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芸能の在る処 〜伝統芸能入門講座〜 歌舞伎編 レポート

「未来を拓く実験場」としての関西歌舞伎

文:山口紀子
編集:松本花音(ロームシアター京都)
2023.8.1 UP

演目の定期的な上演から若手継承者の育成に至るまで、日本の伝統芸能にとって専門劇場が果たす役割は大きい。ロームシアター京都が主催し、木ノ下歌舞伎主宰の木ノ下裕一氏が案内人を務める「伝統芸能入門講座〜芸能の在る処〜」は、こうした芸能を育む場としての専門劇場に光を当て、2021年に始動した講座シリーズである。2年目を迎える2022年度は「歌舞伎編」を初回とし、2022年10月7日(金)にロームシアター京都ノースホールで開催された。上方歌舞伎の名門・成駒家に生まれた期待の星・中村壱太郎氏、歌舞伎研究者の児玉竜一氏(早稲田大学教授、早稲田大学演劇博物館副館長)をゲストに迎え、関西歌舞伎の継承をテーマに、関西の劇場史と戦後の歩みを振り返り、今後の展望や可能性について自由闊達なトークが行われた。

関西の劇場史をたどる

児玉竜一氏 撮影:西村允希

 まずは児玉氏の講義を通して、関西(大阪・京都・神戸)における劇場の変遷、戦後の歌舞伎史を通覧した。かつての娯楽といえば芝居であり、劇場は大都市のみならず、中小の地方都市にも数多く存在したという。その中心が東京・大阪・京都の三都であった。また、大阪の劇場文化の中心地は、近世初期から昭和の終わりまで長く大阪・道頓堀にあり続けた。江戸期の興隆は言わずもがな、明治時代にも「道頓堀五座(浪花座・中座・角座・弁天座・朝日座)」が並び、大いに賑わったという。その後昭和にかけて、演芸場や映画館に替わる座はあったもの、20世紀を通じて(言い換えれば、ほんの四半世紀前まで)「劇場の町としての道頓堀」は生き長らえた。現在の道頓堀には「大阪松竹座」(映画館として1923年開館、1997年に劇場として新装開館)があり、大阪の歌舞伎公演を一手に担っている 。

 なお、戦後の歌舞伎公演を支えた大阪の劇場として、道頓堀五座に加え、「大阪歌舞伎座」(1932-58)が挙げられる。後者は東京・歌舞伎座を凌ぐ座席数と舞台設備を誇っていたが[編注]、 後述する戦後の衰退期に閉場した。また、京都「南座」が慶長年間の誕生以来、何度も改修を重ねながら歌舞伎公演を支え続けてきたのは言うまでもない。現存する日本最古の芝居小屋は、香川県の「旧金毘羅大芝居(金丸座)」である(1835年造、1976年 移築復元)。建物のモデルは、かつて道頓堀にあった「大西の芝居」[*注1]で、現在の大阪では失われた江戸期の芝居小屋の風情が残っているという。

戦後の関西歌舞伎史 ―衰退と復興、そして未来へ—

 古くは江戸歌舞伎と双璧を成した上方(関西)歌舞伎だが、昭和20年(1945)の大阪大空襲で主要劇場の多くを焼失したことをはじめ、白井松次郎の逝去による興行側のリーダー不在、大阪文化圏全般の地盤沈下などの複合的な要因によって、その後は凋落と一時的な復活を繰り返す苦難の時代を歩む。児玉氏はそうした中でも、復興を目指した数々の「実験的公演」が大阪で行われてきたことを指摘する。本興行とは異なるこれらの試みこそが、新たな若手スターを育成し、今日の技術・文化継承に繋がっていると述べた。

 戦後最初の大きな試みが、昭和24年(1949)に批評家 武智鉄二が旗揚げした「武智歌舞伎」。関西の若手俳優に実験的演出を行い、多くの若手スターが生まれた。特に2代目中村扇雀(3代目鴈治郎、4代目坂田藤十郎)の人気は凄まじく、一大ブームになったという。しかし、続く昭和30年前後になると、松竹と役者の間で配役などをめぐる軋轢が生じ、内紛が勃発。その後約10年間は、事実上の空中分解状態に至った。この間に主な看板役者が次々と映画俳優へ転身、関西歌舞伎はさらなる衰退の一途をたどったという。

