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#インタビュー#演劇#レパートリーの創造#2017年度

岡田利規×木ノ下裕一 ロング対談

アーティストと劇場と観客の「ただならぬ」関係。レパートリー作品が拓く未来とは?(前編)

インタビュー・テキスト:島貫泰介(ライター・編集者)
2017.8.24 UP
撮影:佐々木卓男

2017年、ロームシアター京都は新たな挑戦、「レパートリーの創造」を始める。劇場が新作公演を企画製作・上演するのは珍しいことではない。そのなかで、その作品を長期的な劇場の財産として定期的に再演し、それによってアーティスト、劇場、そして観客の関係性を育くもうとするビジョンは、日本ではなかなか定着には至っていない。そんな、これまで複数の公共劇場が挑戦してきたレパートリー作品の定着を、ロームシアター京都も目指そうとしているのだ。 その最初のパートナーとなるのが、木ノ下裕一率いる「木ノ下歌舞伎」だ。2017年10月の『心中天の網島ー2017リクリエーション版ー』を皮切りに、来年上演予定の新作を視野に入れた活動が、すでにスタートしている。 そして、木ノ下歌舞伎同様にリクリエーションを謳っているのが、チェルフィッチュを主宰する岡田利規だ。2017年12月から、自身の代表作である『三月の5日間』を新キャスト・新演出でリクリエーションする岡田もまた、長期にわたって作品と関わることの意味を考えるアーティストである。 そんな木ノ下と岡田を招き、それぞれの作品への想い、そしてレパートリーシステムという新たな試みについて語り合ってもらった。アーティストと劇場は、今後どんな関係を結ぶことができるのか? その成果は、劇場をどんな場へと成長させるのか?

 

木ノ下歌舞伎から始まる、ロームシアター京都の新たな試み

── この対談は、公共劇場が制作するレパートリー作品のあり方をテーマの1つにしています。岡田さんは、2016年からドイツ、ミュンヘンの公共劇場「Münchner Kammerspiele(ミュンヘナーカンマーシュピーレ)」のレパートリー作品を3シーズンにわたって演出することが決定し、2017年2月に2作目となる『NŌ THEATER』を発表しました。また木ノ下さんは、ロームシアター京都との共同企画として2年間にわたる「レパートリー作品の創造」プロジェクトを2017年にスタートしたばかりです。お二方の知見から、レパートリーについて議論していきたいと考えています。

木ノ下 2017年、木ノ下歌舞伎は、演出家の糸井幸之介さん(FUKAIPRODUCE羽衣)『心中天の網島ー2017リクリエーション版ー』の上演に取り組みます。僕と糸井さんは、2015年初演の同作で初タッグを組んだんですが、数年来温めてきた、念願の企画だったんです。じつはかなり前から糸井さんの大ファンでした。

岡田 そうなんだ。

木ノ下 2012年に、木屋町通りの元・立誠小学校で観た、ぐうたらばいの『観光裸』(糸井は作曲・脚本・演出を担当)に感激したんですよ。どうしようもない不倫カップルが京都旅行の途中に深夜の教室に迷い込んできた、という設定の作品で、行き詰った二人の逢瀬を観客は覗き見してるような感じ。ラスト近く、缶コーラの中身をこぼしてしまって、そこに蟻が寄ってくるんです。それを見た女の子が「殺して」と言って、男の方が「わかった、いいよ」と応える。そしてコーラにたかる蟻を二人で潰す、って幕切れ。それを見て「ああ、現代では心中ってこういう風に行われるのかも」と思いました。つまり、本当には死ねないけれども、蟻を殺すことが心中の代わりになる。これが、僕の中では近松門左衛門の心中物につながった。

岡田 何それ面白いね!

