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レパートリーの創造 市原佐都子/Q『キティ』関連企画
市原佐都子とはなにものか

かわいくて、かわいそうで、こっけい。
赤ん坊なわたしたち

文:木村覚(美学者/市原佐都子/Q『妖精の問題 デラックス』ドラマトゥルク)
2024.12.13 UP

2024年度の「レパートリーの創造」で発表される市原佐都子/Qの最新作『キティ』
市原は2011年のQの始動からこれまで、観たものに確かな創(きず)を刻みこむ、忘れがたい作品を発表し、世に痛烈な問いを投げかけてきた。その作品群は、第11回AAF戯曲賞受賞、第64回岸田國士戯曲賞受賞、国内外のフェスティバルへの招聘など高い評価を得ている。2025年2月の待望の新作公演に向けて、これまでの市原作品に携わったドラマトゥルクが、市原作品に感じること、新作への期待を語る。

 


 

 

人間という生物は、とても弱い。

それを隠して、万物の霊長だなんて思い込んで、強者のフリをして生きている。けれども、自分たちを護り、支えてくれているヨロイ(社会保障や雇用・教育などの環境、家族の支えなど)をはいでしまえば、脆弱な皮膚に覆われた、ふわふわでほわほわの赤ん坊のような私たちがむき出しになるだろう。そうなってしまう恐怖からどうにか逃れようとして、あれやこれやを身にまとい、〈強者〉の甲冑にすがって、私たちは日々、どうにか暮らしている。

市原佐都子は、人間から〈強者〉の甲冑をはいでしまう。甲冑は、案外と枯れ葉なので、はらはらと落ちる。すると、ふわふわでほわほわの裸ん坊があらわれる。風が吹けば、冷たさが直に感じられる。何かとすれちがえば、擦れて、血が出る。恐怖と絶望と不安が一挙に押し寄せる。ちり、あくた、むし。けれども—ここがとても不思議なところなのだけれど—、自分はちり、あくた、むしだなと一旦認めてしまえば、内側から元気が湧き出してくる。隠されていた欲望がむすむずと芽を出し、ずんずん肥大してゆく。ひとりではまったく何もできないのに、泣いて喚いて訴える、無能で全能の赤ん坊に似た、傲慢さが支えになる。

だから、市原佐都子の舞台に登場するキャラクターたちはみな、かわいくて、かわいそうで、こっけいなのだ。彼や彼女たちを見ていると、強烈な嫌悪が起こり、そのうち、愛着の念が私たちの身にじわじわ染み出してくる。

私は、舞台芸術の批評家としてQを批評してきた。また『妖精の問題 デラックス』では、ドラマトゥルクというかたちでQの創作にも協力してきた(拙著『笑いの哲学』で笑いと社会の関係を研究していることもあり、漫才をベースにしたパートなどの相談役等を務めた)。その私からすると、赤ん坊の私たちが寄る辺なく、しかし、それだから堂々と私語りをしているのがQの舞台なのである。それだから、Qを見ないわけにはいかないのである。

 


 

<公演情報>
ロームシアター京都〈レパートリーの創造〉
市原佐都子/Q『キティ』
2025年2月17日(月)~ 2月24日(月)

  • 木村覚 Satoru Kimura

    1971年生まれ。日本女子大学教授。専攻は美学、ダンス研究。20年以上、日本のコンテンポラリーダンス・舞踏を中心としたパフォーマンス批評を行っている。2014年より「ダンスを作るためのプラットフォーム」BONUSを始動。主な著書に『未来のダンスを開発する――フィジカル・アート・セオリー入門』(メディア総合研究所)、『大野一雄・舞踏と生命――大野一雄国際シンポジウム2007』(共著、思潮社)、『スポーツ/アート』(共著、森話社)、『笑いの哲学』(講談社)などがある。
    BONUS http://www.bonus.dance/

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