少なくとも1960年代半ば以降の“シティポップ”からJ-ポップの2020年代まで、何がポップ/音楽であるのかという問いへと向かって、いつでも京都は前衛たる振る舞いの可能な場としてあり続けてきた。
日本の他の地域にポップ音楽の様式を踏まえながら前衛たらんとするアーティストたちがいなかったというのではなく、それは例えば、主にエスタブリッシュメントが支えるポップ/音楽を商品に仕立てあげる一連の制度の仕組みが、東京で発達し集約されてきたという地政や歴史との関連からも説明を始めることができる。
2022年の12月9日、ロームシアター京都の地下のホールに足を踏み入れたオーディエンスは、照明が落とされ空間現代×三重野龍のパフォーマンスが始まるよりも前に、オーディエンス席より高く位置したステージと呼ばれる空間の部分に対して三方から彼らへと目と耳を向けることができるように全体がデザインされていることに気がついただろう。席は用意されていたが、その数は会場のキャパシティより遥かに少ないように見えた。ならば、オーディエンスにとってはパフォーマンスの間にもそれぞれの位置を動かしてみることが奨励されているか、もしくは任されているということになる。
いそいそと出かけていった巨大なコンサート会場で、正面からステージがオーディエンスと相対しているとき、しばしばミュージシャンの身体性を平面的で絵画的な表象として掻き消すように知覚し消費していく経験と、この夜のロームシアター京都の空間はこの時点で既に鮮やかな対照をなしていた。いうまでもなく、視覚的イメージが平板に強調されるようにデザインされた伝統的なコンサートという機会は、 そのまま極大の通常ステージの左右(どちらか)に設置してある巨大なモニターから極小のスマートフォンやラップトップのモニターに映し出されるイメージへもシームレスにつながれ変換されていくことが可能だ。
この夜、ステージの上の空間現代と三重野龍の4人の間には、パフォーマンスの開始と共に幾重にもイメージが映し出されるスクリーンが彼らそれぞれを分け隔てていたのだが、その一枚一枚のテキスタイル的な物質は半ば透けているので、完全に遮断されていたわけでもなく、オーディエンスが彼らそれぞれのプレイする身体(性)と同様に大きな部分を占める三重野の視覚表現とを一緒くたに平板に絵的に翻訳されることを拒む。公演すなわちサウンドとイメージの放射は、劇的な合図を避けるように始まっていく。三重野の操作によって幾重ものスクリーンを透過して届くイメージは抽象的だったりある種の図版のようであったりする。白い光でもあるし、また原色でもあるが、それらは全体としてエピソードとして容易に要約されうるようなものではない。
彼らそれぞれが出すサウンドもしくは投射するイメージは、いうまでもなく、ステージとオーディエンスとの関係を決定したひとつの理由になっていると想像される機材/テクノロジーが相互に結線されていることにより、アンサンブル=プレイ=パフォーマンスとなることが可能になる――こう書くと電子メディア/テクノロジーによって人々が結ばれており、直接お互いに声をかけるといったことがほぼなく延々と続くローリング・ストーンズのレコーディング風景をゴダールが撮影した『ワン・プラス・ワン/悪魔を哀れむ歌』を想起させるかも知れないが、その夜に地下で繰り広げられたのは1968年の五月革命への段階的過程の困難への予感と決定的な政治的挫折がないまぜとなった事後的で執拗な描写ではない。なによりも空間現代メンバーそれぞれの持つ音楽的ヴォキャブラリーは“終わりなき日常”を打ち破るためにまず必要だと想像される確かな技術を持つ人々が何を共同で取り組むこと自体の祝祭性を孕んでいるからである。その意味で空間現代には華がある。しかし、それを彼らはそのままスペクタクルに利用しない。そこに可能性が拓かれていく。しかし、どちらも身体とメディアの問題に絡んでいくことはもちろん、なによりもステージのセット自体から芸術をどう生み出すのか/聴いて観ていくのかという生産と消費のありかたに係らざるをえない。
例えば、前衛という立場をとること、とり続けようとすることが地政や歴史と関連があるのなら、さかさまに、パフォーマンスをオーディエンスが聴く/観るといった伝統的にコンサートと呼ばれる機会をあからさまに社会的な文脈に置くことは可能であるわけで、巨大なコンサートにおいて立ち上がる平板なイメージの氾濫が偶然に起こったのではないことを思い出すならば、『汽』におけるこうしたステージの設計そのもの、例えばVJと異なり、三重野もステージ上で動き回るということ、これらすべてが一回こっきりのデモンストレーションとしての公演という機会と芸術の経験自体を切り離していくことへの抵抗の実践になりうる。同時に、彼らと自分たちを包み込み芸術の公演を行うために設計され築き上げられた物理的な構造物 が支配するカテゴリーのありように疑問を呈することも可能であるということになる。ならば私たちオーディエンスの存在とそれぞれのジェスチャーもまた、空間現代×三重野龍のアクションが契機となり一時的に現出する“アートワールズ”の成員とその要素となることを意識するだろう。もしくは物理的に限定されている構造の内側で行われる公演の外側へと、例えば彼ら=アーティストの暮らしへさえも芸術のありようが強く係ることまでに想像を馳せることができる。
こうした実践はもちろん空間現代×三重野龍が初めてやってのけたわけではない。世界中の人々が、彼らの前に諦めることなくこうした実践を繰り返し続けてきた。個人的にも、偶然に遭遇した(しかし実際には外部の人間の目のあまり届かないところで行われていた)沖縄の離島の祭祀の音楽と舞踏から、かつて白州で行われた近藤等則、田中泯、土取利行のパフォーマンスなどがすぐに思いつく。振り返って空間現代×三重野龍は都市空間において電子メディア/テクノロジーの存在を前提にしながら、 カテゴリー、つまり終わりなき分業化へ抵抗する。ならば、『汽』という試みは、20世紀初めのモダンな前衛演劇の文脈の方向へもつなげていくことが可能であろう。
そのうえで、この夜の空間現代はいわゆる基本的なロック・バンドの編成でありながら、彼らが三重野と共に言葉を排していくことによって、典型的な20世紀後半的な産物であると思われるロックの孕む逆説、すなわち「共同体や文化を強調するけれども、ファンの大部分の費やす時間は個人的経験であり、うちでレコードを聴き、スターについての個人的な夢を広げる」[注1]ことを増幅させてシステムのアーキテクチャの裏打ちとすることを避ける。大部分のロックは言葉、正確には発話によってファロセントリック(男根中心主義)な欲望の制度を操作してきたからだ。念押しのように、空間現代の曲の構成とプレイは、その全体をリードしていくことで支える中心との関係、もしくは中心とはどこであるかを私たちに常時強く意識させる。もちろん、ジャズでもロックでもリード楽器はある曲の最中で変わっていくし、そのことを私たちは伝統的に楽しむわけだが、彼らが提示する中心の移動、転換、もしくはその消失点を持続させようとすることは注意深く設計されており、アーキテクチャの組み替えの試みのように響く。今回、そのことに三重野の視覚表現が賛同したのだ。
私たちが音楽/視覚表現の公演という芸術の社会的な編成の結実=作品のパフォーマンスの最中にありながらもそこから逸脱していく力を得る。そのとき、誰もが異なる局面において、つまりどこかで到達する、あのラディカルな問いが姿を現すだろう。サウンドはアートか、アートはサウンドか[注2]。どこからがアートなのか。強く再演を希望する。