木ノ下 名作なんですよ、本当に名作。近松の心中物を現代にアップデートするときに、糸井さんの感覚は欠かせないはずだと思って『心中天の網島』の演出を依頼したんです。

── 糸井さん作曲の歌を取り込んだ、キノカブ初の音楽劇でしたね。

木ノ下 初演はすごく気に入っています。約300年前に生きた近松と、現代の糸井さんが対等な関係性を結び、時間を超えて交感し合う過程を、二人を取り持つ仲人役として目撃できた。今回のリクリエーションも根底に流れるものは一緒ですが、前回答えの出なかった課題もありますから、もっと深いところに入っていければと思っています。

岡田 (ロームシアター京都平成29年度ラインアップ発表の)記者会見のとき、糸井くんは「前回は遠慮してました」って言ってましたけど。

木ノ下 あれで遠慮やったんやったら、次どうなんねやろう、と思ってすごい楽しみ。具体的な変化で言うと、初演の前半部分は各俳優に古語を口語訳してもらったものを僕と糸井さんが台本の形に取りまとめたんですが、今回は前半部分を全部糸井さんに書いてもらうことになってます。いわば、完全糸井訳です。近松と糸井さんが、密度濃く、がっぷり四つに組むんじゃないかな。そして僕は、仲良くなった近松と糸井さんの関係に嫉妬するんじゃないかって気がします。そうなれば大成功(笑)。

岡田 百年も昔の劇作家が書いたのを今の人が演出するって、演劇では当然のことだけど、考えてみるとすごいことだと思うんだよね。劇作家って、死んでていいんだよ。そのときそのときの現代の演出家と付き合えるわけだから。そして演出家を介して、そのときそのときの観客と付き合える。すばらしいことですよね。

── 木ノ下さんは劇作家ではなく、「補綴(ほてつ)」という、現代演劇ではちょっと特殊な肩書きで活動していますね。一般的には、芝居の上演にあたって、既存の戯曲をカットしたり書き加えたりする再編集作業を指しますが、木ノ下さんは演出や美術など全体的なクリエーションにも関わっています。ヨーロッパ的に言い換えればドラマトゥルク。

木ノ下 そうですね。元の台本を介して、ずっと前の作家と「お話」してますからね。「(あなたは)どう思って書いたんですか?」って聞きながらまとめるのが補綴の仕事。

岡田 プロデューサー的な嗅覚があるんだろうね。糸井くんと近松の相性のよさを嗅ぎとったり。

木ノ下 スタンスとしては、紹介をしたいんですよ。近松門左衛門に「いやあ、近松さん。あんたも素晴らしい。素晴らしいけれども、現代にはこんな素敵な糸井さんっていうアーティストいますからね。知ったらきっと悔しがりますよ!」って言いたい。

岡田 (笑)

木ノ下 そして糸井さんには、「300年前に日本には近松門左衛門っていう人がいます。一般的に世話物の名手って評価になってますけど、じつはこういう面白さもある。300年前の日本も捨てたもんじゃないと思いません?」と言いたい。単純にね、見合いを勧めにくる町内の世話焼きおばちゃんの気持ちですよ。プロデューサーじゃなくて、カップル成立させたいおばちゃん(笑)。

「心中天の網島」2015(C)東直子

 

ドイツにおける公共劇場

── では岡田さんに質問です。日本の演出家で海外劇場のレパートリー制作に加わる人は稀ですが、ミュンヘンの現場を経験してみていかがでしたか?

岡田 楽しいですよ。新しい経験は楽しいですからね。ドイツのレパートリー・システムって最初すごく驚きますよ。だって毎日違う演目上演してるんだから。劇場は毎日仕込み替えだし、役者は日々違う芝居に出てる。大変だよなーと思うんだけど、そのやり方はドイツではずいぶん前から制度化されてるものだから。例えば俳優にとっても、午前中は新作の稽古、夜はレパートリー作品に出演、という生活は「だってまあそういうものだし」みたいな感じなんですよね。そういう環境の中に身を置いていると僕も「まあそういうものだし」と思うようになってきました。そういうふうに自分の認識が少しずつ変わっていくのも楽しいですよね。そういうことがいろいろとたくさん起こっていると思います。

── ミュンヘンの観客層は、主にどんな人たちでしょうか?

