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#コラム・レポート#舞踊#2021年度

ピチェ・クランチェン・ダンスカンパニー 「No. 60」関連コラム

伝統のあるところ

文:中島那奈子(ダンスドラマトゥルク、ダンス研究)
2022.3.10 UP

 タイの伝統舞踊コーンを学び、コンテンポラリーダンス界で活躍するピチェ・クランチェンを初めて知ったのは、フランスの振付家ジェローム・ベルの作品「ピチェ・クランチェンと私」だった。ベルリンの劇場HAUで上演されていたこの作品を、当時ニューヨークから見に来ていた私は、複雑な思いで舞台の存在に目を注いでいた。レクチャー・パフォーマンス[*1]という見慣れないヨーロッパのダンス形式の枠で、タイから来た伝統舞踊出身のピチェが、フランスの振付家相手に一人で奮闘している。有名なベルの作品を見にきた多くのヨーロッパの観客に囲まれ、舞台の彼も、観客の私も、どこか孤独でその場の多くの人から対象化されていたように思う。私は舞台上で一人闘うピチェに、自分を重ね合わせていた。日本から来てベルリンにいる、伝統の踊りを学んできた私を。

 その10年後、さまざまな経緯を経て、ピチェと一緒に仕事をするようになった。ピチェの「ラーマの家」という作品の台湾でのリハーサルにドラマトゥルクとして招かれた私は、ピチェとの仕事に興奮しつつも、何をすればいいか途方に暮れていた。これまでリサーチのために、家族ぐるみで旅をしてきたピチェと台湾の振付家・ダンサー、ウーカン・チェンは関係がしっかりできているものの、台湾語もタイ語も話せず、ラーマーヤナの専門家でもない私は、そこにどう入っていけばいいのか。

 そんな時、台湾での資料展示のために、ピチェがタイから運んできたコーンの仮面と舞台衣装を、マネキンに着せ始めた。コーンの衣装は金ピカの刺繍や飾りのために重く、着せるのに時間がかかる。サイズがなく着た人の体に合わせて針でしつけていくので、一度着たら簡単には脱ぎ着ができない。そんなことを言いながら、黙々と針仕事を始めるピチェに、私は反射的に手を貸していた。マネキンに重ねていく重い衣装を探し、背後からもち、高さを一定にしておさえる。相手が必要な時を見計らって、針を差し出す。言葉を介さなくても、ピチェの息遣いを見ていれば、次の衣装がどれになるか、どの衣装をどう針でしつけるかが、伝わってきた。それは、かつていた踊りの着付けの現場と同じ息遣いだった。マネキンは女性なのに、ピチェのもってきた衣装は男性用のラーマの衣装だよというツッコミを物ともせず、思った以上にざっくり衣装を着付けたピチェは、客席からは仕付け糸なんか見えないし、舞台衣装ってそういうものだよね、と私に呟いた。私はその時はじめて、彼の息遣いに寄り添えた気がしていた。

コーンの着付けの様子 

今回京都で上演するピチェの作品「No. 60」には、不思議なことに、同タイトルのカタログも作られている。初演に先駆けて発売されたこのカタログには、コーンのポーズを撮影した59の写真と彼の描いた筋肉や骨格の動きに関するドローイング、そして舞台にも使われるピチェのコーンの舞踊譜が掲載されている。カタログの冒頭に、ピチェはこう書いている。

  タイの伝統舞踊もしくは古典舞踊は、一連の正式な美学的・文化的ルールに厳密に規定されている。このタイの伝統的パフォーマンス美学の固定化されたシステムの背後にある一つの理論的根拠は、タイの伝統舞踊は神々から由来するという信仰にある。ある特定の個人のみが、この美学的体系に変更や修正を加える権威がある。それは以下のものである。
1、国王 
2、高位の師範 
3、上演中にダンサーに憑依するダンスの神様 

 宗教儀式として始まった多くの舞踊は、その反復にともなって形が洗練し、専門的に従事する者を生み出していった。しかし、その舞踊には現代においても、神々や祖先、師匠への祈りが息づいており、その体系をむやみに変えることは彼らへの、そして形式への冒涜とみなされる。

 ピチェが解体するタイ伝統舞踊の「テーパノン」は、タイ古典舞踊家になるために習得しなくてはいけない59個の主要なポーズと動き、いわば「型」から成り立っている。そこでは、力や重さ、方向、エネルギーといった動きの要素が譜面化されている。準備に16年もの時を費やしたというこの「No. 60」は、それらの型から新しい原理と形式を見つけ出そうというものである。

©Hideto Maezawa

 多くのコーンの伝統舞踊家は、構造の解体と改革を伴わない、これまでの型を組み替えたものを「新作」として発表するという。それらの現代的な作品は、タイ舞踊の枠組みを壊さずタイらしさを保守することで、コミュニティと共存する。そして、伝統が変化を伴わずに継承されたという信念に基づき、コミュニティを存続させていく。だがピチェが革新的な芸術家として特筆に値するのは、伝統舞踊の型の組み替えに終始するのではなく、その型の延長線上に構造を乗り越える、新しい形式を生み出すことである。そこには、両者を繋ぐ確実な接続があり、コーンの型を身につけ分析したからこその「新しさ」の深みと広がりがある。

