無尽に語るプレス・カンファレンスとなった。 


<目次>
・すべての人が歓迎される場所、それが私たちの夢の劇場
・個々のベストを引き出す―太陽劇団の集団創作とは
・日本との出会いで演劇への扉を開く鍵をもらった
・幻となった佐渡島ワークショップと再出発
・太陽劇団が舞台に乗せたいのは、世界そのもの
・東京へ、京都へ。高まる鼓動が聞こえてくる
・演劇の未来、若い世代への期待


すべての人が歓迎される場所、それが私たちの夢の劇場

©Archives Theatre du Soleil

「カルトゥーシュリは19世紀にナポレオン3世によって建てられた弾薬庫です。彼は指導者の一方で都市計画家でもあり、非常に繊細で頭のいい人だったと言われています。ここはとても美しい場所で、9つの建物から成っています。1970年ごろ、私たちは廃墟同然だったこの場所をスクワットしました。その後、幸いにもフランス政府が助成金を出してくれました。今となっては50年以上も前のことですが、私たちはそれを資金に少しずつ自分たちの夢に近い場所へとカルトゥーシュリを変えていきました」と始まりのカルトゥーシュリについて語るムヌーシュキン。太陽劇団にとって「劇場とは夢の宮殿でなければならなかった」という。

「すべての人が歓迎され、そして私たちにとっても快適な場所。カルトゥーシュリでは次第に公演もできるようになりました。演劇にとって必要なのは、まず空間です。そして、平和であること。これは精神的あるいは社会的な平和を意味します。この平和というものは、世界ではますます希少になってきました。ヨーロッパでは現実に戦争が起こっています。ただカルトゥーシュリにおいては、私たちには空間がありました。そして時間もありました」

劇場入口、ムヌーシュキンがお出迎え ©まつかわゆま

芝居仕様にしつらえられた劇団自慢の食堂 ©まつかわゆま

カルトゥーシュリを訪れた人々の多くが「これこそ演劇の理想郷」と称賛の声をあげてきた。いくつかの舞台、美術や衣装のアトリエ、楽器や仮面など様々な工房。そして来場客にもオープンな楽屋と公演期間中は劇団員も給仕する食堂、芝居同様に工夫を凝らした食事のメニューなどなど……。ムヌーシュキンの言葉どおり、ここに来た全ての人が歓迎される、真に劇的で祝祭的な場所。それが太陽劇団のカルトゥーシュリだ。

個々のベストを引き出す―太陽劇団の集団創作とは

「集団創作について、これは私の役割なのですけれども、俳優、技術スタッフ、それぞれが持っているベストな部分を引き出して行くということですね。この集団創作については、指導を全くしないという、よりラジカルな人もいるでしょう。でも私はそのようには考えず、指導というものが必要だと思っています。私たち集団の一人一人のベストの部分を引き出す。それを観客に見えるようにする、感じさせるというのが、指導者の役割だと思っています。それぞれのベストが同時に一つの作品に結集する。これが集団創作です。そこには検閲はありません。完全な自由があります」

それでも完全な自由というものには、眩暈を感じるときもあるとムヌーシュキンは語る。

「そんな眩暈を起こすような感覚の中で、私たちも方向を見失ってしまうこともありますが、それでも純粋な思いを抱きつつ、少しずつ自分たちの足で進んで行く。なかなかの混乱の中にある創作ですが、次第にまとまってくるわけです。同じひとつの川に流れ込む小川のようなものだと思っています」

集団創作を語る一方で、劇団の運営面についてもムヌーシュキンは付け加えた。

『アガメムノン』(1990年) ©Michèle Laurent

「太陽劇団の原則について。まず賃金の平等はずっと変わりませんし、これから先の集団の労働形態も同じです。私たちの何人かは年を取っていくつかの特権を得ますが、これは賃金とは別の話で年長者には腰掛けるための椅子を持ってきてもらうとか、ホテルで個室をあてがわれるとか小さなことです。また劇団員は常に一緒にいたいわけではありません。共同生活をするコミューンのような形は取らなかったし、もしそういう選択をしていたら太陽劇団は今ここにいなかったと思います。私たち集団はあまり親密な関係になってはいけないと思うのです」