岡田 総じて年齢は高めですね。いろんな理由があると思って、例えばドイツの劇場で年間会員になるのはちょっとしたステイタスなんですね。会員費も相当に高いはずだから、若い人の手にはなかなか届かないだろうと思います。カンマーシュピーレは、若い観客を劇場に呼び込もうと頑張ってます。芸術監督自身がドイツ演劇の伝統を壊そうとしてる人で、だからこそ僕に声をかけてくれているわけです。劇場の食堂にいると、ドイツの演出家はもちろん、イラン人とかレバノン人とか、いろんな地域の演出家に会えます。僕は劇場のそのような方針は刺激的で楽しいと思いますが、もちろんそれに対しては厳しい評価もあります。

── ドメスティックな演劇を見たい層もいますからね。

岡田 テキストベースの演劇、台詞劇を見たい人は多いんです。そういう人にとっては僕なんかが入ってるラインナップってのは不満が多いものなわけで(笑)。「こんな調子の年間プログラムを来年も続けるんだったら、もう会員にならない!」みたいな声もあったりするんですけど、あの劇場はそうしたものと戦っていますね。僕としては、自分がその戦いにわずかでも関わっていることを、名誉なことに思ってます。

── 日本国内の公共劇場でレパートリーの創造を打ち出すロームシアター京都も、これからいろんな挑戦をしていくことになるでしょうね。

岡田 ロームシアター京都は、単にドイツとかのシステムをそのまま持ち込もうとしてるわけではないですよね。ゼロからコンセプトを立ち上げて挑戦しようとしている。僕としてはその理由を知りたいし、応援したい。

ロームシアター京都職員 今回の「レパートリーの創造」という取り組みは、末永く上演されるレパートリー作品を劇場が生み出し、劇場がある地域で世代を超えて作品を共有していく、というような連なりを作っていくことを目指しています。今回お二人に創作いただく作品は、いずれも「リクリエーション」と題されていますが、再演や再創作という上演形式については、どうお考えですか。

岡田 再演をするということは、なぜそれを再演するのか? というなんかしらの考えや意志があるということなんですよね。そうでないと再演には踏み切らないので。 上演というのは作品と観客との出会いなわけですけど、お客さんっていうのは住んでいる地域とか生きている時代っていうコンテクストの中にいて、その中にいる人として作品と出会うという面がある。再演するというのは、初演のときと時代的なコンテクストが異なる条件のもとで上演するということですから、まずはなんといってもそれによって上演がどうなるか、というのがおもしろいんですよね。

木ノ下 木ノ下歌舞伎は「ガチ再演したい派」なんですよ。上演する際の時代の空気の変化によって、言いたいことも変わってくるから、どうしても手を入れちゃいますけど、それも含めて再演は面白い。過去の自分がつくったものを、再度問い直すスリリングさがある。 それと、これはじつに単純な話で、体力的にも財政的にも新作ばかりつくれないですよ(苦笑)。つくるならばしっかりしたものにしたいし、古典を扱うならば、調査・稽古も含めて2年間くらいの時間が欲しい。それを無視して新作を連発しても、どんどん荒れていくだけです。 そしてもう一つの理由としては、ひとつの作品を1万人に見てほしい。やっぱり三百人しか見ることのできない作品は、なかなか歴史には残らないし、批評も上がってこない。継続的に上演する環境を整えることで、見る人、語る人の数を増やしたいので、僕は再演推奨派です。

 

日本の伝統芸能・歌舞伎に見るレパートリーのあり方

── 日本で成立するレパートリーシステムって想像がつきませんよね。1日ごとに上演作品が変わって、それに俳優もスタッフも対応していくっていうのは。なんとなく近いのは、ほぼ毎日、同じ劇場で上演を行う歌舞伎なのかな、という気がします。

