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#公演評#演劇#ロームシアター京都×京都芸術センター U35創造支援プログラム“KIPPU”#2025年度

餓鬼の断食『DOGHOUSE』公演評

「社会に対する微妙な距離感」

文:伊藤寧美
2026.3.19 UP

 私が餓鬼の断食を最初に観たのは、昨年の『対岸は、火事。』の再演だ。大阪のウィングフィールドの企画「ウイング再演大博覧會2025」のプログラムの一つで、初演は2022年、劇団としては2作目の作品だという。大学生のグループ旅行の一幕を描く会話劇で、高速で飛び交う関西弁の台詞や小さな劇場内を客席通路まで使ってバタバタと動き回る俳優の熱量に圧倒される。彼らの話題の中心は恋愛関係のもつれや十代の頃のトラウマが露呈していくところにあるのだが、滞在する民泊のマンションの外では「ウクライナ、ガザ、ジェンダー」のデモ行進が行われており、彼らの政治に対する距離をよく表している。グループ旅行と言ったものの、実は作中に登場人物の関係を具体的に説明する台詞はほぼなく、サークル仲間なのかバイトの繋がりなのか、そもそも彼らのいる部屋がどこにあるのかもよくわからない。そういったあいまいさを考える隙を与えない台詞の勢いや演技、演出の巧みさが印象に残る公演だった。
 この再演に続く新作が『DOGHOUSE』である。よりスケールの広がった舞台設定で描かれる狭い共同体の人間関係と彼らを取り巻く社会とがどのように交錯するのかが、今回の長編作品に対する期待だった。
 舞台は廃村寸前の過疎化した村、寺の住職の隆、妻の直美とその連れ子である桜が祭りの準備をしているところへ村の若者たちが手伝いに訪れる。圭太は桜の元恋人で地元の土建会社で働いており、大地は恋人の有紗とともにUターンで村に戻りゲストハウスを経営している。隆の前妻との息子である拓也は大学院でがん研究を志していたが、ストレスで精神を病んでしまい今は引きこもり状態だ。居間である和室、縁側、中庭を皆が忙しなく動き回り、小気味の良い関西弁で互いの些末な近況を話すのだが、その会話の端々にはこの村人たちをとりまく社会がうかがえる。
 例えば、拓也が精神を病んだ原因にはコロナ禍による研究の遅れや研究室のパワハラがある。大地と有紗は村の外国人労働者の受け入れに積極的で、ゲストハウスにはハラルフードの導入を検討し、村役場の職員である美穂とともに公民館に祈祷室を作ろうと計画している。寺の一帯はかつて林業が盛んだったが輸入材の流入で立ち行かなくなり、村の産業は土建業に変わっていった。社会から孤立しそうになっている小さな村の人々が向き合わなければならないのは、極めて現代的でグローバルな問題だ。

撮影:松本尚大

 だが、村人たちもそう簡単に時代のアップデートを受け入れられているわけではない。圭太は大地と有紗の多文化主義的なゲストハウス運営に理解を示さず、拓也は悪びれる様子もなく「ガイジン」という表現を使い続け差別的な態度を隠さない。土建業への産業転換は村人たちの間にわだかまりを残し、自治会費の支払いをめぐるトラブルによって隆は今も村八分にあっている。
 さらに厄介なことに、こうした問題の背後には人間関係のいざこざが紛れ込んでいる。隆と美穂は不倫関係にあり、直美の兄は土建会社の経営者で、隆が自治会の一件で揉めた相手である。拓也は、隆と関係を持ちながらも村内の政治においては隆に不利益になるよう振る舞ってきた美穂を恨んでいるが、その拓也もまた寺の跡継ぎ息子でありながら引きこもって何もしないと直美や桜の反感を買っている。直美は、寺の住職となら生活の安定が見込めると踏んでの結婚だったと語るが、檀家が減って生活が困窮してもそう簡単に寺を取り壊すことはできず、騙されたとぼやく。迫りくる問題を解決しようにも互いに足を引っ張られ、かといって抱えてきたしがらみは解消するには根が深く、やり場のないフラストレーションがたまっていく。
 クライマックスに向けて人間関係はさらにこじれていく。有紗と桜の浮気が明らかとなる中、祭りでお披露目をするはずの寺の秘仏が盗まれる事件が起こり、その犯人をめぐって拓也の差別感情が爆発してしまう。その夜、拓也は隆と二人きりで話をする。隆は拓也の母親との馴れ初めを語り、拓也は崩壊していく村の様子をがんに重ねてしまい研究が辛くなったと語る。タバコを吸いながらも隆の体調が優れない様子がうかがえ、この数年後を描く短いエピローグでは拓也が寺を継いでいる。

