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VOYAGES 京都・パリ友情盟約締結60周年/日仏友好160周年 リレーコラム 特別編-2

木田真理子と芳賀直子が考える、コンテンポラリーバレエと知性の関係

構成・編集:島貫泰介
2018.9.8 UP

9月21日、22日に公演が迫る『ロレーヌ国立バレエ団 トリプルビル』に先駆けて、2つの特別対談がロームシアター京都で開催されました。第二部の「美しさの感性 – いま・ここで感じるコンテンポラリバレエの魅力-」に登壇したのは、スウェーデン・ストックホルムを拠点に、ピナ・バウシュ・ヴッパダール舞踊団などに客演する木田真理子さんと、舞踊史研究家の芳賀直子さんです。 日本で「バレエ」と言うと、ポワントシューズ(トウシューズ)やチュチュを身につけて踊るクラシックバレエの印象が強いですが、欧米ではコンテンポラリーダンスも等しく受け入れられているといいます。その環境の違いにも驚きますが、そもそも日本では「コンテンポラリー」の定義がまだまだ定まっておらず、モダンダンス(モダンバレエ)、ヌーベルダンス(ヌーベルバレエ)との違いも曖昧です。 しかし、大雑把な言い方ではありますが翻訳すればどれもが「新しいダンス」という意味。芳賀さんによると、カンパニーの性質によって「コンテンポラリー」のとらえ方も変わるのが本当のところで、重要なのは、定義の幅広さがバレエの可能性を拡張・進化させることにあるのだそうです。では、ダンサーである木田さんはどのようにコンテンポラリーを把握しているのでしょうか?

木田 4歳からクラシックを始めて、留学先のサンフランシスコでジョージ・バランシンの作品と出会い、その後、オハッド・ナハリンやイリ・キリアン、マッツ・エックを知ってコンテンポラリーに興味を持ちましたが、自分のなかではクラシックとの間に明確な区別をしていません。いまはティアラやポワントシューズをつけて踊ることはありませんが、やはり⼦どもの頃から学んだクラシックは⾝体の奥深くに染み込んでいると感じることがあります。

芳賀 クラシックではダンサーには演じる役があり、姫や妖精などの役を踊りますが、コンテンポラリーにはそういった枠組みがありません。その2つをどのように整理していますか?

木田 踊る場所の雰囲気によりますね。自由に踊れる環境では、ジャンルを意識せずに、その時の自分の気持ちを重視して、あらゆるスタイルを取り込みます。一方、バレエ絶対主義的なヒエラルキーのあるシチュエーションで踊ることもあるのですが、それはちょっと苦手で。それでクラシックから遠ざかるのかもしれません。

芳賀 日本では歴史的にバレエとモダンがほぼ同時期に受容されたのでその2つの間にはヒラエルキーがありませんが、その後に入ってきたコンテンポラリーにはどうしてもギャップが生まれてしまいます。しかし、海外ではそのギャップが少ない。例えば木田さんが活動していたカナダのモントリオールは、シルク・ドゥ・ソレイユの本拠地でもあり、ダンスの自由な創作環境が実現しています。

木田さんがコンテンポラリーに専念することを決意したのは2009年。ダンサーだけでなく観客も先進的な表現に親しむモントリオールの雰囲気が木田さんの背中を押してくれたといいます。ですが、コンテンポラリーはけっして自由なだけではないと、木田さんは付け加えます。 演出家、照明家、美術家など、いろいろな人の意見の集合でできるのがコンテンポラリー、大劇場での仕事になれば芸術監督や総裁の意向も重視されます。さらにワールドツアーになればプレゼンターの意図も反映される。よい作品をつくるためには、様々な人の視点、経験、技術が必要になってくるのです。

木田 振付家によって異なるメソッドの理解も、難しいところです。留学先のサンフランシスコバレエスクールで学んだ「バランシン・テクニック」(※1) は、ポワントシューズを履く見た目も、動きの流れもクラシックです。でも、実際に踊ってみるとまったく違うことに衝撃を受けました。 クラシックではシェネをする際は進行方向に首を向けるのですが、バランシンのシェネは首を常に正面に向ける必要があって、それが難しい。その他の動きでも、バランシンはつねに正面、お客さんを向いています。これはアメリカのエンターテイメントの影響が大きいからかもしれません。とにかく、最初の頃はこれまで自分が学んできたことを崩していくしかないと思っていました。 一方、ナハリン(※2)は「ガガ」というメソッドをつくりましたが、彼自身はバレエと自分のテクニックの間に境界線を引こうとしないところがあります。「あなたたちがこれまで学んできたことを切り分ける必要はない。ガガの経験を、あなたのバレエに持ち帰ってくればもっと面白くなるはず」という考え方の持ち主で、身体そのものをどれだけ自由にするかにフォーカスしているんです。

