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#公演評#音楽#機関誌「ASSEMBLY」#2018年度

室内オペラ「サイレンス」公演評

無言でもなお…

文:白石美雪
2021.6.15 UP

「○○パフォーマンスと言ったら難しそうで誰も来ないが、オペラなら来る」とは、2 年前、アンドロイドが指揮して歌う《Scary Beauty》を「モノ・オペラ」と名づけて初演した渋谷慶一郎の言葉だ。彼の前作、初音ミクを主人公にしたボーカロイド・オペラ《THE END》は伝統的な舞台音楽の形式を踏襲しつつも、音はすべてコンピュータで作ったものだった。こうしたオペラならざるオペラへの、「オペラ」という命名が戦略となり得るほど、21 世紀のオペラは境界のない広がりをみせている。
 マウリシオ・カーゲルがオペラの伝統と決別しようと、「音楽劇」という名前にこだわったのはわずか半世紀前。1990 年代ですら、スティーヴ・ライヒは《ザ・ケイヴ》をビデオ・ドキュメンタリーと呼んだ。しかし、おそらくフィリップ・グラスが1776年にロバート・ウィルソンやルシンダ・チャイルズらと創った《浜辺のアインシュタイン》を「オペラ」として初演したときから、現在の興隆にいたる導線に火がついたにちがいない。旧態依然とした、だからこそ多くのファンをもつ、声の愉悦に酔いしれるグランドオペラがいまも好んで作曲されている傍ら、必ずしも人間の声への欲望を満たすのではなく、演劇やダンス、映画などと融合しながら歌のテキストが提示する情景、そこで紡がれるストーリーを享受する「オペラ」が生まれ続けている。この種のオペラの創作は音楽における物語性への渇望と重なってくるのだろう。ダンスのサシャ・ヴァルツが演出し、塩田千春のインスタレーションを用いた細川俊夫の《松風》しかり、勅使川原三郎が台本を書き、演出、美術、衣装のすべてを担った藤倉大の《ソラリス》しかりである。

ボーダーレス室内オペラ「サイレンス」|2020年1月25日(土)神奈川県立音楽堂|©林喜代種

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アレクサンドル・デスプラが自らの台本に作曲した室内オペラ《サイレンス》はこの系譜に位置づけられる。3 人の登場人物のうち、ひとりはフランス語の語り、あとのふたりも歌詞の発音をなぞった穏やかな朗唱である。ここに声の快楽への志向は感じられない。グラミー賞の映画音楽作曲部門やアカデミー賞作曲賞の受賞で世界的に知られるデスプラは多くの引き出しをもつ作曲家だが、『英国王のスピーチ』を彩る優しくメランコリックな音調、『グランド・ブダペスト・ホテル』のユーモアを引き立てる軽快で品の良い器楽、アカデミー賞作曲賞を受賞した『シェイプ・オブ・ウォーター』に流れていたノスタルジックで抒情的なメロディを思い出してみれば、心の襞に触れる繊細さこそ一貫した個性とみることもできよう。今回が初めてとなったオペラはそうした美点を最大限に生かした作品となった。
 影が映える真っ白な床は生と死が混在する能舞台を思わせ、その背後に並んだパステルカラーによる色とりどりの衣装(ヴァレンティノのクリエイティヴ・ディレクターであるピエールパオロ・ピッチョーリによる)をつけたアンサンブル・ルシリンの奏者たちが音楽で物語を彩っていく。雅楽にならってフルート、クラリネット、弦楽器が3 人ずつ、そこへ打楽器が入る。だが、音楽のスタイルはジャポニスムからは遠い。映画音楽での調性音楽とは明らかに異なっているが、現代音楽特有の不協和な響きに堕することなく、ドビュッシーの用いた旋法や武満徹の好んだ汎調性による楽想を操りつつ、武満や細川の音楽に現れる日本的な打楽器の間合い、ミニマル風の反復音型をあしらいながら、情景に寄り添って色とりどりの音楽が綴られていく。

ボーダーレス室内オペラ「サイレンス」|2020年1月25日(土)神奈川県立音楽堂|©林喜代種

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原作は川端康成の『無言』である。昭和28 年、「中央公論」に発表された短編小説で、ちょうど『山の音』が断片的に発表されていたさなかの50代半ばに書かれた。『伊豆の踊子』や『雪国』のような代表作ではなく、全集ではわずか15ページにすぎない。夢とも幻ともつかない、ほんのひと時の対話がそのすべてと言ってもいい。しかし、そこでは死の世界と生の世界があやしくも二重写しとなり、生が死であり、死が生であるといった連続感が基調をなす川端文学の本質があらわになっている。
 要約するとこうだ。大宮明房という66 歳の小説家が病の後遺症により半身不随となる。妻にも先立たれ、40 歳近い娘の富子が結婚もせずに世話をしている。中心となるのは大宮家へ見舞いに訪れた大宮の弟子である三田と富子の対話である。富子はかつて明房が書いた小説に、脳の障害を抱えた息子が白紙の原稿用紙に小説が書けたと思い、それを嬉々として母親に差し出すと、彼女は病状を察して不在の小説を読むという話があったと語り、自分が父の作品を読めたらと呟く。三田は全く反応のない父と、そこから意思を読み解く娘の、不思議な通じ合いを直感する。

