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#コラム・レポート#機関誌「ASSEMBLY」#2023年度

[ASSEMBLY | ひとり]

孤独を見つめる

作:ツルリンゴスター
編集:春口滉平
2024.3.25 UP

『ASSEMBLY』は、ロームシアター京都のオウンドメディア『Spin-Off』内に設けている、新しい「劇場文化」をつくるための機関誌(WEBマガジン)です。劇場内外の多角的な視点を提供し、継続した議論を実現するために、2年間継続して3つの主題をかかげ、主題に基づく記事を公開します。

2023−24年度の『ASSEMBLY』は、「ひとり」「つくる」「痛み」の3つを主題とし、劇場や舞台芸術作品に直接的な関わりのある課題だけでない、さまざまな観点をお届けすることで、あたらしい表現と創造への寄与を目指します。

 

私たちは「ひとり」では生きていけない。そんなことは知っている。でも一方で、私たちは「ひとり」を必要とするときもある。「ひとり」であるとはどういうことか? 「ひとり」でいることはなにを生みだすのか?

こうした問いに、漫画家・ツルリンゴスター氏は「「ひとり」には「社会的孤独」と「選択的孤独」の2種類があるのかもしれない」という。『君の心に火がついて』『ランジェリー・ブルース』「彼女はNOの翼を持っている」など、ままならない日常をそれでも生きていくために、立ち止まって考え行動するきっかけを「漫画」として生みだしつづけるツルリンゴスター氏に、「ひとり」がもつ創造性と課題の両面についてのエッセイを漫画とテキストで創作いただいた。

ツルリンゴスター

 

 

 

20代の頃、ある人に私が作品をつくることについて「君は恵まれているから何かを発信するなんて詭弁だ」という意味のことを言われたことがあります。

彼は、私の実家が中堅程度の裕福さがあったこと、両親が私を肯定し、豊かな教育を受けさせてきたことを自覚すべきという意味を込めて「君は”お嬢様”だからな」と折に触れて釘を刺してくる人でした。

 

その当時の私たちの関係において、彼が男性であり私が女性という社会構造として不均衡な基盤の上で、私を”世間知らずのお嬢様”という点を指摘することで制限し、自分の理想のパートナーと思われる型にはめようとした、という支配構造があったことは前提としてあるものの、ここでは「恵まれている者には何もつくれない」という言葉についてシンプルに考えてみようと思います。

 

私にとって、制作という作業には深く集中できる孤独な環境が必要です。

最近になって、あえてひとりの時間をつくる、「積極的孤独」や「選択的孤独」という言葉を目にし、いままでひとくくりに「孤独」と呼んでいたマイナスイメージの言葉の中に、性質の違う孤独があることを知りました。選択的孤独は私を自由にし、考える力を活性化させ、ときに自分でも驚くようなものを生み出す手助けをしてくれます。

 

出産して会社員という肩書を手放すまで、選択的孤独は私の生活の中に自然とあるものでした。

出産後に感じた社会との断絶は、私に「”非”選択的孤独(消極的孤独)」を教えるに十分な絶望を持ってやってきました。そこでわかったことは、「非選択的孤独」の渦中では「選択的孤独」を獲得しづらいということです。

 

非選択的孤独に陥ったとき、時間的にも精神的にも選択肢が大幅に減ってしまいます。

孤独なのに忙しく、自分の意思で選べることが1日の中に極端に少なくなり、精神の安定を保てるか保てないかぎりぎりの毎日が何の達成感もなくただ過ぎていきます。

この「選択肢が減る」というのは孤独をはかる指標のようで、例えば「どうしようもできない」「いまいる状況から動けない」と感じることがあれば、そのとき自分の尊厳が守られていない・社会としてサポートされていないということに気づくひとつのきっかけになると思います。

 

私はその経験を通して、それまでの自分の中にあったジェンダーバイアスに気づくことになり、関連して世の中の非選択的孤独に陥っている人たちを認識するようになりました。自分がある属性において社会的弱者になりうる、また同時に、別の属性においてはマジョリティでもある、そんな当たり前のことにやっと気づきました。

 

今は選択的孤独を獲得できる環境を得て日々制作をしています。

そこで考えることは、制作できる選択的孤独を獲得できるという点で、自分はマジョリティだということ、その立場から生み出す作品の責任についてです。

「選択的孤独」の環境から生み出される作品が、誰かの「非選択的孤独」を透明化したり助長させるものであってはならないのではないか、それはどちらの孤独も知ったいま、自然と生まれた思いでした。

 

「恵まれている者には何もつくれない」という言葉について、まず誰かを「恵まれている」と呼ぶのはその人の持つ問題を透明化するので悪意が含まれます。

ただ「恵まれている=マジョリティ」と言い換えるなら、ある属性においてマジョリティであることは確かにその属性のマイノリティの立場にいる人を見えにくくします。でもその自覚を持ち、そこで発生している不均衡を知り、是正しようと行動するなら、私はそこから生まれるものに光があるような気がするのです。

 

いまなら私は「恵まれている者には何もつくれない」にはNOと言えます。

全てにおいて恵まれている人はいない、だいたい、恵まれるって誰から? 誰かに恵んでもらわなくても、幸せに暮らせる社会じゃないことがおかしくない? 自分の特権のある属性については知って行動することができるし、尊厳を脅かされてる属性については声を上げることができる。誰でも何かをつくるときは責任が伴うし、本当にいつも怖くて、自信なくて、でも変わりたいから、私はこれからも自分が自由に泳げる孤独の海の中で、誰かの孤独を探しながら、つくり続けるよ、と。

  • 孤独を見つめる
    ツルリンゴスター Tsururingostar

    マンガ家・イラストレーター。長男出産後、SNSで何気ない日常のふとした出来事や気持ちをマンガやイラストでアップ。著書に『いってらっしゃいのその後で』『君の心に火がついて』『ランジェリー・ブルース』(KADOKAWA)。ほか、子育て情報メディア「KIDSNA STYLE」での連載や、書籍の挿絵などを執筆。関西在住で3人の子どもと夫と暮らす。
    HP:https://tsururingostar.com/

  • 春口滉平(山をおりる)
    春口滉平(山をおりる) Kouhei Haruguchi

    1991年生まれ。編集者。エディトリアル・コレクティヴ「山をおりる」メンバー。建築、都市、デザインを中心に、企画、執筆、リサーチなど編集を軸にした活動を脱領域的に展開している。2019年よりロームシアター京都の機関誌『ASSEMBLY』の編集を担当。

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