多様な角度から同時代の社会を考えていくシリーズ企画「“いま”を考えるトーク」。Vol.28として2026年7月11日に開催した「人間とAIと環境からなる「カラダ」 ~相互性からみえてくる現代の身体性」のレポートをお届する。阪神淡路大震災をきっかけに、だれもが共存できる社会を目指してロボット研究・開発を進めてきた八木聡明さんと、人々を分ける見えない制度や前提を根底から問う創作活動を続けてきた遠藤麻衣さんによるトークは、フィジカルAIの最先端を確認しつつ、その技術が拠り所とする人間側の暗黙の基準や価値観に話が及んだ。
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文:高松夕佳
客観と主観の絡み合い――ロボットと共に生きる世界
生成AIの発達により、私たちの知的業務は劇的に効率化された。現在では、デジタル空間でのみ活用されていた高度なAI知能に、ロボットなどの物理的な身体機能を統合し、現実世界での行動を自律的に行わせる「フィジカルAI」の開発が進んでいる。
まるで人間のように、その場の状況に応じて自律的に動くヒューマノイドロボットが現実のものとなりつつあるなか、ますます曖昧になる人間/AI、自然/人工、能動/受動の境界をどう考えたらいいのか。
「“いま”を考えるトークシリーズ Vol.28」では、人とロボットの協調的ふるまいに着目するロボット研究者の八木聡明さんと、制度や時代、社会規範をテーマに作品を作り続けるアーティスト・遠藤麻衣さんが、現代における身体性のあり方に迫った。
目指すのは、人とロボットが共に生きる社会

遠藤麻衣、八木聡明
まずは八木聡明さんが、自らの研究について解説した。
神戸市出身の八木さんは、小学校の震災教育で出会った災害現場で救命活動を行うレスキューロボットに感動したのをきっかけに、ヒューマノイドロボット研究の道に入った。現在は、大阪大学D3センターで研究する傍ら、京都大学でフィジカルAIの産学連携事業への取り組みや、フィジカルAIを社会実装する人材を育成するための一般社団法人の運営など、多方面から次世代ロボットのあり方を考えている。
八木さんが目指すのは、ロボットが人間に寄り添い、生活をサポートする「共生社会」の実現だ。
「AIやロボティクスが発達した現在でも、その応用先はいまだに産業界であり、我々の生活とはかけ離れています。どうすれば人の生活にロボットをつなげられるかをずっと考えています」。
人間にできて、ロボットにできないこと
ロボットがある程度自律的に動くことができるようになった今、次に求められるのは、大量のデータを学習し、リアルタイムで目の前の状況を理解し考えながら動くことだ。ロボットに大量の経験をさせることで現実世界への対応力を磨く、高速のシミュレーターの開発も急速に進んでいる。ロボットが高速で学習し、多様なタスクの訓練を受ければ、人間より賢くなりそうだが、八木さんは「私はそうは思いません」と、2つの動画を示した。
1つ目は、混雑した交差点を渡る人々の動画だ。誰もが前から来る人とぶつからないよう無意識のうちに避けて歩いている。
「これは間違いなく、今のロボットにはできないことです」。
次に八木さんは、歩く人を認識してロボットが道を横切ろうとしている動画を紹介した。

