「《継承と創造》宮古・八重山・琉球の芸能」という2日間をかけたプログラムを鑑賞した。当初は2022年2月に予定していたもののコロナ禍で延期となり、4月29日と5月3日での開催となった。沖縄の本土復帰50年にあたる2021年に、オープンしたばかりの那覇文化芸術劇場なはーととロームシアター京都の共同企画として力のこもったプログラムを目の当たりにした。2年がかりである企画の当初から琉球、宮古、八重山の専門家たちが監修として深く関わり、現場の問いかけや取り組みを共有したことも、公演の実現と成功に関わっていただろう。ロームシアター京都としても、これまで古典芸能を扱ってきたシリーズ「舞台芸術としての伝統芸能」に新たに民俗芸能を加える試みで、近代国家の枠組みを超えた「芸能」を再検討する良い機会になっていた。
公演1日目は宮古と八重山の芸能。3時間半にもわたる上演時間だが、もっと長く上演したかったようだ。前半は「宮古島創作芸能団んきゃーんじゅく」プロデューサーの前里昌吾さんの監修で、水をテーマに構成した芸能がスピーディに展開した。宮古を代表する芸能「声合(クイチャー)」は水不足から生まれた祈りが芸能へと変化したものだという。雨水が浸透しやすい石灰岩の地層の宮古諸島では、地下ダムができるまでは安定的に農業用水が得られず、地下水に頼る歴史が長く続いた。人々が大地を踏みならして降雨を祈り、豊作を願う唄や踊りが数多く伝わるのもそういった自然環境が背景にある。現在も約15団体存在するクイチャーの保存会は踊りに違いはあるものの、一つの円になって踊る点は共通しているという。宮古の演目は11曲でプレトークの解説もわかりやすかった。配布プログラムも充実した内容で、舞台には歌詞とその標準語訳が字幕として投影された。
初めの「雨乞いぬあぁぐ」は祈りの場である御嶽(ウタキ)で司(ツカサ)が雨乞いを祈願する声に、集団の声が重なっていく唄と踊り。紗幕と照明を用いて降雨の様子を再現し、多くの出演者が集う群衆劇として見せていた。雨が降って舞台にスモークが焚かれると「神々の舞」ではシンセの音とともに獅子が舞台で戯れ清める。スペクタクルな創作芸能としてリズミックに見せて飽きさせない。そのほかの踊りは、琉球舞踊の様式で「トーガニアヤグ」はご祝儀ものの男女二人だち、「大世栄」は五穀を手に持ち、独り立ちで静かに舞われる。後者は1986年に創作されたようで、琉球古典舞踊のような趣があった。「多良間世」は男女の掛け合いに合わせて、手に持った采配を振って厄を祓いながら踊る四人立ちの舞踊。「なりやまあやぐ」は男女の掛け合いで色っぽい歌詞に合わせてしっとり踊る手踊り。打って変わって四人が鉢巻をして襷掛けで踊る男踊りの「棒踊り」ではリズミックな指笛で沸き立ち、シンプルな振付ゆえのおおらかな勇ましさがあった。「家庭和合」では男女の結婚の段取りが宮古島の言葉で再現され、三線を弾き宴が催される。「家庭円満や親孝行は嫁の力」とここでは唄われるが、現代ではもうこれは二人の問題だろう。「中立ちぬミガガマ」では太鼓をもってクイチャーの動きを取り入れた創作エイサーの躍動的な群舞に、白塗りの化粧をした京太郎(チョンダラー)が立ち回る。「黒潮の闘魂」(作詞作曲奥平潤)は日露戦争時にロシアのバルチック艦隊を発見したために海を渡った久松の五人の若者をモデルにしたもので、オール(櫂)を持って踊る群舞は新舞踊のようでも時代劇のようでもあり、ほかの曲とはかなり趣が異なっていた。最後のクイチャーでは笠をもち指笛を吹き、皆がそろって声を合わせて唄い踊り尽くし、ソーニノヨイサッサイと大盛り上がりで幕を閉じた。