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オペラでは、このあとにクライマックスが訪れる。富子が席を外し、やや酒がまわった三田が反応しない明房へ詰め寄るのである。明房は麻痺が残るとはいえ、左手が少しは動くらしい。それなのになぜ、一文字も書こうとしないのか。書かないことが彼の意思なのか。せめて世話をしてくれる富子さんに「ありがとう=メルシー」の「メ」と書いてあげたらどんなに喜ばれるだろう。「メと書く稽古をなさい」と手をとって動かそうとする三田の乱暴とも思える動作と切迫した音楽が、静謐な舞台の空気を一変する。
 オペラの台本はほぼ原作をそのままフランス語に翻訳したもので、私(三田)が語る地の文をコメディ・フランセーズのロラン・ストケールが語り、三田の言葉をバリトンのロマン・ボクレーが、富子の言葉をソプラノのジュディット・ファーが歌う。だから、三田が訪問前から考えていた明房への助言を、酔った勢いで語る場面は確かに原作にも存在する。しかし、小説では自分の想いを師匠に告げる三田はひとまず動作を伴わず、言葉もどこか諭すような口調に読めたのだが、オペラでは感情もあらわにセリフをぶつけるのである。狂気を帯びた激しい表現が炸裂した後、もはや器楽もなくなり、富子と三田は30秒近い沈黙のなかで佇む。いわば生の世界から死界をのぞき込む苛立ちが、限りなく死に近い寡黙な生へと変化した瞬間。川端の原作では知らず知らずのうちに変容してしまうくだりで、時空を引き裂く亀裂を入れたところにデスプラと彼の伴侶で演出家のソルレイの表現の核心があった。フランス語の作品名はEn Silence である。Enという前置詞(英語ならIn)は、沈黙そのものではなく、無言の状態であること、無言の状態になることを含んでいるはずだ。

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大宮家でのできごとのまえとあとには、タクシーのシーンが置かれている。「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」という有名な一文と同じく、ここでもトンネルが現実と非現実を分かつ仕掛けとして機能する。鎌倉から逗子へとまたがる小坪トンネルは手前に火葬場があって若い女の幽霊がでるらしいと、運転手が語る。ここが現実から幻想への入り口だ。ところが、帰り道にはトンネルを出た刹那、運転手がタクシーに幽霊が乗っていると告げる。三田にはその姿が見えず、小説では慄きつつも幽霊が誰ともわからないままで終わる。てっきり若い女かと思ったら、オペラでは背景の映像に明房らしい目元が映って意表を突かれた。デスプラとソルレイがこのオペラで表現しようと試みた「表現手段を失った芸術家はどう生きていくのか」というテーマへの答えは宙づりのままだが、もしかしたら言葉を失っても富子との交感に命をつなぎ、三田の精神を侵食する作家の姿に一筋の糸口を見出したのかもしれない。

ボーダーレス室内オペラ「サイレンス」|2020年1月25日(土)神奈川県立音楽堂|©林喜代種

初出:機関誌ASSEMBLY第5号(2020年3月25日発行)


室内オペラ「サイレンス」

2020年1月18日(土)|ロームシアター京都サウスホール
2020年1月25日(土)|神奈川県立音楽堂

原作 : 川端康成「無言」
作曲・指揮:アレクサンドル・デスプラ
台本:アレクサンドル・デスプラ/ ソルレイ
演出・映像:ソルレイ
美術・照明:エリック・ソワイエ
衣装:ピエールパオロ・ピッチョーリ
演奏:アンサンブル・ルシリン
ソプラノ:ジュディット・ファー
バリトン:ロマン・ボクレー
語り:ロラン・ストケール(コメディ・フランセーズ)

小説家・川端康成の短編小説『無言』にインスピレーションを受け、グラミー賞やゴールデングローブ賞で作曲賞を多数受賞している注目の映画音楽作曲家・アレクサンドル・デスプラが新たに発表した室内オペラ。デスプラの公私にわたるパートナーであるソルレイ(ドミニク・ルモニエ)との共作。2019年2月にルクセンブルクで世界初演、2020年1月に日本初演。

  • 白石美雪 Miyuki Shiraishi

    音楽学、音楽評論。専門は20世紀前衛音楽史および近現代の日本の作曲家研究。ジョン・ケージを出発点に20世紀の音楽を幅広く研究するとともに、批評活動を通じて、現代の創作や日本の音楽状況について考察してきた。近年は明治期から昭和期に至る日本の音楽評論の成立を研究している。朝日新聞で音楽会評を、『レコード芸術』誌で月評を執筆。横浜市文化財団主催「ジャスト・コンポーズト」シリーズの選定委員。武蔵野美術大学教授。単著に『ジョン・ケージ 混沌ではなくアナーキー』(武蔵野美術大学出版局、第20回吉田秀和賞受賞)、『すべての音に祝福を』(アルテスパブリッシング)、編著書に『音楽論』(武蔵野美術大学出版局)。

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