木ノ下 例えば歌舞伎と能のように、レパートリーのあり方はそれぞれの芸能によって違います。それに、歌舞伎が今みたいなレパートリー制になったのは近代に入ってから。たかだか150年前くらいの話で、江戸時代にはなかったんですよ。もちろん『仮名手本忠臣蔵』のような人気演目は何度も上演されていますが、それは単に人気があったからで、基本的なスタンスとしては、同じ演目でも台本は必ず書き換える。そのとき参加する俳優、座組の人数、もしくはその年に起きた出来事を時事ネタとして取り込みながら改作して、新作として上演していた。もちろん大きな筋は一緒ですが、同じことを繰り返しやるっていうよりも、毎回違うことを見せる方向に力点を置いていた。

岡田 今の歌舞伎座なんかの演目は、月単位で変わりますよね。当時はどのくらいのペースでやっていたんですか?

木ノ下 当時はもうちょっとゆったりのペースですね。歌舞伎が安定した興行を打てるようになったのは劇場に屋根ができた江戸中期からですが、ロングランもよくありました。大入りになれば続けてぶっ通しでやったりとか、劇場の自由がけっこう利くんです。あとは年に大きい公演を五興行くらい予定して、稽古にたっぷり1ヶ月くらいかけて、1ヶ月間興行するみたいな感じ。劇場が、休みなく毎日開いている訳でもないです。

── かつての歌舞伎は、今の現代演劇のような新作主義に近かったということですか?

木ノ下 かたちだけ見れば。ただ、圧倒的に違うのは作品における独創性の定義ですね。今は、まったくどこもやっていないオリジナルを「新作」と呼ぶじゃないですか。けれども日本芸能の場合は、逆に「何かのパクリじゃないといけない」っていう縛りがあるんです。文楽や歌舞伎では、「世界がり」っていうんですけどね。必ず本説、原作、先行作があり、既存の「世界」を借りてこないといけない。その上で、それを自分たちはどう書き換えたか、っていうところにオリジナリティーを見ているわけです。

岡田 世阿弥も「能は、既存の有名なエピソードなりキャラクターを使ってつくるように」みたいなこと言ってますよね。

木ノ下 世阿弥は、作品づくりのメソッドを体系化したんですよね。本歌取りのようなルール自体は、和歌にもありますから。

岡田 たしかにそうだね。

木ノ下 いろんな要素を数珠つなぎにしていく、っていうのが日本の芸術における表現の王道なんです。それを、演劇創作の現場で言語化した初めての人が、世阿弥だったのかなと思います。

── 歌舞伎が、現在のようなレパートリーシステムを導入した理由はなんでしょう?

木ノ下 それはやっぱり歌舞伎が古典になったからです。明治に入って古典化したことで、レパートリーとして固められるようになった。同時に、作品を文化的な財産として後世に残そうという意識も表れ始めたということだと思います。

 

劇場の財産となる作品をつくる

── 作品を財産として残そうとする意識は、ドイツでも感じられましたか?

岡田 ミュンヘンでの経験から僕が受けた印象は、まずは劇場としての、そのシーズンの基本姿勢なりコンセプトといったものがあり、そしてプログラムを構成する各レパートリー作品は、そのコンセプトを体現するもの、というふうに当然見られるということですね。初日が開くと、まもなく新聞などに劇評が出ますけど、演出家に対してだけじゃなくて、劇場の芸術監督に対しても、非常に厳しい目を向けて書かれていることが多いですね。芸術監督は各作品に対して事細かに口出しするわけじゃないですけど、大きな責任は担っている。その劇場が持っているリソース、アンサンブルの俳優や技術スタッフ、時間と経験、センスや労力がレパートリーにはつぎ込まれているわけですからね。そうなると、こっちとしても「この劇場の所有物となる作品をつくってるんだ」という意識に当然なってきます。

