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#公演評#舞踊#2025年度

ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団「Sweet Mambo」ロームシアター京都公演評

老いと踊り-ダンスを超えるもの-

文:中島那奈子
2026.1.30 UP

 私が長く追いかけているテーマというのが、この「老いと踊り」というものである。私は日本舞踊を3歳から習っており、20年近く踊っていたのだが、大学院生の時にアメリカとドイツに留学することになった。そこで、いろいろなダンスやダンサーの美しさ、そして、ダンスを成り立たせる制度を知るうちに生まれてきたのが、この老いと踊りというテーマである。

Photo: 大島 拓也(ノーザンスタジオ)

 通常、欧米のバレエ団では、ダンサーの定年は42.5歳と言われている。それは古典を中心としたバレエ作品では長時間にわたる上演が続き、アスリートのような最大限の身体の可動域、筋力やスタミナをダンサーに要求するためである。そのため、身体が思うように動かないダンサーは引退し、より若いダンサーにその作品を譲り渡していく。ダンサーが短いスパンで世代交代しながら、バレエ作品の振付は半永久的に継承されていく。

 それと比べると、日本では伝統芸能を筆頭に、日本舞踊もダンスもバレエも、実演家に決まった定年はないのかもしれない。日本の舞台芸術には、「型」といった精神性を伴って技を習得する考えがある。そのような「型」においては、そもそも完璧に踊る身体は、目に見えるものではない。踊りの名人といわれる人たちは、60代、70代まで現役で舞台に立ち続け、時には人間国宝となって、その身体化された技である芸を、最後の最後まで深めていく。また、日本の舞踊では、シンプルで静かな振り付けが主流となっている。他の人が踊れなくならないよう、込み入った振りをつけないようにしたり、能楽のように、動かない身体を動かす振付になったりする。

 ただ、伝統芸能の実演家は、国内での活躍が主になる。それとは対照的に、老いと踊りのテーマを海外にまで広めたのが、舞踏家の大野一雄の活動である。70歳を超えて皺の刻まれた身体が、恐ろしくも美しい瞬間を作り出していく大野一雄の舞踏に、世界の多くの人々が熱狂した。その大野一雄に感銘を受けた1人に、ドイツの振付家ピナ・バウシュもいた。

 ピナ・バウシュは、演劇と舞踊を融合させたタンツテアターと呼ばれる作品を作り、その稀有な作品群と新しい方向性をもって私たちの時代を代表する世界的な振付家である。ピナ・バウシュの関心は、何が人を動かすのかという点にあった。そこで彼女は、ヴッパタール舞踊団のダンサーたちに質問を投げかけて、その回答から作品を構成するという、独特の方法を考えだした。例えば、公共の場で目立とうとする時、あなたはどのような行動をしますか?という問いに、ダンサーたちはそれぞれの答えを動きにして稽古場で見せていく。最終的にピナ・バウシュがそれらのシーンを編集し、音楽や装置を組み合わせ、作品として構成していく、という振付の方法である。

Photo: 大島 拓也(ノーザンスタジオ)

 この方法は、それまでのバレエやダンスの振付家が、ダンサーに決まった振りを与えて踊ってもらう振付方法を、根本的に変えてしまった。自分で動きを考えなくてはいけなくなった初期のダンサーの一人が、その辛さのために、稽古の後、ヴッパタールの町を泣きながら走り回ったというエピソードさえ残っている。ただ、ピナ・バウシュの方法を通して、ダンサーの生き方そのものが、踊りと一体になって現れてくるようになった。その結果として、ピナ・バウシュはバレエ団でのそれまでの常識をやぶって、ダンサーたちを何十年にもわたって雇用し、創作と上演を続けた。その意味で、ピナ・バウシュは、ダンサーの老いに真摯に取り組んだ振付家とも言えるだろう。

 今回の「Sweet Mambo」では、新しく加わったダンサーと共に、作品が創作された時のダンサーたちが、それぞれの美しい輝きを見せていた。動きのシャープさや伸びやかさで魅了する新メンバーの踊りに加えて、ピナ・バウシュ作品の顔とでもいうような、32年前の京都公演で踊ったダンサーたちは、歳を重ねて踊る姿で私たちを魅了してくれた。