ロボットは何もない環境ではスムーズに動き、通路の真ん中に立つ人と壁の間も通り抜けることができたが、人が少しでも足を広げただけで、フリーズした。人と壁から一定の距離を保って移動しようとするとその間を通り抜ける十分なスペースを見つけられず、止まってしまうのだという。
「このように、人間にとっては当たり前でもロボットには処理のできない状況が、世の中にはまだまだたくさんあります」。
「環境」と「身体」が「知能」を生む
八木さんがロボットを研究する理由はそこにある。このような人間の「賢さ」や「知能」がどこから来るのかを、ロボットを通して知ろうとしているのだ。
たとえばアリは、砂の山を傾斜に沿ってうねるように歩くが、それはアリが触角で感知した障害物を避けた結果であって、アリの頭脳が賢いからではない。砂山の表面の複雑さとアリの行動が相まって生まれる「知能」なのである。
同様に、地中で暮らすカブトムシは柔らかい土壌ではまっすぐに潜っていくが、硬い土壌では回転しながら土を掘り進める。ここでもカブトムシの力と地面の硬さの相互作用によって「知能」が生まれている。
「知能というのは、環境と身体と脳の相互作用から生まれるものであり、『知能』を考えるには『身体』が非常に重要です」。
この発見から八木さんは、弱いモーターとプラスチック樹脂でできた、ぶつかっても危なくない子ども型アンドロイド「いぶき」を開発。アルゴリズムではなく、物理的な設計、つまり「身体」によって「安全性」という「知能」を実現した。
「人とロボットが共に移動すること」を目指す八木さんは次に、人間の持つ同期性をロボットで再現しようとした。人は複数人で歩いていると、次第に動作が同期してくる。そこで「いぶき」の足元に人の歩行時の重心軌道を再現する機構を入れ、上半身が歩いているように見えるようにした。すると、いぶきの後ろを歩く被験者は次第にいぶきの歩行動作に引き込まれるように同期していったという。
「このメカニズムを発展させれば、人混みの中をスムーズに動けるロボットが作れるでしょう。まさに、知能が環境と身体から生まれていることを証明できました」。
AI開発者はとかくアルゴリズム設計に向きがちだが、それよりもまずは知能がどこに宿るかを見極め、知能そのものを設計すべきだ、と八木さんは強調した。知能は周囲の環境と自分との相互作用から生まれることもあれば、身体構造の巧みさから生まれることも、アルゴリズムが有効なこともある。環境に何を委ね、身体に何を備え、AIに何を学習させるのか。これら3つの要素を複合的に考えることが重要だというのだ。
ロボットは人型がいい?
「ヒューマノイドロボットが人の形をしているのは、なぜなのですか?」--話を聞いていた遠藤さんから、質問が上がった。
「人の仕事を代替する存在だからなのか、それとも自分たちと似た形をしているほうが親近感が湧くからでしょうか」。
八木さんは「その両方です」と頷いた。AIに学習させる大規模データは人間の動きに基づいているし、人のために設計された空間で動作をするにも、我々が親しみを持つパートナーになるためにも人らしい見かけは都合がいい。
「そうした理由から、最近では人型であることが重要だと言われるようになりました。私の学生時代には、ロボットは特定の作業に特化した身体を持てばよく、人型である必要はないとされていたので、隔世の感があります」。
遠藤:最近、洗濯物を畳んだり、玄関で靴を揃えるといった家事労働をする中国のフィジカルAIのニュースをよく目にするのですが、例えば腕だけとか、必要な機能だけ身体化しているような、ああいうロボットをどう思いますか?
八木:一歩間違えば怪我につながるほど強力なモーターが使われていて怖さを感じますが、人間社会が人型ロボットにそれだけ寛容になった証と捉えています。
科学技術が社会に受け入れられる際には、2つのパターンがあります。1つは現在の生成AIがそうであるように、誰もが使えるレベルにまで技術が進歩したときです。もう1つは「安全ではないけど、そこそこ使えるから」と許容のハードルを下げる場合。中国のロボットはこれらのバランスの上に出てきたのだと思いますが、今後は安全性が問われることになるでしょう。
身体的経験の違いが生む距離

遠藤麻衣
一方、兵庫県出身で東京を拠点にアーティスト活動を行う遠藤麻衣さんにとっても、「身体」は重要なテーマである。
幼い頃から絵を描くのが好きだった遠藤さんは、東京藝術大学油絵学科に入学後、授業で完成した作品を発表することに重きが置かれることにショックを受ける。自分が好きなのは描く行為そのもののほうだと気づき、苦悩していたとき、他人に見せることを前提に集団で作品を作る演劇という表現方法に出会い、活路を見出したという。
遠藤さんが「身体」を意識したきっかけは、2011年の東日本大震災だ。震災を経験した人としなかった人の差、身体経験による距離をリアルに感じた。
「他者の書いたセリフを俳優が自分の言葉のように語る演劇という表現方法を通せば、経験した人としていない人の差が縮まるのではないかと考え、模索を始めました」。
社会制度が人々の間に引く境界線
朗読劇「8-エイト」に出演、里親や結婚制度などについて学ぶと、社会制度によって当事者と非当事者の間に引かれてしまう境界線に興味が湧いた。
「特に考えさせられたのは、結婚制度です。人によっては使いたくても使えない制度である一方、意識せずに生活できている人もいる。法律や社会の決めたルールによって線引きされる人が生じてしまうのはなぜなのかを考えるようになりました」。
《アイ・アム・ノット・フェミニスト!》は、その問題意識から生まれたパフォーマンス作品だ。結婚制度を無自覚に利用していた異性愛者の自分を皮肉り、離婚と結婚を繰り返しながら夫婦で苗字を交換し合うという契約書を作り、その宣言式を親族の前で行う様子を作品に仕立てた。