── 芸術監督、そして劇場が持つ大きなビジョンを構成する柱の一本として、レパートリー作品がある。

岡田 アーティストは結局自分のやりたいことやるだけなんだけど。それでも、劇場のビジョンを実現するために選ばれてるんだなという自覚は持ってしまいます。

木ノ下 劇場に通う観客からしても、レパートリーシステムによって、その劇場の性格や目的がよくわかりますね。

岡田 だから「2017年は去年よりもよくないね」みたいな評価も当然するわけです。

木ノ下 アーティストにとっては、そこに組み込まれることってプラスにもマイナスにも働きそうですね。

岡田 僕はプラスに感じてます。ドイツでは、レパートリー作品は連日上演されないんですよ。もちろんレパートリーシステムを採用していないインディペンデントな劇場、より商業色の濃い劇場もありますが、一般的な公共劇場では、初日公演があって、次に上演があるのはまた何日か後なんです。そういう意味でも、作品は劇場の持ち物なんですよね。演出家がいなくても上演可能だし、初日を見たっきり、他の現場に移動するのは普通のこと。自分個人のプロダクションであれば別でしょうけど、もうちょっと別の、大きな責任を感じて、みんな仕事をしている感じがします。

── そういった環境で、演出家に求められるものは何でしょうか? 『NŌ THEATER』を制作するにあたって、岡田さんにも何らかのオーダーがあったと思います。

岡田 最初はほんとにテキトーな雑談から始まりますよ。「日本人ってセックスしないの?」とか。で、結局それが次のシーズンのテーマになっていったりするんですけど。

── 日本人のセックスレスがドイツにも知られている(笑)。

岡田 新聞記事に出たりするわけです。それを読んで衝撃が走るという(笑)。

── ドイツ人もびっくり(苦笑)。ところで、現在の歌舞伎や能は、すでに古典と呼ばれるものが確立されていて、それらが生まれた遠い過去を視野に入れた、長大な時間感覚のなかで芝居が息づいている感覚がありますよね。しかしドイツのレパートリーシステムでは、例えば二年間の上演期間内で成立するテーマ性を持った作品が求められる。つまり、同時代の社会状況や政治性なんかを念頭に置いて、演出家にオーダーするのではないかと思うのですが。

岡田 例えば、難民とインターネットのことを扱いたい、とかね。ドイツの演劇だとソーシャルなこと、ポリティカルなことを扱うのは、当たり前のことなんですよね。

木ノ下 でも本当は、歌舞伎や能だって同時代性を意識して作品を編成すべきだと思います。例えば、敗戦から70年が過ぎて、今上天皇の生前退位が決まり、戦後がある節目を向かえるっていうタイミングで、古典作品を通して時代を問い直すことが可能なのだから。

岡田 そういう演目は歌舞伎にあるんですか?

木ノ下 『義経千本桜(渡海屋・大物浦)』は、安徳帝という幼い天皇がいて、この人が直接関与しないのに戦争が起こっちゃうっていう内容です。平氏と源氏のどちらが安徳帝を得るかによって、大義のある側が決まってしまうので、その構図は象徴天皇制を強く意識させますよね。天皇制の功罪両方を描こうと思えば描けるし、そこまで思いを馳せることができるお客さんならば、とても刺激的な上演になると思います。

NŌ THEATER (c)Julian Baumann

 

レパートリー作品は、アーティストだけではつくれない

── 木ノ下歌舞伎は、2017年10月に『心中天の網島ー2017リクリエーション版ー』、そして来年は新作をロームシアター京都で上演します。京都版のレパートリーシステムを一から創造することについて、どのような思いがありますか?