 まず目を惹きつけられる新メンバーのナオミ・ブリトーは、作品冒頭から金属のシンギングボウルをもって現れる。スラリとした肢体におろした髪をゴージャスになびかせ、鮮やかな黄色のワンピースを纏ったブリトーは、低い声で私たち観客に語りかける。彼女が手に持つシンギングボウルを擦るとたおやかな音が鳴り始め、ゆっくりとその音色に誘われて作品が始まる。前半の半ば、リサ・エクダールの歌うメランコリックな「Cry Me a River」にあわせて、右奥から大きな白い布が風を含んで舞台上に舞い上がってくる。その薄いベールをかけられたような空間で、床に手をついて伸びやかに動くブリトーのシルエットは、洗濯物のシーツと戯れるあの夏の記憶を、私たちに呼び起こしていく。そして後半、ブリトーが幕切れ近くに踊るソロでは、カモシカのように敏捷で長い手足を縦横に動かしながら、ピナ・バウシュ特有の表情豊かな上半身の弓なりのカーブを、優雅に見せつける。あんなに体がよく動いたらさぞ気持ちがいいだろうという声が聞こえてくるブリトーは、この作品のなかで私たちの目を釘付けにしていた。

Photo: 大島 拓也(ノーザンスタジオ)

 風格のあるジュリー・アン・スタンザックは、他の作品でも数々の名シーンを残してきた。彼女のソロは、胸元の手の小さな動きから始まる。ピンクの長いスリップドレスを優雅に身につけ、スタンザックは自分の顔のパーツパーツを指しながら私たちに語りかける。「目、お祖父さんジョン」「鼻、顎、お父さんアダム」「性格、お祖母さんルイーズ」というように、自分の身体が家族の誰かから譲り受けたことを伝えているようだ。彼女の身体は彼女だけのものではなく、先祖から譲り受けたものであり、1人の身体は多くの身体に繋がっている。床に片膝をつき、しゃがみながら動く上腕の動きや、指や腕を組み合わせた仕草を大胆に分解し、編集し、展開させていく振付は、ピナ・バウシュとスタンザックのやり取りのなかで結晶化されたそうで、唯一無二のクオリティといっても良い仕上がり。これまでのダンステクニックや他の作品には存在しない、未知の領域へと誘うソロの最後に、ふっとスタンザックはこう告げる。「私はジュリー・アン・スタンザック。忘れないで。ジュリー・アン・スタンザック。」1人のかけがえのない身体は多くの先祖から受け継がれ、そしてダンサーの動きは、ダンサーと振付家とのやり取りをへて更なる新しさを獲得する。この集合化され抽象化された動きを、スタンザック個人の名前へと接続させる。そうすることで、私たちはこれがありきたりの決められた振付でなく、かけがえのないその人らしさだと感じてしまう。私たちはこのダンスを通じて、ソロと群舞のあり方、個と集団のあり方を、捉え直しているのかもしれない。

Photo: 大島 拓也(ノーザンスタジオ)

 「Sweet Mambo」の女性ダンサーはみな色とりどりのドレスをつけて踊るが、男性ダンサーはみな黒を基調としたスーツを纏っている。当初、この作品は女性ダンサーのみが出演する予定だったようだが、男女で踊るシーンが創作されていったことで、男性ダンサーも出演するようになったという。そのため脇役に陥りがちな男性ダンサーだが、私がピナ・バウシュに感謝したいことの一つが、彼らに素敵なソロを作ってくれたことだ。ダンス的シーンが多くなる作品後半で見せる、小柄な体いっぱいを使って踊るアレクサンダー・ロペス・グエラ(埼玉ではレジナルド・ルフェーブル)のソロは圧巻で、腕に手をかけてギャロップする動きが、これほどにも舞台を凌駕するのかと驚愕したほどだった。ダンスの振付において、ソロを踊ることはその場でその瞬間の主役となることである。バレエの古典的な作品では、主役しかソロを踊ることはないが、ピナ・バウシュは脇役に終わりがちなダンサーも主役になれるよう、この作品で素晴らしいソロを残してくれていた。

