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ロームシアター京都 レパートリーの創造 ホープス 野村眞人連載

アンペルマンを救え 連載③:レパートリーってなんだろう

文・写真:野村眞人
2025.10.31 UP

2024年度から始まった、京都から若手演出家と世界を目指すプロジェクト「ロームシアター京都 ホープス」。アソシエイト・アーティストの野村眞人・西田悠哉が、新作・旧作の創作・発表に取り組む。Spin-Offでは、ふたりそれぞれの創作のエッセンスが垣間見えるエッセイを不定期でお届けする。ベルリンに文化庁新進芸術家海外研修制度で滞在している野村眞人による連載第3回目。

第1回目 「住民と観光客のあいだ」(6/26)
第2回目 「刑務所の観客席」(8/18)


ゴーリキー劇場

レパートリーってなんだろう

 秋になり、ベルリンで新たなシーズンが始まった。各劇場でプログラムが発表され、新作やレパートリーを数多く上演しはじめている。シャウビューネをはじめ、各劇場のプログラムをチェックしていたとき、ゴーリキー劇場の今年のレパートリーに、『Mothers – A Song For Wartime』という作品が目に止まった。これは昨シーズンもレパートリーになっていて、2月ごろに一度見ていたものだ。出演者は、戦争から避難するため、ウクライナやベラルーシからポーランドに渡った女性たちで、戦争や暴力に対する抵抗や彼女たち自身の経験を歌い上げる合唱劇だった。昨シーズンに見た作品のなかでもとりわけ印象深いものだったが、それが今年もレパートリーになっている。

 レパートリーというシステムの一つの意義は、何回も観られることで、通常だと劇場に雇用された俳優たちによって繰り返し上演される。なかには20年以上もレパートリーになっている作品もあるくらいで、そういう作品は劇場にとっても観客にとっても、どこか特別な、歴史的な雰囲気を持ち始める。だけど、この『Mothers』という作品は、ウクライナ戦争を背景とするいわば当事者たちによる演劇で、ドキュメンタリー的な要素も多く含んでいるものだ。これが、レパートリーになっている。つまり、何度も上演をする。その度に、出演者たちは爆撃と暴力にさらされた自分自身の経験を舞台上で歌い上げる。これは、どういうことなのだろうか。もちろん、演劇だから、たくさん見てもらうためには何度も上演しなくてはいけない。印象深く、心を打つ作品だから、上演すれば観客を感動させるだろう。しかし、出演者たちはどうなのか。戦争はまだ終わっておらず、2月に作品をみたころから、より良い現実にも辿り着いてもいない。

 当事者とは、何か困難な現実に直面しているひとたちのことを指すことが多いと思う。もし、レパートリーが再演のためのシステムだったとすれば、本質的に、なんらかの当事者が出演する作品はレパートリーになりえないのではないだろうか。再演することには、潜在的にそうした困難な現実を再生産することが含まれるからだ。帰国までに、もう一度、『Mothers』を見る機会はある。しかし、怖い。同時に、これからも演劇に取り組む上で、とても重要な問いだとも思う。

文・写真:野村眞人


レパートリーの創造 ホープス 野村眞人
ワーク・イン・プログレス
2026年3月(※詳細はこちらでお知らせいたします)

  • アンペルマンを救え 連載③:レパートリーってなんだろう

    Photo by shimizu kana

    軽地方での墓にまつわるフィールドワークや、精神医療や高齢者福祉施設でのリサーチをベースとした作品・プロジェクトに取り組んでいる。また、村川拓也作品やタニノクロウ作品に、俳優や演出助手としても参加。2024 年度 ACY アーティスト・フェロー。利賀演劇人コンクール 2018 優秀演出家賞。
    ポートフォリオサイト

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