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日本舞踊映像作品「日本舞踊Neo『地水火風空 そして、踊』」/同時開催『いま』を考えるトークシリーズ 特別編 Vol.13 レポート

舞踊家たちの祈り──コロナ禍における映像化の試み

文:中谷 森
2021.5.28 UP

🄫守屋友樹

 劇場公演のままならないコロナ禍の中、(公社)日本舞踊協会が制作し、2021年1月にオンライン上で限定配信された日本舞踊映像作品「日本舞踊Neo『地水火風空 そして、踊』」。その初の劇場上映が2021年3月19日(金)にロームシアター京都サウスホールで開催された。五大元素である〈地水火風空〉をモチーフとするこの作品は、苦境に置かれた舞踊家たちの〈祈り〉そのものであると同時に、映像という新たな表現の世界を切り開くものでもある。「『いま』を考えるトークシリーズ 特別編 Vol.13」として上映後に開催されたトークイベントには、発起人の一人として制作を見守った井上八千代氏(京舞井上流五世家元)、作・演出を手掛けた尾上菊之丞氏(尾上流四代家元)、そして出演者として参加した若柳吉蔵氏(若柳流五世宗家家元)の三名が登壇し、作品に込められた願いと共に、屋外で行われた撮影のエピソードや、映像作品の新たな可能性をめぐってトークが展開された。
 話はまず、コロナ禍での企画の成り立ちへ。日本舞踊協会初の映像作品となった本作であるが、企画が提案された昨年の夏の時点では舞台芸術作品の配信もまだ多くはなく、理解を得ることは難しかったという。毎年行われる日本舞踊協会公演の代わりとなるものを模索するうちに、映像企画への賛同者がやがて集まった。そのような状況の中、菊之丞氏は、外出も難しい日常が続いていた五月頃から自宅でひとり踊る姿を撮影するようになっており、そうした経験が企画へと結びついたという。とはいえ、「生で観ていただくこと」をその「良さ」とし、これまで映像化を意識してこなかった舞踊にとって、映像作品の制作は「本当にゼロから」の出発であった。無人の客席が映り込んでしまう劇場中継に代わる方法として思いついたのは、「外に行ってしまえばいいんじゃないか」。そこから、美術家・杉本博司氏が手掛けた神奈川県・小田原の江之浦測候所や高知県の仁淀川といった絶景を舞台に、屋外で撮影するというアイデアが生まれた。

尾上菊之丞氏🄫守屋友樹

 屋外というロケーションの通り、本作品を貫くのは〈地水火風空〉に代表される自然のモチーフである。「こういう時期に、こういう形でやるのならば、〈我々の踊りとは根元的にどういうものなのか〉〈我々にとって踊りとは何なのか〉ということに立ち戻った作品でしかありえないだろう。」こう考えるうちに辿り着いたのが、人間に不可欠なものとしての五大元素と、舞踊家に欠かせない踊りを組合せた『地水火風空 そして、踊』のテーマであったと菊之丞氏は説明する。本作は、〈地水火風空〉それぞれをモチーフにした五つの場面とプロローグ・エピローグから構成されている。それぞれの場面と踊りに込められた意味を、菊之丞氏が紐解いてくれた。プロローグでは、松本白鸚氏演じる神官が、東京・乃木神社を舞台に祭祀を執り行い、人々のために祈り踊っている。その瞼裏に「世界が広がっていく」ことで、続く場面の踊りが展開されていく。神官と僧侶がともに踊り歌い、神仏習合となって火を灯し、祈りを捧げる踊りや、三番叟をモチーフとしながら五穀豊穣と子孫繁栄を願う男女の踊り。また、藤間爽子氏(現・三代目藤間紫)演じる乙女は、雨乞いの乙女として選ばれた後、川で身を清める潔斎を経て天女となる。江之浦測候所の光学硝子舞台で披露される最後の舞踊が描き出すのは、天女となった彼女が天へと飛翔する姿である。

