今年2024年は、シンフォニックジャズの代名詞「ラプソディ・イン・ブルー」が誕生して100周年の年だ。そんな記念すべき年に、「ジャズの女王」大西順子と京都市交響楽団による夢のコラボレーションが実現する。ジャズとクラシック、それぞれのジャンルにあかるい原田和典、高坂はる香がおこなったインタビューで、大西は「完成品という印象は受けない」からこそ演奏家の挑戦と遊びを刺激されるという曲への思い入れとともに、今回のコンサートへの意気込みを語った。
聞き手・文:原田和典(音楽批評家)、高坂はる香(音楽ライター)
「だからこそ自由にできる」
ガーシュウィンの異色作「ラプソディ・イン・ブルー」
――今年はガーシュウィン「ラプソディ・イン・ブルー」の100周年ですね。
ジャズ・ミュージシャンにとって、ジョージ・ガーシュウィンは大きな思い入れがある作曲家だと思います。そして、私にとっては1920年代~30年代当時の「はやりうた」(ポピュラー・ソング)を多く書いた人というイメージがあります。その中で「ラプソディ・イン・ブルー」はちょっと異色の作品かもしれません。ガーシュウィンならではの印象的なメロディが散りばめられていますが、個人的には完成品という印象は受けないんです。以前にこの曲を演奏した時も、「だからこそ逆に、自由にいろいろぶち込むことが可能なのではないか」と思って、取り組みましたね。オーケストラの皆さんや指揮者の方との一致団結が大変重要になってくる楽曲ですので、そこがうまくいけばいいなと思っています。
――大西さんが演奏されるのは、2013年のサイトウ・キネン・フェスティバルにおける小澤征爾さんとの“伝説の共演”が最初ですね。
そうですね。あれは、公演が実現した過程が大袈裟に伝わったことで話題になったところもあるのですが(笑)。
今思い出すと、私がクラシックの世界のことを何も知らずいつも通りの感じでやってしまったので、小澤さんはとても苦労されたはずです。そもそもあのようなクラシックの重要なフェスティバルの大トリに私を呼ぶだなんてかなり物議を醸したはずですが、それをみんなを巻き込みしっかり実現させるところが、すでにさすが小澤さんだと思いました。
そのうえ、オーケストラの方々を“一つの音楽を作るんだ!”という方向に導いて本番でもしっかり決めてくださったので、本当に驚きました。みなさんが好意的に受け止めてくれて、一丸となってやり遂げた感覚がすごくありました。
――オーケストラと共演するのは何度目になりますか?
今回の京都公演が4度目になります。正直これまで、しっかりオーケストラと向き合えたと思えたことがまだ一度もないんです。いつか遠くにいる奏者の方ともコミュニケーションをとって仲間になることもできるのかなと思いながら、舞台に立っています。
それから私自身、この曲がすごく好きかと聞かれると、実はそういうわけでもないんです。いくつかの有名なメロディは、いかにもあの時代に流行ったサウンドという感じがして、良いですけれどね。
とはいえ、オーケストレーションは本人がしていなくて作り込まれていないので、逆に好きに遊べる隙間があると言えるかもしれません。私が演奏するときは、カデンツァはほぼ全部変えて、オーケストラのパートに繋げて仕上げるというスタイルでやっています。
――作り込まれていないから、逆に制約を感じず自由にできるという。
私はそうしてしまっているのですが、それが良いのか悪いのかは未だにわかりません。カデンツァで待っている時間が長くて、オーケストラのみなさんは退屈しているかも(笑)!
ジャズとの出会い、クラシックからの影響
――ジャズとの出会いについて教えていただけますか?