日本との出会いで演劇への扉を開く鍵をもらった

ムヌーシュキンは劇団旗揚げ前年の63年に日本を旅し、そこで能や文楽、歌舞伎など日本の伝統芸能、また街場の芝居小屋にかかる大衆演劇にも触れたという。そのような日本での体験がムヌーシュキンの演劇人生に大きな影響を与えたともいわれている。遠き日の日本の思い出、しかしムヌーシュキンにおいて日本は、今まさにその創造の核心にあるものだ。

映画『太陽劇団の冒険』(2009年)より

「1963年、マルセイユから船に乗り横浜に着きました。そして5か月間日本に滞在しました。それが私の人生を変えたわけです。どういう変化が起きたかは曰く言い難いのですが、日本に行く前に演劇をすることは心に決めていて、日本に着いてから私は演劇というものが何であるか分かり始めました。私は若かったので、演劇への扉を開けるための鍵が必要でした。そしてこの日本への大旅行こそが私に必要な鍵を与えてくれたのです。つまり、演劇におけるメタモルフォーゼ、変身とは何か? これは俳優に必要なものでもありますが、一体それは何か。また、何もないところから全てを語るとはどういうことなのか」

圧倒されるような日本の演劇文化に触れて雷に打たれた思いがしたというムヌーシュキン。しかし、一方でまだ日本がどういうものか完全に分かってない自分もいたという。

「日本の演劇との出会いは本当に衝撃的でした。しかし私は日本の舞台芸術の専門家でもないし、学者でもありません。理論化ということは考えていないわけです。私にとって日本の演劇は、様々な形式であり、感動であり、それらは私自身の中で生起しているわけです。私は能、文楽、歌舞伎に感動するわけですが、しかしながらここには普遍性があります。伝統芸能の中の最も強い部分がまさに日本的なるものですが、そういう意味で日本の演劇を見ると、それこそが完全に万国共通というか、普遍的なものなのです」

美しく、完成度の高いものは全て普遍性を持つとムヌーシュキンは強調する。

「例えばシェイクスピアは、単にイギリスの作家というだけでしょうか。シェイクスピアは世界のものです。したがって優れたものがあるレベルに達したとき、それは日本だけのものではなくなって世界のものとなる。そういう瞬間があるわけですね。私は日本で大衆演劇を見た時、これこそシェイクスピアだと思いました。そこで突然、イギリスと日本の間に橋が架かる。日本は世界に向けて演劇の宝物を手渡したといえます。日本の演劇は日本の皆さんだけのものではありません。日本の演劇は世界中のアーティストを感動させ、彼らはそれを祝福と捉えました。インドのカタカリもそうなのかもしれませんが、それ以外にこんなに万国普遍になるものは、日本の演劇しかないのではないでしょうか。私にとっては友であると同時に師でもある。それが日本の演劇だと感じています」

『十二夜』(1982) ©Michèle Laurent

とはいえ、そんなムヌーシュキンにも日本を理解するのは今に至っても難しく、時にヴェールがかかっているように感じることがあるという。

「それは言葉のせいかもしれません。やはり日本は神秘的な国なのですね。とても遠くにある国に思えます。でも日本に旅行してからの私の人生にとって、日本は大いなる愛の対象となりました。人生の宝物、偉大なる教師。そんな日本で私たちが公演できるなんて今でも信じられない気持ちです」

幻となった佐渡島ワークショップと再出発

佐渡島にて(2017年)  ©Archives Théâtre du Soleil

当初太陽劇団の招聘公演は2021年の秋に予定されており、それに先だって2020年に佐渡島で劇団員全員が滞在型ワークショップを行なうことになっていた。だが世界規模の新型コロナウイルス感染症拡大によって直前で佐渡島への旅は中止を余儀なくされた。佐渡島はムヌーシュキンが以前来日したおり訪問し、文弥人形芝居をはじめ島に伝わる豊かな芸能風土に感銘を受けて、新作を構想するきっかけとなった場所だった。
「佐渡島というのは、日本のエッセンスが塊になったようなところだと思いました。とても美しくユニークな唯一無二の島です。かつて流刑になった人たち、世阿弥もそうですが、島流しにあった人たちの思いが残っている場所でもあります。ここに劇団員たちと大旅行をするはずでした。現地での受け入れについては太鼓芸能集団 鼓童の協力も取り付けていました。それがコロナ禍で実現できなくなってしまった悲しさ、悔しさといったら……」