《アイ・アム・ノット・フェミニスト!》2017年「フェスティバル/トーキョー17」ゲーテ・インスティトゥート東京、撮影:Alloposidae
《あなたに生身の人間として愛されたいの》は、2016年、東京都現代美術館でアンディ・ウォーホルのシルクスクリーン作品《マリリン・モンロー》を持っているように見えるよう裸の身体にペイントを施し、「愛されたいの」と歌うパフォーマンス作品である。美術館は難色を示したが、下着をつけた身体にペイントするとの条件を飲むことでなんとか発表にこぎつけたという。

《あなたに生身の人間として愛されたいの》2016年「MOTアニュアル2016 キセイノセイキ」東京都現代美術館、撮影:松尾宇人
このとき美術館の要求に屈してしまったことへの反省から、遠藤さんは次に「美術館内におけるヌードパフォーマンスの発表は合法だ」と架空の美術館を訴える裁判を起こしたと仮定し、その様子をスクラップブック形式の作品『Scraps of Defending Reanimated Marilyn』に仕立てる。
「実際には作品制作の過程で、現行法ではヌード表現は難しいという見解が優勢となることがわかり、現実の厳しさに直面することになったのですが」。

遠藤麻衣『Scraps of Defending Reanimated Marilyn』(oar press 2023年4月発行) 撮影: 畑ユリエ
「受動的で失敗する私」を受け止める
「このように、私はこれまで実践しては失敗しながら思考を進めてきました」。
日本の結婚制度の問題に気づいていながら結婚したり、作品として発表した後に破局したり、下着をつけろとの美術館の要求に譲歩して従ってしまったり。自らの主体性のなさに落ち込んでいた遠藤さんが出会ったのが、ジャック・ハルバースタムのクィア理論である。
「現代社会は資本主義や異性愛主義に基づく直線的な成功を求めるが、そこから外れた『失敗』のほうがクリエイティブであり、思考や生き方の解放はそこから生まれるのではないか、というハルバースタムの理論に出会い、いつも受け身で失敗ばかりしていた自分を肯定できるようになりました」。
人間と非人間の境界
遠藤さんはさらに、フェミニストの生物学者、ダナ・ハラウェイの80年代の論文「サイボーグ宣言」を紹介した。
「人間と非人間の線引きを曖昧にする存在としてのサイボーグに私はなりたい、と言うハラウェイにとても共感しました。統一された自律的な個人であることを手放し、矛盾を抱えたすべての個人がつながっているという視点で世界を見ていこう、と」。
作品制作や発表、あるいはそこでの失敗を通して新たな理論を知り、思考を進めていく--それはもはや遠藤さんのスタイルといえる。その活動は、巨大な旗を作ってデモに出かける「クソデカフラッグ部」やクィア・フェミニズム系のZINE「Multiple Spirits」の出版といった多方面に広がっている。

Multiple Spirits《ダンジョンは生ける光の陰影へ》2025 年「六本木クロッシング 2025 展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」森美術館 撮影:藤川琢史

「西のバカデカ×東のクソデカフラッグ部 夏のカクテルパーティー」2026年、Social Kitchen、撮影:TASO
「一般的に、生物は親から子へと遺伝子が伝達され、種が保存されていくと言われていますが、そうではない遺伝の伝播もあるとハラウェイの研究者・逆卷しとねさんが教えてくれました。種を超えた水平的な伝播によって遺伝子が絡み合いながら保存・共有されていく。そうした発想が、私自身の芸術実践や社会運動のベースになっています」。
客観と主観のあいだで

