入場すると、中央に陣取る大きな櫓台の上で金子智太郎がレクチャーを始めかけていた。会場はとんでもなく雑然としており、まるで無法地帯であるかのようだ。ぐちゃぐちゃに丸められた養生テープはあちこちに放置され、足元にはコードが散らばり、詩を印刷したA4用紙が所々に無造作に置かれ、至る所に養生テープの芯が積まれている。THE COPY TRAVELERSのブースでは、メインのパフォーマンスそっちのけで制作が行われており、TOLTAの山田亮太は可動式のブース内で、会場で起こっている出来事についての詩を黙々と書き続けている。
立体音響システムと音の図像学
レクチャーは、60年代後半から作品を発表した野村仁のあらゆる作品を「フォノグラフィー=音の図像学」として読み解くもので、この会場で繰り広げられる出来事の大きなヒントとなった。フォノグラフィーとは、音を形に残すことである。録音すること、擬音語、フィールドレコーディングがフォノグラフィーにあたる。金子は、野村の《「HEARING」についての特別資料室》では鑑賞者がレコードを手にとって再生することや、音を文字で記録した本を見ることが作品の一部だった点に言及し、記録されたものの像を扱うことも広義のフォノグラフィーであると定義した。会場では2日間を通して、音を形に残すこと、記録された音の像を扱うことがさまざまな方法で実践された。
レクチャーで紹介された作品に《Vinyl / Packing Tape》がある。段ボール箱を覆うビニールと、それをとめるテープを購入するときの会話を録音し、レコードにしたものである。紹介の際、Vinylはレコードを、Packing Tapeは音声テープを連想させるという指摘があった。これは、小林椋と時里充によるユニット「正直」が養生テープを使ったパフォーマンスを行うことに対して示唆的である。つまり、養生テープが音声テープに見立てられるということが、ここで念押しされているのだ。
正直は伸ばした養生テープをモーターを使って巻き取り、モーターと張力のかかった養生テープが出すサウンドでパフォーマンスをする。巻き取りが終わった養生テープの数々は、養生テープの残骸が音声テープの残骸であることと、実際に音をたてていたことの二重の面から、音の図像だと言える。2日目、引き伸ばしたあと丸められた養生テープや、綺麗に巻き取られたもの、テープの芯の多くが、櫓の右隅に接して設置されたテーブルに集められ存在感を放っていたのだが、それも全て音の図像である。以下、この雑然とした会場のなかに構成を見つけるにあたって、Sound Around 002のホストを務めた正直による音の図像を手がかりにしたい。
2日目の昼の回で行われた正直のパフォーマンスを例に挙げる。サウンドや巻き取り機の配置は以下の通りだ。櫓の下に作られた作業場では電動ノコギリの音がしている。櫓の中央階段には、幅1メートルほどの養生テープがセットされた巻き取り機が陣取り、大きな音をたてている。さらに、階段が繋いでいる1段目と最上部の2箇所でも、養生テープが巻き取られており、小さな巻き取り機が会場のそこらじゅうで鳴っている。もしこれが映画館のサラウンドシステムなら、客席はどこだろうか、と考えてみる。センタースピーカーが階段部、LRのフロントスピーカーが櫓の1段目と最上部、サブウーファーが櫓の下にあってそこに重心が作られており、リアスピーカーにあたるのは会場のあちこちに仕掛けられた小さな巻き取り機だろう。つまり、中央階段を中心として、櫓の前後に広がる形で立体音響システムが作られているのだ。一見すると無秩序に大小の巻き取り機が配置されているようだが、実際には音響面での構成が意識されている。
夜の回には、正直とドラム演奏の石若駿が同時にパフォーマンスを行った。1メートル幅の養生テープの巻き取り機は櫓の1段目に、ドラムセットは櫓の最上部に配置された。この2つは特別大きなサウンドを出す。櫓の下の作業場にも巻き取り機が置かれモーターと養生テープの音が鳴っていて、今回もここに重心が作られている。基本的にはこの陣形をとり、櫓から会場の端まで養生テープを伸ばしたり、櫓の後ろで派手なパフォーマンスをするなどして、空間とセッションを行うように、その都度重心の位置を自在に変化させていく。