木ノ下 それこそ、制作を進めるなかでわかることの方が多いと思うんですよね。まったく馴染みのない文化ですから、「レパートリーとは何か?」ということから考えないと。ですから、実も蓋もない感想ですけど、オファーを受けて単純に嬉しかったです。木ノ下歌舞伎は京都拠点にやって来ましたけど、その他の場所で上演することも多くて、なかなか京都の団体だってことを認識されてこなかったので。 それから、「何をもって京都の作品と言えるのか?」が、けっこう大きな問題だと思うんです。京都を舞台にした演目にするとか、京都の人間だけで座組みを組めば、それでいいのかと言えばたぶん違いますし。そもそも、糸井さんが東京の方ですからね。

── 『心中天の網島』も、舞台は大阪ですしね。

木ノ下 今回のレパートリー制作に限らない話ですけど、僕自身としては、木ノ下歌舞伎の最終目標は、アーティストを京都に呼んで作品をつくってもらうことなんです。環境が変わることで得られる体験や発見があって、例えば京都では、現代社会の雑事から遮断されて、山籠りするような感じで落ち着いて物事を考えることができる……というと言いすぎかな。 環境って大事なんですよ。経済的な問題やスケジュールの都合で実現は難しいんですけど。でも、それが今回は京都でつくるレパートリーということで、かなり長い期間、劇場で稽古ができて、そのまま本番仕込みに流れ込むことができるのが、かなり嬉しい。

岡田 レパートリーって言葉を打ち出す劇場に対して僕がいちばん期待するのは、レパートリー作品に対する劇場の態度ですね。新作を依頼するという以上の、踏み込んだ意図がそこにはあるはずで、長期的にその作品と付き合い、その作品を用いていくつもりがあるということですよね。

木ノ下 自分のところの話になって恐縮なんですけど、木ノ下歌舞伎は去年、十周年だったんですよ。で、「木ノ下“大”歌舞伎」と銘打って、今までやってきた代表作の再演を中心に、そこに新作も加えて6演目の上演を2年かけて取り組んでいます。いわゆるベストアルバムですね。そのラストが、『心中天の網島』なんですが、これまでに4演目を終えて(対談収録は2017年3月末に行われた)、やっぱりいろんなことを考えるんですよね。 キノカブは俳優を一人も抱えておらず、主宰である僕は演出家ではないので、劇団というよりも企画集団なんです。制作と主宰だけがいる。だから位置付けがややこしくて、一時期、劇団というよりも「劇場」と考えようと思っていたんです。

岡田 「集団」ではなくて「場」、ということですね。

木ノ下 劇場に、芸術監督的な人がいて、アーティストを呼んできて古典作品の演出を依頼するんです。そして、その芸術監督は、ドラマトゥルク、プロデューサーを兼ねている。そうやって、ここ数年5人の演出家とタッグを組んで思ったのは、自分の責任がすごく問われる。あらゆる評価が自分に向けられるんですよ。もちろんどの作品も100%面白いと断言できる自信を持って上演してるんですが、それでもこれは本当に大変ですよ。

岡田 大事なのは、責任や評価をみんなでシェアするってことなんですよ。

木ノ下 そうそう。例えば、ある作品の稽古をしていると、別作品の演出家が見にくる。そこで、ある共有……「歌舞伎を扱え!」という無茶振りされた演出家同士だけが通じ合える、苦労や喜びが結ばれる。「全部口語にしてる!これは大変なことだ!」とかね(笑)。

岡田 想像に難くないですね、その光景。

木ノ下 演出家同士の共感や、手法的なリレーが起こっていく。それは、お客さんの側にも影響していくものですから、「前の作品は好きだったけど、今回はいまひとつだな」なんて思うこともあるでしょう。じゃあそこで逆にこちらから観客に突きつけたいのは「あなたが古典に何を見ているのか?」ってことなんです。前作はよかったけど今作は合わないと思ったとしたら、それはなぜかを考えてもらいたい。そこにはきっと、自分にとって「古典の定義とはなにか」を考えるためのヒントがあるはずだから。単に作品を見て楽しむだけでは済まさないぞ! という(笑)。

岡田 それは、まさにミュンヘンの劇場で僕が感じている感覚だよ。

木ノ下 お話を聞いてて、だから勝手にシンパシーを覚えるんです。絶対に大変だけれども、すごく楽しいでしょうね、と思ってました。

 

