ロームシアター京都でお寿司の「菠蔆心中」を観る。
私は、2013年4月から2018年3月までの5年間、ほぼ毎週、東京から京都精華大学までファッションを教えに通っていて、その間、京都の劇団「地点」へはずいぶん足繁く通ったし、秋の京都国際舞台芸術祭=KYOTO EXPERIMENTの参加作品や、マームとジプシーの京都公演など観たりしたものだが、うかつにも、衣装作家としての南野詩恵さんの存在とも、南野さんが作・演出・衣装をトータルに手がけるために2016年に立ち上げた「お寿司」の現在までの活動とも、接点を持つことなく任期が終わり、京都から離れた。それなのに、この、公演を観て原稿を書くという願ってもない仕事をいただき、おこがましくも引き受けてしまった。それはもちろん南野詩恵さんが「衣装作家」であるからで、ファッションの一形態としての舞台衣装や、ファッションと演劇との接点に少なからず関心のある私は、「お寿司」という風変わりな名前の劇団の作品の中で、衣装がどのような現れ方をするのかをぜひ観てみたかった。
しかも、今回の演目は「曽根崎心中」に想を得た作品とのこと(「『曽根崎心中』の二次創作物」という言い方を南野さんはしている)。思えば、大学時代に文楽好きの友人に誘われて、半蔵門の国立小劇場に何度も通ったものだった。いつしか文楽への関心は薄れたものの、人形遣いの手で人形に息が吹き込まれ瞬間に魅了された体験は、義太夫の謡、太棹の音色と共に、記憶に刻み込まれている。南野さんは、一体どんな風に、文楽と格闘するのか、そちらへの興味も広がった。
それにしても南野さんはなぜ曽根崎心中を選んだのだろう。
近松門左衛門による心中ものの先駆けのような「曽根崎心中」だが、元禄16年(1703年)に実際に起こった心中事件につき動かされて近松が急遽、浄瑠璃に書き下ろしたものだそうで、なんと事件の1ヶ月後には文楽の舞台にかかったという。この大成功がきっかけで心中ものはブームになり、実際の心中事件も相次いで起きてしまい、とうとう幕府から心中ものの執筆や上演の禁止令が出たのだそうだ。それにしても、人形芝居がきっかけで心中が次々に起こるとは。
「此の世のなごり。夜もなごり。死に行く身をたとふれば あだしが原の道の霜。一足づゞ
(注:濁点を取る)に消えて行く。夢の夢こそ あはれなれ。」で始まる有名な曽根崎心中の道行のくだりと中学時代に出会った南野さんは、「美しい言葉と情景とリズムに胸が震えました。文章が出会いです」と、公演後に私の送ったメールインタビューに答えてくれた。さらに、曽根崎心中のどこに惹かれたのか、という質問への回答には、こう書いてきた。
南野:「まずは、道行文です。数ある道行の中でも一際美しく、最期であるが故にこの世の景色が細かく大量に目に飛び込んでくる様、その疾走感、堂島新地から露天神社まで、およそ15分間の、曽根崎の森の中を駆け抜けた時間が二人の幸せの絶頂だと思うと、言葉にならない想いが溢れました。そして、美しい色彩の浅黄色の帯の描写と、ここぞの時の人間の弱さやためらいと、全うされた心中と壮絶な最期の描写、それが実際に起きた事件をモデルとしていた事も大切な決め手でした。
その後、全文を通して読むと、掛詞の連続にまた、たまらなくなりました。
文章の構造と言葉選び、例えば、引用や、数珠と菩提樹などの関係全てを説明せずに共通認識のまま体言止めにする技法。それを使用する事でリズムを保ったまま「語らずに」、複数の情報を伝える事ができます。
また文楽を観劇し、そのシステムにも惹かれました。
完全分業制なのに、お互いに影響をし合う一体である事、黒衣というお約束、三業の三味線、大夫、人形遣いが同じウェイトで世界を作る事。変わらないはずの人形の表情。吹き込まれる息吹と、その後ろから主遣いの方の顔が覗く事。そういった特殊な表現技法に、心を奪われました。」
この回答からは、南野詩恵さんが、「曽根崎心中」の道行以外の部分も読み、言葉の構造に感動し、さらに文楽で演じられたものも観て、三業、黒衣という特異な上演システムにまで興味を広げていく様子が窺える。それは、衣装デザインという次元から、言葉を介入した演出という次元への関心の移行なのだろうか。