このようにシンメトリーなバランス感覚の空間構成が意識されているとすれば、櫓の右隅に集められ存在感を放っている音の図像群の、櫓を中心とした対角線上には何かがあると考えてもいいだろう。実際そこには、養生テープがぐるぐると巻き付けられた巨大なオブジェがある。2日目の昼の回で会場の案内とトークをした佐々木文美は、そのオブジェを「巨大かせくり機」だと紹介した。設営時に𡈽方大が制作したという。かせくり機は本来、糸を巻き取るものである。紹介のあと、櫓から養生テープを3本伸ばしてきて巨大かせくり機に貼り付け、鑑賞者数名でこれを回し、養生テープを巻き取った。その後、夜の回の正直のパフォーマンスでは巨大かせくり機が使用された。巨大かせくり機もまた、巨大な音の図像だと言える。音の図像群の反対側には巨大な音の図像が置かれているのである。ここでも立体音響システムと同様、シンメトリーなバランス感覚に即した空間構成が行われている。
空間とゲストパフォーマーの呼応関係
こうしてホストの正直は空間とセッションをするようにパフォーマンスを行い、そこには明らかな構成を見てとることができる。同じ空間で別の状況を作っているアーティストは、そこへ即興的に遊びを加えていく。例えばTOLTAの山田亮太は正直のパフォーマンスについて即興詩を書き、石若駿は正直のサウンドとドラムセッションを行った。これらは、正直のパフォーマンスに直接呼応するようにして行われている。一方でTHE COPY TRAVELERSは、正直のパフォーマンスにも他のパフォーマンスにも見向きもせず作業を続けている。しかしそれは決して状況への不参加を意味しない。どういうことか。
THE COPY TRAVELERSは、緑のマットの上で雑誌を切り抜いている作業台の映像と、車窓からの風景と思われる撮影済の映像をグリーンバック合成でリアルタイムにコラージュし、会場のバックグラウンドビデオとして、正面のスクリーンと後方の縦型モニターに流す。作業台前の櫓の付近一帯には、トランプで作られたタワーや、雑誌の切り抜きを垂直方向に繋げて立たせたものなど、紙やテープでできた小さいオブジェがずらりと並べられている。会場でメインのパフォーマンスが行われている時は映像の投影が止まるが、その間も作業の手は止めない。出演者の佐々木文美による会場案内中にマイクを向けられたときには「色々なことが起こっているけど、淡々と自分たちの仕事をする」と言った。彼らはこのように他のパフォーマンスと距離をとって仕事をすることを意図するが、その結果アーティストや観客に自由な振る舞いを促すよう構成された空間と、呼応関係を形成してもいる。それは会場の隅に作ったブース、メインパフォーマンスの休憩時間のスクリーン、または櫓台の片隅など、本来であれば人々の注目を集めない場所を占拠し、会場で常に何かが起こっているという状況を作り出すことによる。つまり、正直の構成から外れた余白の部分で自由な振る舞いをしてみせることで、雑然として見える空間に呼応しているのである。
最終日の全てのパフォーマンスの終了後、THE COPY TRAVELERSブースの後壁には、グラフィックがコピーされたA4用紙が4列×7行の28枚貼り付けられていた。それは、巨大かせくり機から床にだらりと垂れて貼りつく養生テープといった、他のパフォーマンスの痕跡のいくつかに混じって、祭りのあとのような情景を醸し出していた。
会場は、同時多発的にさまざまな状況が起こっている賑やかさによって、祝祭的な雰囲気に満ちており、我々はそのなかを自由に過ごす。この開放感は、基本の空間構成に遊びを加えるようにしてパフォーマンスを行い、会場のあちこちに色とりどりの音の図像を残した正直と、正直が作り出した空間と呼応するように各々のフィールドで即興パフォーマンスを行う出演者によって、綿密に練り上げられたものだった。