かつて劇団員たちに「人形劇の伝統があるところに行くこと」と指示を出したムヌーシュキン。ベトナム、台湾、日本などに散って行ったメンバーがパリに戻って完成させたのが、日本の文楽やベトナムの水上人形劇、韓国の伝統音楽などの様式を大胆に取り入れた傑作『堤防の上の鼓手』だった。再びそんな作品づくりを構想していたムヌーシュキンと劇団員たちの落胆は如何ばかりか。

「この挫折自体はとても悲しいことでしたが、しかし同時にここから新作劇のテーマを改めて考えたわけです。大旅行はできなかったけれど、劇によって私たちはそれを実現しようと。挫折の悲しさ、悔しさといった要素が劇に入ることで新しい作品になったと思います」

『堤防の上の鼓手』(1999年) ©Michèle Laurent

太陽劇団が舞台に乗せたいのは、世界そのもの

「新作は佐渡島にインスピレーションを得て島を舞台にしたいと思っていました。存在しない架空の島の名に、私は「金」という字を入れたかった。この劇自体は全部が夢の話なのですが、私の方から「島」と「金」という漢字を入れたいと希望し、「金夢島」という形になったのです。佐渡島に歴史的に非常に重要な金山があったことも関係しています。この「金夢島」というタイトルが、フランス語のタイトルよりずっと豊かだとよく話すのですが、この「金」という字がお金、マネーを意味することを知ってとても嬉しかったのです。劇の中にもそうした二重性があり、全てのことがお金のためという意味も隠れています。登場人物の中には、のどかな島を切り刻んでしまうような様々な欲望、経済を優先する価値観も見出せます。これは日本に限らず他の国にもあることです。こうしたお金を巡るジレンマも劇のベースにはあるわけですが、このほかにもいろいろなドラマがあります。大きいものも小さいものも地球で起こっている様々な事柄。つまり、私たちが舞台に乗せたいのは、世界なのです。私たちは友人たちのために、世界の一つの小さなかけらでもいいので、それを舞台に乗せたいと思っています。そのためには私たちの心に世界を受け入れなければなりません。現在の世界をそのまま受け入れることは、非常に悲しい、過酷なものかもしれません。少し泣きたくなるかもしれないけれど、それを自分の中に受け入れなければならないのです。そうしなければ、自分たちが生きていく上で、どうして演劇ができましょうか」

実際に佐渡島には行けなかったが、一方でオンラインを活用してフランスと日本を結び、能は大島衣恵さん、狂言は小笠原由祠さん、歌舞伎は前進座の俳優さんたち(横澤寛美、中嶋宏太郎、早瀬栄之丞ほか)といった日本の伝統芸能継承者たちとワークショップを行なうことができた。劇団内でイマジネーションを広げ、ディスカッションを重ねて作品世界を深めていく。それが可能となったことでムヌーシュキン自身も『金夢島』創作に確かな手応えを感じることができたという。

東京へ、京都へ。高まる鼓動が聞こえてくる

ムヌーシュキンの京都賞受賞をきっかけに、日本へのオマージュを込めた新作づくりを本格的に始めた太陽劇団。2020年にはムヌーシュキンが単身来日し、会場探しとリサーチのため、東京から京都へと積極的に動き回った。新型コロナウイルス感染拡大が始まった年でもあり、何とムヌーシュキン自身が帰国後に体調を崩して臥せってしまった。その後、日本への入国が制限され、劇団総出の佐渡島ワークショップは直前で中止。2021年には東京と京都での来日公演がすでにアナウンスされていたが、招聘側の努力にも関わらず公演は延期を余儀なくされた。それでもオンラインによる日仏ワークショップで作品づくりは静かに進み、『金夢島』は2021年11月にカルトゥーシュリでついに初日の幕を開けた。そして遂に念願の日本公演が2023年秋に実現する。東京へ、京都へ。はやる心の内を語るムヌーシュキン。