若柳吉蔵氏🄫守屋友樹

 これまでにない屋外での撮影、またドローンを用いた映像化の試みには、様々な困難もあった。トークでは、撮影風景の写真がスライドで紹介され、各現場でのエピソードに花が咲いた。江之浦測候所のもう一つの舞台である石舞台での撮影で、舞台を取り囲む白洲の上で踊りを披露した吉蔵氏は、「大変でしたよね」と問われると苦笑いした。当日まで、石舞台の上で踊ると思っていたという吉蔵氏だが、「どうしても映像で撮ると撮り直しも効くし、緊張感もなくなる。それがいきなり『ここ(白洲)で踊れ』と言われたときに、自分の中でグッと身が引き締まりました。」雨乞いの乙女が仁淀川に入るシーンが撮影されたのは十月の下旬のことで、凍りそうな水の冷たさの中、撮影が進められたという。時に過酷でもある自然のただ中で撮影された作品について、八千代氏は、「屏風の前で舞い、風を感じていただく」これまでの作品と異なり、「風の音もすれば、風を感じながら踊っている姿を見ていただく」ことで、「自然との融合」を目指す新しい表現が生まれたと評価する。
 合わせて八千代氏は、多様なアングルから撮ることが可能なドローンでの撮影について、まだ「経験の浅い」試みとし、「映像に特化した」作品を若い世代の人たちが「進化」させていければと述べた。真正面から見られること、また、「一期一会」というべきその都度ごとの上演を前提としてきた舞踊にとって、映像化は「新たなつくり方」を要求するものだ。舞踊の映像化について、菊之丞氏はこう語る。「やはり映像の美しさの大きなポイントとしては、アップ、寄るということがある。我々の踊りというのは基本的に普段あまり寄ってほしくないんですね。爪先、それから脳天、指の先、さらに言えば指の先のその先まで撮ってもらわないと、我々の踊りというのはぜんぜん表現できない。」そう述べつつも、最終場面でのクロースアップで「若いみなさんが目を輝かせて踊っているのが目に入る」と、特に「ドキッ」とするという。今までには考えられなかった〈寄り〉を意識した作品づくりへの苦心が垣間見られた。菊之丞氏によれば、映像を通じた新しい作品創造の可能性は、コロナ禍を超えても意味を失うことはない。「コロナだから始まったことなんです。でも始まったことで、可能性を見ることができました。これはやはり継続していかなきゃいけない。結果的にはいいチャンス、いいきっかけをいただきました。」

井上八千代氏🄫守屋友樹

 トークの終わりに八千代氏が話題にしたのは、本作の音楽として用いられた藤舎貴生氏作曲・松本隆氏作詞のアルバム『幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)』の言葉である。貴生氏による書き下ろしの音楽を用いた今回の作品では、最後の場面のみ、『幸魂奇魂』の楽曲が用いられている。東日本大震災の翌年2012年に発表されたこのアルバムで、松本氏が用いた〈さきみたまくしみたま〉の言葉とは、当初、「祝詞のひとつ」として「現代の人たちのバラバラになってしまっている部分」を「つなぎ合わせて、ひとつのものに向かっていこうよというメッセージを込めた」ものだったと菊之丞氏は説明する。「それがたまたま、曲を構想していたときに東北の震災が起こった。今回、震災とは違うかもしれないけれども、我々もこういうコロナ禍という一つの苦境のなかで、どこかバラバラになっているかもしれない。舞踊界だって。踊り手だって。芸能の世界だって。そこをやはり今ひとつにして、ものをつくって、みなさんにお伝えしたいと。そのことが、今回の作品を作るにあたって大きく合致し、心が通じたところだと思っております。」八千代氏もまた、「多くのものが生み出される」ことへの願いを表す〈幸魂〉と、「ひとつにする」「形にする」ことへの願いを表す〈奇魂〉のメッセージを込めた今回の作品を通して、観客との「心のつながり」を大切にしたいという。今日の話を聞いた上で、機会があればもう一度作品を観て欲しいと述べて、トークを締めくくった。

※登壇者の方々の言葉を引用するにあたり、読みやすさを考慮して若干の表現の改変を加えました。

  • 中谷 森 Mori Nakatani

    津田塾大学学芸学部英語英文学科・専任講師。京都大学博士(人間・環境学)。専門は、シェイクスピア演劇と比較演劇研究。論文に、「福田恆存訳『ハムレット』にみる翻訳を通じた文体創造」、「The Shifting Appreciation of Hamlet in Its Japanese Novelizations: Hideo Kobayashi’s Ophelia’s Will and Its Revisions」など。

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