劇場に着くとノースホールの入り口が閉じられ、ロビーで多くの観客が開演を待っている。ホール内には客席がないため、荷物を預けるようにとのこと。コロナ禍で舞台芸術界は存続が危ぶまれ、ソーシャルディスタンスを確保しながらの客席配置など多くの課題も経験した。この公演も2022年2月に予定されていたものの中止となり、5月に延期公演が実現した。久しぶりのオールスタンディングの催し。見回すと、見に来ている人々は20代から30代位の人が多い。この作品も、若手アーティストの発掘と育成を目的に、ロームシアター京都と京都芸術センターが協働して行うU35創作支援プログラム“KIPPU”の中で実現したものだった。
演出・振付を担当する敷地理は、この作品について幾つかのテキストを発表している。「ambient-とは何かを能動的に背景へ引き込むものを指します。それが行き着く先にある身体が過敏になった状態を“hyper ambient”と名付け、その過剰な細やかさを持つ空間の中に他者をどのように招き入れ、一時的な関係性を築くことができるかを実験します。」(公演ページテキストより抜粋) 加えて、ユニセックスの概念を捉え直し、ニュートラルな身体が空間に拡張する振付を考察するという。
ブラックボックスの中に入ると、フロアを囲むように、小さなステージが壁に沿って置かれている。観客とパフォーマーとの間に垣根はなく、フロアやステージでパフォーマンスが進んでいく。これまでクラブカルチャーをダンス作品化した幾つかの先行作品が思い浮かぶが、観客のフロアでの自由な動きをどう喚起し、パフォーマーとインタラクティヴにどうグルーヴを共鳴させていくかが、ここでは鍵になるだろう。
衣装を担当するOASIS2は、スニーカーにカジュアルな出立ちのパフォーマー像を作り上げている。すでにステージやフロアに存在していたパフォーマーは予想に反して、それぞれ少し変わった動きを見せている。二人で抱き上がって床を転がっていったり、三人でコンタクトをしながらスクラムを組んで動いていたりする。袖にペンを入れ、Tシャツを引っ張る。どのような意図でこの動きがなされるのだろう。一人のダンサーが持つペンに、絡み合ったもう一人のダンサーの手が添えられて、元のダンサーのふくらはぎに文字を描く。次第に音が入り始める。スペースの奥の壁には、時に炎があがる映像が設置されていたが、ダンサーとインタラクティブに動くものではなかった。頭を下にして肩を組んで押し合うパフォーマーは、シモーヌ・フォルティの作品「ハドル」(1961)を思い出させる。ステージの上に二人のパフォーマーが立ち、ポージング。
フロアには観客だけが取り残される。そうしているうちに、フロアにスモークが流れ込み、映像が消える。映像が消えパフォーマーのいなくなったフロアは真っ暗で、そのままかなりのあいだ私たちは立ったままもしくは座ったまま待っている。何がどこで起きているのか、誰がパフォーマーなのかもはっきりしない。そのうちに、フロアで踊り出す人が現れる。これはパフォーマーなのか観客なのか。いつの間にか、マスクをつけたパフォーマーが別に登場し、それぞれが壁沿いのステージに立つ。
パフォーマンスは三部構成になっていて、プロローグとエピローグの音楽と、メインのDJを荒井優作が担当する。リスナーに聞き方を委ねる荒井のアンビエント・ミュージックが、敷地の遠い記憶を呼び覚ましたことから、この作品でのコラボレーションが実現したようだった。
ステージに立つパフォーマーたちは、動かない活人画やボディ・スカルプチャーのようにも見える。時にリズムに乗ってガンガン踊るシーンもあるが、何かしらの目的を持った不思議な動きを見せるシーンもある。それぞれのパフォーマーの動きは魅力的ではあるが、何をしたいかがその動きからは見えてこない。ただ動きのコンセプトが見えてこなくても興味深く見ていられるシーンもある。パフォーマーたちはかわらず、手や服を摘んでそれを引っ張っている。身体の中からの動きを誘導したいのだろうか。ステージからパフォーマーがだんだんフロアに降りていく。フロアでもそれに釣られて踊り始める人がいる。
そんな中で、誰が誰を見て、誰が誰に見られているのかが、気になってくる。劇場の客席では、観客は舞台上のパフォーマーから見られずに彼らを眼差す、権力をもっている。しかし、こういったダンスフロアに入った途端、その力関係は消滅する。わたしたち観客もまた、能動的であれ受動的であれ、パフォーマーの一員になってしまう。ここでのダンスは見るものでも見せるものでもなく、踊るものなのかもしれないが、踊らない人を踊らせるのは難しい。その意味で、ステージとフロアを組み合わせる空間設計は、そういったダンスを眼差す権力をフラットにさせながらも交差させ、踊らない人にも、特定の動きにフォーカスさせることを可能にしていた。
次第に、ゆっくりとラップのスピードが遅くなる。音楽がとまり、照明が点灯し、その白昼の最中、観客が見守る中で、二、三人のダンサーがステージからフロアに降りてきて、作品の冒頭と同じように、再び身体の一部を相手につけて組み合う。組み合った後にふと止まり、相手の頬や、腕、顎や服を手で引っ張って、その手をふっと取り外す。ふわっとした一瞬がそこに生じる。身体から抜け落ちる糸をたぐるイメージだろうか。この時、何かが溶けていくような感じもして、これが周囲の環境と溶け合うアンビエントなダンスなのかもしれないと思った。