休憩を挟んで、再びプレトーク。今度は八重山の芸能を監修した八重山芸能研究者の大田静男さんが、八重山の言葉や鳥の鳴き声で話し出してどきっとさせる。八重山の演目は古謡と八重山舞踊の二部構成になっていた。古謡は大田さんと大浜賢二さんが舞台に座り素謡で見せ、宮古島のスペクタクルなショーとは対照的なシンプルな見せ方だった。弥勒節を歌う総踊り(出演者の顔見せ)で始まり、神歌の「アヨー」、「ユングトゥ」を前述の二人が朗誦する。かつての農作業の様子が映像で投影された後、「ジラバ」が六人で唄われ、続く「ユンタ」では六人の男女によって、地搗き作業の様子が動作を伴いながら掛け合いで唄われる。これはかなり高い音高で唄われるが、女性のホイホイという掛け声がユーモラスで面白い。再びトークが入って、上手に地謡が控えて、次々と舞踊が披露される。赤い振袖の若衆姿三人がユニゾンで踊る「鷲ぬ鳥節」は、笛音が軽やかでシンプルな振り付けに、金の二枚扇が美しい。西表島祖納の豊年祭の時のみ踊られる稲穂を持っての女性の独舞「仲良田節」はゆったりと足の歩みに神経が行き届いている。廃村になった高那村の「高那節」の歌詞の意味は現在ではわからないようだが、笠を右手に持っての男踊りはキビキビと清々しい。踏み足が多く腰を落とした歌舞伎舞踊の動作とほぼ変わりない。西表島を代表する「古見ぬ浦節」は様々な衣装を身につけた八人が、音を立てる楽器を持って、足のシンプルなステップにアクセントをつけて踊る。列になったり円になったり向き合ったりというフォーメーションも興味深いが、この演目は実は貴重な踊りで、外部で披露されることはほとんどないという。最後は1984年頃に振り付けられた創作舞踊「みなとーま」で、軽やかな足運びが印象的な男女四人による作品。後半の「新村節」になると曲調が変わり、網をひいたら美しい乙女が中から出てきたという驚くべき内容が踊られる。
この日のアフタートークでは、芸能の来し方行く末が語られた。宮古の芸能ではなかったエイサーが今は新しい芸能になっているように、宮古島はいま新しく芸能を作っている時期だという。芸能はあらたに作られる―――ただこれは水が安定して供給される今日において宮古の芸能はどうなるのか、といった疑問にも繋がる。そこに、琉球舞踊穂花会・宮古舞踊んまてぃだの会の亀浜律子さんの言葉が重く響く。「芸能は10年20年ではできないのです。土地には馴染めていけないのです」。那覇文化芸術劇場なはーとの林立騎さんはさらに追求する。世の中はすごいスピードで変わっていく時、芸能はどう変わるのかと。八重山芸能研究者の大田さんは、苦悩しながらこう述べる。もう害虫が来る心配もないのに歌を歌う必要はないかもしれないが、歌には文化が詰まっている。為政者ではない民衆が歌った歌に込められた精神やその村の誇りが詰まっているから、歌は島の人たちが生活をしてきた証として残すべきだと。その歌が失われると村や土地がバラバラになり、自分さえ良ければいいという話になってしまう、とそう話していた。また、普段は別々に活動しているものの、こういった公演になると一つの団体として舞台に立てるとのコメントも印象的であった。このような公演が、芸能を受け継ぐ小さな村の人たちへの自信と励みにつながっていることは間違いない。
続いて5月3日には、琉球の芸能が上演され昨年のロームシアター京都の自主事業ラインアップテーマ「声」を経由して、冊封宴で奏された琉球古典音楽「北宮十二頌曲」にフォーカスしたことが遠藤美奈さんによって説明された。この音楽は明(清)から来た冊封使をもてなす、首里城の北殿で行われた宴において演奏されたという。三列に並んだ字幕(歌詞の発音・歌詞原文・対訳)を見ながら、当時の音を再現したという絹弦による三線の音に耳を傾ける。すこし音が落ち着きおさまる重い音色がする。琉球古典音楽は士族の音楽として成立してきたために、男性が演奏する習慣であったそうだが、今回は男女混合での演奏の試みであった。また、新たにこの琉球古典音楽に、御冠船躍としての作舞が琉球舞踊家の佐辺良和さんと宮城茂雄さんによってなされた。