 一方で低迷期にあっても、昭和33年(1958)に始動した自主公演「七人の会」(生粋の上方役者7人を主役とした公演。成功を収めた反面、分断も生んだ)、昭和37年(1962)に13代目片岡仁左衛門が旗揚げした「仁左衛門歌舞伎」(上方狂言・通し上演などを基本方針に[編注] 、5回すべて大成功を収めた)などが行われ、関西歌舞伎の灯火が消えることはなかった。また、昭和54年(1979)に結成された「関西で歌舞伎を育てる会」は、夏の風物詩・七月大歌舞伎の原点となり、後に「関西・歌舞伎を愛する会」へ発展している。昭和57年(1981)には、2 代目扇雀が近松門左衛門の作品(歌舞伎のために書き下ろした作品を含めたところが画期的)に光を当てる「近松座」を結成。平成以降では、2代目片岡秀太郎が「関西歌舞伎中之芝居」を主宰し(1997-99)、今はなき中座で上方狂言の復興に挑んだ。

児玉氏による「仁左衛門歌舞伎」あいさつの紹介 撮影:西村允希

 さらに児玉氏は、二人の東京生まれの役者の貢献にも言及した。一人は、3代目市川猿之助(2代目猿翁)である。猿之助は「宙乗り」「早替わり」など、長年邪道とされてきたスペクタクルな上方の「ケレン」の演出を復活させたことで知られるが、彼にこの技術を教え、複雑な仕掛けづくりを支えたのは、上方の古老の役者、狂言方の矜持であった。なかでも、大阪松竹の社員で脚本・演出も手がけた奈河彰輔(本名 中川芳三)とのタッグは有名である。そして、5代目中村勘九郎(18代目勘三郎)もまた、関西歌舞伎や中座に惚れ込み、ケレンを得意とする3代目實川延若に学んだ。平成2年(1990)、初開催の八月納涼歌舞伎(東京)で披露した『怪談乳房榎』は、延若から伝授され復活した演目。空前の大ヒットとなり、今日まで続く江戸歌舞伎ブームの端緒となった。二人の例からは、関西歌舞伎は衰退こそしたが、上方のノウハウや知恵は脈々と継承されており、歌舞伎界全体の発展へ寄与していることが分かる。

 その上で、「関西歌舞伎の近過去の歩みを今後どう評価し、歴史化していくかが重要になってくる」と言及した児玉氏。東京との比較や相互交流、相乗効果も含めて、広い視点で相対的に捉えていくことが、関西歌舞伎の真の発展・継承に欠かせないと語った 。

【クロストーク】関西歌舞伎のDNAを次世代へ

左から木ノ下裕一氏、中村壱太郎氏、児玉竜一氏 撮影:西村允希

 講座後半は壱太郎氏、児玉氏、木ノ下氏による鼎談で、「今後、関西歌舞伎をどのように後世に繋いでいくべきか?」という議論へ。木ノ下氏はまず、「往年のような輝かしい復活が最終目標だとしても、現状はネイティブな上方ことばをせる話せる役者も限られていて、関西在住の歌舞伎俳優を少なく、人材不足。すぐに実現できる環境にはない。夢のみを語るのでなく、丁寧に段階を踏んで、今できる現実的なアクションから行う必要があるのではないか?」と問いかけた。また、「先駆的な歌舞伎で魅了した、猿翁さん、勘三郎さんの創造の原点が上方にあったことは、改めて心にとどめておきたい。生粋の上方役者にこだわると、過去のような分断も生みかねないし、限られた俳優しか上方歌舞伎の恩恵にあずかれない。生まれ育ちが関西かどうかという価値基準ではなく、“上方の知恵やDNAを歌舞伎界全体でいかに共有し、活用していくか?”に発想転換をしていく必要がある。東西で分断することなく集まりながらも、『スピリッツは関西だ』という感覚が残れば十分に、関西歌舞伎のDNAは生き続ける」と語った。

