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シリーズ 舞台芸術としての伝統芸能 vol.2 能楽『鷹姫』公演評

枯山水としての能舞台

文:原瑠璃彦
2021.6.15 UP

「舞台芸術としての伝統芸能vol.2 能楽『鷹姫』」は、おおよそこれまでの能楽上演史のなかで、ほとんどはじめて劇場空間を本格的に使用し、かつそこで能楽を成立させた特筆すべき公演であったと思われる。今回の公演の目論見は、演劇空間としての能舞台に新たな角度からアプローチすることにあったというが、本公演の大きな特徴は、言うまでもなくドットアーキテクツによる空間設計であっただろう。
 今日、能楽は能楽堂や神社仏閣の能舞台といった様式化された舞台だけでなく、しばしば劇場においても上演されている。しかしながら劇場能とは言えそのほとんどの場合は、舞台上に所作台などを設置することで能舞台と同様のかたちをした演能エリアがつくられるに過ぎない。もちろん、こうした舞台でも照明などさまざまな効果が加えられるゆえ、通常の能舞台での演能とはかなり様相を異にすることにはなる。が、しかし、基本的な能楽のアクティングエリアはほぼ変わることがない。
 ところが、今回の公演はそうした所作台などは一切用いておらず、ロームシアター京都サウスホールの舞台上全体を使用した演能であった。あえて能舞台の名残を見出すならば、演者の出入りが下手であることくらいであろう。しかし、下手からの通路にはいくつかの段が設けられていた。上手側には横長の段が築かれ、その上は斜面となり舞台背後上方へと広がっていた。また、舞台のところどころには石と少々の枯れ木の作り物が置かれ、囃子方は下手端に上手向きに配置されていた。これほどまでに能舞台の見る影のない空間で能楽が上演されたことがあっただろうか。能面を着するゆえ、どのような特殊な演能空間でもたいてい舞台上はフラットに保たれ、柱が立てられるものだが、そうした慣習がここでは完全に打ち破られていた。
 劇場空間で能楽を上演する際に懸念されるのは、能楽師の身体と空間の不均衡である。簡単に言ってしまえば、舞台上に演者がぽつんといるように見えてしまうことである。能舞台であれば演者の身体が様式化された舞台構造そのものと一体となることで有していた緊張関係、それが広い演能空間に移されたとき、一気に失われてしまうことがしばしばある。
 しかし、今回の公演はそのことを見事に回避し、濃密な演能空間が作り出されていたように思われる。では、それはなぜか。

撮影:井上嘉和

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アイルランドの詩人・劇作家のW・B・イェーツによる戯曲『鷹の井戸』を逆輸入するかたちとなった新作能『鷹姫』。その新作能としては異例と言うべき再演頻度は、この作品の様々な卓越した点ゆえだろうが、そのひとつに数えられるのが、地謡を岩という役にしたことである。通常、1曲中ずっと同じ場所に座って謡う地謡は、この能では面と衣装を着すだけでなく舞台上を動き、時には一人だけで謡うこともあれば、輪唱することもある。能の地謡とギリシャ悲劇のコロスの類似はよく言われるところであるが、ここでは地謡により多くのコロス的役割が付与されているのである。もっとも、終演後のディスカッションで語られていたように、『鷹姫』初演(1967年)では地謡と岩の役は別々にされており、幾度か再演を重ねてゆくなかで両者は一体化されることになったという。同ディスカッションでは、この能における岩の重要性が強調され、また岩こそがこの能の主人公かもしれないということが語られていた。
 『鷹姫』の登場人物は、枯れ井戸に湧くとされる不老不死の「水」を100年近く前から求め続けている老人、その「水」の言い伝えを聞きつけて新たにやって来た若き王子・空賦麟(くうふりん)、そして、ずっと井戸を見つめており、「水」が湧くときには人間を眠らせ、それを奪い去ってしまう鷹姫である。老人と空賦麟は「水」をめぐって対立するが、しかし両者は相反する存在ではなく、老人とは空賦麟の未来の姿にほかならない。今回の演出において、最後、老人が杖を空賦麟にもたせかけるのは、そのことを象徴しているだろう。そして、彼らを取り巻く岩とは、さらにその老人の成れの果ての姿である。
 原作『鷹の井戸』において、コロス的役割は3人の楽人によって担われていた。また、石や岩は台詞のなかで情景として触れられるのみであった。だが『鷹姫』は、岩そのものをコロス的な地謡とすることにしたのである。岩が人間や動物と異なり、ほとんど時間を超越しているかのような存在であるということと、能楽において、地謡が登場人物と同一平面上に座しながらも別次元の存在であるということを重ね合わせて考えることも可能であろう。そして、このことが今回の公演ではより一層活かされていたように思う。
 岩たちが舞台全体にバラバラに配置されて座っている。そしてその岩たちが、人間の営みを傍観しながら語り合っているという状況。それを見ていて私の頭に浮かんだのは、この舞台そのものがひとつの枯山水の庭であるということであった。