所作台の上で踊る設えで、扇子を持つ四人の仕舞のようなユニゾンで始まる。踊りの振りに男女の違いはなく、金の扇をそのまま持って踊るモダンな雰囲気がある。男踊りの扮装が中性的で、また振付は基本的にためをつけずさっくりとつけており、重心が前にある。足で踏んだり地を抑えたりする振りが多い。大和の芸能を見聞きして持ち帰ったとのことだが、扇の使い方など日本舞踊との類似点が目にとまる。連舞になったり手踊りになったりして、動きより歌が先行し、踊りは音楽に従属する。最後は歌のみで静かに終わる。
アフタートークでは、これはBGMとしての琉球古典音楽を劇場化した公演であり、個人の心情や過度な抑揚をつけると王などへの不敬になるため、表現のギリギリのところで歌ったことが説明された。舞踊に関しては若衆踊りと二才踊りで振り付けるという、創造的再現にしてほしいというリクエストがあったという。作舞を手がけた宮城さんも伝承されている動きに当てはめて作舞したというが、当時の装いにして髪型にバリエーションを持たせて変化をつけたという。舞台斜から出て斜に入り、組踊の所作を取り入れるチャレンジもあったというが、専門家でないとその試みの実験性はわかりにくかった。また作舞をてがけた佐辺さんは、従来の舞踊の手で振りをつけ、若衆であっても小道具や裾を上げた衣装、羽織などで変化をつけたという。古典とテンポの速い明治以降の雑踊り、創作とを、どこに入れるかで工夫したというが、その斬新さは元の舞踊の構造を変えるほどではなかっただろう。
今回、舞踊とは別の形で大きな実験を試みたのが音楽の演奏形態だった。当時の音を再現するために三線をテトロン弦から絹弦に張り替え、加えて調弦も当時にならった。そのため、女性にとって歌いやすいA♯の調弦となり、これまでは男性のみもしくは男女別の演奏形態であったところに、男女混合での演奏を実現したという。演奏者には一時間ずっと歌い続ける集中力も必要であったとのことだが、史実の検討と再現を通しての新たな発見に加えて、こういった今日的演奏方法に行き着いたことを高く評価したい。これは他の伝統芸能の演奏方法にも、大きな示唆となるであろう。男性の声のピッチで揃えるため女性が除外される能や歌舞伎音楽、浄瑠璃の謡でも同じ試みが可能なのではないか。それは、伝統・民俗芸能がそのままの形で古くから継承されてきたわけではなく、時代や文化に合わせてダイナミックに変化してきたものとして捉える、今日的な芸能理解とも響き合うだろう。
もう一つ、気になったことを書き添えたい。ロームシアター京都と那覇文化芸術劇場はなーとの意欲的な共同企画である反面、わたしはこの二つの劇場を大和と琉球の関係として捉えていたようにも感じた。沖縄本島と離れた宮古や八重山は別の文化圏を持つ地域だったにも関わらず、政権を持つ琉球文化の視点からこれまで語られていた。それは琉球が、本土である大和の視点でこれまで語られ、現在も米軍基地を含め多くの未解決の問題を抱えていることとも重なる。日本という近代にできた国民国家が、実は多言語や多文化で成り立っていることを改めて認識するとともに、特権を持つ側はそれに無自覚であってはいけない。沖縄の本土復帰50年を記念した2021年の催しの中で、それは議論され続けている。少数派は多数派の鏡として、本土がつくる「日本文化」をより豊かにするものとして、存在するのではない。それ自体に根付くエネルギーのために存在しているのだと思う。それはこのコロナ禍においても、ロームシアター京都のサウスホールを満席にした観客の手拍子が、彼らのエネルギーがそう証言していた。差異を乗り越えるのではない。文化や社会のさまざまな非対称性をみとめ差異を伴いながらも、軽やかにそれを越境する、美しく熱い情熱が、新たなる芸能に求められているのではないか。