西洋と東洋の文化の融合。Noismと鼓童のコラボと聞いた時、まずはこれが頭に浮かんだ。実際、この舞台の創作を牽引した金森穣が書いたプログラム・ノートを読むと、そうした考えが少なからずあったことがわかる。さらには鼓童の本拠地佐渡や、Noismを擁する新潟、あるいは日本を世界と対峙させることで、「場」とその根底に流れる「地脈」を浮き彫りにすること。とはいえ、テクノロジーの進化とグローバリズムの波にのまれた現代社会は、すでにそうした地理的境界線を失いつつある。むしろ世界は今、国や地域の境を越え、一つの脅威にさらされている。「鬼」の存在がまさにそれだ。
このように本公演では、現代の創作者たちにおいては文化的差異がすでに相対化され、むしろ国や人種を超えた普遍性の追求が必要とされていることが明らかになったが、そうしたなかで、音楽と身体の関係性には、今なお東西の違いがあるように思われた。
前半は、今年生誕150年を迎えたロシアの興行師、ディアギレフに因んだ演目。「ロシア・バレエ団」を率いて20世紀初頭のパリを席巻した彼は、しばしば同郷の作曲家、ストラヴィンスキーと手を組み作品を制作した。代表作《春の祭典》などに見られる革新的スタイルは、前世紀から引き継がれた伝統になお甘んじていた当時の西洋音楽界・舞踊界に衝撃をもたらしたとして知られる。金森が今回選んだ楽曲、カンタータ《結婚》も同時期に構想されたバレエのための作品。声楽曲だが、伴奏には管楽器や弦楽器は用いず、打楽器とピアノだけを使用するというユニークな編成をもつ。
金森はこの曲に、日本における「結婚」を重ねた。とはいえ、決して伝統的なものではない。つまり、オペラ《蝶々夫人》の原作にもなったピエール・ロティの紀行小説『お菊さん』が題材である。フランスの海軍将校であったロティは、開国まもない日本の長崎で一夏を過ごすが、その僅かの間に「現地妻」を娶って暮らす様子を描いた。日本に着いたら「すぐに結婚する」と豪語し、「人形よりもあまり大きくない可愛らしい女を探す」*[註1]と仲間に話す場面から始まるように、植民地主義、父権主義を是としていた彼らにとって、日本女性はあくまで支配・所有の対象であり、『お菊さん』にはそうした意識が表象されている。我々が考える「結婚」とは明らかに異なる。
このロティによる日本への眼差し、彼が捉えた日本人の姿を、金森は人物の動きによって象徴的に表した。つまり、お菊(井関佐和子)と彼女を取り巻く人々の動きは平面的で一様。いずれもロボットのようにカクカクとしており、「操り人形のよう」だと言うロティの言葉そのものである。それに対し、ピエール(すなわちロティのこと。ジョフォア・ポプラヴスキー)の動きはなめらかで自然。けれども、一見、無表情に見えた日本人の内面には激しい感情が渦巻いていることが次第に明らかになってくる。とりわけ、あっさりと自分を捨てて次の任地へと旅立つ夫をけなげに見送る原作のお菊とは異なり、この舞台のヒロインは家族ぐるみで最後に夫を殺めてしまうのだ。彼らの胸奥に隠された粗暴さ、あるいは邪悪な一面が暴かれた瞬間といえるが、それらは冒頭に現れた数多の襖のごとく、幾重もの扉を一枚ずつ開け続けなければ見えてこないことを金森は示したのであろう。
こうして、西洋から見た日本の姿とともに、その眼差しの偏狭さ、不完全さを露わにすることで東西の差異は相対化された。一方、公演の表題作でもある後半は、「鬼」という日本古来の概念がテーマだ。そればかりか、佐渡や新潟を舞台とした内容でもあり、前半以上に地域へのこだわりが感じられる。ただし、そこには作曲者である原田敬子の視点も反映されているのであろう。「鬼」をテーマとしたのは彼女であったというのだから。
本作には物語があるわけではない。ゆえに以降に述べるのは、舞台を通して筆者が得た解釈であることを最初に断っておこう。登場するのは、佐渡の金山に最初に遊郭を開いたと言われる清音尼(井関佐和子)とその侍女である遊女たち。彼女らは日頃は清楚な振る舞いを見せるが、ある時すれ違った役行者(山田勇気)によって「鬼」としてのもう一つの顔が見破られてしまう。本性を現し暴れ回る鬼たちを鎮めるべく、役行者が立ち向かうといった内容だ。先の『お菊の結婚』で露呈した日本的特性、つまり表の面の裏に隠された邪心や暴力性が、ここでは「鬼」というより具体的な存在として顕在化したように思える。
普通の人間の姿をした主人公が、のちに鬼などこの世のものではない存在となって現れる形といえば、夢幻能が頭に浮かぶ。実際、清音尼が鬼と化して登場したのは、赤光の門柱をくぐり抜けてのことであり、異界からの訪問者であるように思わせる。けれども、面や装束をつけた能のシテとは異なり、ここでの鬼は黒い肢体を惜しみなく曝け出す。その生々しい動きは、むしろ着物の下に隠れていた人間の本能、人々の内部に蠢く欲望や情念の化身であることを暗示させるのではないか。つまり、「鬼」とは死者の怨念や妄執ではなく、われわれ生者の内部に潜んでいるものなのだ。金山に引き寄せられた男や女を突き動かすものの正体と言ってもよい。
このように剥き出しにされた本能、すなわち「鬼」の存在を引き出すのに重要な役割を果たしていたのが音楽だ。原田は和太鼓だけではなく、東西の様々な打楽器、笛、さらには楽器以外の素材、声、息なども用いて多様な音色と音響を作り出した。その並びや組み合わせなどに西洋的法則性は感じられず、むしろミニマリスティックな音の推移や偶発性に意味を持たせたテクスチュアには、アジア的、日本的な音の志向が顕著に表れている。重要なのは、その音と間(ま)の不測の連なりこそが、奏者と踊り手、双方の身体を共振させると同時に緊張をもたらしている点だ。左右二手に分かれた楽器奏者と舞台上の舞手たちは、互いの気配を探りつつ演じていたに違いない。五感以上に第六感に委ねられたその動きは、人間の心に巣食う鬼たちの跳梁跋扈を捉えるものでもあった。圧巻だったのは、次第に増幅していく音塊とともに姿を現した鬼神像。音と身体の化合が生み出した幻像に、思わず身震いした。
一方、前半の演目はどうだったか。ここでも人々は、お菊をめぐり自己の欲望や邪心を露わにしていった。もちろん夫を殺すお菊とその家族も同類だ。その際、彼らの中に隠れていた野獣性、「鬼」の存在を知らしめたのが音楽であった。作曲者であるストラヴィンスキーは、ロシアのさまざまな民謡に曲の素材を求めたが、それらの旋律は断片化され、不規則な律動を有し、処女喪失、親の嘆き、婚姻への祝福、神への祈りなどを歌う独唱者たちの声には、むしろ理性を超えた感情の表出が際立っていた。それだけに、音楽自体が人々の心の有り様を代弁してしまい、舞台上の人物はそれに合わせて動く「操り人形」―まさにロティの言うように―としての姿を最後まで脱ぎ捨てることはなかった。少なくとも、日本固有の「鬼」の正体を暴く音ではなかったと言えるだろう。
いずれも舞踊のための音楽。だが、身体との関係性では大きな違いがある。その相違は世界主義の時代にあってもなお失われていないのだ。この協働作業だからこそ示すことができた点である。