撮影:松本尚大

 保守的な価値観とラディカルな社会の変化が混在する村の様子が、スピード感のある展開とテンポの良い関西弁の台詞で描かれ、『対岸は、火事。』からの発展を見せる優れた会話劇である。物語を支えるキャスティングも光る。親世代の登場人物を担う坂口修一、木全晶子ら関西小劇場のベテラン俳優たちが、劇団にレギュラー参加する若い俳優たちとのコントラストを生んでおり、KIPPUというプロデュース公演だからこそ可能な表現の幅の広がりを感じた。
 だが、登場人物を取り巻く一連の社会問題の扱いには、この筆致の軽やかさが裏目に出た部分もあるように思う。結局のところ、外国人労働者や産業の変化といった問題は彼らの外からやってくるもので、登場人物の心理や物語の軸にはならず、良くも悪くも村の内/外の境界は揺るがない。これらの問題が過疎化した村の現在を劇的に変えることはなく、むしろ煮詰まっていく人間関係を描くために持ち出された政治イシューのようにも見える。
 一方で、村の若者たちの人間関係においてはその扱いは少し異なる。大地の恋人である有紗と、直美の娘の桜の恋愛関係が一幕の終わりに突然明かされるのだが、ここでは同性愛の問題が彼らの内側に生じている。有紗は大地と結婚目前で、桜は村を出ることを考えている様子であり、その関係は一時の火遊びのようだ。だが、二人はこの恋愛に浮かれてもいて、周囲の目を盗んで「ホール・ニュー・ワールド」を歌い踊っていたところを大地に見つかり、事態は急転する。

撮影:松本尚大

 当然、激怒した大地は二人を責め立てるが、冷静さを失いながらも差別的な攻撃はしない。恋人と友人の裏切りと、過去にも浮気の問題があったらしい有紗に対する衝撃を、浮気を知って黙っていた拓也にぶつけて大騒ぎする。かといって、二人が同性であることを気にしていないわけでもない。同性間の浮気の想定をしていなかったことのショックは自分の負けだと素直に受け止め、桜のセクシュアリティは「レズビアン」と「バイセクシュアル」のどちらが適切なのかと迷う。どう考えても大地が正論で怒り続けているのだが、結局惚れた弱みには勝てず、なし崩しに有紗へのプロポーズに至ってしまう。
 このセクシュアリティの感覚を、彼らの親たちは必ずしも共有しているわけではなく、トラブルを知った直美は桜に対し、異質なものを指すように「あんた、そっちなん?」と尋ねる。また、この若者たちが常に政治的に正しいわけでもないことも、拓也や圭太の排外主義的な態度からわかる。仲間内の恋愛トラブルに向き合う登場人物たちが衒いなくリベラルであることに、川村の社会に対する距離感が最もよく表れているように思う。社会問題に目配せをしつつも人間ドラマの主題にはせず、独自のアプローチでそれらと向き合おうとしているところに新しさを感じた。

  • 伊藤寧美
    伊藤寧美 Nabi Ito

    1988年兵庫県出身。バーミンガム大学大学院博士課程修了(PhD in Drama and Theatre Studies)。大阪大学大学院人文学研究科芸術学専攻演劇学コース講師。専門は英国の現代演劇、戯曲の研究。

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