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日本の庭は、時代とともにさまざまな様式を生み出しながら発展してきた。だが、いずれも石を骨格としていること、そして海辺を表象することに重きを置いている点に関しては一貫している。古来、庭には必ず水が引き入れられ池がつくられたが、それは海に見立てられるものであった。ところが、ちょうど能楽が大成されるのと近い頃、「水」を用いずに「水」を表象しようとする庭が生まれた。枯山水庭園である。その代表例が、京都・大徳寺大仙院や龍安寺の石庭である。白砂が敷かれ、石だけが立てられた庭。そこに「水」はなく「枯」れているが、しかし、その庭では「水」を想い起こすことが目論まれている。
 枯山水としての舞台。これは、『鷹姫』が、そしてそのオリジナルの『鷹の井戸』が、「枯」れた井戸に「水」を求めることを主軸にしていることと重なり合ってくる。では、岩が語ることについてはどうだろうか。
 日本の庭が石を根幹とする背景には、岩石への古代信仰がある。いまでこそ神社といえば社殿などの建築がイメージされがちだが、その起源は自然的要素にあることが多く、その代表的なものが磐いわくら座や磐境(いわさか)と言われる岩石である。これらの石には神霊が宿るとされ、石自体が信仰の対象とされた。
 こうした石にまつわるアニミズム的な思想は、作庭の世界にも生きている。11世紀後半ころに橘俊綱(たちばなのとしつな)が編んだとされる現存最古の作庭書『作庭記』は、「石をたてん事、まづ大旨をこゝろふべき也」という一文からはじまるが、この書物は全編にわたり作庭の根幹を「石を立てる」ことに置きそのメソッドについて説いている。そのなかで興味深いのは、以下の一節である。

石をたてんにハ、まづおも石のかどあるをひとつ立おゝせ
て、次々のいしをバ、その石のこはんにしたがひて立べき也。

 

 つまり、石を立てるにあたっては、まず「主石」で「かど」(単にとがっている部分というだけでなく、才能や趣きといった意味を持つ)のあるものを立ててから、次の石を、その「主石」の「こはん」に従って、要するに、「主石」が「乞」うているであろうように立てなければならないというのである。ここには、石が他の石を呼んでいるという思想、さらには、作庭家が石の意志をうかがうという思想が明文化されている。日本の庭は、こうした石たちの対話的な声が集積したコンポジション、言わば、石たちのポリフォニーを骨格としている。そして、そのことをもっともシンプルに見て取ることができるのが、白砂と石だけを用いる枯山水庭園である。

撮影:井上嘉和

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今回、劇場空間において緊張関係を保った能楽を成立させることができたのは、舞台上に、こうした地謡としての岩たちの対話的な関係、岩たちのポリフォニーが成立していたからではないだろうか。すなわち、三間四方の仕切りも柱も何もない舞台が、能楽師の身体による文字通りの枯山水の庭となることで、それは能楽を演ずるにふさわしい場になり得たのだと。ディスカッションにおいて片山九郎右衛門は、普段いかに能舞台というものに守られているかということを述べていたが、その庇護のない今回の劇場舞台では、岩をつとめる能楽師の身体そのものによって、老人、空賦麟、鷹姫といった立方を支えることに成功していたように思われる。
 庭の石と、能楽師の身体もあながち無関係ではない。能楽の原点に位置付けられ、「能にして能にあらず」と言われる「翁(おきな)」。ただの老人でありながら、神でもあれば、また仏でもあるというその存在は多くの問題を孕んでいるが、「翁」はシャクジと呼ばれるような日本各地に伝わる古層の精霊と関係深いと言われている(服部幸雄『宿神論』ほか)。それは「宿神(しゅくじん)」「守宮神(すくうじん)」「石神(しゃくじん)」などと記されるが、「石神」という呼称からも予想されるように、信仰の対象としての石に形象化されていることが多い。境界に置かれる石の道祖神などもこの類型である。「翁」は、こうした石の精霊と通底している。
 もうひとつ思い起こしておきたいのが、ケルトとの関係である。ユーラシアの極東の島国である日本と、ちょうどその反対側に位置するアイルランド。その両者の文化に響き合うものが多いことはしばしば説かれるところであるが、アイルランドのケルト文化においても石の信仰は盛んであり、各所に立石の遺構や、石が喋るというような伝説が残されている(加えておくと、イェーツはケルト神話の収集もおこなっていた。そもそもクーフリン(空賦麟)とはケルト神話最大の英雄の名である)。
 ここで、『鷹の井戸』が『鷹姫』に翻案されるにあたり、岩という役が設けられたことの意義が改めて見直される。このことは、『鷹の井戸』に潜んでいたケルトと日本の通底性をより強くすることになったと言えるだろう。これは、イェーツが極東の島国の能のテキストに触発されて『鷹の井戸』を書いたことに対する卓抜な返答であった。そして、その意義が、今回の上演ではより一層活かされていたように思われる。