兄が持っていたセロニアス・モンクのレコードを高校生の時に聴いたことがきっかけです。クラシックとはちょっと異なる音楽を探していたところに、ちょうどぴったりとジャズが入り込んだ感じですね。「この音楽はどういう風に成り立っているのだろう。ぜひ知りたい」という気持ちが高まって、アメリカのバークリー音楽大学で学びました。サックス奏者のダニー・マッキャスリンやピアニストのダニーロ・ペレスは既にいて、1学期下にトランぺッターのロイ・ハーグローヴが入ってきたことを覚えています。卒業後はニューヨークに出て演奏しましたが、心からわかったのはジャズがとても奥の深い音楽であること。いろんなミュージシャンと共演することで、さらに謎が深まり、もっと勉強しようと思い、その繰り返しで今まで来ている感じがします。
――作曲の面ではクラシックから刺激を受けることも多いそうですね。以前、バッハの曲のように、ジャズでも左右10本の指で何人も違う人のような表現ができるのではないかとおっしゃっていました。
本来その可能性があるとは思います。実際それをインプロビゼーションでやるのは難しいことですけれど、ジャズの多旋律の表現には、まだできることの余地がたくさんあると思っているんです。
バッハだけでなく、後期ロマン派の多旋律の使い方や、ラヴェルのような込み入ったハーモニーでも実は内声で旋律がつながっている作品からは、盗めるものがたくさんありそうです。
――大西さんのジャズの感性からすると、ガーシュウィンよりもむしろラヴェルのほうが魅力的なのですね。
フランス近代の感性は、ジャズに近いですよね。ドビュッシーなど、きっとジャズのこういうハーモニーを使いたかったのだろうなと汲んでとれるところがたくさんあります。
クラシックとジャズの垣根を越えて
――最近は音楽のジャンルの垣根を越えて演奏するミュージシャンも増えました。クラシックとジャズの間ではとくにその傾向が顕著ですが、以前、それによってジャズの世界が変化してゆくことへの危惧について話していらしたのが印象的でした。
そうですね、逆にジャズのミュージシャンでも少しくらいクラシックの曲を弾けたほうが良いみたいな空気を感じます。
今、どんな分野でも境界をなくすことを望む傾向があって、確かにそれによって刺激を受けられる良い部分もあります。聴くという意味では、私自身もラップから演歌までいろいろな音楽に触れますし、自分に響くものはたくさんあればあるほどいいと思っています。
ただ自分が演奏する側に回るなら、クラシックでもジャズでも本当にやろうと思えば一生かかるものなので、気軽に両方という考えは私はあまり好みません。
クラシックなら子供の頃からレパートリーを広げ、譜面の読み方、解釈の仕方、そして生き方を変化させ、そうして、アルゲリッチやバレンボイムのような成熟した美しい姿になっていくのでしょう。
そういう意味では、ジャズも同じです。クラシックよりは歴史が短いですが、いろいろな人たちがいろいろなものを取り込んで、ものすごいスピード感で作り上げてきた音楽です。とても高いハードルがあるので、それを勉強するだけで人によっては一生が終わってしまいます。その勉強の上で、今の自分はこうであるということを表現しながら、最終的に一生を終えるものだと思っています。
――近年の大西さんはピアニストのジェリ・アレン(1957年生まれ、2017年死去)の楽曲も積極的に演奏なさっていますね。彼女の音楽の魅力について教えていただけますか?
ジェリ・アレンがいかに凄いことにチャレンジしていたかがわかるようになってきたのは本当にこの10年、15年ぐらいです。自分が若い頃には彼女の凄さがあまり自分の中で消化しきれていなかったように思います。私はアメリカに渡った当時、ウィントン・マルサリスやその周辺のミュージシャンが演奏するストレート・アヘッドなジャズをよく聴いていましたが、ジェリはちょっと外れた、尖ったところにいたので、その頃は距離を感じていました。ですが、今、彼女の楽曲は私にとっては大変自由に演奏できるんです。独特なハーモニーが新鮮ですし、多彩なリズムを使うところも魅力的です。興味の尽きない音楽家ですね。
ホールに響き渡るピアノ・トリオとオーケストラ
――今回のコンサートの前半は、井上陽介さん、吉良創太さんとのトリオによる演奏です。ソロからオーケストラまで多彩なフォーマットで演奏している大西さんにとって、ピアノ・トリオとはどのような存在なのでしょうか?
活動の基本ですね。日本では特に人気のあるフォーマットですし、私にとってもトリオはデビューの頃から一番多く演奏してきた形態です。現在のメンバーであるベースの井上陽介は私と同じ時期にニューヨークにいたこともあって、音楽的な共通言語を持っていると感じています。いろんなスタイルを網羅できる、大切な奏者です。ドラムの吉良創太はクラシックの打楽器のバックグラウンドを持っていて、非常に基本を大事にするプレイヤーです。トリオでの演奏曲目に関しては、ホールの響きも意識したうえで考えたいと思っています。
――公演に向けて一言お願いいたします。
クラシックとジャズを演奏する公演になりますが、どちらも音楽には違いありません。特に分けて考えず、まとめて楽しんでいただければ嬉しいです。