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#公演評#演劇#ロームシアター京都×京都芸術センター U35創造支援プログラム“KIPPU”#2023年度

PANCETTA「PANCETTA LAB 2024 IN KYOTO」

未成のパッチワーク

文:新里 直之(演劇批評)
2024.4.1 UP

 PANCETTA初の京都公演は、ラボ企画の一環として発表された。あえて事前準備はせず、約1 ヶ月の京都滞在のなかでテーマを見つけ、徐々にパフォーマンスの形を模索する。そうした実験のプロセスを発信する試みは、京都芸術センターでの公開稽古(Phase1:CREATION)、ロームシアター京都での上演(Phase2:PERFORMANCE)、さらに会場のロビーやウェブ上における記録公開など、多岐にわたっている。ここでは一連の試みの結節点であるパフォーマンス(2024年2月1日~4日、ロームシアター京都 ノースホール)に目を向けることにしたい。

 

撮影:中谷利明

 

 上演会場にはそれらしいセットは組まれていない。三方客席で囲まれたすっきりとしたアクティング・エリアに白いつなぎ服を着た人々が車座になっている。開演の時刻が近づくと、アクターの1人でもある主宰・演出家の一宮周平が観客の前に立ち、京都市内の「通り名」にちなむクイズへの参加を呼びかける。やがてくつろいだゲームの時間が過ぎ、シームレスにパフォーマンスがはじまる。1時間半ほどの上演の間、6人のアクターがピアノやパーカッションの生演奏や照明効果と協和しつつ、次々と断片的なシーンを立ち上げていくのだが、それらは多種多様でありながらも、二つのモティーフに特色があった。

 一つは遊びのモティーフ。「古」という漢字をタテヨコの書き順だけで言い表す言葉遊び、わらべうた(京都の通り名を数える「まるたけえびす」)の歌唱と輪舞、6人の体を組み合わせるナンセンスな形態模倣、組体操やチャンバラごっこさながらの集団演舞、宅配食サービスや飲食店の接客をめぐるシチュエーション・コメディふうの寸劇――。いずれもアソビゴコロあふれるシーンだが、アクターたちは遊戯の諸相をさまざまにあらわしながら、屈託なげなエネルギーによって、観客をゆるやかに引き込もうとしている(*)。

 もう一つは想起のモティーフ。京都滞在やフィールドワークの体験を糧とするパフォーマンスには、伝統と現代の共存する街から汲み上げられた要素が、さまざまに定着している。パフォーマンスの最初と最後には「フルイ(古い)ものたちを、これまたフルイ(古い)フルイ(篩)にかけて……」という言葉遊びがあり、また作中では「川に入るときには、手を合わせてお祈りしてから入るのよ」という家庭内の言い伝えのエピソードが反復している(御手洗川の足つけ神事と関係するのだろうか?)。過去に対する現在的な応答、つまり想起するという行為が、断片的なシーンをひそやかにつなぐ触媒として働いているのである。

 ユーモラスな情景がいくつも転換した末、終盤にさしかかるあたりで、それまでとは異なるムードが漂いはじめる。アクターたちが思い思いに祖母の記憶をたどる声が重なり、やがて次のような台詞が聞こえてくる――「何を話したか覚えていない瞬間を、なぜ十年経った今思い出すんだろう?」。なんの変哲もない過去の一コマが、時として不思議と貴重に思い起こされてくる。そんな刹那を切り取った場面だが、これは不思議に満ちているはずの日常をやり過ごしてしまいがちな、わたしたちの生活の陰画ともいえる。そう考えると、生活上の功利性を問わない遊戯や想起のモティーフが、このパフォーマンスで鍵となるゆえんも腑に落ちてくる。

 

撮影:中谷利明

 

 ふたたび距離をとって振り返ってみると、PANCETTAのワーク・イン・プログレス的な公演は、「LAB」の名にふさわしく、予定調和の完成よりも、あえて意味のある試行錯誤にとどまろうとする試みだった。首尾一貫したストーリー展開はないし、綿密に計算された構成劇とも違う。語弊をおそれずにいえば「作りかけのパッチワーク」と呼んだほうが似つかわしい作品だったように思われる。もちろん「作りかけ」あるいは「未成」とは、必ずしも欠点ではなく、むしろ創作現場のプロセスや関係性を重視し、じっくりそこに佇む姿勢は、今日の舞台芸術をとりまく状況へのまっとうな応答と見なすべきものであるのだろう。

 ただ、そうであればこそ今回の公演が、全体としておおむね一般的・定型的な上演形態に寄り添っていることが少し気になった。舞台と客席の設え、各シーンや上演全体の長さ、それに構成やダイナミズムの点でも、パフォーマンスはおよそ受けとりやすいものとなっていた。しかし「LAB」という言葉を、成算の保証のないトライアルと解するかぎり、率直にいって少々手堅く、無難にまとまり過ぎている感がしなくもない。いや、こうしたことは、おそらくほかならぬPANCETTA自身が、よく自覚しているのかもしれない。

 過程を楽しんでいただけたらというのがこの企画です。……ぜひ過程を見てやってください……さあ、研究と実験の続きです。

 主宰の一宮周平は、当日パンフレットにこのように記している。未成のパッチワーク、その可能性の中心が、プロセスとしての意義にあるとすれば、さらなる「研究と実験の続き」が見てみたくなる。実験過程に胎動していたものが生長を遂げる未来を、楽しみにしている。

 

 

(*)ちなみに、アクターたちの直截的な演技の大半は、ロジェ・カイヨワが古典的な遊戯論(『遊びと人間』多田道太郎・塚崎幹夫訳、講談社学術文庫、1994年)で説いている、遊びの四つのカテゴリ――競争(アゴン)、運(アレア)、模擬(ミミクリ)、眩暈(イリンクス)に、無理なく位置づけられるものだった。

  • 新里直之

    撮影:相模友士郎

    新里直之 Naoyuki Niisato

    現代演劇の批評、舞台芸術アーカイヴの調査に取り組むほか、芸術実践と研究を架橋する活動をサポートしている。京都芸術大学舞台芸術研究センター研究職員。同大学芸術教養センター非常勤講師。野上記念法政大学能楽研究所客員研究員。ロームシアター京都リサーチプログラムリサーチャー(2019・2021年度)。

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