 ピチェは、米国研修中に振付家ウィリアム・フォーサイス(1949―)[*2]にも学んでいる。そこで、クラシックバレエによる身体の基礎を作り上げる方法を学ぶと共に、ダンサーに自ら考えるプロセスを持たせようとするフォーサイスの姿勢にも影響を受けている。ルドルフ・フォン・ラバン(1879―1958)[*3]が唱えた理論をコンテンポラリーダンスの振付に活用したのはフォーサイスであり、コーンの型からなる舞踊空間に新たな関数を加える「No. 60」にその影響を認めることもできるだろう。

 ピチェには、コーンの伝統の型から距離をとることも必要だった。宮廷やタイのプロパガンダとしても機能したコーンが、タイの舞踊言語の根本ではないことに気づいたピチェは、タイ東北部や南部にその源流となる動きを探しにいく。そこで目にした憑依を伴うシャーマニズムの動きからヒントを得て、自分の思考や踊りの型から自由になることを試みたという。

©Hideto Maezawa

 そして、踊りの習得に何年もの時間がかかるコーンの訓練を、一般の人にもアクセスできるものにし、誰もが自分のアイデンティティに基づいて振り付けを作り出せるような、新しい動きの言語を作る――そうピチェに決断させたのは、タイの政治状況が近年急激に変化したことが要因であった。どんなに世界がかわろうとも、私たちは自由でなくてはいけない。こうしたダンスと権力が拮抗する歴史的対話のなかで、ピチェの「No.60」は生まれたのである。

 踊る身体をつかさどる型は、写真のように固定化された形ではなく、その周辺にあるさまざまな情報を孕んだ身体ともいえる。それは音楽や衣装、装置、言葉との関係において空間に立ち現れる舞踊家の在り方でもある。そして舞台衣装の着付けは、そういった踊る身体を動きとともに形作る、実践に固有の技術が身体化したものだと思う。どう踊るかがわからないと、舞台衣装はうまく着付けられない。踊る身体を形作る構造を、動きの中で捉えようと、着付ける者は息を遣う。目に見える踊りの型とは異なる、もう一つの型。ピチェと共有できたのは、そういった伝統の息遣いであったようにも感じる。

©Hideto Maezawa

1:欧米のパフォーマンスシーンで始まった前衛形式で、その人物の経歴や思想なども語りとして伝えるもの。1960年代の米国ポストモダンダンスを源流とし、リサーチを主体にした作品が多いが形式は一定せず、歴史や知の新たな方法を探るものが多い。ダンスではジェローム・ベルやグザヴィエ・ル・ロワが代表的で、京都ではチョイ・カファイなどアジアの若手アーティストがこの形式でいち早く作品を発表し、近年東京の芸術公社によってシリーズ化された。

2:アメリカ生まれのコンテンポラリーダンスの振付家。ジョフリー・バレエ団、シュツットガルト・バレエ団をへて1984年にドイツ、フランクフルト・バレエ団の芸術監督に就任し、その後フォーサイス・カンパニーを設立。伝統的なクラシック・バレエの枠組みを大胆に乗り越える抽象的演劇的作品は、世界中で批判と喝采の嵐を巻き起こした。新しい振付を即興で生み出すインプロヴィゼーション・テクノロジーズというソフトの開発やドラマトゥルクや研究者との協働など、歴史に残る実験には枚挙にいとまがない。

3:オーストリア=ハンガリー生まれの舞踊理論家で、ドイツ表現舞踊の理論的主導者。世界的にバレエの記譜に使われる舞踊譜ラバノテーションの創案者。踊り手としてだけでなく、舞踊を時間芸術ではなく空間芸術としてとらえて科学的に身体運動を分析した、ラバン動作分析理論の影響はダンスの分野にとどまらない。第2次世界大戦中ナチスに追われてイギリスに移住し、現在のイギリスコンテンポラリーダンスの拠点トリニティ・ラバン・コンサヴァトワールの基礎を築いた。

  • 中島那奈子 Nanako Nakajima

    ダンスドラマトゥルク、ダンス研究。
    老いと踊りの研究と創作を支えるドラマトゥルクとして国内外で活躍。プロジェクトに「イヴォンヌ・レイナーを巡るパフォーマティヴ・エクシビジョン」(京都芸術劇場春秋座2017)、「能からTrio Aへ」(名古屋能楽堂2021)。2019/20年ベルリン自由大学ヴァレスカ・ゲルト記念招聘教授。2022年カナダ・バンフセンター・フォー・アーツ・アンド・クリエイティビティ、ファカルティメンバー(ドラマトゥルギー)。編著に『老いと踊り』、ダンスドラマトゥルギーのサイト(http://www.dancedramaturgy.org)を開設。2017年アメリカドラマトゥルク協会エリオットヘイズ賞特別賞。日本舞踊宗家藤間流師範。

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