
麥生田兵吾(umiak LLC.)
本作のタイトルに用いられた『CARCAÇAカルカサ』とは、ポルトガル語で、遠い過去に死に絶えた生物の骨を意味するそうだ。振付家のマルコ・ダ・シウヴァ・フェレイラは、インタビューのなかで「動物の骨格を見ると、それが生きていた頃にどのようなものだったか考えさせられる」と語っている。フェレイラ曰く、動物の骨格は「過去についての様々な証拠を呈示しながら、現在を意味するもの」なのである¹。
本作の京都公演には、パーカッションと電子音楽のミュージシャン2人に加え、フェレイラ本人を含む9人のダンサーたちが出演した。舞台のダンサーたちは出身地、身体の特徴やジェンダー、学んできたダンスの種類に至るまで、様々なバックグラウンドを持つ。過去と現在をめぐる振付家の関心と、このような身体の多様性はどのように交差するのだろう。
本作では、跳躍を基調とした振付のバリエーションが展開されてゆく。とりわけ足首部分をクロスさせ、身体の軸を右足、左足、右足…と切り替えるホップは、身体の表情を変化させながら繰り返される、最もアイコニックな振付であった。
これが踊られる時、ダンサーが上体を動かさず固定すれば、つま先と踵が奏でる小気味の良いリズムが強調される。固定が解かれると、上体に柔らかさが生まれるが、その際にも身体が自然と揺れるのか、それともアクセントを効かせて上体を振るのか、或いはその運動を増幅させて身体のひねりへ発展させるのか…など、数えきれない選択肢が、振付の変奏を豊かにしていた(さらにここへ前後、斜め、左右など、運動の方向に関わる選択肢が掛け合わされ、さらにバリエーションが増える)。腕を直角に曲げて横に広げると、身体が壁画のように平たい印象を帯び、腕を前後に振れば走るスポーツマンのようなイメージが現れる。また腕を下方へピンと伸ばせば、やや挑発的な雰囲気を醸す。
つま先や踵の用い方も細やかに区別されていた。ポンと上から床に置くのか、床をノックするように弾くのか、つま先や踵で床を垂直に踏むのか。これらは角度や位置など、ユークリッド幾何学的空間のなかで特定可能な要素では説明のつかない、「どのように」という動きの質的側面に関わっている。一方、足の裏で床を擦ってからつま先を床に置く、を一連の流れにするのか、足を小指側に傾けて着地するのか…という手続きの数、関節を曲げる角度の違いも、同じステップに異なる表情をもたらす。フェレイラは、ストリートダンスを学んだ経験を活かして長年フットワークの研究をしてきたと語っているが²、なるほど一見シンプルな振付が膨大な要素に分けられ、それらの組み合わせの種類が様々に試されてきたことが窺える。
そしてこれらのステップに、既視感のある身体の用い方が織り混ざっていることに気づく。例えば、ストリートダンスのいわゆるウィッチアウェイのステップが目に飛び込んでくる数秒間があり、踵の着地にアクセントを置きながら前進する運動は、キャメルウォークのそれを彷彿とさせもした。ダンサーが2人組になって向き合う時の足捌きには、タンゴのステップが混じる。また上体のひねりが、西欧のコンテンポラリーダンスで時折みかける空中ターンの語彙に滑らかに接続されもする。
その中には、筆者が認識しきれなかった動きの語彙が多くあったはずだと認めねばならない。公演パンフレットによると、ダンサーの中にはコンテンポラリーダンス、ヴォーギング、アンゴラのストリートダンスであるクドゥロ、フラメンコやタンゴの経験者や専門家たちがいて、さらにハウス系のDJやヒップホップのプロデューサーも含まれる。さらにフェレイラは、ポルトガルのフォークダンスを参照したと言う³。
これらのダンスの名前は、ポルトガルやスペインを中心としたヨーロッパ、アフリカやアメリカ大陸など、広範な地域を連想させるだろう。それぞれの地域の内部において、そして地域から地域への移動を経て、各動きの語彙が発展し、改変され、変容を遂げてきた。そこには植民地の歴史が関わってくる。ストリートダンスの様々なステップは、奴隷貿易のために離散を強いられ、抑圧を受けてきたアフロ系の人々たちの記憶が、各地で身体的に継承されてきたものだ。
周知のとおりポルトガルは大航海時代以来、ブラジルをはじめ、アフリカ大陸のモザンビークやアンゴラやギニアビサウ、ゴア、マカオ、マラッカや東ティモールなどの地域を支配してきた⁴。なかでも最大の植民地であったブラジルは19世紀に独立したが、アフリカやアジアの植民地解放に向けて政策の舵が切られたのは、1974年のいわゆるカーネーション革命の後である。
こうした記憶を背負うステップと、ヨーロッパの文化は、どう出会うことができて、どう出会うべきなのか。千変万化に表情を変えつつも連綿とつながるステップが示すのは、少なくとも身体という特別な空間においては、互いの文化が不和の印象をきたすことなく融合し、つながり得るということだ。しかし、身体がもつこの脱文脈化の力によって肯定されるのは、忘却の美学ではない。むしろ本作における緻密な動きのリサーチが物語っているのは、継承された他者の記憶を丁寧に腑分けし、その中に分け入ろうとし、現在の身体によって生きようとすること抜きにしては出現し得ない空間があるということだろう。身体は、このことを予感させるのである。