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枯山水としての能舞台に「水」が湧くとき。このシーンこそが『鷹姫』一番の見どころであろう。鷹姫は老人を眠らせ、また立ち向かってくる空賦麟をも軽やかにかわし眠りに落としてしまう。そして、岩たちによる「あたさらさまら ききりさや」という謎の呪文―――これは「翁」冒頭の謎の文句「とうとうたらりたらりら」を意識したものなのだろうか?―――の輪唱が「水」の湧く予兆となり、鷹姫は舞台正面手前でそれを汲む。湧く「水」は、能「石橋(しゃっきょう)」で獅子の登場に先立って演奏される「露ノ手(つゆのて)」に似た囃子によって表象される(この囃子の音によって「水」を想起させることこそが肝であるので、今回その直前の場面で使われていた「水」の効果音は不要であっただろう)。「水」を汲んだ鷹姫は狂喜するようにしてすばやい舞を舞う。片山九郎右衛門によるその鮮やかな舞は恐ろしいほどの美しさに満ち、鷹姫という存在にふさわしいものであった。最後に鷹姫は、わざわざ空賦麟を起こしてから、人間を嘲るようにして去ってゆく。ここで、鷹姫は前半ずっと微動だにせず座していた舞台上手の段に飛び乗り、背後の斜面を駆け上がってゆく。演能空間に垂直の方向性が加えられることはきわめて稀だが、この演出は、鷹姫が「鳥」的な存在であり、空賦麟や老人といった地上の人間たち、さらには岩という大地的なものとは異なる世界に住することを際立たせていた。続く幽鬼と化した老人のシーンは、原作にはない『鷹姫』独自のものだが、観世銕之丞はその重厚な芸によって、人間の普遍的な苦しみを代弁することに成功していたように思う。
 不老不死を約束する「水」が湧くものの、その度に鷹姫が持ち去り、決して人間は得られないでいること。そして、それが永劫に繰り返されること。この一見シンプルで、悪夢のような物語は、人間という存在の寓話劇として深く響く。そして、これらの一部始終を岩たちはずっと傍観し、語り続けている―――。
 本公演に先立ち私は、『鷹姫』は初演以降、つねに能楽が新しい実験に挑戦するにあたって良きよすがであり続けてきたように思うと書いた(拙稿「来るべき演能空間をめぐって」『ロームシアター京都 自主事業ラインアップ|二〇一八年十月-〇一九年三月』)。今回、能楽は『鷹姫』によって、演能空間の新しい可能性、能舞台という枠組みを逸脱する可能性を開くことができたのではないだろうか。

撮影:井上嘉和

初出:機関誌ASSEMBLY第4号(2019年10月27日発行)


シリーズ 舞台芸術としての伝統芸能 vol.2 能楽『鷹姫』

2019年2月3日(日)ロームシアター京都 サウスホール

原作:W・B・ イェーツ
能本作者:横道萬里雄
曲節作者:観世寿夫
演出:観世銕之丞
出演: 〈鷹姫〉片山九郎右衛門/〈老人〉観世銕之丞/〈空賦麟〉宝生欣哉/〈岩〉浅井文義、河村和重、味方玄、浦田保親、吉浪壽晃、片山伸吾、分林道治、大江信行、深野貴彦、宮本茂樹、観世淳夫/〈囃子方〉笛:竹市学/小鼓:吉阪一郎/大鼓:河村大/太鼓:前川光範/〈後見〉林宗一郎

伝統芸能の継承と創造を目指すシリーズ「舞台芸術としての伝統芸能」。今回は「能」をテーマに「鷹姫」を舞台芸術バージョンとして上演。『鷹姫』は、アイルランド出身でノーベル賞作家の W・B・ イェーツの舞踊劇『鷹の井戸』が原作。

  • 原瑠璃彦 Rurihiko Hara

    1988年生。静岡大学人文社会科学部・地域創造学環専任講師。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。専門は日本の庭園、能・狂言。共著に『Promise Park』(Workroom Press、2017)、『中世に架ける橋』(森話社、2020)。野村萬斎+坂本龍一+高谷史郎「LIFE-WELL」(2013)等でドラマトゥルクを担当。

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