転載元:フェスティバル・ドートンヌ・ア・パリのためのインタビュー(2023/4/5) より
数々のドキュメンタリー的な要素を持ったダンス作品を発表してきた倉田翠さん。『家族写真』は珍しくフィクション作品ですね。倉田さんのキャリアの中でもかなり独特の位置づけとなる、演劇要素を備えた作品といえます。作品が生まれたきっかけを教えていただけますか。
—実は『家族写真』は、私の他の作品と同じようにドキュメンタリー作品だと思っているんですよ。なぜなら、私の人生で実際に起こった出来事に基づいているからです。ある日、私のパートナーが生命保険に加入したと言いました。私たちは結婚しているので、保険会社は彼と妻である私にこの商品のメリットを紹介することになりました。私たちの担当者はライフプランナーという役職なんですけど、その保険がいざというときにどのように対応するかを説明し、夫が「いますぐ他界した場合に」妻である私が得られる恩恵を重ねて強調しました。私はこの説明内容があまりにもシュールに感じられ、聞いていて段々面白くなってきて。契約者の家族の幸せを望むと主張しながら、夫ができるだけ早く死ぬという仮説をあからさまに提案するというのは、まったく矛盾しているように感じました(笑)! それがこの作品が生まれたきっかけです。
テキストの執筆を演出家・劇作家の筒井潤さんに依頼した理由はなぜでしょうか。
—筒井潤さんは大阪在住の演出家・劇作家で、社会問題を扱いながら面白く、残酷な劇作を書くことを得意としている人です。彼が、非常に現実的な問題を決して重苦しくなくテキスト化し、同時に状況のおかしさを表現できることは明らかでした。私は保険会社からもらったパンフレットをすべて筒井さんに渡し、「もし、お父さんが死んだらどうなるか、」みたいな書き出しで、歌詞みたいなセリフを書いて欲しいと依頼しました。また、彼が普段使用している大阪弁で書いてほしいとお願いしました。大阪弁は非常に音楽的で、日本ではお笑い芸人もよく使う方言として知られています。
出演者はどのように構成されましたか?
—この作品では最初から、父親・母親・幼い子供2人・成長した子供2人という役柄をイメージしていました。ただ、現実で(作品創作のきっかけでもある)私たちを担当していた本物のライフプランナーが辞めてしまったんですね。それで再演からライフプランナー役を追加しました。私が出演者を選ぶとき、彼らの芸術的な個性を舞台上で活かすことを最優先しています。このプロジェクトは元々、セルフ・ポートレート作品で知られる写真家・前谷開さんとのコラボレーションを依頼されたことから生まれました。そこで写真家である彼を舞台に出演させ、必ず同じ場面で、いつものように写真を撮ってもらうことにしました。彼はそれほど背が高くないので、子供のひとりを演じてほしいとオファーしました。
母親役の寺田みさこさんは素晴らしいダンサーでもあり、同時に何か冷めた目線を持ち、月のような雰囲気 をたずさえた方で、母親の役にぴったりだと思いました。筒井さんに関しては、セリフを語る父親役を劇作家本人にお願いすることが作品にとって非常に大きなプラスになると判断しました。彼が舞台に立つことはあまりないので知られていませんが、実はとても優れた俳優なのです。彼のちょっとシニカルな存在感を舞台に加えられることをとても嬉しく思いました。またこの作品は、ライフプランナー役の佐藤健大郎を除くと、実生活で子供がいる出演者はいません。これは、この集団が家族というイメージを構成する上で重要でした。舞台上で今、彼らは「本物の偽・家族」です。子役を支えながらバックステージで実際に絆を深めるだろうと、本能的に私はこの方たちを選んだのだと思います。
演出の倉田さんは、なぜご自身も舞台に立つことにされたのでしょうか。
—私は常に解釈の外側よりも渦中にいることを望んでいるので、必ず自分の作品に参加するようにしています。さらに、この作品はクラシック・バレエという個人的な経験を取り扱っています。子供の頃の私は、バレエをすることで両親から認めてもらえていました。ところが大学で、コンテンポラリー・ダンスに転向したくなったのです。コンテンポラリー・ダンスはより概念的なものであり、必ずしも「美しい」踊りとは限りません。私は長い間、親にとっての理想の女の子 を演じようとしてきたため、この方向に踏み出すのには時間を要しました。この作品に、バレエを踊っていた少女の成長した姿を登場させると決めたとき、この役を担うのは自分しかいないと思った。生命保険の要素もありますが、この作品はまさに私個人の辿ってきたものに結び付いた作品なんです。
実は私は20歳を過ぎた頃から、食べることを拒否するようになりました。拒食症は、多かれ少なかれ、成長することを意識下で拒否していることに基づいている、とよく聞きます。大人になることに拒絶感を感じつつ、同時に私はその頃、家族から自立することを望んでいました。私自身の身体がまさにこの矛盾を表出させ、叫び声をあげているようでした。これは私にとって辛い体験としてどこかに残っています。だから、両親の優しい視線の下でバレエを踊っている子供の前で、私が血を吐いているのは、それなりの意味があるのです。それは明らかに、少女が持つ愛らしい側面に直面して、ライバルのように自分を位置づけるというものです。あたかも、周りの注意を引くためには同情を喚起しなければならないかのように振る舞うわけです。
『家族写真』は、具体的にどのように演出をされたのでしょうか?
—私は若い頃の時間を、バレエ・ダンサーとして自分の姿を鏡で確認し、分析することに費やしました。この作品は写真家とのコラボレーションを前提に制作されたので、あえて「二次元」的側面に取り組むことにしました。だから私は出演者たちと演じ、踊りながら、常に鏡を通して演出をしました。写真に近い、ほとんど非現実的な印象を作り上げるために、鏡越しにダメ出しもした。 クラシック・バレエに見られる、当惑させるような人工的な側面を与えるのが目的でした。
また、この作品は出演者がもつ個性をベースにしているので、それぞれの身体性をステージ上で融合させるのがひとつの課題でした。そこで助けとなったのは、音楽です。『くるみ割り人形』の音楽がすべてのきっかけを作っています。筒井さんの発する言葉、ダンサーの動き、またはそこから生まれる集合的なイメージ…舞台上の移動や動きの関係性、そこから生まれる一種の型は、音楽の上に存在し、出演者全員が共有できるものによって生み出されているんです。