Photo: 大島 拓也(ノーザンスタジオ)

 出ずっぱりのジュリー・シャナハンは、おそらくこの作品でもっともフィーチャーされるダンサーだろう。遥か彼方で「ジュリー!」と呼ぶ声に突き動かされて、舞台後方から金髪を振り乱して走ってくるところを、男2人の持つ机に押し戻されてしまう。何度走ってもいつもスタートした地点に引きもどされてしまう悪い夢のようなシーン。背後では、坂本龍一「美貌の青空」が静かに繰り返されていく。ジュリー・アン・スタンザックと共に、シャナハンは60歳を過ぎても、正確で美しい動きを、驚異的なスタミナで踊り続けている。間近で見ると細い彼女の顔や身体には皺が見えるのに、その身体は深く、深く刻まれたピナ・バウシュのオーラで満ち溢れている。シャナハンの動きには、これまで長く踊り続けたダンサーの息吹があり、それは身体の奥深くへと私たちを誘っていく。この作品の幕切れに踊られるシャナハンのソロは、腕の動きを頭上でカーブさせ関節で曲げる特徴的な振りがあり、この動きは作品のところどころでモチーフとして使われている。この腕の動きは重なって響きあい、そして作品の幕が閉じるラストのソロへと、私たちの眼差しを導いていく。

 この作品を見ていると、静かなジェットコースターのように、さまざまな感情に揺り動かされていく。「Sweet Mambo」ではかなりのセリフが日本語で話され、ダンサーは客席に降りてきたりするので、日本語話者の私たちは終始ドキッとしてしまう。ピナ・バウシュ作品特有のユーモアあふれるシーンや、エロティックなやり取りも健在で、ナザレット・パナデロやアイーダ・ヴァイニエリ、エレナ・ピコンといったオリジナルメンバーがそれらを表情豊かに彩る。そして、作品後半の動きが多くなってくるシーンでは、新しいメンバーがその主役となって踊り継いでいく。

Photo: 大島 拓也(ノーザンスタジオ)

 数年前にヴッパタールで上演された「緑の大地(Wiesenland)」で、このような継承の仕方(演劇的なシーンはベテランのオリジナルダンサー、動きのシーンは若い新しいダンサー)によって作品が凸凹した仕上がりになるのを見た時は、アンチエイジングのようだと私は批判的に捉えていた。しかし今回の「Sweet Mambo」では、オリジナルメンバーの古美と、初演時の創作過程を学び、見事に役を継承した新メンバーがそこに新たな息吹を加えていることに、深く感銘を受けた。ここでは、その身体の形だけが表面的に継承されるのではなく、動きの深さまで経験できるようになっていたのだ。

Photo: 大島 拓也(ノーザンスタジオ)

 加えて、今回の上演には、2008年の初演当時には存在していなかったダンサーの多様性が加わっている。それこそ、新しい「老い」と「ジェンダー」の身体である。初演当時は、これほど幅広い年齢の、様々な世代のダンサーが、一緒に作品を踊ることはなかった。また、初演当時のダンサーは、国籍や文化、体型、性志向は様々であったがジェンダーは男女のみで、ナオミ・ブリトーのようなトランスジェンダーのダンサーは出演していなかった。特定の時代を表す精神をドイツ語で「ツァイトガイスト(Der Zeitgeist)」というが、これらの新しく、美しいダンサーの身体こそ、21世紀のグローバルな少子高齢化社会をうつした時代精神「ツァイトガイスト」と言えるのではないだろうか。

Photo: 大島 拓也(ノーザンスタジオ)