 壱太郎氏もこれに同意し、「上方の役者の数が少ない現状、上方・江戸の隔たりなく、むしろ積極的に声をかけ、共に作品を作り上げていくことが上方文化、ひいては劇場を残すことにつながる」と語った。さらに「関西公演を行うたび、ベテランの道具方、狂言方が有する知恵に驚かされている。最新技術が叶わないことをやってのけることもある。また、現在の成駒家は東京に居を移しているが、古参のお弟子さんは言葉遣いひとつとっても、上方文化を色濃く受け継いでいる。上方の文化・知恵は至るところにアーカイブされているので、温故知新の精神で学びを深めていきたい」と続けた。

実験場としての関西を考える

 また、「関西だからこそ、思い切って試せる演目や配役もある」と木ノ下氏。実は戦前から現代に至るまで、「実験的な演目は、まずは関西でかけてみる」東京の役者も多いという。(本拠地でないがゆえに)失敗できる安心感もあるだろうが、腕利きの製作陣、古参の見巧者も多い土地ならではの、新しい挑戦を応援する風土も影響していただろう。「“実験場としての関西”というスタンスがさらに根付いていくと、東京の役者のモチベーションも上がるのではないか?」(木ノ下氏、児玉氏)。近年、関西公演が増えている壱太郎氏もこれに同意し、「関西に来るたびに新しい挑戦をすることで(上方狂言の掘り起こし、若手の抜擢、Jホラー歌舞伎など)、役者としての視野が広がった。一年中、似たような歌舞伎を上演するだけでは発展がない。各公演にユニークな“色”をつけていくことで、お客さまをより楽しませ、劇場の活性化にもつなげたい」と語った。また、「地方巡業も、若手の成長につながる大切な機会」と壱太郎氏。地元スタッフと協業で作り上げることで、その土地、劇場でしかできない作品が生まれ、「劇場の個性」になっていくという。「客席と距離が違い小劇場で演じることで、昔の歌舞伎らしさを追体験できるのもいい。そこで得た肌感を大劇場に戻ったときにどう表現していくか——? 僕ら若手世代の成長に期待してほしい」と語った。

歌舞伎ファンの裾野を広げるために

 鼎談のなかで、上方の歌舞伎ファンを増やすためのキーワードも多数あがった。ひとつは「芝居と食」。幕間・観劇後のグルメも観客の楽しみであり、かつての道頓堀のように、劇場と周辺の街は共に発展してきた背景がある。「浅草寺の境内に仮設劇場を設ける平成中村座もそうだが、近くの商店街をどう巻き込んでいくかも大切」(児玉氏)。「今後の公演では、食の楽しみを伝えるユニークな試みを探求していきたい」(壱太郎氏)。二つ目に「近松門左衛門」。関西歌舞伎に欠かせない草創期のレジェンドだが、近松を知らない若い世代も増えている。近松没後300年を迎える2024年の機運を活かすのもよいのでは、という声もあがった。また、「観る人、批評する人がいてこそ、歌舞伎は文化として発展する」と壱太郎氏。戦後の上方の例を見ても、ターニングポイントとなる公演には必ずブレーンとして、批評家や研究者が参加していた。「ぜひ、児玉先生や木ノ下さんなどの歌舞伎を愛し、精通している方とコラボレーションしながら、知られざる歌舞伎の魅力を掘り起こしていけたら」と意欲を見せた。

中村壱太郎氏 撮影:西村允希

レパートリーの開拓と発信

 最後に、本講座のテーマでもある「劇場のレパートリーシステム」に関し、壱太郎氏から二人に、壱太郎氏に今後上演してほしい演目について質問があった(条件:アフターコロナの現状をふまえ、出演人数が少なく、コストパフォーマンスが良いもの)。児玉氏からは、「かさね」の通称で知られる舞踊劇『色彩間苅豆』、女忠臣蔵の異名を持つ『加賀見山旧錦絵』が挙がった。また、近松以降の義太夫狂言(人形浄瑠璃が原作の演目)の作品で、ここ最近は上演されていない『扇屋熊谷』が挙がった(平敦盛が都落ちの際、女装して扇屋に身を隠すことから物語が展開する)。一方、木ノ下氏は上方の作家、並木五瓶が執筆した『五大力恋緘』の上方初演版(1794)の上演を熱望した。本作は関西初演だが、その後五瓶が江戸へ引き抜かれ、江戸風に改作されさらに人気を博した経緯がある。また、本作の書替狂言が『盟三五大切』(1825年江戸初演、鶴屋南北作)であり、現代はこちらの上演が多いこともあり、「原点となる脚本を洗い直してみたい」と語った。