お寿司の「菠蔆心中」には、“ボロレスコ”とサブタイトルがついている。ボロレスコとは、バーレスクの語源で、「歌や踊りなど様々な芸能を盛り込んだショーの一種」(公演チラシより)だという。なるほど、「菠蔆心中」には、俳優が台詞を話す演劇の部分はもちろんあるが、ダンサーが何人も登場して、それぞれ独特な身体表現を見せる。加えて、人形振りもあれば、黒衣が人形遣いとして登場する、まさに文楽の人形のような動きもあって、人間(登場人物)の幾重にも重なり合った動きを読み解くのがこの作品の観劇の楽しみだと気がつく。衣装や舞台美術も含め、人形浄瑠璃の構造を大胆に取り入れつつ解体し、舞台作品にまとめた「菠蔆心中」は、新しいマルティプルな舞台作品といえる。しかもおもしろい。
ストーリーは、大きく改変・創作されている。原作同様、心中せざるを得ない世の理不尽さ、ままならなさがベースにある。お初に相当すると思われる「タマちゃん」こと福岡さんと、・徳兵衛に相当する徳島さんは、ともに、天満屋(原作では女郎屋だが、ここでは洋裁材料会社になっている)の社員で、それぞれパートナーがいる。天満屋の社員たちのミーティングで舞台は始まる。
突然、親会社からの通達で、徳島さんがクビになるのだが、その理由が誰にもわからない。遅れて登場する徳島さん自身、ほとんど台詞を発せず、ダンマリを決め込んでいる。悪事を働きそうにない徳島さんの解雇の理由を社員たちは振りかえって考える。
衣装は、私が当初予想したような衣装作家らしいファンタジーはほとんど感じられず、あくまでも「文楽」の再構築に注力しているように見えた。大阪弁で登場する現代の天満屋の社員たちは、よくあるグレーの作業服や、白いシャツに黒いパンツまたはスカートなど、いかにもその辺にありそうな事務系の服装をしている。唯一非現実的な衣装は、舞台に出突っ張りの「タマちゃん」の白いブラウスと黒いスカートの、事務服ながら大きなダルマのようなシルエットの服(顔がへのへのもへじで、巨大なてるてる坊主にも見える)。グレーの作業服を着た宮崎さんと石川さんは、話が進む後半、義太夫よろしく2人並んで座って、心中を巡る異なる見解を語る重要な語り部となるのだが、その時、この上っ張りが太夫の裃に見えて来る。しかもその色はグレーと書いたが、浅黄色にも見え(言われてみれば)、それが曽根崎心中につきものの色彩と知ると、南野さんの衣装のもくろみにやられた、と感じるのであった。後半、事態が解決できなくなって、タマちゃんと徳島さんに「心中」という300年前の解決法が降りてくる。その道行きを前にして、タマちゃんの黒いスカートがめくられて現れたのが、これまた浅黄色のスカートなのであった。
天満屋の社員の中で、徳島さんだけが、制服ではないスーツを着ていたことを考え合わせると、この男女2人の衣装が、心中へむかう道行のための晴れ着なのだとわかる。
徳島さんが、文楽の人形を思わせる巨大な木製の手(指が一本一本離れるまさに文楽の手が巨大化したもの)と足を装着されて(黒衣が操って)、道行に向かうところは、圧巻であった。この合田有紀というダンサーの演じる徳島さんには、驚かされた。鍛え抜かれた身体をほとんど抑制し、文楽人形になり切った。背中だけの演技がこんなにうまい人を初めて見た。
もう一人、対照的に激しい動きと衣装で印象に残ったのが、徳島の奔放な許婚、まり子だ。全編を通じて、ほぼ地味な色味の登場人物の中、まり子だけが、サーモンピンクのゆったりしたスウェット、グレーのジャージーにスニーカー姿で現れる。彼女は、台詞はほとんどなく、心中を邪魔するように徳島に絡みついたり、ものを食べたり、セックスを連想させる動きを「踊る」のだ。まり子の登場は、舞台を新たなフェーズに持っていく。いわば、様式に則った舞台が演じられていたところに、街の雑音が飛び込んできたような感じ。この違和感が、演じる三枝眞希の、秀逸なダンス=身体表現と、現代的なファッションで表現されていたことにも目を向けたい。