『最後のキャラバンサライ』(2003年) ©Michèle Laurent

「実は私はここのところ何年も東京は怖いところだと思っていました。なかなか考えが及ばないほど大きな都市です。しかし考えるうちに東京も小さな町や村の寄せ集め(アマルガム)というのが、見えてきて少し安心しました。グローバルに見てはいけないと。東京という大きな鯨に吞み込まれてはいけないと。東京という激動の大都会は常に動いていて、皆が動いているので自分も動いてしまう。終わりのない動きに取り込まれないよう、私はベンチに座って時間を過ごす。そうすることで心の振動、鼓動が聞こえてくる。東京を行きかう人たちの緊張、抱えている問題、彼らの勇気などが見えてくるわけです。だから東京は怖かったのですが、今はそれほど怖くなくなりました。小さな立ち位置から、木を見て、それから森を見ようと私は考えたのです」

若き日にムヌーシュキン自身が旅した頃とは大きく様変わりした現在の東京。そして22年ぶりの東京公演。移ろいゆく巨大都市東京にも鋭敏に反応するムヌーシュキンの感性。そして初の公演場所となる京都は、ムヌーシュキンには別の意味で感慨深い場所のようだ。

「京都を訪れると、美しさというものの中心に一歩入るような思いがします。しかしそれは脆弱な美しさ、こう言っていいのか悪いのかわかりませんが、時々私は日本の美しさは非常に脆弱なものと思えます。壊れやすい、というのは、つまり非常に強い大きな力、破壊的な力に壊されそうになっている。日本における進歩、これは反面で破壊をもたらすかもしれない。しかしそこにある宝物は大切にしなくてはいけない。私は日本に来て京都を訪れるたびに宝物を見つけています。それから京都においては京都賞をいただいたことに大きな感謝の気持ちがあります。『金夢島』が今、生きた劇として形になった理由の一つはこの京都賞であり、作品づくりに大きな貢献をしてもらいました。日本に、そして京都と東京に改めて感謝の気持ちをお伝えしたいと思います」

『金夢島 L’ÎLE D’OR Kanemu-Jima』(2021年) ©Michèle Laurent

演劇の未来、若い世代への期待

太陽劇団は2024年には旗揚げから60年を迎える。これまで内部的にも幾度か存続の危機があったとムヌーシュキンは振り返るが、一方で外側の危機は演劇を作るための「平和」から益々かけ離れ、そうした状況は劇団にとっても何かに呪われているように思えるほど深刻だという。AIなどデジタル化に拍車がかかる現代社会の中で演劇はどうあるべきか、未来に向けて演劇はどう進んで行くのか。

「私はAIとかはよくわからないので、ちょっと怖いし、心配をしています。いったいこれはどういうことなのか、と。不思議な、非人間的な世界を想像してしまいます。しかし一方でこうした状況に対抗するために演劇は良い立場にあると思います。つまり、演劇というのは“生きた身体”なんです。演劇を支えるのは俳優の身体です。本物の身体に支えられた演劇は、AIなどに占領されないし、どんなテクノロジーにも支配されない。そのためには俳優の身体を信じることだと思っています。それからアーティスト、大道具や照明などに関わる様々な舞台技術者、手仕事の職人たち、彼らを信頼することだと思います。演劇というものは具体的で、生きているわけです。身体における骨や筋肉や血や唾、それらすべてが演劇です。映画やデジタルクリエーションのようにテクノロジーに脅かされないのが演劇。新しい技術、AIなどを使って何かが私たちを支配しようとしているかもしれませんが、演劇は支配できないのです。実際に人間が仮面をつけて、あるいはつけないで演じる劇というのは、他者を身体に入れる、自分の身体を使って他者の身体を受け入れることだと思います。私は他に心配なことがたくさんあるので、演劇の将来についてはあまり心配していません。演劇が本物の役者、本物の音楽家、本物の美術家、本物の才能あふれる技術者、そして献身的な人々に支えられている限り、演劇は無事だと思います。そして若い世代の皆さんには是非見に来てほしいと思っています。私たちがどこから来たのか、私たちが師として仰いでいる日本が、絶え間なく私たちに伝えてきたことが皆さんにも分かると思います。ですから、まずは劇場にきてください!」

『金夢島 L’ÎLE D’OR Kanemu-Jima』(2021年) ©Michèle Laurent

本作の東京公演は10月20日(金)から26日(木)<23日(月)休演>まで東京芸術劇場プレイハウス。続いて京都公演は11月4日(土)から5日(日)までロームシアター京都 メインホールで上演される。

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