 二人の提案を聞き「どれも大好きな作品で、胸が高鳴る」と笑顔を見せた壱太郎氏。ちなみに壱太郎氏が演じてみたい演目のひとつは、前半の歌舞伎史で紹介された「関西歌舞伎中之芝居」で、片岡秀太郎が上演した3作『契 情廓鑑山』『狐静化粧鏡』『夏姿浪花暦(梅ごよみより)』 だという。「女方の秀太郎のおじさまらしく、女方が映える作品が選ばれている。ぜひチャレンジしてみたい」(壱太郎氏)。また、上方役者の坂東竹三郎が手がけた異色作『怪異有馬猫』『一ツ家』及び、「近松座」を立ち上げた祖父・坂田藤十郎に倣って近松作品にも注目していると語った。一方で、「歌舞伎は同じ演目(レパートリー)でも、演者や演出でまったく異なる見え方になるのが醍醐味。再演が難しい現代劇とはこの点が違う。例えばWキャストで見比べる、テクノロジーやSNSを活用するなど、いろんなツールを駆使しながら、レパートリーの魅力を若い世代にも発信していきたい」と力強く語った。

 歴史も振り返りながら、三者三様の関西歌舞伎への思いが語られた本講座。さまざまな課題や壁はあるものの、上方文化を次世代につなぐための新しい希望が垣間見えた回となった。

本講座では今年度より鑑賞サポートとして要約筆記が導入された 撮影:西村允希

1:人形浄瑠璃の竹本座が前身で、後に歌舞伎小屋となり、大西の芝居→筑後の芝居→戎座→浪花座と変遷。2002年閉場。

*当原稿に掲載されている画像はロームシアター京都が著作権者より許諾を得て使用しているものです。このため、当館および著作権者の許可無く、著作権法および関連法律、条約により定められた個人利用の範囲を超えて、複製、転載、転用等の二次利用はお控えください。

  • 松本花音 Kanon Matsumoto

    横浜市出身、京都市拠点。広報・PRプロデューサー、アートプロデューサー。
    早稲田大学第二文学部卒業後、株式会社リクルートメディアコミュニケーションズにて広告制作や業務設計に従事。2011-13年国際舞台芸術祭「フェスティバル/トーキョー」制作・広報チーフ、株式会社precogを経て2015-23年ロームシアター京都(公益財団法人京都市音楽芸術文化振興財団)所属。劇場の広報統括と事業企画担当として劇場・公共空間やメディアを活かす企画のプロデュース・運営統括を多数手がけた。主な企画に「プレイ!シアター in Summer」(2017-22年)、空間現代×三重野龍「ZOU」、岩瀬諒子「石ころの庭」、VOUとの共同企画「GOU/郷」、「Sound Around 003」(日野浩志郎、古舘健ほか)、WEBマガジン「Spin-Off」など。
    2024年よりブランディング支援、PRコンサルティング等を行う株式会社マガザン所属・SHUTL広報担当。舞台芸術制作者コレクティブ一般社団法人ベンチメンバー。
    Instagram @kanon_works

  • 山口紀子 Noriko Yamaguchi

    ライター・編集者。京都を拠点に伝統文化や歴史、工芸、旅などについて執筆・編集を行う。舞台芸術に関する主な仕事に『KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2022 マガジン』編集、『木ノ下歌舞伎 糸井版 摂州合邦辻 上演記念ブック』(ロームシアター京都/2019)共編、『ハロー!文楽 —もっと人形浄瑠璃文楽と仲良くなるための情報誌』(大阪市・公益財団法人文楽協会/2019, 2021)執筆などがある。

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