開催日:2024年3月22日(金)
リサーチャー:(【】はテーマ、*は自由テーマ)
【現代における伝統芸能】荻島 大河(おぎしま たいが)
【舞台芸術のアーカイヴ】立花 由美子(たちばな ゆみこ)
【舞台芸術のチケット価格戦略*】小倉 千裕(おぐら ちひろ)
【〈子どもと舞台芸術〉と〈舞台芸術のアーカイヴ〉の横断型】橋爪 皓佐(はしづめ こうすけ)
【京都におけるマダン劇*】権 祥海(ごん さんへ)
ロームシアター京都のリサーチプログラムは、2023年度で7年目を迎えている。公募で選ばれたリサーチャーたちが調査・研究成果を発表する最終報告会も、今回で7回目。そのうち6回に、私はいろいろな立場で居合わせてきたが、毎回、ユニークな発表内容とともに、リサーチが育まれる場のありかたに強く惹かれている。劇場が主体となる調査・研究事業が着実に積み重なり、劇場文化について自由闊達に語り合うことのできるコミュニティが維持されているのは、とても貴重だと思う。以下、2023年度の5つのリサーチ報告の要旨を書き留め、報告会全体の感想を述べることにしたい。
荻島 大河「伝統芸能としてのVTuber文化―“ままごと”の本意・歴史・問題点とその活用法について―」
「現代における伝統芸能」のカテゴリでは、昨年度、独自のスタンスで「始原演劇論」を探求した荻島大河氏が、新たに「ままごと」をキーコンセプトに据え、古来の文化芸術と現代のネットカルチャーを往還する研究を試みている。荻島氏は、伝統芸能を「定まった表現形式“型”が時代を越えて継承されている表現群」、ままごとを「かわいい対象物に憑依して日常生活を体現するもの」と捉える。そして児童小説(A.A.ミルン「クマのプーさん」)や古典文学(紫式部「源氏物語」)の読解、また人類学・神話学の参照にもとづき、ままごとの本質が「日常生活の保管/補完・再生」にあると指摘する。
発表後半では、現代における「ままごと」の発現形態としてVTuber(バーチャルユーチューバー)を取り上げ、その特異性を考察している。VTuberのカルチャーは、日常生活の変容やネット社会の性的消費に起因するトラブルと隣り合っている。そうした問題との向き合い方の一例として、荻島氏は自ら考案・制作したインターネットを使わないコミュニケーションツール(スペキュラティブ・デザイン作品)を紹介し、VTuber文化のオルタナティブな活用法を提起した。
立花 由美子「再演のためのパフォーマンスアーカイヴを考える」
「舞台芸術のアーカイヴ」のカテゴリでは、立花由美子氏が昨年に続いてパフォーマンスアーカイヴの再演にまつわる研究を進めている。美術館におけるコレクションの再展示性を参照して劇場のレパートリーシステムを問い直す、といった着想を背景に、オーストリアのリンツ州立劇場の関係者に対するヒアリング調査を実施。同劇場のドラマトゥルクや演出助手らの発言から、レジーブック(台本に、パフォーマーの動きやテクニカルセクションの転換などを書き込んだ資料)という日本の劇場にはないアーカイヴの文化が、レパートリーの再演を支える一つの大きな要素として貢献していることを報告した。
レジーブックは、テクストと上演の時間的な対応を伝える資料であるが、その成り立ちは作成者(演出助手)の作品解釈に委ねられている。他方、立花氏が検討する美術館のアーカイヴシステムをベースとした指示書は、作者自身によるパフォーマンスの定義を伝える反面、テクストと上演の時間的な対応を規定するものではない。立花氏は、こうした両資料の相補的な関係をおさえて、①指示書・レジーブック、②展示指示書・テクニカルライダー、③その他展示に必要な記録、という三つの階層からなる総合的なパフォーマンスアーカイヴのモデルを提示。さらにロームシアター京都の自主事業「レパートリーの創造」の調査を顧みつつ、新作制作が中心である日本の劇場がもたらした劇場文化の持続可能性の課題について、パフォーマンスアーカイヴ活用の重要性を説いた。
小倉 千裕「日本の演劇における前売券を割り引く商習慣の歴史的変遷 :インタビュー調査を手掛かりに」
小倉千裕氏は、「舞台芸術のチケット価格戦略」という自由テーマで、2年目のリサーチに取り組んでいる。日本の演劇興行では前売券を当日券よりも割り引く商習慣が定着しているが、その継承要因には、小劇場系劇団に顕著な相互互助的・共同体的な集団性や、独特のチケットの販売方法(劇団関係者の手売り、ノルマ制)が介在している。そうした仮説のもとで、創立年代の異なる複数の劇団・演劇ユニットの関係者、舞台制作者へのインタビュー調査を実施。あわせて劇団未来、劇団新制作座が保有する上演資料の調査を行った。