仲介者・共犯者としてのアーティスト像

── レパートリーを考えるというのは、劇場とアーティストだけじゃなく、それを見る観客について考えることでもあるんですね。

岡田&木ノ下 そうです。

── ロームシアター京都の前身である京都会館に対する愛着を京都のみなさんは強く持っていますが、それは劇場と市民が関わってきた時間の長さによるものです。レパートリー作品は、数年、あるいは数十年かけて上演され続けるものに育つ可能性もありますから、単に作品をつくって終わりにはならないですね。観客なくして、作品は続いてはいかないですから。

岡田 ロームシアター京都は「京都に劇場文化をつくる」と謳ってるでしょう。どうってことない言葉に思えますけど、じつはすごいこと言ってる。大事なのは、まさに観客なんです。劇場とアーティストがいい関係をつくるのは、そんなに難しいことじゃないですよ。

── 距離も近いですしね。

岡田 観客との関係を考えるときに、アーティスト本人のモチベーションは必ずしも優先されない。どちらにしろ、アーティストは好き勝手にやってしまうところが大いにあるし(笑)。 要は劇場文化って、劇場・観客・アーティストで構成される生態系ってことですからね。作品が、その評判の是非云々という以上に、劇場文化っていう循環的システムの一部として捉えられるようになったらすごいですよね。劇場がレパートリーシステムを掲げるって、そこを目指していくことなんだと、僕は解釈してます。そうなると劇場は、演出家や劇団に作品の責任を押し付けるような感覚には、当然、ならなくなる。

木ノ下 本当にそうです。劇場は、お客さんに直接は触れられないわけでしょ。接客とかホスピタリティを通しての交流はあるけど、本質的に作品を通してしか観客とつながることはできない。もちろんね、さっき岡田さんがおっしゃったように、アーティストは究極的には自分のための作品をつくっているのであって、観客や劇場のことなんて知ったこっちゃない、って思う瞬間は当然あります。

岡田 あるね。

木ノ下 と同時に、アーティストは劇場と観客を結ぶ仲介者でもあって、その意味では劇場との共犯者でもある。「好きにやりますよ」って感じと「仲介者であることの責任」に両方から引き裂かれる股裂きの感覚を覚えながら、我々は作品をつくっていくのだけど、そこで劇場に果たしてほしい仕事は、観客のさまざまな意見を抱きとめて、面白い、面白くない、だけではない価値基準を外に向けて発信すること。たとえば、「なぜ今、このアーティストの作品を上演する必要があるのか」ということを、しっかりと、それでいてPOPに発信するとか、劇場を、単に観劇場所としてだけではなく、誰でも参加できるサロンのように機能させるとか。それは広報的な分野の仕事かもしれないけれど、とてもクリエイティブで、楽しくて、そして辛い仕事だと思うんです。

── 私見ですが、それを広げていくと、劇場・観客・アーティストだけじゃなく、その外にいるジャーナリストにも劇場文化、芸術文化を支える責任はあると思います。多くの人たちが責任を分有して、体験をシェアすることが大事だし、それがレパートリーというシステムにも関わってくる。

岡田 木ノ下歌舞伎は2017年に『心中天の網島』をやって、来年は新作をつくる。たとえばそれが、「どちらも面白かったです」というだけで終わっちゃったとしたら、ダメですよね。

木ノ下 そう。ダメなんです。「ただ作品単体が面白い」だけじゃ、百年やっても意味はないと思うんです。つながりの中で何が構築されて、その中に何を見出すか。そして一段落したときに、何が積み上がっているかってことなんですよ。

後編へつづく

  • 島貫泰介 Taisuke Shimanuki

    美術ライター/編集者。1980年神奈川生まれ。現在は京都と別府を拠点に活動。『CINRA』『Tokyo Art Beat』『美術手帖』などで執筆・編集・企画を行う。2022年からは、DIYなアートイベント「湯の上フォーエバー!」を別府市内で主催している。

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