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2025年度 全国共同制作オペラ 歌劇『愛の妙薬』関連コラム

オペラは敷居が高いのか―オペラ・ブッファの〈カワイイ〉だけじゃない杉原邦生

文:内野儀
2025.12.11 UP

いよいよツアー最終地!1月18日に京都公演にて千秋楽を迎える2025年度全国共同制作オペラ 歌劇『愛の妙薬』。内野儀氏による東京公演レポートをお届けします。
文:内野儀


 

2025年11月9日 東京芸術劇場(撮影:藤本崇)

 歌舞伎や能、あるいはミュージカルといった舞台芸術のジャンルは、約束事が多々あり、それを知らないと、〈何がなんだかわからない〉となります。今やそう思う人はほとんどいないだろうミュージカルでも、数十年前までは、たとえば、著名な芸能人が、「なんで急に歌い出すのかイミフだから、イヤ」とか平然と公共の電波を使って言っていたくらいです。
 ミュージカルはそれなりの時間をかけ、「イヤ」と公然という人は少なくなったように思います。他方、同じ西洋発のジャンルであるオペラはどうか。「敷居が高い」とまだよく聞きます。それはひとつには、〈敷居が高い=意識が高い系共同体〉にオペラを「囲い込む」という(アイデンティティの政治〉の無意識が作用しているからではと、私は疑っています。
 18世紀のヨーロッパ(≒イタリア)でも、神々や〈絶世の美女〉や英雄といった〈過剰〉な登場人物だけ出てくるオペラに対し、「ちょっとなあ~」と思っていた観客がいたはずで、そういう観客向けにオペラ・ブッファというジャンルが成立します。崇高(≒過剰=「敷居高い」)なオペラ・セリアに対し、日常的な素材を取り上げる喜劇的要素の強いオペラ・ブッファです。
 今回、ロームシアター京都で上演される『愛の妙薬』(1832)は、イタリアのドニゼッティ(1797–1848)によるオペラ・ブッファの代表作です。日常的な素材で喜劇なので、どうしても当時の価値観、つまり、何が笑いの対象なのか/何が刺さるのか、時代に縛られがちです。そこをどう考えるのか。
 音楽については、これだけクラシック音楽が日常的に流れてくる日本の今の状態なので、あまり「敷居が高い」ことにはならないでしょう。複雑怪奇な曲想や和音ではなく、聴きやすいメロディー続きで、卓越した技術に支えられた歌唱に耳を傾けていれば、よいだけです。

2025年11月9日 東京芸術劇場(撮影:藤本崇)

 話は至って単純で特にひねりはない恋愛ものです。少なくとも表面的には、といっておきます。なぜなら、女性登場人物の扱いがどうしたって問題になるからです。概ねタイプ(=型)で作られた本作の登場人物たちのなかでも、主人公のアディーナについては、「今どき、そんな女性はいない!」となりかねない。
 しかしながら、原典尊重が原則のオペラ上演で、キャラを変えることは音楽を変えることなので、とてもむずかしい。ではどうするのか?音楽を変えずに、歌っていない場面を含む演出(舞台美術や衣装、さらには登場人物たちの振る舞い、表情等々)で何かすることはできます。今回演出を担当した杉原邦生さんの場合、色々な〈同時代的発想〉をもちこんでいます。
 18世紀のイタリアの地方が舞台で豪農の娘と純朴な農夫(ネモリーノ)、そして恋敵の軍人(ベルコーレ)、そして全体を通して、役回り的には最重要なインチキ薬売り(ドゥルカマーラ)が展開する物語について杉原さんは、時代的地理的特定性をひとまず消しています。かといって、バリバリに現代化している、というわけでもありません。
 表向きには、〈カワイイ〉がコンセプトだと杉原さんは言っています。視覚的には確かにそうです。しかし、この物語は、深読みなどしなくても、医学という権威が〈詐欺化〉し、軍隊は暴力的な権威になった〈世界〉における、社会格差の話なのは明白です。ただしドニゼッティは社会批判をするつもりはなく、物語を前に進めるために、観客の(無)意識にある格差問題を使っただけです。で、最後はヒエラルキーの最下位の農夫が勝つ!
 その結果、「これは今の日本のこと/皆さんのことですよ!」と声高に言わなくても、観客はすっと理解することができる。それどころか、強く共感するのでは?そう杉原さんは思ったのではないでしょうか。なにしろ、多くの観客の(無)意識にある、現代日本の格差認識―医学界、軍隊、金持ち、〈庶民〉―に近いものがここで前景化されているのです。
 なかでもアディーナの造型は重要です。何か大きな改変をしているわけではありません。でも、アディーナの歌唱だけでなく、その振る舞いや表情に、是非是非、最後まで注目してみてください。「今どき、そんな女性はいない」かどうか、みなさんの意見を聞いてみたいな、と私は思っています。

2025年11月9日 東京芸術劇場(撮影:藤本崇)

◆公演情報
〈ロームシアター京都10周年記念事業〉2025年度全国共同制作オペラ
ドニゼッティ 歌劇『愛の妙薬』

2026年1月18日(日)14時開演
https://rohmtheatrekyoto.jp/event/134533/

演目・作曲・台本・指揮・演出
演目:歌劇『愛の妙薬』(全2幕、イタリア語上演、日本語・英語字幕付き/新制作)
作曲:ガエターノ・ドニゼッティ
台本:フェリーチェ・ロマーニ
指揮:セバスティアーノ・ロッリ
演出:杉原邦生(KUNIO)

出演
アディーナ:高野百合絵
ネモリーノ:糸賀修平
ベルコーレ:池内響
ドゥルカマーラ博士:セルジオ・ヴィターレ
ジャンネッタ:秋本悠希
ダンサー:福原冠、米田沙織、内海正考、水島麻理奈、井上向日葵、宮城優都
合唱:堺+京都公演特別合唱団
管弦楽:京都市交響楽団

  • 内野儀 Tadashi Ucihno

    1957年京都生れ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了(米文学)。博士(学術)。岡山大学講師、明治大学助教授、東京大学教授を経て、2017年4月より学習院女子大学教授。専門は表象文化論(日米現代演劇)。著書に『メロドラマの逆襲』(1996)、『メロドラマからパフォーマンスへ』(2001)、『Crucible Bodies』 (2009)。『「J演劇」の場所』(2016)。東京舞台芸術祭実行委員会委員、公益財団法人セゾン文化財団評議員、公益財団法人神奈川芸術文化財団理事。

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