(※1)20世紀を代表するバレエ振付家ジョージ・バランシン独自の技術的なテクニックや表現方法。 (※2)オハッド・ナハリン。イスラエルのコンテンポラリーダンサー・振付師、バットシェバ舞踊団の芸術監督。

芳賀 そこがコンテンポラリーの面白いところですね。今回、ロームシアター京都で上演されるトリプルビルには、幅の広い三作がラインナップされていますが、それを見る観客のみなさんも、その広さ、自由さを体感できると思います。

この後、会場では『ロレーヌ国立バレエ団 トリプルビル』で上演される三作の映像が上映され、各作品に木田さんたちがコメントを加えていきました。 セシリア・ベンゴレア&フランソワ・シェニョー『DEVOTED』では、「なんでターンアウト(脚を横に開くこと)しないの? という印象を受けるけれど、じゃあ逆に、なんでバレエではターンアウトしないといけなの? という視点が生まれるのが楽しい(木田)」「コンテンポラリーには常識を揺るがす楽しさがありますね(芳賀)」とコメント。 ウィリアム・フォーサイス『STEPTEXT』では、フォーサイスが指導する現場に実際に立ち会った木田さんが、その指導の細かさについて言及しました。「フォーサイス自身も踊ってみせるのですが、その踊りを解釈しようとすると、脳みそをコンピュータのようにフル回転させて細かい動きまで実現する必要があります。それと同時に偶然性も取り入れないといけないから本当に忙しい。常に頭を使う状況が、自分の身体への意識を忘却させるような印象があって、むしろそれによって身体がオープンになっていくのかもしれません(木田)」。 最後は、マース・カニンガム『SOUNDDANCE』。木田さん曰く「バレエでは一体感のある動きを目指しますが、カニンガムは上半身と下半身を真っ二つに分けて考えているそうです。それを理解すると、YouTubeなどで見ることのできるカニンガム本人のダンスの魅力や柔軟さを理解できます(木田)」。

木田 新しいコンテンポラリー作品に取り組む時は、各ダンサーがどれだけ振付に対して興味を持ち、実践面、学術面などに、多角的にアプローチするかでクオリティーが変わってきます。だからダンサーにとって知性は重要なんです。

芳賀 そうした事が可能な欧米の環境もありますね。ダンスそのものと、それを補うための資料の距離が近いですよね。例えばパリ・オペラ座は劇場内に素晴らしい図書館がありますし、サンフランシスコバレエは劇場の隣の資料室に行けば、きちんと整理された歴史の流れを知ることができます。

木田 そうですね。そういった蓄積があれば、若い頃は理解できなかったことでも年を重ねることで「そういうことだったのか!」と理解できます。例えば、私は20歳の頃に大学の授業ではじめてピナ・バウシュ作品の映像を初めて見ました。でも最初はそのよさが理解できませんでした。 でも作品のイメージはずっと強く残り続けて、いろんなカンパニーで経験を積み、様々な振付家・ダンサーと交流するうちに、そのリアリティーが変わっていきました。また、ダンスとは関係ないところで学んだ、国民国家についての授業、多文化共生、差別の知識などがリンクして、だんだんとピナがダンスに求めていることが理解できるようになってきました。

芳賀 それがアートの力ですよね。じつは私も、アートや文学を離れて法学部で学んだことが、いまの仕事にすごく役立っています。芸術も政治や環境とは決して無縁ではないという当たり前のことは案外忘れられがちですから。 今回のトリプルビルには、20世紀から21世紀に至る舞踊史を体感できる3つの作品が集められています。この機会に、ダンスが歩んできた歴史に思いを馳せながら、作品に触れていただければ、と思います。

  • 島貫泰介 Taisuke Shimanuki

    美術ライター/編集者。1980年神奈川生まれ。現在は京都と別府を拠点に活動。『CINRA』『Tokyo Art Beat』『美術手帖』などで執筆・編集・企画を行う。2022年からは、DIYなアートイベント「湯の上フォーエバー!」を別府市内で主催している。

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