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#インタビュー#舞踊#2025年度

ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団 『Sweet Mambo』関連記事

ジュリー・シャナハン インタビュー
(ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団ダンサー)

取材・文=佐藤友紀(ジャーナリスト)
2025.10.9 UP

1988年にヴッパタール舞踊団に入団以来、ピナのそばで作品を支え、ピナ没後も舞踊団で活躍し続けるダンサーのジュリー・シャナハン。《Sweet Mambo》の初演ダンサー として作品に携わり続けるジュリーに、ピナとの日々や今回の日本公演への思いを聞いた。

取材・文=佐藤友紀(ジャーナリスト)
転載元:彩の国さいたま芸術劇場広報誌「埼玉アーツシアター通信」(2025年10月号掲載記事) より


 

Photo: Ulli Weiss ©Pina Bausch Foundation

 

――豊かな金髪を振り乱して端正な踊りを見せたと思えば、コミカルな動きも見せてくれる。ジュリーさんにとって、《スウィート・マンボ》はどんな作品ですか?

《スウィート・マンボ》は私たちにとってとても特別な作品です。ピナと長年を共にしてきたダンサーの多くが集まって、ピナと一緒に創った最後の作品ですから。当初ピナは女性ダンサーだけで創りたい、と稽古を始めましたが、私たちが男性が必要なアイデアばかり出すので、男性キャストも3人加わって今の形になったんです。
ピナには、カンパニー全員で何かを創りたいという考えがあって、この作品と《バンブー・ブルース》(インドとの共同制作) を同時に創り始めました。ピナはいつもダンサーに質問を投げかけて、我々が応える形で創作していくんですが、この2作品は同じ問いから始まったのです。《バンブー・ブルース》のため《スウィート・マンボ》の創作が一旦休止していた頃、私は出産のためにお休みしていました。創作を再開したときピナから電話が来て、「なんで稽古に来ないんだ!」と。「子どもが生まれて、今2か月だから」と言ったら、「稽古場に連れておいで」と言われて。他の人が何かをやっているときは娘のかわいい声が聞こえるのですが、私が踊っているときはすごく泣いていて(笑)。

――皆さんがダンサーとしてだけでなく、ひとりの人間として生きていてカッコいいな、と。人間らしさが作品にも昇華されていますね。

 私はオーストラリア出身でドイツに親戚もいないし、カンパニーという大家族のなかで子どもたちは育ちました。子連れでの世界ツアーも素敵な思い出です。ピナは「あなたは何者か」「今、人生でどういうステージにあるのか」ということと、創作を分けないことを大切にしていました。人生を大事にしながら、私たちにとってリアルなものを創っていくと、素敵な作品になり得るということだと思います。人間性を保ちながら創作するというのもピナに教わったことで、じつは大変で技術が要ることです。

――ピナさん自身をはじめ、みなさん、子どものあやし方も上手ですね。

 本気で遊ぶことは創作にもつながっています。何事にも好奇心をもって挑み、人生を愛し、そこに感謝を覚えなければいけない。クリエイティビティにとって、感謝ってすごく大事だと思います。ディテールを愛することとか、人生そのものを愛することとか。観客の皆さんのことも私たちは愛していて、言葉にしようのない大きなものをお客様との間でやりとりしています。

――《スウィート・マンボ》の創作は具体的にどのように進みましたか。

 《バンブー・ブルース》と同じ問いから出発し、次第に我々には別の問いが与えられるようになりました。《バンブー・ブルース》は当時ピナがインドで見た状況やそこでのインスピレーションにフォーカスしていきましたが、《スウィート・マンボ》は 自然と内省的なことになっていった気がします。我々自身の存在を深く問うような。ピナの声をよく聞き、ピナと親密なところで創ったことが作品に表れていると思います。大人数での作品では得難い、大きな安心感のなかでぐっと集中して創りました。

Photo: Karl-Heinz Krauskopf

――ピナの作品は舞台上に芝生を敷きつめたり土や水、枯れ葉や花々を使ったりしますが、本作の舞台美術はシンプルですね。

 面白いのは、ピナと一緒に創っているときは、我々はピナがやりたいことを信頼し、何の疑いももたなかったこと。舞台セットの意味をあまり考えず、すごくストレートに、自分の感覚にどう働きかけてくるか、ということを考えて向き合っていたと思います。舞台に乗った瞬間、急に実態を得て宇宙がそこに生まれ、自分もその一部になるような。《スウィート・マンボ》のセットは非常にやわらかい感覚をもたらし、ラストの私のソロシーンでは、物質的なところから解き放たれて高次元の空間に連れていかれるような、神秘的な感覚があります。

――盟友ナザレット・パナデロさんはいつも笑わせてくれますが、端正なジュリーさんがヘンテコリンなことをすると、やっぱりおかしい。ピナ作品にとって、ユーモアは大事な要素だったのでしょうか。

 ピナとの創作では自分をさらけ出す必要があるので、ユーモアがないと成立しない気がします。笑いがあると安心感が生まれる、とても大事なものだと思います。

Photo: Oliver Look

――続けてあなた自身のことを伺います。どのようにピナを知り、何に惹かれてカンパニーに入ろうと思ったのでしょうか。

 19~20歳の頃に初めて《コンタクトホーフ》を観て、ダンサーが登場した瞬間に「これは私だ!」と大きな衝撃を受けました。その後《青ひげ─バルトークのオペラ『青ひげ公の城』のテープを聴きながら》を観て、これまで観た作品のなかで最高か最悪かわからない、耐え難い作品ゆえの凄まじさに初めての感覚を得ました。《1980年─ピナ・バウシュの世界》では、舞台に立つダンサーの自身への誠実さに深い親近感を覚えました。その後オーディションを受け、ピナが採ってくれて以来38年です。

――初演から17年を経て迎える今回の日本公演。年齢を重ねて、初演時と違う感じ方や取り組み方はありますか。

 仲間たちが今、自身の生き方をどう作品に込めるのかを見られるのは本当に稀有なこと。歳を経るにつれて、語り得ぬもののなかにある命のようなものについて語ることができる。エネルギーそのものとより一体となり、個人を超えた何か真実を語る器になり得るという感覚があります。言葉に縛られない、動く詩のようなものを体現できる。そういうことへの感謝が強くなっていますね。日本に行くのが本当に楽しみです。

 


<公演詳細>
ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団『Sweet Mambo』
2025年11月21日(金)19:00開演
     22日(土)15:00開演
会場:ロームシアター京都 メインホール
上演時間:約2時間20分/休憩含む
https://rohmtheatrekyoto.jp/event/134435/

  • ジュリー・シャナハン Julie Shanahan

    オーストラリア生まれ。1988年、ピナ・バウシュ・ヴッパタール舞踊団にダンサーとして入団し、現在もダンサー兼リハーサル・ディレクターとして活躍。ピナ・バウシュ作品の再演にも携わっている。2021年にはロバート・ウィルソン作『I was sitting on my patio this guy appeared I thought I was hallucinating』に、2022年にジゼル・ヴィエンヌ演出『L‘Etang』に出演。

  • 佐藤友紀 さとうゆき

    山形県出身。早稲田大学卒業後、ベースボールマガジン社、編集プロダクション勤務を経て、フリーランス・ライターに。映画、演劇、ダンス、オペラなどを中心に取材・評論を執筆しつつ、人物インタビューも多数。

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