《継承と創造》宮古・八重山・琉球の芸能(4月29日、5月3日)の開催に向け、この公演を応援してくださる著名な方々からメッセージが届きました!
夏川りみさん(歌手)
夏川りみさんからビデオメッセージが届きました。
宮沢和史さん(シンガーソングライター)
それぞれの地域の芸能の差異と共通項をじっくりと鑑賞できるこの舞台が日本文化のへそである京都、さらに、新しく生まれたばかりの那覇の新劇場「なはーと」で行われることを大変喜ばしく思います。ついつい琉球弧の数ある島々を”沖縄”とひと括りにしてしまいがちですが、当然ながら似たような島というものは存在しません。宮古島は山がなく平坦な地形であることから、ライフラインである水の確保に長年苦しめられてきました。島人は祈りや祝詞を歌として唱え、言霊を発し神と交信することで現状の生活の苦しさを打開しようとしてきました。だからこそ、多くの名曲がこの島に誕生したのです。みんなで輪になって心をひとつにし、歌い踊る宮古島芸能の代名詞”声合(クイチャー)”では、喜び・苦しみ・願望、といった島に生きる人々の心身の躍動が表現されているのだと思います。
新井敏記さん(SWITCH、COYOTE編集長)
宮古の芸能/八重山の芸能 「漂うよう島々の唄の道」
今から三十年前、星野道夫と南へ、旅に出た。
八重山諸島で一人の海人と出会った。名前は安里勇、つきんぼの漁師だった。夜、彼は採った魚や貝を僕たちに振る舞って、おもむろに三線を取り出すと八重山情唄を披露してくれた。「与那国ションカネー「「あがろうざ節」「トゥバラーマ」など、潮風で鍛え上げられた地声と息継ぎの長い声量に圧倒され、僕たちは息を凝らし、生粋の島の唄に聴き惚れた。僕は『海人』という一枚の八重山民謡のCDをプロデュースした。ライナーノートに星野道夫の文章を載せた。
「人間には大切な自然がある。日々の暮らしの中で関わる自然、もうひとつはなかなか行くことのできない遠い自然である。が、遠い自然は。心の中で想うだけでいい。そこにあるというだけで、何かを想像し、気持ち豊かになってくる」
以来、遠い自然に近づきたいと、繰り返し先島諸島を旅していった。
二〇一七年十一月三十日、宮古島で與那城美和のライブを初めて観た。絞り出すような唄声にただただ圧倒された。「なりやまあやぐ」という古謡を聴いて心が震えた。アンコールは「白鳥ぬあーぐ」だった。鳥の唄だ。鳥は木の枝の上に巣を作り卵を産み、温め、ヒナをかえす。羽の色が違っても嘆くことはない。與那城美和の子守唄は会場全体に静かに響きわたった。
あとで聴くと、與那城美和は、前日母を亡くしたばかりでライブのキャンセルも考えたということだった。そばにいたい、今にも駆けつけたい母を遠くに思う。万感の想いを胸に留め彼女は唄った。思えば先島諸島の唄は、悲しみを堪え、人の生き方に重なって漂うように島々を渡っていく。唄の道、僕は先島の旅を続けたいと思った。
角松敏生さん(シンガーソングライター、音楽プロデューサー)
沖縄の文化を考える時、常に多面的視点が必要ではないかと個人的には考えています。ある意味様々な歴史の流れと対峙してきた沖縄には人類文化史の多様な側面が取り込まれているように思います。
沖縄ブームなる言葉が生まれて久しいわけですが、「ああ沖縄っぽいね」と一括りでは語れないものがこの島々にはあります。
離島の方々が沖縄本島に出かける時、「沖縄に行く」と、おっしゃいます。
その時私は、なるほど「沖縄」と一括りにできないことがこの地には沢山あるのだと気づき、ますますその文化の成り立ちの深さに思いを新たにしました。
本公演はそんな島々の地域、伝統の特色を知ることのできる貴重なものかと思います。
楳茂都梅衣華さん(上方舞)
十六年前のある日、立命館大学の国文学の先生と一緒に一人の好青年がわが家を訪ねて来られました。先生からのお話では沖縄から京都留学中で、楳茂都流の上方舞も勉強したいとの事、これが宮城茂雄さんとの最初の出会いです。涼やかで綺麗な眼と美しい声が印象に残っています。
実際にお稽古を始めますと、当時すでに将来を嘱望されていた沖縄伝統芸能のホープだけあって飲み込みの良さは抜群でした。地歌舞の「黒髪」や「雪」をお稽古したのも楽しい思い出です。
このご縁で、素晴らしい琉球芸能にたびたびふれ、その気品ある美の世界に魅了されました。風のように流れるリズムと動きに不思議な懐かしさを感じています。
本公演の作舞によって、新たな境地と才能の花が咲く事を期待しています。