 そしてこの「Sweet Mambo」は、他のピナ・バウシュの作品以上に、彼らダンサー自身についての作品なのだ。もしかしたら、これは若いダンサーだけでは実現できないのではないか。もしかしたら、これは初演当時のダンサーだけでは実現できないのではないか。つまり、もしかしたら今回の上演は、初演当時の「Sweet Mambo」よりも、さらに強度を増して「良くなって」、私たちに訴えかけているのではないか-そのように感じられて深く心を打たれた。

 私は京都での上演で、この「Sweet Mambo」という作品が文字通り、息をしていることを感じた。たくさんの魅力的な音楽や装置、セリフ、数々のアイデアが積み込まれて、大掛かりなピナ・バウシュの作品は、一見、大きな建築物のようにも思える。でも、いつまでも変わらない形をもつ、建築や彫刻とは違って、ダンス作品は人間として生きているのだ。生きて歳を重ねたダンサーが踊る姿を作品の中で見ることで、この作品に命のめぐりを、強く感じる。この踊りは生きている命の集合体なのかもしれない。おそらく、若い新しいダンサーだけでこの上演を見たら、振付や構成の素晴らしさに感動しても、そういった命の輝きまでは感じられなかったかもしれない。そこにいるダンサー個人を超えた、命の息吹が感じられる。ジュリー・シャナハンが言うように、ダンサーは歳を重ねるにつれて、言葉にしきれない、目に見えない命のようなものを、語るのかもしれない。大野一雄も、かつてこう話していた。「忘れないで。目にみえる世界は、たくさんある世界の一つに過ぎないんだ。」

 老いは、一般的にもダンスにおいても、ネガティブに考えられがちである。少子高齢化が進む日本では、今まで以上にシリアスな問題にもなっている。私も両親の介護が始まり、老いの厳しい側面に直面するようになってきた。ただ、私は老いを、加齢(エイジング)という意味で考えることにしている。そうすることで、老いは高齢者だけの話ではなく、私たちすべての人間に当てはまる問題となる。どんな人でも生まれて、成長し、生きている限りは、歳を重ねていく。それは、誰も避けられることではないのだ。そして、その生の、命の輝きと広がりを、踊りを通して見出していくことが、老いと踊りというテーマには含まれている。

 ピナ・バウシュの作品「Sweet Mambo」は、いろいろなエピソードが集まって作られているので、作品全体として、1つの意味や物語を見出すと言うものではない。しかし、その中に、目に見えるダンスを超えた、目に見えないダンサーの、命の息吹を感じ取れるのではないかと思う。

Photo: 大島 拓也(ノーザンスタジオ)

謝辞 
「Sweet Mambo」関連イベントで貴重なお話を聞かせてくれたジュリー・アン・スタンザックさん、レジナルド・ルフェーブルさん、高林白牛口二さん、今貂子さん、またお力添え頂いたゲーテ・インスティトゥート東京のウルリケ・クラウトハイムさん、ロームシアター京都と彩の国さいたま芸術劇場の皆様には、老いと踊りの視点からこの作品を考える機会を与えて頂きました。加えて、この作品について共に議論し、少なからぬ示唆を与えてくれた早稲田大学文学学術院身体表現論ゼミ生、大学院舞踊学ゼミ生にも御礼申し上げます。

  • 中島那奈子 Nanako Nakajima

    ダンス研究者、ダンスドラマトゥルク。博士(舞踊学)。
    老いと踊りの研究と創作を支えるドラマトゥルクとして国内外で活躍。プロジェクトに「イヴォンヌ・レイナーを巡るパフォーマティヴ・エクシビジョン」(京都芸術劇場春秋座2017)、「能からTrio Aへ」(名古屋能楽堂2021)。2019/20年ベルリン自由大学ヴァレスカ・ゲルト記念招聘教授。2022年カナダ・バンフセンター・フォー・アーツ・アンド・クリエイティビティ、ファカルティメンバー(ドラマトゥルギー)。編著に『老いと踊り』、ダンスドラマトゥルギーのサイト(http://www.dancedramaturgy.org)を開設。2017年アメリカドラマトゥルク協会エリオットヘイズ賞特別賞。日本舞踊宗家藤間流師範。早稲田大学文学学術院舞踊学准教授。

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