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#公演評#舞踊#ロームシアター京都×京都芸術センター U35創造支援プログラム“KIPPU”#2022年度

ロームシアター京都×京都芸術センター U35 創造支援プログラム “KIPPU”
敷地理「Hyper Ambient Club」公演評

ハイパーアンビエントクラブエフェクト

文:佐々木敦
2022.7.1 UP

 敷地理の『Hyper Ambient Club』を観ながら私は、あるまぎれもない懐かしさと、それとけっして矛盾しない新鮮さを同時に感じていた。
 まずもって、この感覚が私という観客に固有のものであるだろうということを述べておかねばならない。私は人生の一時期、音楽にかかわるさまざまな仕事をやっていて、そのなかには本作のタイトルの一部を成す「クラブ」と呼ばれる空間での催しや、そこで流れる音楽や音楽家についてのあれこれが幾つもあった。私は個人的にもクラブ・ミュージック/ダンス・ミュージックと総称される音楽を好んで聴き、クラブにもしばしば出入りしていた。それはおおよそ1990年代の半ばから2000年代の頭くらいにかけてのことだった。いわゆる「クラブカルチャー」の全盛期である。『Hyper Ambient Club』には、その時代の私の記憶を呼び覚ますものが確かにあった。
 では、それはノスタルジーだったのか? そうだと思う。だがしかし、1994年生まれ、私より30歳も若い敷地理が「あの時代」への郷愁を持ち合わせているわけがない。なにしろ彼が生まれた頃の話なのだ。ならば、それは単に私の勝手な反応に過ぎない、というか今だってクラブは(コロナで長らく休まされていたとはいえ)日本全国で営業しているのだし、そこでは当然ながらクラブ/ダンス系の音楽が日夜DJたちによってプレイされているのだろうから、敷地は「いま」にフォーカスして舞台を作ったのだ、と言ってしまえばいいのだろうか?
 そうかもしれない。けれどもしかし、少なくとも『Hyper Ambient Club』という作品自体が持つ意味、いや効果(エフェクト)は、過去形か現在形かという二択のいずれかに定位するようなものではなかったのだと私には思えるのだ。そのことについて書きたい。

Photography by manami tanaka

 敷地理はコレオグラファーでありアーティストである。正直に言うが『Hyper Ambient Club』は私がはじめて体験した彼の作品だった。なので敷地の作品歴や総体的な作風のうちに同作を位置付けることは出来ない。私に出来るのはあの作品単体の分析であり批評だけである。ロームシアター京都のノースホールは客席もステージも取り払われ、がらんどうの空間に六つの小さな舞台、いわゆるお立ち台が設えてあった。入場時は普通に明るいが、開演すると照明は完全にクラブモードとなり、薄暗いフロアのあちらこちらにフォーカスされたライトが当たり、音楽を担当した荒井優作のサウンドが響き始める。そう、これはある意味で敷地と荒井のコラボレーション作品でもある。当たり前だがクラブにおいて最重要なのは音楽だ。荒井のトラックもまた、最初に述べた私の印象を強調するものだった。すなわち「いま」と「かつて」の混交。
 やがて開演以前からフロアのあちこちに佇んでいたり組み合っていたりした六人のパフォーマーがお立ち台に上がり、音に合わせてダンスを始める。しかし、それは「クラブのダンス」ではなかった。それはむしろ、そう、コンテンポラリーダンスの文脈に置かれ得るような類のアブストラクトで、どちらかといえばスタティック(静態的)なダンスだった。あとで知ったことだが、パフォーマーにはダンサーとしてのトレーニングを受けた者もいれば、まったくそうではない人もいたという。音楽はテクノ/ハウス系のいわゆる「四つ打ち」のトラックもあれば、ヴォイスの入ったムーディーな楽曲、マッシヴなヒップホップやダークなダブステップ系などかなりヴァラエティに富んでいた。しかしお立ち台のパフォーマーたちは、自ら曲に乗って踊りまくって客を煽るのではなく、むしろ彼ら彼女らの周りにだけ独自の磁場、特殊な時間が流れているかのような、きわめて異質な空気を放っていた。観客はそれぞれのパフォーマーに近づいてその挙動を観察し、やがてフロアのなかを周遊し始めた。私もまた六ヶ所のお立ち台を経巡りつつ、曲が変わるたびに聴覚と身体が反応し、いつしか自分のからだを揺らしていた。