小倉氏は、一連の調査を振り返り、1950-60年代に活動を開始した団体(劇団未来、劇団新制作座)では、時代とともにチケット販売の方式が変化し、手売りの主体が変わる中で、前売券を割り引く価格設定が継承されてきたこと。一方、2010年代に活動を開始した団体(PANCETTA、劇団不労社)では、チケットの価格設定に、小劇場の物理的な条件(限られたキャパシティ、受付・座席の仮設性)への対応が影響していることを指摘。発表の締めくくりとして、今後も経済学・経営学の知見を取り入れ、チケット価格という切り口から演劇を取り巻く環境、その経済的基盤を明らかにする研究活動を継続していく意欲を示した。
橋爪 皓佐「創作ツール・アーカイブツールとしての記譜:作曲ワークショップの実践とアーカイブを通した考察」
橋爪皓佐氏は、「子どもと舞台芸術」「舞台芸術のアーカイヴ」という二つのカテゴリを横断するかたちで、「記譜」という概念を基軸として、作曲ワークショップの実践とその記録へアプローチしている。視覚性によって音楽の創作を支えるツールであり、音楽を記録・再現するためのツールでもある記譜。その多面性に留意して、主に子どもを対象とする作曲ワークショップを観察。さらにワークショップそれ自体を記録・再現するためのスコア作成の可能性を探った。
橋爪氏は、今回、調査した公共ホールにおける楽器・楽曲・音楽公演づくりのワークショップ(豊能町ユーベルホール「わからなさ??を肯定!!する」)、小学校の特別授業における「無音の聴取」を起点としてスコア作成や演奏を体験するワークショップ(関西・大阪21世紀協会「学校アートプログラム」)を取り上げ、両者の特徴および条件の違い(会場の属性、ワークの時間的制約)を考察。その上で、現状では記譜を導入した作曲ワークショップが開発途上であり、記録対象とすることは難しいものの、音楽教育との関係を含めた新たなプログラム策定につながりうる、という見解を示した。
権 祥海「マダン:民衆が共集する広場」
権祥海氏は、「京都におけるマダン劇」という自由テーマで、韓国現代演劇の上演形態の一つであるマダン劇が、京都において実践されている意義に光をあてている。発表では、屋外の平らな地面・広場という空間概念、出来事が起こる時という時間概念をあわせもつ「マダン」の語義、日本におけるマダン劇の興隆期にあたる1980年代の在日社会の構造、さらにキーパーソンである梁民基(1935-2013)によるマダン劇運動とその思索的背景を概説。これらを踏まえて、京都市の東九条エリアで開催されている「東九条マダン」のフィールドリサーチについて報告した。
東九条マダンは発祥地とは異なる独自の発展を遂げており、その共同創作のプロセスは、在日コリアンの抱える問題を外部に開く、開放的かつ柔軟な姿勢に特色がある。権氏は、今回のリサーチを総括して、マダン劇が在日コリアンの共同体や地域に対する関心を日本社会に届ける手立てとして機能しうること、また民衆の集う広場で思考・対話するマダン劇の身振りが、特定の民族に対する差別や抑圧が遍在する現代世界への応答であることを指摘した。報告会の終了後には、ローム・スクエアに場所を移し、権氏らのファシリテートによって、マダン劇の一端に触れるミニワークショップが行われた。
以上の5つのリサーチ報告はどれも個性豊かで、全体として一般的な芸術研究よりも広い構えと領域横断性を感じさせるところが魅力的だった。調査対象も、そこへの関わり方もさまざまだったが、それらが一所に会すると劇場や舞台芸術をめぐる問題領域の広がりや多層性が喚起されてくる。加えて、コメンテーターのきめ細やかなフィードバックは、各々のリサーチが的確かつ大らかな批評眼によって支えられてきたことを、窺わせるものだった(なお今回の報告会では、メンターの吉岡洋氏、若林朋子氏に加えて、大野はな恵氏がコメンテーターを担当していた)。
いま劇場や舞台芸術をめぐるリサーチには、アッと驚く特効薬を夢想することよりも、漢方さながらにジワジワと劇場文化に働きかける方途を探ることが求められている。私はそう信じている。そしてリサーチの効能を高めるためには、アカデミズムの作法やプラグマティズムの思考枠にとらわれることなく、自由な発想を受け入れ、そこに集う人々が協同で学び合うことのできるような場が必要不可欠であるとも。リサーチプログラムが、今後もそのような「受容と協同のフィールド」として、劇場文化に新鮮な刺激をもたらし続けてくれることを、切に願っている。
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