八木聡明
話を聞いていた八木さんは、「職場や家庭、SNSなど場所によって自分の性格を使い分けている人は多い。個の絡まり合いや1つの肉体の中に多様な自分がいるというのは、最近では普通のことになっている気がします」と指摘した上で、「遠藤さんは活動を通して何に抗おうとしているのでしょうか?」と尋ねた。
遠藤さんが「敵と味方を区別したいというより、白黒はっきりつかないこと自体を提示したいのだ」と答えると、八木さんはこう続けた。
八木:AIは社会の悪も自動的に学習しますから、研究者にとってそれらの悪は是正すべき敵ですが、アーティストの遠藤さんにとって、それは議論の種でしかないということでしょうか。
遠藤:そうですね。私も、是正したいと考えるときもあります。例えば生成AIに「見た目で性別の判断できないアジア系のクィアな人の画像を作ってください」と指示したときに、すごく「それらしい人」が出てくる。これは1つのステレオタイプですよね。そういうときには、私はイメージが固定化されないようプロンプトを変えるなどして、ずらせるように取り組んだりします。
八木:AIがより客観的なイメージを作ろうとするのに対し、遠藤さんは主観的になろうとしている?
遠藤:そうかもしれません。私としては「そうとは言い切れない」というところに持っていきたいんです。でも「なんでもあり」にするとロボット研究は進みませんよね。大多数を前提に物事を進めないと……。
八木:そうなんですよ。科学を進歩させるためには、物事を客観的に評価しなくてはなりませんが、我々の暮らしには主観的な幸せや痛みがある。客観的なAIシステムを、どうやって主観的な人の生活に組み込むべきなのか。我々ロボット設計者も考えなくてはいけないと感じました。
誰もが共存できる社会の実現に向けて

遠藤麻衣
遠藤さんはさらに、健常者を前提とした社会の根底にある、「できる(able)」ことを基準とする考え方「エイブリズム(ableism)」の問題を提起した。
遠藤:ロボットが人型なのは、普段人が経験する環境で動作するよう設計するからだとのことですが、その「人」が車椅子生活者の場合は、どうでしょうか。あらゆるものの位置がロボットにとって使いにくい可能性がある。テクノロジーはみんなが均質な能力を獲得できることを目指しつつも、結局は健常者の身体をベースに設計されるのではないか。ロボット工学者の間で、エイブリズムをめぐる議論はされていますか?
八木:まだされていませんね。技術は資本の都合で発達しますから。エイブリズムという言葉は初めて聞いたのですが。
遠藤:現代美術では、キュレーターの田中みゆきさんによるアクセシビリティ研究をはじめとして、よく出てくる言葉で、健常者中心主義ともいわれます。たとえば、美術館では通常、地面から155センチ前後の位置に絵画を並べることになっています。これは人の目の高さの中間点として採用されていますが、子どもや車椅子の人にとってはかなり高くなる。かれらの不利益を回避するには、どうすればいいかといった議論の際に持ち出されることがあります。なかでもアーティストの田中功起さんは、2024年に国立西洋美術館で行った《いくつかの提案 : 美術館のインフラストラクチャー》で、常設の絵画を低く展示させるよう取り組んでいました。
八木:私がフィジカルAIで解決したいのは、まさにそういう問題です。早起きが得意で満員電車に乗れる人と、朝や満員電車が苦手な人では、前者のほうが現代社会では成功しやすい。でもそれは、かれらが日本の輸送システムに対応できているからであり、かれらが偉いからとか正しいからではない。
その点、リモートワークは優れています。居住地を問わないし、まとまった時間働けない人でも細切れで働ける。私がヒューマノイドロボットの遠隔操作で実現したいのはそういう社会なんです。みんながちょっとずつ貢献することで、世の中が成り立つような社会。地域格差や子育てや介護を乗り越えて、誰もが共存できる社会を自分の研究で実現したいですね。
クロストークの最後には、ヒューマノイドロボットはジェンダーを廃した人っぽくない「ドラえもん」のような形が望ましいという意見で一致した2人。いまだ発展途上のフィジカルAIは今後どんな方向に向かっていくのだろう。八木さんの理想が実現する未来を期待したい。