ボロレスコ「菠蔆心中」は、ボロレスコと名打つだけあって、台詞を使って演技する「俳優」と身体で特別な表現を行う「ダンサー」の混在が観客を惹きつける。俳優が台詞で表現するものと同等の内的な心象をダンサーたちは身体で表現した。単なる台詞劇ではないが、コンテンポラリーダンスの作品とも異なる作品。台詞を追っているだけでは、肝心な部分を見逃してしまう。まり子の存在は、徳島さんの妄想とも見えるし、タマちゃんの妄想とも見える。いや、ひょっとしたら、この舞台で起きたことすべては、ずっと置物のように舞台に座りっぱなしの、へのへのもへじで顔を隠したタマちゃんの夢=妄想だったのかもしれない。結局、心中は決行されず、最後にタマちゃん(関珠希)は、心中の衣装から飛び出して、「家に帰り」、妄想にピリオドを打つ。
ところで、南野さんは、京都教育大学在学中から俳優と兼衣装担当として演劇に関わっていたが、衣装をさらに勉強するために、大学卒業後、大阪のマロニエファッションデザイン専門学校に通う。単に舞台衣装を作る技術だけなら、もっと簡単な方法もあったと思う。この人の何事も極める性格が、こういうところからも伺える。そして在学中に、マロニエファッショングランプリ2012で入賞を果たす(クリエイティブコレクション部門優秀賞)。受賞作は、コンテンポラリーダンス集団MuDAに着せることを想定した黒のメンズスーツ集であった。ファッションに関わりのない人には想像できないかもしれないが、ファッションスクールに2年間籍を置き、コンテストにも参加したことで、南野さんは、ファッションの“リテラシー”とでもいうもの、つまりファッションの歴史、独特で多様な価値観、共通言語、情報の収集の仕方などの基礎知識を身につけた。そこで、きっと南野さんは、演劇とはまた違うファッションのおもしろさを学んだと思われる。服によって、世界観が表明できること。服と着る人との関係にしても、オシャレとか、クールとか、カワイイとかの形容にとどまらない世界があること。1980年代から始まったファッションの地殻変動が、ファッションを、様々な表現ジャンルとつながることを可能にしたことも。
余談になるが、このファッションの変化の様子を端的に見せた画期的な展覧会が、国立京都近代美術館とKCI(京都服飾文化研究財団)の共催による「身体の夢」(1999年4月〜6月、その後東京都現代美術館他に巡回)だ。当時の担当学芸員の河本信治さんから、オランダ・ロッテルダムの美術館でマルタン・マルジェラのカビを植え付けた服の展覧会(1997年。それももちろん本展で展示された)を観て、現代ファッションを美術館で展示することの可能性を確信したと伺ったことがある。美術館には、KCIの膨大な収集品が壮観なまでに並んだが、その中に、山本耀司作の、いくつもの木片の部品を蝶番でつなぎ合わせたベストとスカート(1991年秋冬の作品)があった。当時、この作品を、私は着るものではなく、アートオブジェのような実験作として鑑賞したものだが、今回の「菠蔆心中」の中に劇的に登場する徳島さんの木製の大きな手(南野さんが自ら図面を描いて作ったものだ)は、まさに身に着ける衣装でありファッションであった。オブジェと受け取られそうなものが、ここでは、動き、生きた役割を果たしていた。「曽根崎心中」の道行文に心惹かれた少女がこの展覧会を見たかどうかは知らないが、ここで開陳されたファッションの可能性や新しい精神は、間違いなく、現在の南野さんに受け継がれている。
「菠蔆心中」は、意外な「曽根崎心中」であった。演出家の配役の妙と意表をついた衣装や装置によって、伝統的な作品が、現代の物語として立ち上がった。
古典に取り組んで、新しい解を提出した南野詩恵さんのこれからを私は大いに期待する。インタビューの最後で、南野さんは、演出という新しい役割を自ら定義している。衣装作家は演劇の夢を見るために、言葉を獲得して行ったのであった。
南野「作・演出・衣装を同一の人間の頭の中から繰り出す事によって、物語という土台の中で、言葉を使って内側から、衣装を使って外側から、演者にアプローチができます。
私は演者を侵略し、演者は私を攻略します。
そういった格闘の後に、演者は物語の中で自由を得て、舞台上で息をします。
この一連の、ある種の対決を、他者を挟まずに一対一でがっぷりと組み会えることが、苦しみでもあり、喜びでもあり、創作の意義でもあります。」