Photography by manami tanaka

 気づいてみると観客の何人かが踊っていた。もしかしたら仕込みも居たのかもしれないがそれは別にどうでもよい。けっこう激しく踊っている人もいて、パフォーマーよりもオーディエンスのほうがはるかに「ノッて」いる感じさえした。ロームシアター京都ノースホールはどこかストレンジな「クラブ」と化していた。しかしそれはもちろん敷地理の『Hyper Ambient Club』という舞台作品なのだった。私はパフォーマーだけではなく、オーディエンスも観ていた。もちろん踊っていない観客もたくさんいた。むしろそちらのほうが多かったが、それでいいのだし、それがいいのだと思った。そもそも私がかつて通っていた「クラブ」とはそういうものだった。気分次第で踊ってもいいし踊らなくてもいいのだ。だが踊ってなくてもからだの状態は普段とは違っているし、そして脳内でも何かが動いている。それは「クラブのダンス」よりも「コンテンポラリーダンス」に近いのだが、では「クラブのダンス」の要素が皆無であるのかというと、そうではない。むしろこの作品のエフェクトは、あらゆる「クラブのダンス」に潜在する「コンテンポラリーダンス」を顕在化させるようなものになっていた。そもそも「ダンス」とは身体だけの行為ではない。それは同時に思考の次元にも属しているし、その時その場に居合わせた者全員がかかわる一種の(共同的・社会的な)現象でもある。一時間ほどが経過すると、サウンドがフェードアウトし、フロアの照明が上げられて、『Hyper Ambient Club』は終了した。

Photography by manami tanaka

 では、あらためて問うてみよう、あの時、あの場で、何が起こっていたのか? 
 この作品の説明文には、こうある。「今作の振付で追求するのは、外部からの刺激を受けた際に身体にもたらされる、感情以前の微細な知覚反応」。ここまで「パフォーマー」と「オーディエンス」を分けて記述してきたが、そもそも通常のクラブではパフォーマーは存在していない。いや、ダンサーが登場したりすることもあるが、お立ち台とは、プロではなくても、たまたまクラブに来た客が自由に上がって勝手に踊りを披露することが出来る装置だった。いうなれば、フロアでは「ケ」でもひとたびお立ち台に上がれば「ハレ」になるのだった。だが『Hyper Ambient Club』は、そのようなスイッチングを見せるものにはなっていなかった。
 だからむしろ、お立ち台の上のパフォーマーはオーディエンスを擬態していたのだと言っていい。フロアにいた一部のオーディエンスのほうがパフォーマー化していた。これが「振付」作品である以上、(便宜上この呼称を続ければ)パフォーマーたちはあらかじめ敷地のなんらかの指示をインストールされたうえで上演に臨んでいたはずである。だがそれは、クラブ空間における客の存在様態を抽象化して提示するようなものだったのだ。つまり、あの時、あの場で、そして今から数十年も昔の、ある時、ある場所で、クラブと呼ばれた複数の時空間で、私自身の内部に起こっていたことを、現前する他者の身体を通して、私はリアルタイムで再帰的に体験していたのだった。
 現在形の出来事としての『Hyper Ambient Club』を鑑賞(?)しながら、私は自分の過去のハイパーでアンビエントなクラブの幾つもの記憶を、思い出すつもりもなく思い出していた。そして最初にも述べたように、それは私に固有の反応であって、私以外の、私よりもずっと若い観客たちにとっては、またまるで異なるエフェクトがもたらされたことだろう。だからある意味では、『Hyper Ambient Club』において敷地理に振り付けられていたのは、私たち観客だったのだ。

  • 佐々木 敦 Atsushi Sasaki

    思考家。作家。HEADZ。SCOOL。文学ムック「ことばと」編集長。映画美学校言語表現コース「ことばの学校」主任講師。芸術文化の複数のジャンルで執筆、言論活動を行う。『半睡』『それを小説と呼ぶ』『これは小説ではない』『批評王』『小さな演劇の大きさについて』『この映画を視ているのは誰か?』など著書多数。近刊に児玉美月との共著『反=恋愛映画論(仮題)』、『映画よさようなら』。

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