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前半の印象とは変わって、後半には政治的なメッセージが、言葉として登場する。ダンサーたちが合唱する歌詞はその一つである。「お客様、私は労働者の女[…]時々考えを巡らせている 働きすぎているネクタイについて」「ブルジョアが支配している限り、ファシズムが戻ってくるだろう」。1930年代からの約43年間、ポルトガル国内では、二代のファシズム政権による独裁体制が敷かれていた。ダンサーたちは眼を大きく見開き、客席の方へ向かって、労働者の搾取やファシズムに対する警戒、仲間たちへの団結の呼びかけを厳かに謳い上げる。このとき用いられたピンク色の衣装のトップスがキービジュアルを作り出す。ダンサーたちはまるで赤旗かプラカードを掲げるかのように、それを頭の上までめくり上げる。また数人でそのトップスを寄せ集めて、一つの大きな口を象る。その傍らではダンサーが、自分の義手をまるでピストルのように構える。
反体制的な表現の率直さと、刮目したダンサーたちの気迫のインパクトは大きいが、しかし挑発的な緊張感はそこにない。服に引っかかった腕はダラリと力が抜けているし、厳かな歌がとつぜん盛り上がり、ダンサーがパーカッションの音と共に身体の内側から震え、足を踏み鳴らす様子は、怒りの表現というよりお祭り騒ぎに見える。
こうして重いテーマが扱われるシーンにおいても、集団で生の歓びを謳歌するような、遊戯的で熱狂的な雰囲気は失われない。それどころかシーンが進むにつれて段階的に華やかになってゆく衣装が、楽しげなムードを一層盛り上げていく。最初は黒いボディスーツと肌色の2色の姿で登場していたダンサーたちは、次第に多彩な装飾やパーツを身に纏う。ポルトガルのフォークダンスからの影響を感じさせる円舞では、ダンサーが腕についた布を鳥の羽のようにひらめかせている。掛け声とともに骨盤を前へ押し出し、力強く両足で床を踏み鳴らす、フラメンコを彷彿とさせるステップが、牧歌的な空気にアクセントを添えていた。
ソロを踊るダンサーに対しては、共演者たちによる威勢のよい掛け声がかかる。ヴォーギングを披露するダンサーが官能的なポーズを決めると、その度に周りがワッと盛り上がる。滑るように後退りするバックスライドや回転を繰り出すダンサーには、床を叩き「ヴァイヴァイヴァーイ!」と囃し立てる(ポルトガル語で「vaivaivai行け行け行け!」といったニュアンスであろう)。あるダンサーが得意とする動きは、他のダンサーには真似できないであろうし、その必要もなさそうだ。とはいえダンサーたちは相手の動きを鑑賞し、眼差すことに徹するわけではない。高揚する場に積極的に身を投じながら「見る」のである。

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18世紀、ブラジルで金鉱が発見されると、宗主国ポルトガルに大量の金が流入した。この時期に宗教政策に力を入れたポルトガルの王は潤沢な資金で豪華な教会を建て、バロック音楽で知られるドミニコ・スカルラッティを教会付き音楽家としてイタリアから招いた⁵。
灼けるようなオレンジ色の照明が印象的なラストシーン、このスカルラッティ作曲のファンタンゴが鳴り響く。その舞台空間のなか、異なるリソースと異なる質の動きが、見事な調和を見せていた。情熱的なクラップ、視覚的リズムを作る幾何学模様のような上肢の形態、艶やかに上昇する腕の動き、何かを思い切り投げるような荒々しいジャンプ。それらの通奏低音となっていたのが、例の、重心を切り替えるステップである。やがて、各ダンサーが自分だけの振付を踊り出す。そこに共在する動きの数々は、それぞれの歴史的文脈を背後に引きずっているはずだ。しかしあまりにクールなダンサーたちの魅力は、見る者を眼前の光景に惹きつけ、現在の虜にする力に満ちている。作中の歌や文字といった言語的な要素は、このような美しい体験によって、踊りから文脈が完全に消え去ることに歯止めをかけていた。
主に文学の分野を中心に繰り広げられてきた歴史の概念を問う議論において、20世紀を通じ疑いが向けられてきたのは、歴史とは直進的で不可逆的、そして連続的なものだという私たちの認識である。歴史概念からベクトルを取り除き、それを空間的なものと捉える発想は、この流れへの応答であると言える。ヨーロッパのダンスシーンでは、過去の作品に関するリサーチに基づく再上演やリエナクトメントの実践にこの発想が導入されてきた⁶。
振付家は、歴史を単線的なストーリーのままにしておかず、広がりを包摂する空間としての歴史の可能性を見せてくれる。ただし本作においてその空間とは、レクチャーパフォーマンスでしばしば用いられるようなスクリーンやホワイトボードではなく、また美術館や博物館の展示空間でもない。本作は、今ここの身体、そして身体同士が交感する場としての「空間」がいかに歴史そのものであり得るかを掘り下げる、直球勝負なダンス作品なのである。